25.同時殺人のなぞ
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中目黒区××コーポレート一〇五号室で二人の遺体が発見された。『コーポレート』の全体の構造は、二階建、各階に八部屋あり、各部屋は六畳のワンルームユニットバス付きで統一されている。ケンジは警察から殺人情報を入手してから許可をもらい、現場へと赴いた。既に捜査官と鑑識官は現場での取り調べを終了し、戻ったところだった。ケンジに付き添ったのは捜査共助課の巡礼だった。彼の業務は他都道府県での捜査相互協力、指名手配に関することである。
被害者が発見された部屋一〇五号室は犯人と思われる人物と争った形跡は殆どなく、男の一人暮らしにしては整理整頓されていた。というより、全体的に家具自体が少なく、六畳でも広く感じる。残っていたのは殺される前に飲んだと思われる開き缶のビール五個。鑑識官の話だと、空き缶の湿り具合から、殺される直前に飲んだと思われるらしい。遺体の解剖結果でもアルコールが検出されている。被害者の性格から飲んだビールの空き缶を二、三日放置することはまずないという友人の裏付けもあった。ベットのシーツ以外は乱れがなかった。土足で入室するのをためらうぐらいである。
「二人発見されたのは七月二七日の午後三時、被害者の山口亮の友達である村上光次が、前日から連絡が取れなくなったと心配になり、彼の部屋に行ってみたところで発見したそうです」
「発見者は、具体的に前日の何時ごろから連絡していたんだ?」
「だいたい七月二六日の午後十時ごろからということなんで、前日という表現も適切ではありませんね」
「いや、そんな表現にこだわんなくてもいい。それで、その後どのくらい連絡を取ったんだ?」
「携帯電話で四回ぐらいは連絡したそうです。いずれも夜が明けて午前十時以降に連絡したそうですが。村上光次の話によりますと、被害者である山口亮は、その、男と女がする夜の営みみたいなものをしている時……」
「まわりくどいな、セックスなら恥ずかしくないだろう」
「はい、性交渉の前になると携帯電話をマナーモードにしておく習慣があるらしく、それで気が付かなかないケースもあります。ですが、後で着信履歴を見て、必ず電話を返すそうなんですが」
「それは連絡どんな用事で連絡を取ったんだ?」
「七月二六日の午後二時のことですが、村上は山口に友達数人と来週海に行くという誘いをしています。その時山口は渋谷にいて、電話口の様子では、まだもう一人の被害者宮崎直美とは一緒にいなかっただろうと言っています」
「どういう根拠でそうなるんだ?」
「村上が言うには、その時ナンパ? した女の子というのですか、その他、コンパの話もしていましたが、それは別として、連絡した時は、山口はナンパの最中だと言っていたそうです。村上は宮崎直美の遺体と身柄から、知り合いではないといっていましたし、山口は無類の女好きで、頻繁に街を歩いている女に声を掛けてはこの部屋に呼んでいたそうです。部屋がきれいに整頓されているのもそのためだと村上は言っていました。最近の若者はすごいですね」
「考えが古い。あんたも俺とそんな変わらないだろう。最近でなくてもナンパをしている奴はいっぱいいる」
「あいかわらず言うことが厳しいですね、まあ、そういう根拠があったんです」
ケンジは腕を組んで部屋を見渡した。今にも誰かが帰ってきそうな雰囲気だった。
「外傷はほとんどないということだが、死因はなんだ?」
「いや、まったく外傷がないというわけではありません。死因は絞死です。これは二人とも共通なのですが、首に残っていた跡を見ますと道具はわりと細めの縄で、発見当時、二人の遺体は裸体でした。両者の状態から先ほども言いましたが、性交渉をした後も見受けられます」
「では、事を済ませ、寝静まった後に何者かが部屋に侵入して二人を絞死させたことになるな。その前に、二人の内どちらかが一人を縄で絞め殺し、もう一人は自分で自分の首を締めたという可能性はないのか?」
「それはありませんね。まずそうなれば、どちらかの遺体の掌あたりに、縄の屑が付着していないと不自然です。ですが、それはありませんし、むしろ部屋内部に殺人に使ったと思われる道具が見当たりません。よって最後に自分も自殺したという話はなくなります」
「例えば山口亮のほうが先に宮崎直美を絞め殺し、自分の首にも縄の跡を付けてから、縄をどこかに捨てる。それから山口が違った方法で自殺したというのは考えられないか? 犯人をわざと見立てることを考えて」
「それだと、かなり性格が湾曲していますよ。ですが、遺体の解剖の結果、両者とも自殺した形跡はなかったとのことです。単純に縄のようなもので絞められ、呼吸困難で死亡したと報告もありました。縄や遺体には他者の指紋は付着していなかったそうです。また、これは大変興味深い話になるのですが、二つの遺体から、麻薬が検出されたそうです。検出されたのはモルヒネになりますが、鎮痛作用がありアルコールと同時摂取して効果が倍増したと思われますね」
「麻薬か。今は金さえあれば何でも手に入るからな。で、山口亮の交友関係からは彼が麻薬を常用しているかは聞き出しているか?」
「村上光次の話だとそういう話は本人から聞いていないそうですね。実際常用していたとしても素直に言うとは思えませんが。まあ、知り合いの大学生が常用しているという話を聞いたことはあるそうですが、具体的な名前は聞けずじまいです」
「学生全員に家宅を行えば、麻薬が発見されるという話は切りがなさそうだな。山口亮が常用している可能性はゼロではないとしても、念のため相手の直美の関連者にも聞き込みをしてみてくれ」
「わかりました」
「それと、発見者がいて、直ぐに通報したと言っていたが、この部屋は事件が起こった時鍵はかかっていなかったのか?」
「かかっていました。発見者の村上光次はインターホンを数回押していたそうです。でもなかなか被害者が出てくる様子もなく、いたずらのつもりで表のベランダ側に回ったそうです。すると、カーテンは三十センチ程度開いた状態で、そこから中を覗いてみると白目になっていた被害者二人が見え、急いで通報したそうです」
「カーテンが三十センチ開いていたというのが気になるな。二人は他人に見られないと燃えないという趣味はあるのか?」
「一応村上には聞いてみましたが、知らないそうです。でもさすがにそういう趣味はないでしょう?」
巡礼は微笑みながら答えた。
「だから考えが古いって言ったんだ。今はどんな悪趣味でもオープンにさらけ出すんだ。まあ、それは置いておこう。殺人の起こった状況からすると密室という事になるのか」
巡礼は直ぐに真面目な顔に戻った。
「はい。警察が到着した時も、ここのアパートの大家さんに鍵を使わせてもらいましたから。外から中へと入れる場所は、玄関側のドアとベランダ側の窓のみとなっています。この二つの場所はいずれも施錠されていて、鍵を強引に空けさせた痕跡もありません」
「被害者が犯人を招き入れない限り、まず部屋の中に侵入することは不可能になるな」
「そうですね。見てもらうとわかるのですが、一〇五号室は玄関のドアに設置されたチェーンが壊れていて使えない状態です。それでも、出入りするときは被害者が施錠しなければこの事件状況を作りだす事も出来ません」
ケンジは玄関のドアを見た。チェーンが壊れているというより、元々チェーンが設置されていたであろう痕跡しかなかった。つまり、修復するにはチェーンだけではなく、チェーンを取り付けるものも必要だった。
「犯人は鍵の開錠が出来る奴としか考えられないな。二四時間サービスで開錠を行っている業者は結構あるが、たいていは身分証明だの、この部屋に住んでいる証明ぐらいは出来ないと、実際開錠はしてくれないだろうし」
「ええ、ケンジさんの言う通り、今はその可能性しか考えられませんね」
「元々被害者達はドアか窓の施錠を行わずに寝てしまって、犯人はまず開いている方から侵入した。二人と殺した後、ドアの方からでて、外側の鍵穴から細工して施錠を行った。あるいは出入り供鍵穴細工で開け閉めを行ったか。前者はまあ当時の被害者二人がこれからの展開のことも考えていただろうから可能性は少ないが、どちらにしてもさほど問題はないな」
「そうですね。このアパートの住人に聞いてみたんですが、被害者二人が殺された昨夜、犯人と思われる不審人物を見たとの情報はまだ入ってきていません」
「『コーポレート』に居た住人はどれくらいたんだ?」
「ええ、『コーポレート』に住んでいるのは、だいたいが独身男性で、二十代前半から三十代前半まで。合計でも十人。しかも昨晩ここにいた住人は四人足らずだったそうです。被害者と同じ一階に住んでいて、この部屋の両隣一〇四号室、一〇六号室は昨晩不在、右に二部屋はなれた一〇三号室の野本さんは仕事から帰ってきたのが午後十時過ぎ、寝たのが午後十二時前でその間、被害者二人の話し声は少し聞こえたようですが、その他はまったく物音を聞かなかったそうです。またこの部屋の真上になります二〇五号室の住人も不在でした」
「ここのアパートの大家さんは何か言っていなかったか?」
「残念ながら、『コーポレート』の大家である鈴木さんは一日のうち殆どここには姿を表さないそうです。せいぜい一週間に一度ぐらいで、何か住人から連絡があれば実家の自由が丘から来るそうです。元々金銭的に余裕があった頃に購入した土地らしく、前は鈴木さんの奥さんが管理をしていたそうですが、四年ぐらい前から体を壊したらしく、思うように『コーポレート』の管理が出来なくなってしまって、今は鈴木さん一人で不動産業と、ここの管理をしているそうです」
「そんな矢先に事件が起こってしまったわけか」
「はい、話ではこういう経験は初めてのようで、大変悲観なされていました。まさかここで殺人事件が起こるとはと信じられない様子でもありましたが、これからは住人が『コーポレート』から出て行ってしまうのではないかと心配もしていたようです」
「わかった、少しそこら辺を歩いてくるよ」
ケンジが一〇五号室を出ると煙草に火を付け、玄関ドアの横に設置された山口の表札を一瞥した。確かにドアノブが何かによって壊されて、またそれを復旧した形跡もない。しかし、ドアの真ん中より下の部分にある郵便受けは縦五センチ横二十センチ程度のスペースがあり、外側から針金のようなもので上手くやれば内側のドアノブに付いてる、捻って施錠するタイプの鍵を動かせなくもない。どちらにしても、チェーンが壊れたままになっている状態で、『コーポレート』のセキュリティーはあまりにも軽薄と言える。一〇五号室の正面からは垣根を隔てて違う五階建てのアパートが見えた。名は『エリーゼフラット』。
ケンジの見えている場所からだと正面のアパート『エリーゼフラット』は外の廊下側にあたり、ちょうど『コーポレート』と対をなすような作りだった。夜中に部屋を出入りしない限り、正面のアパート住人も犯人を目撃する可能性はなくなってしまうが、今は『エリーゼフラット』の住人の情報だけが頼りになる。
その後、ケンジは周辺を歩きながら、大家の鈴木による犯人説を考えた。また、頭の片隅でT川沿い、H町で起こった殺人事件との関連性があるのではないかと考えた。