16.第2の殺人
9
私は人を殺めることが生きていく手段だと最近わかった。厳然たる事実で、これを抑制するのは不可能だ。強いて言えば幻覚を見るようになった。いつも私が人を殺し絶頂を味わっている場面だ。その時は体の細胞がすべて活性化する程の万能感もある。
殺人の手段は様々だが、殺して、なお人体を解剖したり、首だけをどこかに放置したりという趣味はない。以前から私は心得ていたが、初めて人を殺した時もそれは変わらなかった。
ただ実際に殺した瞬間が私の絶頂なのだ。
夜が私を発狂者とさせる。
得体の知れない凶暴な肉食動物になるのだ。
血液が沸騰し、動かずにはいられない。
今日の獲物になる人物は誰でもよかった。
マスコミは私の犯行を女性狙いだと思っている。やり易かった。過去の経験から、殺人鬼は弱いものを狙ってくるものだと信じきっている。
固定観念に縛られている内は、意外な事に対して防衛能力がなくなる。ある地域で犯罪が起これば、違った場所での犯行もたやすく行える。
私はH町にいた。以前にも訪れたことのある場所だ。東京の西端に位置したこの町は、どこから見ても田舎である。郊外という部類に入れるにはためらいがあった。夏という季節が鬱蒼とした草の生える川辺を構築し、水かさが減っていたせいもあり、まるで草から川の流れる音が聞こえてくるようだ。街灯は数える程しかなく、周りに聳え立つ山々があたりをいっそう暗闇にした。
午後十一時を過ぎた時刻ともなれば、この町は眠っているのと同様になった。民家から漏れている部屋の電気は疎らで、時折車が通り過ぎて行くぐらいで、人の気配がなかった。
唯一の住宅密集地を少し離れれば、物騒な夜道が現れた。ここで待ち伏せていればきっと獲物がくるだろうと私は思った。
相手に関しては無心だった。これからやるべき行動のことも、行動を起こした後のこともなるようになるしかない。ただ、現場に証拠だけは残してはいけない。犯行現場をくだらない警察や一般市民に見つかってしまったら、私の欲望を満たすことが出来なくなってしまう。
私は精神異常者ではないと思う。私利私欲のために犯罪を犯しているだけだ。世間はそれがわかっていない。食欲や睡眠欲、物欲、性欲と同類に位置しているのだ。獲物の対象になる人に対して、恨みや憎しみは存在しない。ただ、鋼鉄のような精神を持っていることは否めない。
熱風が私の体温を上昇された。夏という季節としては決して着るものではない服装をしていても不快ではなかった。緊張感とうまく絡み合い、私を前進させてくれた。
手袋に手を通した。顔面を帽子で覆った。空気から皮膚を遮断すると、いよいよ私の心は興奮してきた。脈拍が上昇し、発汗が激しくなった。ウォーミングアップは万全だった。私は躁状態になっていた。
足音が聞こえてきた。そう遠くはない距離だった。一瞬見た限り、健康なスポーツマンといった男だった。短く刈った髪の毛がぴったりだと思った。
個人的な感覚として私は彼のようなタイプの男は好きではない。どこにいても元気をアピールするためにうるさくて、健康と肉体を武器にして自信に満ち、偉そうに振舞うのだ。
今日の獲物は私の中で完全に決定した。日夜鍛え上げた肉体をナイフで使えなくなるまで切り刻み、絶望の淵で死を与えてやろう。
私が彼を殺した後に発見された時、あんなに元気に明るく育った息子が突然こんなことになってしまうなんて、と親は悲しむだろう。馬鹿の一つ覚えで悩みもなしに生きてきた息子と、幸せ一杯の家族が崩壊する情景が脳裏をよぎった。私は思わず笑い声をたててしまいそうになった。
回り道をし、そこで隠れて待っていれば、直ぐに背後をとれる。わたしはこの周辺の地理に関しては完全に把握済みだった。
狭い路地に入った。近くに覆い茂った大木によって私の姿は隠蔽された。
男はまったく気付いていない様子だった。たぶん、気付いていたとしても虫か動物が草むらのなかで潜んでいるのだと勘違いするのが関の山だろう。田舎もののおめでたさがかえって私を味方に付けてくれるのだ。
足音が私の直ぐ近くを通しすぎたことを確認すると、物音を立てないように動いた。
路地を出ると完全に男の背後を取った。よく観察すると、男はヘッドホンで音楽を聴きながら歩いていた。これは私にとって好都合だった。
男の歩調は早かった。それ以上のスピードで追いついた。男が振り向く様子はなかった。
私はポケットからナイフをすばやく取り出し、男が振り返る瞬間、飛びかかって背中に突き刺した。
硬い肉にめり込んでいく感覚があった。力を入れないと、なかなかナイフは男の体に侵入しなかった。切りかかる形であれば、刃先を振りかぶる勢いがとまってしまい致命傷にならないとどこかのマニュアルに記載されていたことを思い出した。
男は何が起こったか把握出来ずに、ただ呻き声をあげた。この場所では誰にも聞こえない。
男の体内から赤黒い液体が流れた。私はそれが付着しないよう直ぐにナイフを男の体内から抜いた。前屈したような姿勢になると、男の耳からヘッドホンが外れた。
刺したナイフが男の着ていたTシャツに楕円形の穴を作り、そこを中心として赤い染みが広がっていた。
ようやく男が反撃をしてこようと拳をつくり、私に殴りかかろうとした。まるでスローモーションで現実を見ているようだった。ちょっと手間取っても充分交わせるタイミングだった。いくら強そうに見えても、私が裁きを下せばここまで非力になってしまうのかと優越感に浸った。
次に右胸にナイフを刺した。男の繰り出した拳は、私に当たる前で力を失い、落下した。
返り血を浴びないポイントを狙ったので、私の服は汚れなかった。男は地面にゆっくりうめき声をあげながら膝をついた。刺さった箇所を手のひらで押さえ、血の海が付着した自分の手のひらを凝視すると、信じられないといった表情で傷口を凝視していた。
男の体が痙攣し始めた。
当人のダメージは知る芳も無かったが、念のため男の口にタオルを巻いた。抵抗はなかった。
むき出しになっている腕の筋肉を縦にスライスした。骨の切断が完了するとあっけないもので、切断面が魚をさばいたときのように開き、赤黒い肉がむき出しになった。時間差で血が噴出した。次に太ももを横にカットした。手足の筋肉組織は意外と脆かった。男は地面に仰向けに倒れた。
タオルを取ってやった。もう息をする力ぐらいしかないだろう。さっきまでの元気な男の姿はなかった。
男が最後の力を振り絞った声を発した時、私の興奮はさらに高まった。心臓の動きが手にとるようにわかった。体中が痙攣してきた。
「今まで鍛えてきた体を切り裂かれるのは痛いか? 私はすごい気分がいい」
私の声は高揚していた。
いくら鍛えても人間は無力であることを私は教えた。だが男はそれを実感する時には死んでいるが。
男の目が空ろになってきた。意識が朦朧として、自分を自分として意識することも困難になっているのだろう。呼吸動作は蚊が泣く程度に弱弱しく静かになった。
道路は鮮血に染まっていた。前に殺した女より血液の量が多かった。赤い液体は低い方へと伝っていって、数メートル離れているマンホールに達した。
絶命の一撃を男の胸に突き刺した時、私はあらゆる快楽を凌駕した感覚を得た。