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毒蟲は土に蠢く  作者: 児島らせつ
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宝探し、そして謎解き一

第八章


二〇一六年九月二十六~二十七日


 事件後も、中浦酒造は酒の出荷のために営業を続けていた。しかし、酒造組合の協力によって、貞夫が亡くなった翌日までに、急ぎの出荷は一通り終了した。社員の疲労を鑑みた菊池たちは話し合いの末、社長の告別式の翌日から四日間、会社を休業する決定を下した。

 休業初日、私たちは三人で会社を訪れた。菊池が醸造課の様子を確認しに来ていただけで、会社の中は無人に近い状態になっていた。

 醸造課の窓から顔を出し、母屋を遠巻きに眺める。醸造課から観察する限りでは、母屋にも人の気配はほとんど感じられない。無人ではないのだろうが、少なくとも人の存在を感じさせる熱量は感じられなかった。

 私は振り返り、皆の近況を菊池に尋ねた。

「結城さんや郷田さんも、これから四日間は、ずっとお休みなんですか」

 菊池は、目を通していた書類を机の上に置く。老眼鏡を外すと、座っている事務用椅子を回してこちらを向いた。

「結城は、実家に戻っているようです。郷田は、お父上が特別養護老人ホームから一時帰宅するので、家で面倒を見ると言っていました」

「そうですか。菊池さんは、お休みしなくていいんですか」

 私が何気なく尋ねると、菊池は笑った。

「誰かしら、会社にいたほうがいいですからね。私は独り身なので、気楽なもんですわ」

 笑うと、目尻に深い皺が二本、刻まれた。

「コーヒーでも、飲みますか」

 菊池は、思い出したように私たちに尋ねた。

「先日、取引先から美味しいコーヒーを貰ったんですよ。ずいぶん高級なコーヒーとかで。ただ、私は、コーヒーの味などわかりませんし、郷田たちももったいないって飲もうとしないんですわ」

 一瞬、ちらっと迷った。

 だが、社員たちがいない時に、私たちだけが貴重な高級コーヒーを飲むのは気が引けた。私たちは菊池に礼を言うと丁重に辞退し、醸造課を後にした。


         *


 その日の夕刻の出来事だった。

 宿の風呂から上がった私は、体中から充実の湯気を立ち昇らせながら藤の間に戻った。

 部屋に足を踏み入れると、矢永が唐突に切り出した。

「二人に話がある。三枝君を呼んできてくれ」

 私は、矢永に言われるがまま、「わかった」と、条件反射的に返事をする。今しがた入ってきた戸から廊下に出ると、桜の間へ美香を呼びに行った。

 呼びに行く道すがら、なぜ私は矢永の命令を無条件に聞いているかと疑問に思ったが、面倒なので敢えて不問に付した。

 私は廊下を進み、美香がいる、桜の間の戸をノックした。「はい」という返事とともに、美香が顔を出した。

「矢永が、俺たちに話があるそうだ。ちょっと来てくれないか」

 私が告げると、美香は訝しげな顔をしながらも頷いて、私の後に続いた。二人で、藤の間に向かう。

 戸を開けると、矢永は戸のすぐ前に立っていた。矢永は私たちを見ると、何の説明もなく唐突に告げた。

「今から、種子神社に行こうと思う」

「君の話とは、そんな内容か」と、私は呆れて口を尖らせた。

 間もなく、日没という時刻である。こんな時間に種子神社の参道を歩くのは、足元の悪さを鑑みるに危険この上ないし、何よりも怪しさが突出している。

 矢永のひねくれ根性を刺激しないように、私は可能な限り細心の注意を払いながら、翻意を促した。

「昨日、行ったばかりだぞ。それに、もう陽が沈む。神社周辺は明かりがないから、どうしても行きたいのなら、明日にしたほうがいい」

 好奇心では人後に落ちないさすがの美香も、納得がいかなかったのだろう。

「こんな時間に、いったい何のために、わざわざ種子神社まで行くんですか」

 口を尖らせながら、気が乗らない様子で抵抗する。矢永は、私たちの質問には一切答えない。

「バールを一本と、スコップを二本、懐中電灯を二本、用意してほしい」

 意味不明、かつ入手困難な物品を平然とした態度で要求した。

「そんなものを何に使うんだ。用途を明らかにしない限りは、我々も素直に要求を呑むわけにはいかない。考え直せ」

 矢永は私の言葉尻を捉えて、「理由を言えばいいのかな」と厭らしい笑いを浮かべた。

 私は、思わず「その通りだ」と頷いた。頷いて、これは誘導尋問ではないのかと疑念を抱いた。

 前言を撤回するかどうか、私の一瞬の逡巡を見透かした矢永は、すかさず嘯いた。

「理由は、宝探しだ」

 やはり誘導尋問だった。私は慌てて、恐らく味方であろう美香の姿を探した。

 味方であるはずの美香は、部屋の隅でスマートフォンを覗き込み、最寄りのホームセンターを検索し始めていた。恐らく「宝探し」という子供騙しのキーワードに反応したのだろう。小早川秀秋や浅井長政やブルータスも真っ青の、見事な寝返り振りである。

「美香、お前もか!」と、私はローマを統べる元老院前の廊下で断末魔の叫びを上げた。


         *


 タクシーを呼んで宿を出る時、玄関の隣の部屋にいた老婆がふらりと顔を出した。

「こがん時間に、どちらへお出かけね」

 しわがれた声で私たちに問い掛ける。私はできるだけ平静を装いながら「ちょっとした野暮用です。数時間で帰ってきますから」と答えた。

 私たちは、そのまま玄関を出る。後ろから、くぐもった老婆の声が響いた。

「今回ん事件には、あまり関わらんほうがよか。奇蹟ん邪魔ば、したらいけん」

 ――まただ。

 老婆の言葉に反応して、私は「奇蹟……ですか」と口にしながら振り向いた。しかし、そこには既に老婆の姿はなかった。

 私たち三人はタクシーに乗り、盆地の中央にあるホームセンターに立ち寄る。センターで矢永が指定した道具を購入すると、再びタクシーに乗り、種子神社を訪れた。

 駐車スペースでタクシーを降りた後、いつもと同じく山道を進み、鳥居をくぐって石段を登る。

 相変わらずの急な石段に息を切らし、手にした懐中電灯で三人の行く手を照らしながら、私は矢永に尋ねた。

「バールやスコップとは、穏やかじゃないな。さっきは宝探しと言っていたが、いったいどこを掘り返す気なんだ」

「そうですよ。これじゃ、まるで墓泥棒です」

 美香も、不満そうな口ぶりで私の言葉に相槌を打つ。いつもは矢永ファンを公言して譲らず、私にとっては天敵であるはずの寝返り女王も、今ばかりは珍しく私の側に立っていた。

「我々は、君に命令される通りに、奴隷のように従順に任務を遂行している。第三者から見ると、とんでもなく怪しげな装備でな。はっきり言うと、警察に通報されても申し開きできない姿だ。どう考えても我々には、装備と行動の理由を知る正当な権利があるはずだ」

 伝えたい内容を喋り終えた時、私ははっと気付いて足を止めた。

「まさか、神社を掘り返すなんて罰当たりな行為を考えてないだろうな」

 矢永は、冷徹とも思える目で、私たち二人の顔を交互に見詰める。唇の右端を不自然に吊り上げながら、にやりと笑った。

「神社を掘り返したりはしない。さすがの私もそこまで罰当たりではない」

 自己申告では「罰当たりではない」と否定しつつも、常日頃の行動を見るにつけ、矢永は神をも恐れぬ罰当たりとしか思えない。

 確信犯なのか、自己分析が足りないのか。矢永の深層心理が読めない事実に、私は石段を登りながら苦しみ悶える。矢永は、私の苦しみや神の機嫌など、どこ吹く風といった様子で、核心に触れる言葉を口にした。

「私は、スマートフォンの謎を解明しようと思っているだけだ」

「スマートフォンの謎? いったい何の話だ」

 私は、言葉の意味がわからず、矢永の後ろ姿に詰問した。私の横で、美香が思い出したように声を上げた。

「昨日、神社の裏の崖で、矢永さんが歩きながらスマートフォンを見ていた、あれですね」

 美香の言葉に、今の今まで忘れていた「あの時」の記憶が頭に蘇った。私は行く手を遮るように、矢永の前に立ち塞がった。

「あの時は、何をしていたんだ」

「大した話ではない。スマートフォンの金属探知機アプリを使って、ちょっと調べてみただけだ」

 また、「大した話ではない」だ。矢永は、昨日の種子神社でも同じ言葉を口にした。ますます意味がわからなくなった私は、声を張り上げ、さらなる答えを求める。

「金属探知機? 何だそれは」

 美香が、慌てて周囲を見渡しながら、心から迷惑そうな表情で、「しっ」と人差し指を口に当てた。しかし、時刻は真夜中近く、場所は山の中である。多少は大きな声を出したとしても、うるさがる人などいはしない。

「スマートフォンの金属探知機アプリは、内蔵されている磁気センサーを利用して地磁気を検出し、その情報を基に金属を探し出す。原理的には方位磁針アプリと同じだ。性能はなかなかに優秀で、磁石はもちろん、鉄などにも比較的敏感に反応する」

 そういえば、私のスマートフォンにも方位磁針アプリが入っていた。私のスマートフォンも、アプリがあれば金属探知機になるのか。

「金属探知機を使って、結果はどうだったんですか」

「ほんの僅かだが、探知機の数値が不安定に揺れた」

 矢永は表情を変えず、口を微かに動かした。

「つまり、この神社の裏には、大量の金属が存在している可能性がある。その金属は、恐らく神社の正体に関係する金属だ」

 矢永は、そこまで話すと、また黙ってまた石段を登り始めた。私は話の続きを望みながらも、暗闇に取り残される恐怖心に敗北し、慌てて矢永と美香の後を追う。

 恐怖心に加え、今から私たちが遂行しようとしている行為に対する心苦しさから、つい足早になる。

 足早に登ったおかげで、それほど時間を掛けずに神社の境内まで辿り着くことができた。境内に出た矢永は、脇目も振らず祠に向かって進む。

 私は息を整えると、矢永の後ろ姿に向かって「なあ」と声を掛けた。

「金属探知機は、いったい何に反応したんだ。神社の正体に関係する金属とは、何だ」

 ますます混乱し、思考のラビリンスを彷徨う私をよそに、矢永は祠の右側に回り込む。昨日、スマートフォンを持って行動した時と同じく、切り立った斜面に足を踏み出した。

「足下を照らしてくれ」

 矢永の声に、美香は今まで眼前に広がる木々を照らしていた懐中電灯の光を、矢永の足下に向ける。私は懐中電灯を持ち直して、私自身と美香の足下を同時に照らす。

 三日月の明かりだけでは心許なかった私たち三人の足下が、明るく照らし出された。

 矢永は、木の根元や岩の出っ張りに足を掛け、慎重に進んでいく。懐中電灯の光を頼りに、私と美香も注意深く後に続いた。

 十mほど進むと、不意に林が終わり、開けた場所に出た。

 いや、林が終わったのではなかった。よく見ると、その場所だけ幅数mにわたって不自然に林が途切れている。その向こうには、また同じような林が続いていた。

「今は暗くてよくわからないが、先日ここに来た時、この斜面の中央辺りに土が茶色く変色している部分を見つけた。その周辺が怪しい」

 矢永は前方を見詰めたまま、得意げに数m先の斜面を指で示した。

 しかし、木のない斜面では、もはや木に足を掛けながら進む方法は使えない。矢永は、所々に顔を覗かせている岩に足を引っ掛けながら、再び進み始めた。岩に足を掛ける度に、周辺の小石がコロコロと斜面を転がり落ちた。

 数m進んだ場所で、矢永は不意に立ち止まる。「この辺りかな」と呟くが早いか、突然、持っていたバールの根元を斜面の土に突き刺した。

 バールの根元は、土に刺さるとズブズブと土中に埋もれた。矢永は、バールが十分に埋もれた事実を確認すると、土から引き抜き、数十㎝先の位置に再び突き立てた。やはり、バールは深く埋もれた。

 矢永は場所を変えながら、同じ作業をひたすら繰り返す。

 そのまま、十分ほどの時が過ぎた。矢永の目的は、未だ達成されないらしい。

「もう少し、上のほうも調べてみよう」

 息を切らしながら、矢永はさらに一mほど上の土に、バールを突き立てた。

 その時だった。

 今まで土中深く刺さっていたバールが、二十㎝ほど埋もれたところで、カチンという金属音を発して止まった。矢永は、さらに力を入れてバールを刺そうとした。しかし、バールはびくともしない。

 私は、慌てながらも慎重に歩み寄ると、音がした辺りにスコップを刺した。今度はカチャンと、先ほどよりもはっきりとした金属音が響いた。

「間違いない。ここに金属が埋まっている。それこそ、私たちが目的とする存在だ」

 私は、矢永の声を合図にスコップを握り直し、慎重に周囲の土をどけた。美香が、横から懐中電灯で私の手元を照らし出す。

 間もなく、茶色く錆び付いた金属板らしき人工物が姿を現した。

「これは、間違いなく扉だ」

 矢永が、独り言のように呟いた。矢永の言葉に、私はさらにピッチを上げて掘り進める。

 数分もしないうちに、周囲の土はあらかた取り除かれ、崖の一角に一m×一・二mほどの鉄製の扉が全貌を現した。

 扉は、粗末な南京錠で密閉されていた。

 南京錠は長年、土に埋まっていたためか、すっかり錆び付いている。たとえ鍵があったとしても、とても開きそうには思えなかった。

 矢永は、錠の環の部分におもむろにバールを差し込むと、力任せに捩じり上げた。パキンという軽い音とともに南京錠が外れ、そのまま斜面の土の上に落下した。

 錠が外れた状況を確認した矢永は、今度は扉の隙間にバールを差し込む。十分に差し込まれた状態を確認すると、てこの原理を利用して扉を力任せに手前に引いた。

「力のモーメント=力×支点からの距離」という公式通りに、少しずつ扉が動く。金属が軋むギギイという音を立てながら、僅かな隙間が開いた。

 瞬間、錆びた鉄とカビ臭い臭いが混じった空気が、私の鼻孔を刺激した。数十年もの間淀んでいた空気が、一気に解放された瞬間だった。

 私は、美香と一緒に恐る恐る扉の隙間を覗き込み、ごくりと唾を飲み込んだ。十㎝ほど開かれた扉の向こうには、常世の国への入り口を思わせる漆黒の闇が広がっていた。

「一応、確認のために訊くが、ひょっとして我々は今からこの穴に入るのか」

「そうだ。嫌なら外で待っていてもいいぞ」

 矢永は、挑発する口ぶりで返事をする。私は、二人を外で待つ自分と、二人と一緒に中に入る自分を交互に思い浮かべる。

 結論はすぐに出た。生まれながらにして私に備わっている、ネオジム磁石のように強力な責任感が、二人を見捨てるわけにはいかないと私自身に囁いた。

 私も男だ。「行くに決まっているだろう」と語気を強めると、扉に手を掛けて人が通れるぐらいの広さまで開いた。

 強がっているのか、冷静を装った矢永が先頭にしゃしゃり出る。ひったくり犯並みの乱暴な手付きで、私から懐中電灯を奪い取ると、まず扉をくぐった。私と美香も、矢永に続いて真っ暗な通路にゆっくりと足を踏み入れた。

 一度入ったら、もう二度と出る望みは叶わないのではないか。そんな不安を抱かせるほどの底知れぬ暗黒、不気味な静寂だった。

 私は、足がすくむ思いに抗いながら、懐中電灯の光を目で追って歩き続けた。

「思ったよりも深いですね」

 美香が、通路内の四方の壁に声を響かせた。どうやら、周囲を落ち着きなく見回しながら喋っているらしい。

「さすがの三枝も怖いか」

 私は、自分の不安を押し殺しながら語り掛ける。美香は私に懐中電灯を向け「怖くないですよ」と、むきになって虚勢を張った。

 きっと、美香は暗闇の中で恐怖に震えているに違いない。心優しい私は美香を正視するに堪えなくなり、目を瞑った。

 目を瞑った拍子に、小さな段差に躓いた。躓いた私の不規則な足音が、暗闇に反響した。

 足音の響き方が、先ほどまでとは異なっているように思えた。

 私は全神経を集中させ、五感で周囲の様子を感じ取ろうと試みる。言葉にできない、空気感の変化も感じられた。通路を抜け、やや広い空間に出たようだった。

 足元を集中的に照らしていた美香の懐中電灯の光が、ゆっくりと前方に移動する。暗闇に慣れた目に飛び込んできた光景は、想像していた通りの広い空間だった。

 空間の奥。

 堆く積まれた大量の古い木箱。

 矢永は、静かに、しかし興奮を抑え切れない様子で呟いた。

「これが種子神社の正体にして、今まで四百年もの間、秘密裏に守られてきたイエズス会の遺産だ」


         *


 矢永の言葉を遮るように、金属が軋む音がした。入り口の方向からだった。

 私は、音がした方向に、反射的に顔を向けた。

 入り口から続く通路を僅かばかりに照らしていた三日月の光が、みるみる暗くなっていく。

 何が起こったのか理解できずにいると、洞窟の中にバンと金属的な衝撃音が反響した。

 同時に訪れる、漆黒の闇。

 ――扉が、閉まったのか?

 耳を澄ますと、ガチャガチャと金属同士が接触する音が聞こえる。しばらくすると音は止み、何事もなかったかのような静寂が訪れた。

 我に返った私は、美香から懐中電灯を奪い取ると、慌てて入り口に向かって駆け出した。冷静さを失っているせいで、途中で何度も躓いた。

 入り口にたどり着いた私は、右腕で力いっぱい扉を押した。しかし、扉はびくともしなかった。

「どうしたんですか」

 恐怖に慄いていたのであろう、私に後れを取っていた美香が、矢永とともに私の背後に歩み寄った。

「扉を閉められた。どうやら、閉じ込められたようだ」

 美香が慌てて扉に駆け寄り、両手で力いっぱい押す。やはり扉は動かなかった。

「誰がこんなことを……」

 絶望感を帯びたか細い声で、美香が呟いた。

「二人とも落ち着き給え。何かしら方法があるはずだ」

 美香の横で、恐怖に慄きながら腕組みをしていた矢永が、一歩進み出る。突然、右足を上げると、足の裏で扉を押した。

 金属の扉が、矢永の足の動きに合わせてギシギシと軋んだ。

 音を確認するように目を瞑っていた矢永は、やがて目を開けると私の方に向き直った。

「山際。スマートフォンを持っているかな?」

 なるほど。スマートフォンで助けを呼ぶという方法があった。

「俺もそう思っていたんだ」

 急速に勇気を取り戻した私は、冷や汗をぬぐい、ポケットから取り出したスマートフォンを矢永に手渡した。

 後ろで、美香が自分のスマートフォンを覗き込みながら囁いた。

「でも、ここ、圏外ですよ」

「いや、私が欲しているのは、スマートフォンのバッテリーだ」

 矢永は言うが早いか、私のスマートフォンの裏蓋を手際よく開けると、中のバッテリーを取り出す。

「三枝君、手元を照らしてくれ」

 そう言いながら、矢永は私に背を向ける姿勢でしゃがみ込んだ。矢永に言われるままに、美香は懐中電灯の光で矢永の手元を照らし出す。

 何かを洞窟の壁に打ち付ける音が、ガンと響いた。

 私からは背中しか見えないので、矢永が何をやっているのかはわからない。しかし、扉の前にしゃがみ込み、禁じられた遊びに興じる子供のように、何やらごそごそと手を動かしている矢永の様子は、怪しさ満載である。

 私の頭の中に、哀愁を帯びたトレモロ奏法のギターの音色が響き渡った。

 いや、今は頭の中で演奏会を楽しんでいる場合ではない。矢永の怪しげな作業の中心にあるのは、他の誰でもない、私のバッテリーなのだ。

 ふと我に返った私は、使われているのが自分のバッテリーであり、矢永が企んでいる計画が謎であるという二重の不安に耐え切れなくなり、語気を荒げて詰め寄った。

「いったい、何を始めるつもりだ」

「よく見てい給え。これから、面白い現象が起こるぞ」

 矢永は私から目を逸らすと、愉快そうな表情で呟き、洞窟の奥へと移動した。


         *


 矢永が私からスマートフォンを奪い取って、どれくらいの時間がたっただろう。

 三分、いや、五分以上は経っていたかもしれない。

 気が付くと、周囲に鼻を突くような刺激臭が立ち込め始めていた。

「おい、何か変な臭いがしないか」

「そういえば、そうですね」

 美香が相槌を打つ。

 矢永は、三人の中でもっとも洞窟の奥に近い場所に突っ立ったまま、微動だにしない。

 洞窟の壁に凭れ掛かった状態でしゃがみ込んでいた私は、数少ない自慢の一つである敏感な嗅覚を駆使し、臭いの方角を探った。

 予想通り、臭いは扉の方向から流れてくるらしかった。

 嫌な予感を胸に抱いた私は、美香から懐中電灯を奪い取り、足元に細心の注意を払いながら、扉に近付いた。そのまま、扉に光を向ける。

 懐中電灯の光に、私のバッテリーが浮かび上がった。

 バッテリーは、扉と金属製の枠の僅かな隙間に捻じ込まれていた。

 バッテリーの端子部分からは、懐中電灯から取り出したのであろう導線が二本延び、数十㎝の白い棒の両端とつながっている。よく見ると、白い棒の正体は、直列繋ぎになるように白いビニールテープで固定された数本の単三乾電池だった。乾電池は、明らかに懐中電灯から取り出したものだった。

 全体を見渡すに、どうやら矢永の謎の工作物は、私のバッテリーに電流を流す装置らしい。

 私は懐中電灯の光を移動させ、今度はより詳細にバッテリーを観察した。

 懐中電灯の光に照らし出された私のバッテリーは、電子レンジでチンしたばかりの餅のように、パンパンに膨らんでいた。もやは、直方体の美しくもスリムなフォルムは、面影さえ残っていない。

 ――過充電か!

 過剰な電圧が掛かったリチウムイオンバッテリーは、時としてその電圧に耐え切れなくなり、内部の回路に異常をきたす。全てを理解した私は、我がバッテリーを一刻も早く回収しようと、思わず手を伸ばした。

「気を付けろ。そろそろだぞ」

 矢永が背後から言葉を発したのと、ほぼ同時だった。

 ボンという鈍い爆発音とともに、目が眩むほどの閃光が私の視界に広がった

 気が付くと、私は扉から三mほど離れた場所で、尻餅を突いていた。足元にはバラバラに砕け散った元バッテリーが、無残な姿を晒していた。突然の出来事に放心状態の私と美香を尻目に、矢永はつかつかと扉に歩み寄った。

「破損したスマートフォンのバッテリーは、過剰な電圧を掛け続けることで爆発する。君たちも、スマートフォンの爆発事故に関するニュースを聞いた経験があるだろう。その威力は、馬鹿にできない」

 矢永は回路を組み立てている時、何かを洞窟の壁に打ち付けていた。私のスマートフォンのバッテリーを、わざと破損させていたのか。

 余りと言えば余りの所業に眩暈を起こしそうになる私をよそに、矢永は澄ました顔のまま、足で扉を何度も蹴り飛ばす。扉はギイという摩擦音を残しながら、いとも簡単に開いた。隙間から月の光が差し込み、洞窟の中を照らし出した。

「見た給え。私たちを閉じ込めた輩は、針金を使って鍵の部分を固定していたようだな。大の大人を三人も閉じ込めようとするには、随分とお粗末な手法だ」

 矢永は、鍵の部分に巻き付けられた針金の残骸を解きほぐすと、私と美香に指し示した。続いて、何かに気付いたのか、「おや」と言いながら扉の外の地面に手を伸ばす。

「面白いものが落ちていた」

 拾い上げたのは、古びたクリアレッドのボールペンだった。

 軸の部分にアルファベットが書かれているが、長年の酷使によるためか、擦り切れて読みにくくなっている。目を凝らすと、「SODA」の四文字だけが、かろうじて読み取れた。


         *


 私たちが、種子神社の崖で宝探しととんだ冒険ごっこを敢行した翌日、宿から矢永の姿が消えた。

 藤の間にあるテーブルの上に「数日、ちょっと出かけてくる」と簡潔に書かれた書き置きだけを残して、矢永は旅立った。

 理由は本人が語らなかったので、私にはよくわからない。早速、美香のスマートフォンで連絡を試みたが、矢永のスマートフォンは圏外で繋がらなかった。

 あまりにも唐突、かつ無責任ともいえる行動を前に、私は途方に暮れた。美香は、書き置きを太陽の光にかざしながら、暢気な声で他人事のように呟いた。

「いったい、どうしたんでしょうね」

 私は思う。

 矢永の脳の前頭連合野で、事件というパズルの完成に繋がる新たなピースが生まれたのだろう。もしかしたら矢永は、ピースの発見によって存在が明らかになった、新たな欠片を探しに旅立ったのかもしれない。

 そう信じるよりほかに、今の私たちにできる行為はなかった。

 私と美香は、いつになるかわからない矢永の帰りを、気長に待とうと決意した。




第九章


二〇一六年九月三十日


 旅立ちから三日後、矢永がふらりと帰ってきた。

 旅館の玄関口で、矢永の姿をいち早く見付けた美香は、「矢永さん!」と叫びながら、矢永に駆け寄る。そのまま無邪気に抱き付くと、親と再会したディズニーランドの迷子のように、目を細めて邂逅を喜んだ。

「いったい、どこに行っていたんだ。別に心配していたわけではないが」

 私は、美香の逆セクハラ攻撃に必死で耐えている矢永に事情を尋ねた。

「心配してくれて有り難う」

 矢永は、私が掛けた言葉とは矛盾する返事をした。

 一頻り再会を喜んだ美香は、矢永からようやく離れると、クラス委員長目線で嗜めた。

「スマートフォンぐらい通じる状態にしておいてください」

 嗜めながらも、美香の顔には明らかな安堵の表情が浮かんでいた。

 矢永は、上がり框に腰を掛けて靴を脱ぎながら、ぽつりと結果報告をした。

「髪の毛の件だが、正体がわかったよ。まさに、予想通りだった」

 意味がわからなかった私は、思わず間の抜けた声で「髪の毛?」と矢永の言葉をオウムのように返す。

「貞夫氏の鞄の中から見つかった髪の毛だよ。まさか、覚えていないのか。健忘症の山際なら、まあ忘れても致し方ないが」

 矢永は、心の底から驚いた様子で、私の顔を見詰め返した。

 忘れてはいない。ただ、あの髪の毛を矢永が所持していた理由が理解できなかっただけだ。私は、矢永の誤解を解くとともに、髪の毛の入手方法を知るために言葉を続けた。

「貞夫氏の鞄の中から、髪の毛が見つかった事実は覚えているさ。でも、あの髪の毛は澤田さんが鞄と一緒に警察に渡したはずだろう。いったいいつの間に、どうやって入手したんだ」

 矢永は、靴を脱ぎながら私たちの顔を交互に見る。「何、ちょっとサンプルを拝借していただけだ」と、澄ました顔で口にした。

 矢永の言葉に驚愕した私は、数㎝ばかり飛び上がると、腰椎損傷も厭わぬ勢いで上がり框に尻餅をついた。

 矢永は、発見から警察に渡すまでのほんの数十分の間に、髪の毛の一部を抜き取っていた。

 貞夫の鞄からビニール袋に入った髪の毛を発見した時、すでに髪の毛が事件に関係していると考えていたのか。いや、そんな深謀遠慮があるはずがない。矢永は単に手癖が悪いだけだ。

 思考の混乱によって、目線が定まらない私の横で、矢永は解説する。

「熊本まで足を伸ばして、ちょっとした知り合いに、あの髪の毛のDNA鑑定を依頼した。郵送でやり取りするよりも、会って依頼したほうが、話が早いと思ってね。なかなかの骨折り仕事だったよ。何しろ髪の毛を用いた鑑定は、口内粘膜や唾液による鑑定よりも難しいからな」

 鑑定した人物は知り合いの先生であって、矢永ではない。矢永はしかし、それを承知の上で「骨折り仕事」と、自らの努力のように図々しく語る。

 そんな矢永の態度に納得できない気持ちを感じながら、私は問い掛ける。

「で、鑑定の結果はどうだったんだ。いったい、誰の髪の毛だったんだ」

 聞こえなかったのだろうか。それとも、聞こえないふりをしたのだろうか。矢永は靴を脱いで廊下に上がると、私たちを振り返った。

「髪の毛だけではない。なぜカンタリジンなのか、今回の一連の事件が誰によって、何のために引き起こされたのか。すべてのピースがぴったりと符合した」

 矢永は階段を二歩三歩、ゆっくりと上る。再び振り返ると、何かを決断した強い口調で、言葉を発した。

「二人とも、藤の間に来てくれ。君たちには、他の人々に先立って事件の全貌を説明しておかなければならない」

 私と美香は顔を見合わせて深く頷くと、矢永の後を追う。そのまま、藤の間へと足を踏み入れた。

 部屋の中で、矢永が私たち二人に説明した事件の全貌は、俄かには信じ難いほどの驚くべき内容だった。全てを聞き終わった私は手にじっとりと汗を掻き、手と足が細かく震えていた。斜め向かいに正座をしている美香を見ると、美香もほぼ同じ状態にあるらしかった。

 ――こんな事実が、あっていいのだろうか。

 私は自問自答した。自問自答はしてみたものの、私たちが出すべき結論は決まっていた。矢永を信じる。それだけだ。

 もし、誰かが矢永の性格を否定的な物言いで表現するなら、私は全身全霊を傾けてその人物の意見を支持するだろう。それほど、矢永という人物は鼻持ちならない男だ。

 同時に悔しい事実ではあるが、矢永との長い付き合いの中で、矢永の推測の傑出した正確性を、私と美香は嫌というほど思い知らされてきた。

 ――どのような過程を経るにせよ、矢永の推測は最後にはいつも真実に辿り着く。

「で、これから俺たちはどうすればいい」

 私は、深呼吸をして自分を落ち着かせながら、矢永に尋ねた。矢永は、私たちの沈痛な面持ちを気にするでもなく、軽い口調で答えた。

「今から、私が名前を述べる人を集めてくれ。中浦酒造の関係者に辻君、この地区で隠れキリシタンの信仰を独自に受け継いでいる、宗教的組織の関係者を数人だ。場所は工場がいい。あそこは今の季節、人の立ち入りがほとんどないし、広いからな」

「ちょっと待て。いきなり宗教的組織と言われても困る。いったいどんな組織で、どうやって集めるんだ」

 私が困って聞き返すと、矢永は呆れた顔で私に目線を送りながら、具体的な手順を解説した。

「この旅館の老婆は、恐らく組織の関係者の一人と見て間違いないだろう。老婆に事情を説明して、関係者を集めてもらう」

 老婆は先日、私たちに「今回ん事件には、あまり関わらんほうがよか」と口にした。たとえ老婆が宗教的組織とやらの関係者だとしても、積極的に仲間を集めてくれるとは、とても思えない。

「事件に首を突っ込んでいる俺たちは、きっと婆さんに快く思われていない。簡単に相談に応じてくれるとは思えないぞ。他にいい方法はないのか」

 私は、暗に計画の変更を求めて反論するが、矢永は端から聞く耳をもたない。

「心配ない。『貴方方に纏わる、時空を超越した壮大な謎について解説してご覧に入れます』とでも語っておけば、喜んで駆け付けるだろう」

 当然のように言い放つと、長らく未完成のままだったパズルを完成できた事実に、すっかり満足したのだろうか。「一休みしたら、最後の仕上げを始めよう」と伸びをする。

「そうそう、穂高君も呼んであげたほうがいいかな。一応、約束だからな」

 矢永は小さく笑うと、そのまま畳の上にごろんと横になり、目を閉じた。


         *


 矢永の呼び掛けから二時間後、中浦酒造の工場には、矢永が指名した人々が集まっていた。中浦酒造の関係者、辻、隠れキリシタンの信仰を独自に受け継ぐ宗教的組織の関係者が数人、といった面々である。

 人々の中には、間弁護士の告別式で話をした老人の顔も見受けられた。ノーネクタイのシャツの上に、グレーのジャケットを羽織っている。

 穂高もいた。穂高は腕を組み、難しい顔をして部屋の隅に仁王立ちしている。

 人々は皆一様に無口である。奇妙な静けさが空間を支配していた。

 恐らく人々は、これから何が始まるのかを本能的に理解している。理解しながらも、どのような方向に進むのかは想像できていない。想像できない事実を前に、例えようのない緊張感と不安を感じているのだろう。

 出席者は皆、行先がわからない列車に乗り合わせた乗客だ。私も、その一人に他ならなかった。私は誰よりも厳しい、いや、むしろ思い詰めた苦しげな表情をしていたと思う。

 これからの時間が、私にとって吐き気を催すほどの苦しい時間になる事実は間違いない。それでも、私は受け入れなくてはならない。

 しばしの静寂の後だった。

「皆さん、お集まりですね」

 一同の前に立った矢永が、口火を切った。自らの希望通りに舞台が整った事実に、満足げな表情だった。

「皆さん。この度は、ここにいる三流編集者である山際君の呼び掛けに応じ、お忙しい中をお集まり頂きまして、有り難うございます。特に、祥子さんと樹希君には、体調不良を押してご参加頂きましたご厚意に深謝いたします」

 挨拶状の書き出しのように過剰に丁寧な表現ながら、棒読みにも聞こえる平板な口ぶりで、矢永は心にもない言葉を平然と並べ立てる。一通り喋り終えると、一同に向かって深々とわざとらしいお辞儀をした。

「我々三人は、東京の出版社から取材に訪れた一介の編集者に過ぎません。しかしながら、今回、図らずも一連の不幸な事件の関係者となり、全容を解明する立場となりました」

 矢永は、出席者たちの顔に対して順番に視線を送りながら、大根役者の芝居じみた表情で言葉を続ける。

「我々は、絡み合った糸のように複雑怪奇な事件の糸を、一本一本、根気よく解き解し、本日、遂にその真相に辿り着きました。今日、ここに皆さんにお集まり頂いた理由は、他でもない。我々が解き明かした今回の事件の全容を、ご報告しなければならないと考えたからです」

 矢永は右手の指先で、下唇の下に生えた無精髭を繰り返しつまんだ。いよいよ、矢永劇場の開演である。関係者を乗せたまま、行先不明のミステリートレインは静かに、滑るように動き始める。

「最初に断っておきますが、私は警察の回し者ではありませんし、警察に利用されることも本望ではありません。これからお話しする内容によって犯行の全貌が明らかになったとしても、それはあくまでも私の推理です。警察の捜査などとは、全く無関係ですのでご承知おきください」

 矢永は、もっともらしく注意事項を述べると、一同の顔色を窺った。一同から異存が出ない事実を確認すると、嬉しそうな表情を浮かべながら言葉を続ける。

「当初、事件は貞夫氏による毒殺と、毒殺犯である貞夫氏の自殺だと思われていました。そう思っていたのは、警察だけではありません、我々も、そう考えていたのです。なぜなら、そう考えると、一見して整合性のある説明ができるからです」

「どがん意味たい。整合性があるとなら、『毒殺犯である貞夫氏の自殺』で決まりやろう」

 一人の老人が、問い詰める強い口調で矢永の言葉を遮った。間弁護士の告別式で話をした、件の老人である。

 矢永は右掌をかざし、私語を止めない子供を諭す教諭のような、勿体を付けた仕草で老人を制した。

「貴方は、隠れキリシタンの信仰を独自に受け継いでいる宗教的組織の中でも、中心的な立場の方とお見受けしました。お名前を伺ってもよろしいですか」

 老人は、矢永の突然の要望に驚いた様子だったが、すぐに気を取り直すと「伊東たい」と返答した。

「伊東さんですね。わかりました」

 矢永は確認すると、突然の質問に対する謝罪もなく、再び一同に向き直った。

「さて、『毒殺犯である貞夫氏の自殺』とは、どのような内容でしょうか。中浦酒造の経営権を巡って隆社長と争っていた貞夫氏が、毒物を用いて二人を殺害した。ところが、計画を実行した後で、自分が犯した罪の重さに気が付いた。警察の捜査も着々と進んでいる。貞夫氏は、精神的に追い詰められて自殺を選んだ。およそ、このような流れです」

「いったいどがん話や。やっぱい、毒殺犯の貞夫の自殺ち内容になっとうぞ」

 三十歳代と思しき見知らぬ男性が、苛ついた表情で口を挟んだ。伊東と一緒にいる様子から考えると、男性もやはり宗教的組織の関係者らしかった。

 矢永は男性を睨め付けると、詐欺師のような怪しい笑みを含んだ声で提案する。

「だが、この際です。貞夫氏が毒殺犯で、死因は自殺であるという先入観はさて置いて、全く異なる角度から一連の事件を見直してみようではありませんか」

 男性から目線を逸らさず、薄ら笑いを浮かべながら、矢永は囁くように問い掛けた。

「まず、お披露目会における毒殺犯の動機です。中浦酒造の経営権や、中浦家の財産を管理している立場であるという点の他に、毒殺された隆社長と間弁護士にはもう一つの共通点があります。おわかりになりませんか」

 答えを求められた男性は「何の話たい。さっぱりわからん」と、惚けた。いや、本当にわからなかったのかもしれない。

 矢永は、数秒の間を置いた後、最初から回答を期待していなかったかのように、澄ました表情で語った。

「共通点は二人とも、種子神社近辺を開発して温泉施設を建設する計画の推進派である点です。間弁護士は弁護士であると同時に、間建設の関係者でもありました。間建設は、言わずと知れた開発計画の請負業者。もちろん、社長と同じ開発推進派です。二人の共通点が、開発推進派である事実を考えると、犯人は、何かを開発から守るために、この恐ろしい事件を起こした、とも考えられます。いったい何を守るのか。種子神社を守るため?」

 男性は、はっと驚いた表情になると、傍らにいる伊東の顔を見た。伊東は硬い表情を保ったまま、身動き一つしない。

 矢永は宙を仰ぎ、眉間に皺を寄せて苦しげな表情を作った。一つ一つの仕草が、過剰に芝居掛かっている。

「しかし、種子神社は移転しますし、そもそも殺人を犯さなければならないほどの理由にはなりません。ここで私は、一つのヒントに出会いました。この土地に、古くから伝わる子守唄です」


 ♪おどんがもった子は 岩屋にゃくるんな

 岩がくずるりゃ 死んでしまう

 おどんがもった子は 種子にゃくるんな

 越えりゃ楽しか 草のある

 おどまかんじんかんじん あん人たちゃよかし

 よかしゃ きりょうよし 姿よし


 矢永は歌うように、独特の節回しで暗唱した。

「この唄は、天草地方で昔から歌われてきた子守唄と同じルーツをもつ、派生バージョンともいえる子守唄だと思われます。どうしても引っ掛かったのは二番の歌詞です」

 矢永は宙を見上げると、今一度「種子にゃくるんな 越えりゃ楽しか 草のある」と、楽しそうに口ずさんだ。

「『楽しか草』というのは薬、恐らくは毒薬を示しているのでしょう。だとすれば、普通に考えれば、歌詞は『越えれば毒薬があるから、種子神社には来るな』となります。だが、何を越えるのかがわからない。私は悩みました。思考が手詰まり状態になるかと思われた時、ある事実に気付きました」

 矢永はいったん言葉を止め、一同の顔をぐるりと見渡した。他人の心の奥底を見透かすような冷徹な目が、工場の入り口から入り込む一筋の光に照らされ、ギラリと冷たく光った。

「皆さんも、よくご存じとは思いますが、この周辺は昔からキリシタンが多い場所でした。領主である有馬晴信がキリシタン大名であった影響から、早くから宣教師の活発な布教がおこなわれていたためです」

 話が随分と飛んだ。伊東の隣に立つ男性が、不快そうな目で矢永を一瞥した。

「ここから近い加津佐にキリスト教の教育機関であるコレジオが置かれるなど、この地方は日本におけるキリスト教布教の一大拠点でした。皆さんは、加津佐の地で亡くなった『ある宣教師』をご存知ですか」

 聴衆の中に、矢永の問いに答える者はいない。回答者の不在を確かめ、矢永は続ける。

「ポルトガル出身のその宣教師は、一五七二年に初めて来日して布教を開始すると、めきめきと頭角を現しました。やがて、布教に関する功績を認められ、一五八一年に日本での布教を統括する役職に就任しました。名を、ガスパール・コエリョと言います」

 矢永は、自分の一挙手一投足に陶酔している様子で、一際大きな声を張り上げた。怪しい薬でも飲んでいるのではないかと疑いたくなるほどの、恍惚とした表情を浮かべている。

「コエリョは、多くの宣教師の中でも特に熱心に活動していましたが、唯一つ致命的な欠点ともいえる資質をもっていました。布教のためには手段を選ばないという、ある種の過激思想をもっていた点でした。コエリョの考えを端的に示す、ある歴史的事実があります」

 先日、矢永から聞かされた。一五八七年、武器弾薬を積み込んだ船を率いて、コエリョが博多湾に向かった事件だ。その地に滞在していた時の関白、豊臣秀吉に対する示威行動だったという。

「コエリョによる一五八七年の示威行動は、後に秀吉がバテレン追放令を出す切っ掛けの一つとなりました。自分たちの優位性を示そうとしたがために遠ざけられてしまった。なんとも皮肉な話です」

 矢永は愉快そうに言うと、一呼吸を置いて小さな咳払いをした。広い工場内に、矢永の下品な咳が木霊する。

「事は、示威行動だけには収まりません。実は、コエリョは布教に武力を用いる計画を立て、密かに日本に武器を運び込もうとしていたのです。残念な事に、その計画は当時の上司であったヴァリニャーノによって阻止され、武器は全て売り払われたとの逸話が残っています」

「しかし」と、矢永は続ける。

「その一部が、すでにコエリョの許に届けられており、コエリョ自身が、武器を日本のどこかに隠していた。その可能性がないと、果たして断言できるでしょうか」

 矢永はここで、両手を腰の後ろに組み、聴衆の前をゆっくりと歩き始める。数m歩いては踵を返し、また数m歩いては、回れ右をする。

 実に楽しそうだ。見ているこちらは失笑を通り越し、ともすれば惚れ惚れとしてしまいそうになる。

「そういえば、種子神社とは不思議な名前だ。ひょっとすると『種子島』から来ている名ではないでしょうか。種子島とは、鹿児島県にある大隅半島南方の洋上に浮かぶ島の名ですが、他ならない火縄銃の別名でもあります」

 矢永の大胆且つ強引な推理が、ますます冴え渡る。最早、矢永を止める芸当は誰にもできない。私は、話を聞きながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

「今、お話しした様々な要素を念頭に置いたうえで、『種子にゃくるんな 越えりゃ楽しか 草のある』の意味を紐解いてみましょう。『コエリョの毒があるから、武器が隠されている種子神社には来るな』という意味には取れませんか。あの神社の周辺のどこかに、かつて武器が隠されていたのかもしれない」

 伊東は、腕を組んだまま、目を瞑って矢永の話を聞いていた。顔には、何かに耐えているような、険しい表情を浮かべている。耐えている対象は、矢永の演説の荒唐無稽さか、はたまた的確さか。私には、読み取れなかった。




第十章


天正十八年一月十二日(一五九〇年二月十六日)


 時は安土桃山時代、関白である豊臣秀吉が、天下統一を虎視眈々と狙っていた時代である。

 加津佐の貿易商人である佐川邸の奥座敷では、二人の男が向かい合っていた。一人は有馬家の家臣にして、コエリョとイエズス会を陰ながらに支援する西村光義。そしてもう一人はこの屋敷の主人、名を藤右衛門という。

「これはこれは、わざわざ西村様が直々においでくださいますとは、恐れ多い事でございます。仰っていただければ、こちらからお伺い致しましたものを」

 藤右衛門は、恐れ入った表情で光義をちらりと見ながら、恭しく平伏した。

「うむ。儂も一度は、其方に来てもらおうかと考えたのだがな」

 光義は、恐縮する藤右衛門の前で用心深げに左右を見回すと、不意に身を乗り出した。

 光義の姿勢に只ならぬ気配を感じ取った藤右衛門は、すかさず光義の口元に耳を近付ける。

「最近の耶蘇会は、京での評判もあまりよくない。コエリョ様の周辺でも太閤様の息が掛かった連中が目を光らせておってな。それに、儂らが今進めておる計画は、ヴァリニャーノ様にも知られてはまずい。だからこうして、儂のほうから訪ねて参ったのじゃ」

 比較的温暖な地とはいえ、この時期は一年のうちでもっとも寒い。藤右衛門が言葉を発する度に、吐き出される息が白く曇った。

「それより、其方の商売はなかなか順調のようではないか。コエリョ様も我が事のように喜んでおられるぞ」

 藤右衛門は再び恐縮し、深々と頭を下げた。

「コエリョ様から、そのようなお言葉をいただけるとは有り難く存じます。それもこれも、コエリョ様と西村様のご配慮、そしてぜず様のご加護のおかげでございます」

 ここで、藤右衛門は心配そうに顔を上げる。

「で、コエリョ様のご容態はいかがでございますか」

「うむ、残念ながら、あまりよくない。医者の申すには、もってあと半年かもしれぬという話じゃったが、あと半年というのも怪しくなっておる」

「左様でございますか」

 藤右衛門は、暗い表情で庭に顔を向ける。視線の先で、昨年の夏に植え付けた(おが)霊木(たまのき)の白く大きな花が、はらりと落ちた。

「ところで、種子神社の件はどうなっておる」

 光義が腕を組みながら、気を取り直したように尋ねた。

「はい、洞はほぼ完成しております。例のものは、次の新月の晩に全て運び込んでしまおうと考えております。神社は、洞を埋め戻した後、地元の名主に命じて、祠を造らせる手はずになっております」

 藤右衛門の言葉を頷きながら聞いていた光義が、ふと厳しい顔になった。

「よいか、太閤様の手の者による監視の目も日に日に厳しくなっておる。くれぐれも外に漏れぬよう、気を付けるのじゃぞ。外に漏らす恐れのある者は、容赦なく切って捨てても構わん」

「はい、承知致しております」

 藤右衛門は、静かに、しかし力強く言葉を返した。藤右衛門の言葉に安心したのか、光義は思い出したように、自らの素襖の胸元に手を入れた。

「そうそう、忘れておった。今日は、これを其方に託そうと思ってな」

 言葉とともに光義が取り出したのは、一通の手紙だった。藤右衛門は、不思議そうに覗き込む。

「これは?」

「コエリョ様からお預かりした文じゃ」

 光義の言葉に、藤右衛門は今一度、手紙をつぶさに観察した。和紙とは明らかに異なる質感の紙である。

 光義は、手紙を藤右衛門の鼻先までさらに近づけると、無言のまま顎をしゃくり、受け取るように促す。藤右衛門は、勧められるままに両手を伸ばし、畏まりながら受け取った。

 手紙を両手の上に載せたまま、上目遣いに光義の表情を観察する藤右衛門。光義が手紙を差し出した意味を計りかねているのか、その表情には戸惑いの色が含まれていた。

「これは、ただの文ではない。開いてみよ」

 藤右衛門の戸惑いを予想していたのだろう、光義は表情を一切変えることなく、手短に指示する。言われるまま、藤右衛門は慎重な手つきで手紙を開く。

 縦長の細い文字が、横書きに羅列されていた。どうやら、南蛮の人々が常々用いている文字であろうことは、藤右衛門にも容易に推測できた。

「南蛮の文でございますな……」

「左様。それこそが、コエリョ様が何よりも大事になさっておられた、耶蘇会に代々伝わる秘法が書かれた文じゃ」

「なぜ、このような大切なものを私のような者に……?」

 畏れ多い表情を見せる藤右衛門を強い視線で捉えながら、光義はゆっくりと、力強く言葉を繋いだ。

「先ほども申した通り、最近、コエリョ様の周辺は、何かと物騒になっておる。もしもの事があった時、このように重要な文が太閤様の手の者に渡っては、ぜず様に申し訳ない。そうお考えになったコエリョ様が、其方に託すことをお決めになられたのじゃ」

 二月の冷たい風が、庭の招霊木に吹きつけた。寒風を受けた花が、ゆらゆらと危うげに揺れた。


         *


 この日の会合から三月の後、天正十八年四月四日にコエリョはこの世を去った。

 コエリョの死から間もなく、佐川藤右衛門の屋敷は原因不明の火事によって焼け落ち、少なからぬ人々が犠牲となった。

 太閤秀吉に近しい一派による犯行との噂もあったが、真相は藪の中であった。

 そしてこの事件以降、コエリョの手紙と佐川藤右衛門の所在は、誰も知らぬところとなったのである。

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