11.接触
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初めて会ったときから苦手だった。高橋孝造の方は紳士的要素を表に出しているものの、どことなく内面から人を見下すエリート特有のオーラがあった。昇は自分のことを、同じ大学の友達と両親に紹介していたのかは知らない。でもあきらかに義高を見る目はよくなかったように思えた。
高橋文子の話し口調は芝居がかっていて、まるでお嬢様スパルタ教育を受けてきたかのようだった。実際、広い洋風家に住んでいるし、昇の家で遊んだ時は終始落ち着かなかった記憶があった。空間そのものが、義高のような素人を萎縮させる効果があるのだ。数回しか昇の家に立ち入らなかったのはそういう経緯があった。
できれば聞き込み調査は菅野に任せたかった。だが、今の管野は寝不足に加え、昨晩起こった事件の細部を聞かされ、さらに気分が悪くなったと昇の家に来る途中告白していた。誰から見ても満身創痍だった。入り口のゲート前に立つと、塀の向こうにある芝生の庭から大きなゴールデンリトリバーが義高たちを見ていた。右側に見える車庫にはベンツが置いてあった。菅野は思わず「すげー」とつぶやいた。それもそのはずで、これほど広い土地と大きな住宅は大富豪とは周囲に存在しない。また、義高達の周囲にいる知り合いなり友達に金持と呼ばれる人種はいなかった。
インターホンを押した。直ぐにスピーカーから文子らしき声が聞こえた。表札近くに設置されている監視カメラがひどく気になった。
「はい高橋です、どなた様でしょうか?」
スピーカーからの声は業務的だった。自分たちの姿を確認したからなのだろうか。義高は思わず構えた。
「あの、昇君の友達だった京理と申します。あと菅野君もいます」
「どうも、お久しぶりです。今出て行きますんで、少々お待ちください」
玄関のドアが開き、中から昇の母親が出てきた。微笑んでいるようで、警戒していない様子だった。夜で見たときより少しやつれていた。目の下の隈が目立つが、外見に惑わされて疑うことは忘れてはいけない。同情もここでは捨てなければならない。義高は今日ここを訪れたのは昇の調査なんだと心中で意気込んだ。
「すいません、急に訪れてしまって。こちらが菅野君です。昇君とは同じ大学の友達でした」
菅野は義高の嘘に戸惑いを見せず、自己紹介をした。
「そうですか。今日はどのような用事で来られたのですか?」
「失礼でなければ、ちょっと昇君に線香を上げさせて頂きたいと思いまして」
「わざわざすいませんね。あの子も喜ぶと思うわ。さあ、あがってください」
昇の母親はゲートを開け、義高達を家の中へと促した。菅野はしつこく高橋宅を見渡していた。
「随分立派な家ですね。びっくりしました」
「ありがとうございます。菅野さんと会うのは始めてでしたわね?」
ええ、そうですというと、菅野はお辞儀をした。
玄関から廊下を通り、リビングルームに案内された。優に二十畳はある。大きなソファにテーブル、数々の骨董品。どの家具も高価だった。義高は何度来ても驚きは隠せなかった。さらに奥の部屋に案内されると、神棚がある。二人は昇の位牌に線香をあげた。飾られた生前の頃の写真は、通夜の時に使われていたもので、昇はあまり笑っていなかった。義高はあまり楽しそうじゃない昇の写真を見ていたたまれない気持ちになった。しかし、目的はこれだけではない。昇には悪いが手早く済ませた。
文子は、義高達のために紅茶とケーキをテーブルに並べていた。動きは落ち着いていて、一つ一つの仕草が鮮烈されていた。二人は昇文子にどうぞ召し上がってくださいと言われるまでその姿を黙って見ていた。
「すいません、いきなり訪ねてきてこのようなものまで出してもらってしまって」
「いいんですよ。昇は滅多に友達を家に連れて来なかったから。私も嬉しいんです」
テーブルには文子が右側、義高と菅野が左側に座り、向かい合った。正面から見ると文子は少しやつれてはいるが、やはり普通の主婦とは違うと義高は思った。飛びぬけて美人というほどではないが、肌の色が年齢のわりにはくすみがなく、背筋がまっすぐに伸びていた。
「実はぼくたち探偵の事務所でアルバイトするようになりまして」
「探偵事務所?」
文子は明らかに不信な目の色になった。しごく当然なことだった。それでも直ぐにいつもの鮮烈されたお嬢様のような態度に変わった。
「はい、それで最近この近くで起こった事件を調べているんです、ご存知ですか?」
「なんとなくは」
菅野は事件を説明した。簡潔ではあるが、彼の説明は的をえたもので、緊張している義高よりは適任だった。
「なにか情報とかはないですかね。この近くで不信人物がいたとか、そういう類の話でもかまいませんので」
「そう言われてもね」
文子は考え込んだ。情報を隠蔽しているようには見えない。もちろん義高の持っている素人の見解だ。主婦の情報網を見くびってはいけないと、ここに来るとき何度も菅野から言われていたから、期待していた。
時間だけが沈黙状態でも過ぎていった。やはりこの話題は無効果かと思った菅野は痺れを切らした。
「では、何かわかったことがあればここに連絡してください。どんな事でもけっこうですから」
そうは言ったものの、自分たちのような素人に情報提供してくれるとは思えない。せいぜい、警察に通報するのがオチだろう。
菅野は小さなアルミ製のケースを胸ポケットから取り出すと、蓋を明け、自作の名刺を差し出した。氏名、携帯電話の番号と住所が書いてあるだけのシンプルな作りだった。いつの間に作ったのかわからないが、菅野からは調査の意欲が伺えた。
「あの、つかぬことをお聞きしますが」
「はいどうぞ」
「昇君のことで二、三お聞きします。彼が自殺した当時の状況を教えていただきたいのですが」
「おい、菅野。それをこんな時に聞くのは失礼だろう」
昇の母親は目線を下げたが、諦めたように、
「気になるでしょうね。大丈夫ですよ、京理さん」
と言った。紅茶を飲んで一息つくと続けた。義高は椅子を乗り上げるように前屈みになった。
「あれはちょうど二週間前だったでしょうか。私と夫は仙台の親戚の所に行っていて、この家を留守にしていました。長男の健太は仕事の関係で現在海外に出張中ですし、長女の亜由美も結婚していて、相手側の家に嫁いでいる状態だったので、昇だけがこの家に残っていました」
昇に兄弟がいたことは把握していなかった。通夜のとき二人がいたのかは定かではない。
「それで、私たちが親戚の所から帰る時に、昇に連絡を入れましたが、その時は電話にもでませんでした。普段もそういう子だったので、特には気にせずに帰宅しました。昇の部屋はカーテンが占めてありました。部屋の電気が付いていたので、普段通りに昇は部屋にいるのだろうと思っていました」
ここまでの話は何ら怪しいところはない。義高達は静かに頷いた。
「私は帰ってきた事を昇に伝えたのですが、返事がまったくありませんでした。部屋は鍵が掛かっていましたし、私たちも長い移動で疲れていたので、寝室にもどり、その日は直ぐに寝ました。ですが次の日です。夫が仕事に出かけて、いつもなら不規則ではありますが大学に通学するか、部屋に籠っていても、物音はしますので、その日に限ってはなんの動きなく、トイレに行った形跡もありませんでした」
記憶では、確かに昇の使っていた部屋にはトイレ、風呂は存在しない。
「それに加えて、昼間なのに部屋の電気が付いていました。部屋にいることは間違いなかったのですが、何度声を掛けても返事は返ってきませんでした。私はその様子が気になって仕方ありませんでした。よく見ると、部屋に通じるドア以外に、ベランダにある出窓の方も締め切られて、カーテンも閉まっていたので、中の様子を伺うことも出来ませんでした。私はいても立ってもいられなくなり、意を決して警察に連絡しました」
「密室だったと言うことですか?」
「はい、警察が駆け付けた時はもう昇が亡くなってから一日は経っているようでしたから」
昇の母親はそういうと目に涙を浮かべた。ポケットからハンカチを取り出し、零れ落ちそうな涙を拭きながら、
「ごめんなさいね、急に」
と言った。悪いことを聞いてしまったという嫌悪感があった。昇の母親がここまで追い詰められる光景を想像したことがなかったので、驚きさえ沸いてきた。
「ありがとうございます。私たちのような者にそこまで話してもらえて」
「いいえ、昇のお友達ですものね。知る権利はありますよ」
その後、昇が睡眠薬を多量摂取したことによる自殺ということまでを聞き出し、義高達は高橋家を後にした。
菅野は頼りないと思っていたが、調査に対する姿勢は自分よりずっと頼りになると思った。そのことは落胆よりも安堵感を与えた。
「部屋が完全に締め切っているんであれば、やっぱり自殺の線が濃くなるよね」
「ああ。一応後で当時の現場の状況について警察にも聞いてみよう。根本さんなら多少は教えてくれるよ」
「もし違わないとしたら、ぼくの疑いは水の泡になってしまうな」
「気を落とすなって。まだ何らかの推理が浮かんでくるかもしれない」
「でも、昇に兄弟がいることは知らなかったよ。そっちにも聞き込みをしてみようか」
「いや、今は止めておこう」
「なんで」
「昇の自殺の件は、警察の領分だし、俺たち素人がそこまで動くとかえって怪しまれる。しかも兄弟が昇の母親のように律儀な回答をくれるとも限らないし、ここはケンジさんの見解をきいてからにしよう。俺たちが勝手に動くことは返って捜査をややこしくしかねない。小説と現実は違うんだ」
「うん、菅野はどう思う。さっきの話を聞いた限りで」
「俺はやっぱり自殺のような気がするよ。両親はエリートのようだし、そういう人は体裁を人並み以上に気にするから、自分から手を汚すようなまねはしないだろう」
「では他人に手を汚させてということはないだろうか?」
「お金持ちということで誰かを雇うことは出来るだろうが、密室で自殺を装って殺害することに何のメリットもないだろうからな」
菅野は煙草に火を付けた。
「ちょっと俺、体調が良くないんだ。この後家に帰って俺は休むよ。義高はケンジさんに今あったことを話してくれないか」
「そうだね、いいよ。早くかえって休めよ」
「悪いな」
駅に着いて、菅野と別れた。一人になると、急激に不安になった。もしかしたら、昇は本当に自殺したのかもしれない。警察が調べを終えているようだし、江崎教授の言う、自分の読心能力はただの思い込みだとしたらと考えた。今回の読みは初めての外れなのか、それは信じたくはなかった。これが事実だとすれば、自分はとんだピエロになってしまう。まだ自分が読心能力を皆に露呈していないことが救いだが。このまま一人考え続けると自己嫌悪に浸ってしまうと思い、義高は『美辞麗句探偵事務所』に携帯電話で連絡を入れた。数回の呼び出し音の後、電話にでたのは、亜紀だ。
「もしもし、どうしたの? ケンジは留守よ」
「そうですか。いつ頃戻ります?」
「さあ、いつも決まってないからね」
「わかりました。じゃあ、戻られたらぼくの携帯に連絡貰えます?あと戻られるまで休んでいてもいいですか?」
「いいよ、そんな気遣わなくたって。なんせ君はただ働きだもんね。がんばりすぎないよう、適当にサボらないとね」
「そう言われるときついな」
「あらごめん。でも給料がほしくなった時はちゃんと自分からいうのよ。相当がんばらないと最初に言ったことを撤回はしてくれないけど」
「まあ、ぼくが最初に言ったことですから。かわりませんけど」
「真面目なのね。わかったわ、戻ってきたら連絡する」
「お願いします」
電話の向こうでルナシーの『WISH』が流れていた。
あのころには戻れない
あやまちさえ返せない
正に今の自分の境遇にはまった曲だと義高は思いながら、携帯電話をズボンのポケットに入れた。