前カノと今カノ 二話目
「てなわけで明日デート行くぞ。」
「はぃい?先輩???」
…………クエスチョンマークなのはこっちの方だ。
地面に這いつくばってなにやってんだこいつ?
ナミちゃんは細い手には似合わない一眼レフのごっついカメラを持ち、中庭のベンチにかぶりつくように這いつくばっていた。
なに撮ってんだ?
「私写真部なんですよ。今ちょうど良い被写体があって…あっ、そこ影になるんで立たないで下さいっ!」
近付こうとしたら怒られてしまった。
撮っていたのは落ちたアメに群がるアリの大群だった。
彼氏が初デートに誘ったっちゅーのにアリに夢中かよ。
「こっち見て〜いいねそのポーズ!今の仕草サイコウっそそる〜っ!」
アリ相手になに言ってんだ。
グラビア撮影してるエロカメラマンかよ。
ナミちゃんは額にいっぱい汗をかいていた。一体いつからここで写真を撮っていたのだろうか……
ファインダーをのぞき込むナミちゃんの横顔はとても楽しそうで、それでいて真剣そのものだった。
この子…こんな表情もするんだ……
夢中になって撮影を続ける姿に、つい見とれてしまった。
「そう言えば先輩、さっき私になにか言ってませんでしたか?」
……聞いてなかったのかよ。ひでぇなこいつ……
「ナミちゃんにプロポーズした。」
「えっ?プロポーズっ?!」
「冗談だよ。デートに誘ったんだ。」
「えええっ?!デデデ、デートぉ!!」
「……デート誘うのは普通だろ?カップルなんだから。なんでプロポーズよりビビってんだよ。」
「やだっ先輩。カップルって言い方、古っ!」
「犯すぞてめェ……」
サーフィンは自然相手のスポーツで、その日になってみないと海の状態なんてわからない。
だから俺は週末には予定を入れない。サーフィン第一だ。
でも付き合って最初の週末にさすがにそれはまずいと思い、デートに誘ったんだが……
「イチ君。今日はデートで来れないんじゃなかったっけ?」
テイクオフ出来そうなのがくるまでボードの上に座りながら波待ちしていると、仲の良いサーフィン仲間から声をかけられた。
「そのつもりだったんですけど、俺がサーフィンするとこ見たいってうるさかったんで。」
「見たいって…もしかして砂浜にいるあの子?イチ君、彼女変わったんだね。」
俺は彼女を海に連れて来るのは好きじゃない。
カッコイイとかキャーキャー騒がれるのはイラっとくるし、待ってる間に変なヤツらに絡まれやしないかと気が散るからだ。
それに俺のサーフィン仲間はみんな莉々子のことを知っている。
人の恋路をとやかく聞いてくるヤツもいるからウザかった。
「良かったじゃん。今日は滅多にないベストコンディションな日だから。新しい彼女理解あるね。」
今日はフィリピン沖で発生した台風の影響で、海はいい感じにうねっていた。
経験からいって今日は良い波がくる確率が高かったから、実はすっげぇサーフィンしたかったんだよな。
もしかして…それをわかっていたからあれだけ見たいと駄々をこねたのだろうか……
だってあいつ、先輩の言うことならなんでも聞くんで!って断言してたくらいだし。
ナミちゃんのいる方を見ると、俺のことなんかそっちのけで砂浜に這いつくばってカメラを構え、なにかを撮っていた。
そこは俺の写真を撮るんじゃないのかよ……
そばを通るサーファーが奇異な目でナミちゃんを見ている。
あれならナンパされる心配もなさそうだ。
今日は一日中風の状態も良く、綺麗にブレイクする良い波がたくさん打ち寄せてきたので夢中になってしまった。
ヤバい、もうこんな時間……
ナミちゃんのことを放ったらかしにし過ぎた。
焦って岸に上がると、ナミちゃんは近所のガキらに混じってビーチバレーを楽しんでいた。
「あ、先輩!もう終わりですかっ?お疲れ様です!」
ナミちゃんは俺に気付くと嬉しそうに走ってきた。
おいおい、汗だくじゃねえか……
おまえの方がお疲れ様だな。
「他の男と浮気してんじゃねえわ。」
「えーっ!あの子達小学生ですよ?!」
「チンチン生えてるやつは基本的にアウト。」
「えーっ!そんなの毛が生えてないのはセーフでしょ?」
毛ってなんだよ……
女の子が毛とか言っちゃいけない。
やっぱおもしろいなこいつ。
「帰りにかき氷食って帰ろうか?着替えてくるからもうちょい待ってて。」
ナミちゃんの肩に手を乗せ、軽くチュッてした。
俺にとっちゃ触れるだけのキスなんて挨拶程度のものなんだが、ナミちゃんは一気に真っ赤になった。
「は……い。浮気せずに待ってます……」
すぐ赤く反応するところは見ていて本当に可愛らしい。
ウブなナミちゃんを、もっとからかいたくなってきた。
会員になっているサーフショップに行ってボードを預け、シャワーを浴びた。
このビーチはサーファーを受け入れる体制が整っていて、綺麗なトイレとシャワーが完備されている。
それぐらい普通にあると思うかもしれないが、サーファーが集まるサーフポイントだからといっても意外とないところが多い。
その場合体を洗う水を持参しなきゃいけないし、車がないと着替えるのは当然外でになる。
サーファーも結構苦労しているのである。
俺が住んでいるところは田舎なのだが、近くにリゾート地として人気の高い海水浴場がある。
俺はナミちゃんをバイクの後ろに乗せ、リゾート地の一角にあるカフェへとやって来た。
ここは雑誌にも取り上げられるような美味しいかき氷のお店で、夏は行列が出来るほど混んでいる。
シーズンを過ぎた今は夕方という時間帯もあり、店内の客はまばらだった。
今日は10月にしては気温が高いので冷たいかき氷が美味しい。
ナミちゃんはほうじ茶きな粉金時という渋めのかき氷を頼み、俺はコーラを注文した。
「砂浜でなに撮ってたんだ?」
「ふふ〜んっ。見ますか?」
ナミちゃんはカメラを操作し、貝殻からヤドカリが出てくる画像や、砂山が波に削られ崩れていく画像を見せてくれた。
相変わらずシュールだ。
女の子ってすました顔の自撮り写真とか、美味しそうなスウィーツの写真とかを撮るもんじゃねえのか?
あれだけ見たいと言っていた俺の写真が一枚もないってのもどうよ?
サーフィンしてるそばでカッコイイとか騒がれんのはもちろんイヤなんだけど、ここまで俺の存在を無視されんのもイヤなもんだな……
「ナミちゃんが撮る写真て独特だよな。」
男前の俺を撮れよ……
「はいっ!その一瞬、その一瞬に、息吹を感じるようなキラキラしたものを撮るのが大好きなんですっ。」
そう言ってるナミちゃんの笑顔が、俺には一番キラキラして見えた。
可愛い……
俺、この子のことならすっげぇ好きになれそう……
「先輩…実は来月の中旬にコンクールの発表があるんですけど……」
ナミちゃんは口元を手で押さえ、俺の方をチラチラ見ながら言いにくそうにしていた。
「うん?コンクール?」
「はい。JAPAN PHOTO っていうすっごく有名な写真コンクールなんですけど、それに私も応募してる写真があって……」
お店のドアが開き、入ってきた二人組を見て俺は息が詰まりそうになった。
─────莉々子………
「……先輩?」
莉々子の隣にはこないだとは違う男がいた。
年上の、いかにも金持ちそうな大人の男だ。
莉々子は俺に気付くと付き合っていた頃と変わらない笑顔で微笑んできた。
なんだよ…余裕かよ……
くっそ。俺の方はなにこんなに動揺してんだ……
「ちょっと待ってて下さいね先輩。すぐ食べ終わりますからっ。」
俺の様子に莉々子の存在に気付いたナミちゃんが、気を利かせて急いでくれた。
一気にかき氷を食べたもんだからキーンとなったらしく、頭を抱えて悶絶している……
「無理して食わなくていいよ。大丈夫だから。」
情けねえな俺……
ナミちゃんにまで要らぬ心配をかけてしまった。
なにも聞かずに明るく気を遣ってくれる。本当に優しい子だ。
もっと、もっとこの子のことを好きになって、莉々子のことなんか跡形もなく頭の中から消してしまいたい……
「……ナミちゃん。このあと、ホテル行かない?」
「ホっ、ホ…テル……ですか?」
ナミちゃんの顔が湯気が出るんじゃないかってくらい、一気に真っ赤になった。
軽いキスもまだ慣れてない子に、刺激が強すぎたかな……
「ナミちゃんがイヤならいいよ。どうする?」
ナミちゃんは体の火照りを押さえようと思ったのか、またシャクシャクとかき氷を頬張った。
そんでまたキーンてなって顔をしかめた。
上目遣いでチラッとこっちを見たナミちゃんはすぐまた目を逸らし、恥ずかしそうに答えた。
「ご主人様が望むなら…ホテルでもどこでも行きますよ?」
なにプレイだよこれは……
まあ照れ隠しなんだろうけど。
「そんなこと言っていいの?俺スケベだよ?初めてのナミちゃんに、もうすんごいことしちゃうかもよ?」
「ええっ?!縛ったりとか、ロウソク垂らしたりとかしますっ?」
だからなにプレイだよそれは……
想像力がたくまし過ぎるだろ。
「するかもね〜。ナミちゃんが想像つかないようなどエロいことを。」
ナミちゃんの頬っぺをプニプニと摘みながら言うと、顔色が赤から青へと変わった。
ちょっとトイレに行ってきますと言って、ナミちゃんは俺の前からそそくさと逃げていった。
言動が素直でいちいち可愛いな。
もちろん優しくするつもりだけど、イタズラ心がわいてきた。
冗談で手首をタオルで縛ったら、どんな反応が返ってくるんだろう……
後ろから誰かが近付いてくる気配がした。
ナミちゃんが戻ってきたのだと思ったのだが……
「雰囲気変わったね…一也。」
俺の名前は菅田 一也だ。
ガキの頃に一也の一からとってイチ君と呼ばれるようになってからは、みんな俺のことをあだ名で呼ぶ。
俺のことを下の名前で呼ぶのは一人しかいない……
「なんか用?」
なんで莉々子が話しかけてくるんだ?
こうやって話すのは別れたあの日以来だ。
「あの子ずっとトイレで鏡見ながら、どうしようどうしようってブツブツ言ってたけど大丈夫なの?」
「あー……」
ちょっとからかい過ぎたかな。そのままトイレに籠城されたらどうしよう……
莉々子はナミちゃんが座っていたイスに腰を下ろした。
「おいっ、莉々子の席はあっちだろっ。」
「このイスは彼女専用?だったら元カノもいいんじゃないの?」
ふざけてんのかこいつは?
ナミちゃんが帰ってきたらどうするんだ。
莉々子の座っていたテーブルを見たのだが、相手の男の姿はなかった。
「あの男ならさっき振ってやった。つまんないんだもん。」
「あっそ。今さらおまえが誰と付き合おうが別れようが俺には関係ねえから。」
ウソだ。
本当は気になって気になって仕方がない。
気持ちを悟られないようにコーラを口に含んだ。
「学食で一緒だった男ともとっくに別れてるから。」
「へー…だからなに?」
こいつ…なんでわざわざこんなことを報告してくるんだ?
冷静に受け流したいのに、心がザワつく……
「相変わらず冷たいのね。あの子にはニヤニヤしてたのに。」
「おまえにも優しくしてたつもりだったけど?」
なんだよ、これってヤキモチか?
わけがわからねえ。
「優しくなんてしてくれたの最初だけじゃないっ。」
「はあ?寂しいって言うから夜中に何度もバイクで会いに行っただろ?」
「私はいっつも一也に振り回されてたっ!」
「振り回してたのは莉々子の方だろっ!」
思わずテーブルを強く叩いてしまい、周りにいる客からの注目を浴びてしまった。
なんで俺らは今さらこんなことで言い合ってんだ?
付き合ってた頃でも、こんなケンカをしたことなんてない。
今思えば…お互いに変に大人ぶり、本音を隠していたからだろう。
「……なんで…あの時止めてくれなかったの?」
莉々子の目からは涙が零れていた。
莉々子はしっかりとした女で、俺の前で取り乱すようなことなんて一度もなかった。
莉々子の泣き顔なんて、初めて見る………
「本気で言ったんじゃなかったのに…別れたいなんてウソだったのに……」
ウソって……
まさか莉々子──────
「私は今でも一也のこと…好きだよ。」
─────なんで…………
なんでこのタイミングでそれを言うんだよ……
別れてからずっと、莉々子とやり直せるものならやり直したいと何度も思った。
でも……
もう遅い───────
高校の入学式。生徒会長だった莉々子は上級生の代表として壇上に上がり、祝辞の挨拶をした。
美人で凛としていた莉々子の姿に、俺は一目惚れをした。
そしてその日から猛アタックを開始したんだ。
俺から付き合いたいと思った女は莉々子が初めてだった。
莉々子は男運が悪かったらしく、今まで彼氏になった男には散々な目に合わされ男性不信のようになっていた。
当時女遊びの激しかった俺を最初は毛嫌いしていたのだが、半年かけてようやく口説き落とした。
莉々子と付き合えるようになってからも、俺はサーフィンが第一だった。
莉々子もそれで良いと言ってくれていたし、理解してくれているのだと思っていた。
年上の莉々子に甘えていたんだ……
GWも夏休みも、まとまった休みがあると俺は各地の海へ行っては住み込みでアルバイトをし、サーフィン三昧の日々を送る。
現地で開かれる大会にも出たりして充実した毎日を送る俺は、その間はろくに莉々子と連絡を取ることすらしなかった。
付き合ってからずっと、莉々子には寂しい思いをさせていた。
わかってる。
全部俺が悪い……
だから莉々子から別れようと言われた時、なにも言えずに…ただ、受け入れることしか出来なかった……
「あの子と別れてからでいいから…待ってる。」
「そんな約束出来ない。」
「いつまでも待ってる。」
「いつまでもって……」
俺はナミちゃんと遊びで付き合うつもりはない。
大切にしたいし、傷付けたくなんかない。
でも…莉々子のことも、無理だと突っぱねることが出来なかった。
どれだけ時間が経ったのだろう……
気付けば莉々子が座っていたイスに、ナミちゃんがいた。
いつもニコニコしているナミちゃんが別人かってくらい暗い顔をしている。
もしかして莉々子との会話を聞かれてしまったのだろうか……
「ごめんなさいっ先輩!!」
ナミちゃんは大きな声でそう言うと勢いよく頭を下げ、テーブルにゴンと打ち付けた。
「ナ、ナミちゃん?!」
なんで謝るっ?
てか今凄い音がしたぞ?頭は大丈夫なのか?
「実は…トイレで確認したら……生理になってしまったみたいで……」
はい?生理?
「先輩とホテルでイチャコラブーしたかったのですが…めっちゃくちゃ残念です!ごめんなさいっ!」
また頭を打ち付けそうだったので慌てて止めた。
莉々子のことでナミちゃんとホテルに行く約束をしていたことが頭から抜けてしまっていた。
こんなに心がぐちゃぐちゃのままでナミちゃんを抱くなんてとても出来なかっただろうから、正直ホッとした。
「先輩…怒っちゃいましたか?」
「怒るわけないだろ。楽しみが延びただけ。」
「……私あんまり期待されるような代物じゃないですよ?」
「俺別に巨乳好きじゃねえし。割とこじんまりしてんのも好きだよ。」
「なんで見てもないのにこじんまりとか言うんですかっ!」
「……服の上からでもわかるだろ。」
ナミちゃんをバイクに乗せて家まで送ってあげた。
別れ際にキスをしようと肩に手を乗せたら、ナミちゃんは目をギュっと閉じて身構えた。
まだしてもないのにもう赤くなっている……
俺はこんなに純情な子に、自分勝手な理由でホテルに誘ってしまった。
本当は断りたかっただろうに、無理矢理YESと言わせて困らせてしまった……
わがままな俺に、一生懸命応えようとしてくれているナミちゃんがとても健気でいじらしい─────
なにを焦っていたんだろう……
この子はこんなにも…俺のことを好きでいてくれているのに…………
ナミちゃんの細い腰を引き寄せ、キスをする代わりに強く抱きしめた。
これ以上力を入れたら折れてしまいそうなほど華奢な体だった……
「ごめんなナミちゃん…俺急ぎ過ぎた。これからはゆっくりいこう。ナミちゃんに合わせるから。」
「大丈夫ですよ先輩。私、先輩の言うことならなんでも聞くんで。」
ああもう…言うことがいちいち素直で可愛い。
「……明日も海にくる?」
「明日はちょっと用事があるので……」
「来いよ。」
「ちょっと無理ですね〜。」
言うこと聞かねえのかよ。
ナミちゃんは俺の腕をすり抜けると、見たいテレビが始まっちゃうんでーっと元気に手を振り、家の中へと入っていった。
随分あっさりしてんな……
直ぐにナミちゃんからメールがきたので見てみると、チュッとだけ書いてあった。
ホント、ナミちゃんて独特過ぎて笑っちまう。
あの笑顔を、悲しませたくない。
悲しませたくなんかないのに───────
ナミちゃんが目の前からいなくなると、最初に浮かんだのは莉々子の泣き顔だった……