18.ダイイングメッセージ
11
犯行現場は東京都のH町というところだった。『美辞麗句探偵事務所』からは車で二時間半の距離だった。ケンジが運転するセダンの車内で二日前に起こったOL殺人事件の事を話した。
「昨日ちょうどお前らが帰った後、被害者森明子の婚約者加藤和夫が事務所に来たんだ」
「えっ、そうなんですか? 様子はどうでした?」
「かなりやつれていた。仕事のほうは、会社の許可をもらってしばらくは休暇をとっているらしい」
「体のほうは大丈夫ですかね?」
「それ以上に気になるのは、探偵に依頼をすることだな。確かに俺の仕事は信頼があるからというのはわかるんだけどな」
義高は軽く受け流した。
「どんな依頼内容だったのですか? やはり犯人捜し?」
「ああ、警察よりも先に見つけるという条件付きでな。捕まる前に犯人と話しをしたいらしい」
「じゃあ、正当な依頼でしょう。ケンジさんが気にするのも変ですよ」
ケンジはため息を付いた。
「相変わらずだな。ちょっと考えれば素人でもわかるんだけどな」
「どういうことですか?」
「だから、条件は警察より先に犯人と話しがしたい。しかも結婚前の恋人が殺されているんだ。犯人に対する恨みも並大抵じゃないはず」
「ということは……」
義高の目は見開かれた。
「やっとわかったようだな。そうだ、加藤和夫は俺に犯人を見つけさせ、身柄を少ない時間でも自分に預けてもらう間に、犯人を殺す可能性がある」
「ケンジさんが犯人を見つけてしまってはいけないんですね」
「そうもいかねえさ。俺は客として警察や加藤和夫から依頼を受けているのだし、このまま放っておけば犯行は続くだろう」
車は西東京地域を進んだ。それに比例して景色は田舎になった。ケンジはFMラジオの内容が退屈だったので、ラルクアンシェルのCDをかけた。
「でも、殺人に殺人で対抗するのもなんだか悲しいですね」
「探偵業なんてそういうものだ。恨み、疑いと言った人間の持つ負の感情を解決するのが仕事だ。結果が良い方向に行くとも限らない。いちいち悲しんでいたら体が持たないぞ」
運転するケンジの横顔は日にあたって、一段と日本人離れした整った顔に見えた。そこにどことなく孤独な空気が混ざっているように見えた。
「今日菅野はどうした?」
「いや、ぼくが呼ばれて急いでいたから、連絡はしていないです」
「まっいいか」
投げ遣りな態度になった。しばらくケンジとのドライブは続いた。緑の多い風景になってきた。
「もうすぐ着くぞ」
ケンジが指差した方角には立ち入り禁止用の網が張られた区域があった。そこには数人のやじうまと三人の警察官がいた。
近くに車を止めると、一人の警察が近寄ってきた。
「ごくろうさまです」
「佐々木さん、依頼していたように現場はまだそのままだよね?」
佐々木は、意志の強そうな目を別にすれば、警察ではなく気の良いサラリーマンといった印象だった。ケンジの登場で野次馬の中にいた女の子二人は、あの人カッコ良くない? とか超カッコいいと言い合っていた。ケンジはその様子をまったく受け取っていなかった。
「はい、これから本格的な捜査が始まりますんで、こちらの方は?」
「弟子だ。最近アルバイトで雇っていてな。それよりさっそく見させてもらう」
ケンジと佐々木は義高を気にしないで話あった。
「いやあ、こんな平和な場所で殺人事件なんて何十年ぶりなんでしょうかね」
義高は気にしないであたりを見渡した。立ち入り禁止の区域に入ると、現場には血が凝固し、赤黒いシミが道路を染めていた。被害者の倒れていた位置は、テレビドラマでよく見る白いテープでかたどられていた。
もう一人の田中と呼ばれる警官は、野次馬を現場に入れないように警備していた。やせていて、冷たい目をしていた。何となく挨拶をしない方が良いと判断し、目を合わせないようにした。
「これは? おい義高、バックを持って来い」
はいと返事をすると、義高は、後部座席に置いたバックをケンジの前に持ってきた。ケンジがバックを空けるとルーペを取り出した。それ以外の中身は黒い布に包まれていて確認ができなかった。
「この位置は被害者が倒れていた所だよね?」
ケンジは地面を指差した。
「そうだ。ちょうどこの位置は被害者の手のひらが置かれていた」
工藤というもう一人の中年警官が答えた。中肉中身で貫禄があった。義高も近寄って見た。
血で書いたような、それでいて、ただ被害者が偶然血の付いた手のひらが地面について出来た跡のようなものだった。どちらかは判別できなかった。
「私も気になったんだが、これはアルファベットのSとBに見える」
「ああ、確かに被害者が残した痕跡が強い。これはダイイングメッセージかもしれない」
「ダイイングメッセージってなんですか?」
「被害者が死に際に残す、事件に何らかの意味を持たせたメッセージということだ。何かを暗示しているのかもしれない」
「もしそうだとしたら、私たちの捜査領域ではないですね。もっと指紋とか物的証拠がほしいところです」
「まだ見つかってないのか?」
「ええ、犯人は結構用意周到のようです。現場近くには髪の毛一本残っていません。事件が起きたと思われる時間は被害者の容態から昨晩だと推定されています。その時間、不振人物をこの辺りで見た人さえまだ見つかっていません」
「前回と同様だな。現場には被害者の遺体と血痕しか残っていない。もしかすると、犯人はプロの可能性も出てくるな。ただ、この文字は気になるが」
「いや、一つ有力な証拠になると思われる事を見つけたよ」
工藤は道路の脇にある土の地面を指差した。わき道があり、奥には木が植えてあった。工藤が歩き出すと、ケンジと義高はそれに付いていった。佐々木の方は携帯電話が鳴り、そっちの対応にあたった。
「ここを見てくれ。これは靴跡だ」
「確かにそうだな。だが工藤さん、それだけでは証拠にはならないと思うが」
「いや、H町は昨日朝から夕方まで雨が降っていた。その前は一週間晴天だったらしい。それに硬い土質であるから、結構な重圧が掛からないと足跡は付かない」
「少なくとも昨日の朝以降の土が雨によって柔らかくなるまでに出来たものだということか。サイズは二十五センチってところか」
「靴の種類によって多少の大きさは異なるが、調べによると二十四センチ半から二十五センチの靴だという結果が出ているよ。型からすると、ローファーとか皮の靴のように思われる」
「男にしては少し小さく、女にしては大きいか。多摩川沿いで起きた事件で、不振人物を見た人の証言は、体格が百八十センチだから、そっちと結び付けるのは難しいか。否先入観を持ってはいけない」
「先ほど入った情報なんですが」
佐々木は走ってきて、話の輪に割り込んだ。
「昨晩のよる十時、この場所から最寄りのM駅で怪しい人物がいたとのことです」
「怪しい人物?」
「はい。全身黒ずくめで体格は細身、身長ですが、百八十センチはあったとのこと。季節はずれの服装をし、帽子で顔の半分以上を隠していていたらしいんです。その時間となると、M駅はおりる人が極端に減少し、かつその様な姿だったので目立っていたようです」
「バックとかの持ち物はあったのか?」
「そこまでは覚えていないようです。ただ、切符を受け取った時、買った場所がT川駅だったそうです」
「T川駅」
ケンジは考え込んだ。
「ここからそう遠くはないな。ただ、同一人物か、殺人による影響で他の犯人が連鎖反応で起こしたものかはまだ検討できないな」
工藤がそう言うと、三人は現場近くに戻り、田中が警備していた野次馬は誰もいなくなっていた。多分ケンジの登場で女の子たちが騒がしくなり、捜査の邪魔になりそうだったので追っ払ったのだろう。誰かを追っ払うのは何の苦もなく出来て、むしろいいきっかけになったと思っているに違いない。
工藤は電話で誰かと連絡を取っていた。
「被害者安原辰巳の情報はあるか?」
ケンジは佐々木に聞いた。
「はい、被害者は殺害される数時間前、Z島駅にあるスポーツジムに通っていたそうです」
「頻繁に行っていたのか?」
「話しによると、週末は必ず来ていたみたいです。彼は大学生で、平日も学校が終わった後等にも来ていたみたいで。それと、彼はよくジムが終わる十時近くまでトレーニングをしていたそうです。その時間から電車を乗り継いで、駅から歩いて帰宅していたみたいなので、どこかに寄り道していた可能性は低いですね」
「じゃあ、被害者が夜遅くにここを通ることは結構あったわけだ」
「知っている人間も何人かいるみたいですね。ただ」
「なんだ」
「ええ、被害者との交友関係を捜査している時、必ず相手から言われることがあるんです。あの人が殺されるわけがないって。少し前までは柔道で段持ちだったそうです」
「不意打ちを食らってしまえば、どんな強人だって手が出ないだろ」
「そうですね、でも皆さん信じられないといった状態で、聞き込み捜査は手こずっています」
ケンジは佐々木との話しを途中で打ち切って、数分辺りを見回っただけで捜査を止めた。警察からは他の重要な情報は得られなかった。
ケンジはセダンにキーを差し込んで発進させた。まだ捜査を続行している検察官たちが小さくなっていった。
「この事件も警察に依頼されたんですか?」
「いや、これは俺のボランティアだ。偶然知り合いの警察が捜査していたのもあるけどな」
「協力した意図はあるんですか?」
「犯人一人による連続殺人事件だと考えているんだ」
「二件供同じ人の犯行ですか」
「確信はまだないけどな。そうなると犯人はH町や、T側付近の土地勘が多少はあるということになる。本物のプロクラスではない限り、見知らぬ土地での犯行はしないものだからな。ただ、さっき現場に残っていた血痕と足跡は有力な情報だ」
「SとBに見えた文字と小さい足跡ですね」
「俺はむしろダイイングメッセージが今回の事件解決に重要な要素が隠されていると思っている」
「SとB、犯人の名前のイニシャルだとしたら、被害者は知人である可能性がありますね」
「俺はあまり関係ないと推理する。あれにはまったく別の意味が含まれていると思う」
「では、ケンジさんはどう考えています」
「名詞ではなく形容詞を現しているとか。被害者はどうしても犯人の名前まで知っているとは思えない」
「なぜそう思われるのですか?」
「これと言った確証は出来ない。ただ俺の勘というものだ。俺には直感をどうしても揺るがすことが出来ない性格が宿っているんだ。即急に事件解決が求められる時には特に冴える」
ケンジの自己陶酔も、こういう時には嫌味にならないものがあった。不思議でたまらない。例え自分みたいにたいした人間じゃないとしても、でかいことを言うのは大切であると義高は思った。もちろんケンジはまったく違うタイプではあるが。
「シルバーのブレスレットとか」
自信なさげに言う。
「やっと冴えてきたな。そういうことだ。被害者が死に際に視覚で感じ取ったものが隠れている」
「でもなぜ英語なのでしょうか?」
「頭に浮かんだものが、何かのイニシャルだと思うが、第一に、犯人に悟られないためだろ。簡単なひらがなで書いたらすぐ見つかって消されてしまう。いや、待てよ」
「どうしたんですか?」
ケンジは黙り込んだ。義高は早く聞きたくてしようがなかった。
「もしかしたら、このメッセージは犯人がわざと残して行ったのかも知れない」
「わざわざなんでそんなことをする必要があるんですか?意味がないと思いますよ。犯人は誰かにばれないことを優先的に考えているでしょうから」
「ヒントになるような事を残して俺たち捜査する側を挑発しているか、まったく関係ないことを書いてかく乱させるためか、どちらのパターンも考えられる」
もしそうだとしたら、犯人は殺人に慣れていて、第二の殺人を犯した際、それでは退屈であると、事件に色をつけたことになる。そうなると、連続殺人事件の可能性も濃くなる。
「被害者が死ぬ直前に書いたのか、死んでから犯人が書かせたのかは血痕で分からないんですかね?」
「むりだな。血痕はあくまで被害者のであり、それ以上はない。第一被害者の死亡推定時刻はあくまで推定だ。二,三十分の誤差は確実にある。その間、お前の言った行動はどっちも可能だ」
「難しいですね」
「ただ俺はSとBに似た文字が、たまたま被害者が倒れたときに出来たものだとは思えない。捜査している間にでも頭の片隅に入れておいて考える価値はあるだろう」