19.単独調査
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ケンジは別件の依頼を進行しなければならないといって、義高と途中で別れた。
義高はその足で大学へと向かった。武本博之と会えるかは不確かであったので、あらかじめ調べておいた名簿で、彼の家に連絡を取った。武本は大学にいるとのことで不在だったが、彼の母親に自分が友達であることをいうと、すんなり携帯の番号を教えてくれた。義高は即座に大学へ向かい、そのまま番号をプッシュした。
「もしもし誰?」
元気のない陰気な声が聞こえてきた。
「もしもし、ぼく武本君と同じ大学で学部も一緒の京理義高です。わかりますか?」
「ああ、何のよう?」
「実はちょっと昇君ことを聞きたいんだけど、今から会えるかな?」
「えっ、ちょっと忙しいんだ。今度にしてくれよ」
「わかったよ。今どこに居るの?」
彼が大学にいるのは彼の母親に確認済みだった。そして予想通りの回答があった。
「じゃあ今からそっちに行くから待っていてよ。ぼくも今大学にいるんだ」
しぶしぶ了解てくれた。武本は意外にも図書館に居た。外は暑いのでクーラーの効いた場所に非難するのは当然でもあるが、どうしても本を読み漁る文系といった感じではない。
図書館は出入り門から四号館の脇道を通って坂を下った所にある。方角的にはこの大学の南西で、端っこに位置する。
一階は入り口から正面に受付があり、横には荷物用のロッカー(バック等を館内に持ち込んで盗難を防止するため)、自習室がある。受付では大学の学生証明書がないと通れない。受付を通った後、奥には新聞や大学内で出版されたものが置いてある。さすがにこの時期は学生の姿はまばらだった。
二階には文学、哲学、法学、社会学、心理学、経済学、電気電子工学、機械工学、物理学、科学、倫理学、その他の専門書と大学で使用している教材が並んでいる。三階は比較的価値のある書物やオブジェが置いてあり、一般の学生は、受験生の大学見学期間以外は立ち入り禁止となっている。一階には文芸小説や雑誌が置いてあるのだが、エンターテイメント性の強い現代作家の書物やミステリー小説は殆どないので、菅野は図書館に興味がない。
武本は二階の読書用テーブルの椅子に座っていた。他に人はいなかった。義高にとっては好都合だった。
「ひさしぶり、とうよりはじめましてのほうがいいのかな」
「どっちでもいいんじゃない」
義高はなるべく明るく接したが、武本の反応は冷たかった。痩身で青白い顔は、ケンジから得た不振人物情報のイメージにぴったりだと再確認した。義高はなるべく疑っていることを隠すよう努力し、同時にどのように彼の行動パターンを聞きだすかを考えた。
「急にほんとごめん、どうしても聞きたかったんだ」
「で、なにが聞きたいの」
そう言われてみると、義高はなにから聞くべきか整理が付いていなかった。
「昇が自殺したって事なんだけど」
「さっき聞いた」
突っ込みがきつくて冷たかった。義高は彼が友達だとしても絶対一緒には遊びたくないタイプだと思った。辛抱するしかなかった。
「彼は以前からそういうそぶりみたいなのはあった。武本君なら仲良かったし、知っているかと思って」
無愛想な顔がさらに渋面になった。
「まず、君はなんでそんな事を調べているか教えてくれよ。でないと気味悪い」
義高はこっちのせりふだ。という言葉を飲み込んだ。
「実は今探偵のアルバイトをしていてね。仕事の一間で調べないといけないんだ」
「探偵?」
「そう、彼の家は金持ちだろ。だから、他のところから調べてくれって依頼があって。些細はいえないんだけど」
「別に言わなくてもいいよ。知りたくないから」
嘘を吐いた。
「昇は常に自殺を考えていたよ。俺にはちょっと迷惑だったな。確かにパソコンのことはくわしかったし、趣味も似ていたから話は合ったけど」
「じゃあ、武本君が引いてしまうぐらいひどかったの?」
「普通の人なら絶対思うよ。だって睡眠薬や自殺に使えるような毒性のある薬を常備していたからね。さすがにぼくの前で自殺未遂しようとはしなかったけど、これを何錠飲んだら死ねるとか、サイトで自分の体を極限まで痛めつけてから、最後に自殺をしたマゾの人の話を読んだとか言われてみろよ。気分が悪くなるよ」
「深刻だったんだね」
義高は腕を組んで考え込んだ。否、沈黙を作ったら武本から相手にされなくなる。
「いつまでに自分も自殺するとか言ってなかった?」
「それはない」
「じゃあ、家から出たいとかは?」
「ない。元々自分の部屋に篭るやつだし、引っ越したところで今までの環境を整えるのが面倒くさかったんじゃないか」
「不満とか悩みも言ってなかった?」
「パソコンの機能が良くないとか、ネットの繋がりが遅くてダウンロードする時間が遅いとかは言っていたよ」
「それだけ」
「そう」
友達同士とはなんだろうと考えさせられる話だった。お互いを深く干渉しないのが彼らの友情だったのかもしれない。
「もういいだろ? 俺はやることがあるんだ」
「わかった、最後に昇と親しかった人は知っている? ネット上でもいいから」
「自殺サイトのチャット仲間がいたらしいが、俺は知らないよ」
「ありがとう」
義高は武本のいる図書館を出た。彼の心は閉ざされてしまい、ケンジの調査している事件の情報はまったく得られなかった。ただ、彼の靴のサイズは明らかに二七センチを超えていた。
ムッとする熱気が義高を襲ってきた。冷蔵庫から熱帯雨林地域に移動したようだった。
気が付くと、義高は江崎教授の研究室に足を向けていた。部屋前にある居場所確認ボードには在室の文字が記入してあった。
ノックして中に入ると江崎教授は笑顔で迎えてくれた。
「捜査は進んでいるかな?」
「ぼちぼちというところです」
「暑いのに大変だね。でも何かに打ち込むのは大切だ」
「ありがとうございます」
教授は冷たい麦茶をだしてくれた。捜査の些細を話すと教授は私もニュースと新聞で見たよと言った。義高は江崎教授に調査中の連続殺人について聞いた。
「犯罪学では大量殺人と呼ばれ、人間の行ためとして最も危険で異常な犯罪と言えるね。連続殺人事件は、殺人者と被害者との間に人間関係がない<通り魔>的な犯罪が殆どなので、ことが終わった時点でなにも隠すことなく捕まってしまうことのほうが多いのだが、逆のケースでは捜査が難航することが多いんだ」
「では、犯行する人種の特徴とかはあるんですか?」
「異常な連続殺人者に特徴的なのは、思春期以後の空想生活が挙げられるね。男の子の場合は思春期を迎える頃から性的な空想に浸る事が多く、またそれが自然であるが、将来的に連続殺人者となる少年達の空想内容は特異なんだ。つまり血なまぐさく、サディスティックで、将来の犯行を予言するような種類のものだ。こういう空想が、強い刺激となって次第に強化・習慣化されていく。ある例としては動物に虐待や虐殺を試みたりする」
「動機はそういうことから発生するんですね?」
「異常な殺人は、けっして偶然の成り行きによって起こるものではない。長年にわたる空想生活の中のイメージが、ついに現実の世界で実現されたものにすぎないんだ」
「連続殺人は必然性があるということですか?」
「精神医学の立場からすれば、精神病質や異常性格とは、治療の必要があり、病的な状態なんだ。しかし、研究や治療的実践は、個々の医師や私等のような大学教授の熱意や学識だけではとうてい不可能であって、これには国家的な関心と協力が必要なんだよ」
「でも実際捕まってしまえば大げさに考えなくてもいいのではないのでしょうか?更正する意欲もわいてくるだろうし」
「さっき言った空想は犯罪が行われ、逮捕され、受刑生活を送っている間も後悔や罪悪感によって消えるものではない。むしろ殺人の時の興奮を思い出すことが刺激となって、性的な興奮や満足が起こることすらあるんだ。サディスティックなファンタジーやイメージは、いわば第二の天性のようなものであり、生涯にわたって彼らに取り付いて離れないことがある」
「それでは、犯人は可能な限り犯行を続けるんですか?」
「犯罪者は社会体制が変わっても、経済状況が恵まれたものとなっても、けっしてその姿を消すことなく、社会を脅かし続けるものだよ」
殺人はいつどこで起きてもおかしくない。人間という人物が作り出す不条理な弱肉強食世界。自分の知らないところで数え切れない殺人事件が生産されている、あるいは生産される事実を考えただけで眩暈を感じた。