009,街道のハンター scene6
「ガアアアア!」
セレネに向かって少年は吼えた。またしても少年の体を中心として魔力の奔流が迸り、周囲へと発散されていく。
セレネは手に抜き身の剣を提げたまま、普段と変わらない涼しげな顔をして佇んでいる。赤味を帯びた魔力の奔流が彼女の青銀色の髪を靡かせ、きらきらと輝いていた。
土砂を巻き上げるほどに地面を蹴りつけ、セレネに向かって少年は飛び上がった。直後、セレネのすぐ横の地面に大剣が叩きつけられ、地面が弾けた。
セレネはいつの間にか掲げていた剣もそのままに、少年の顔を殴りつける。顔面を陥没させかねないほどセレネの拳が少年の顔にめり込んだ。
少年は血を吐き散らしながら、手放さなかった大剣と共に吹き飛び、地面を転がった。
剣を下ろしたセレネがゆっくりと少年の許へと歩み寄る。砂利を踏む音が響く中、地面に倒れていた少年が呻きながらも身を起こす。でたらめな方向に向けられていた瞳が、セレネを捉えて焦点を結ぶ。
「アアアアアアアア!」
三度吹き上がる少年の魔力。そのでたらめな大きさに、男は歯噛みした。
少年の魔力は全方位に向かって発散されている。見るからに暴走状態で、ただただ力を吐き出している、そんな有様。増幅の過程も経ず、指向性も定めず闇雲に放射しただけの魔力がこれだけの衝撃を周囲に広げるのには、いったいどれだけの魔力が必要なのだろうか。それは男には想像することすら困難なほどの莫大なもののはずだった。
少年は地を蹴り、怒涛の勢いでセレネに斬りかかる。それはもはや剣筋、と呼ぶことすら躊躇われるような、手にした鉄の塊をただただ相手に叩きつけようとするだけの動き。だがその勢いはすさまじく、生半な戦士であれば力尽くでねじ伏せてしまうだろうほど。
しかしセレネは涼しい顔を崩すことなく、少年の振り回す大剣を避け、いなしていく。
「ガアアア!」
大きくなぎ払われた大剣をセレネは剣で受け止めた。もともと完全に止める気もなかったのか、勢いに押されるままに吹き飛んでいく。しっかりと着地したセレネに傷はない。だが、わずかに乱れた髪が頬に張り付いていた。
「あの女……」
男は苛立ちから気配を露にしそうになった自分をどうにか抑え込んだ。
セレネが何を考えているのかは知らないが、少年を殺す気がないことは明らかだった。あんなデタラメな攻勢に律儀に付き合ったりせず、さっさと腕なり足なり斬り飛ばしてしまえばいい。セレネにはそれができるだけの力量があることは明白だった。もっとも、このあいだ盗賊として相対したときのように、少年が正体不明の能力で四肢が体から離れても襲い掛かってくる可能性はあるのだが。
はたしてセレネはそれを承知の上で立ち回っているのだろうか? 洞窟の中から戦いは始まっていたようだから、そのときに首のひとつも飛ばしていたかもしれない。
悔しいが、あの女は強い。もし本気で殺すことを考えるなら、まずは、直接武器を手に相対しない方法を考慮するくらいには。
手の内までが見透かせているわけではないが、セレネの武器が剣術ひとつでないことくらい男にもわかっている。銀級ソロは伊達ではない。それどころか、底が見えていないという意味では、ランクで計れない域にある可能性が高い。
暴走している少年の力が長続きしないと見ているのかもしれないが、だとしてもダメージを与えたほうが損耗は早いはずだ。
やはりセレネは少年を殺さないように立ち回っている。
なぜか? そんなことが男に分かるわけもない。それでも胸中で繰り返しそう問い続けるくらいしか、男にできることはなかった。あの二人のあいだに割って入って、好き勝手できるだけの実力が、男には備わっていないからだ。
「アアアアアアアア!」
またしても少年が叫ぶ。
目の前の敵が一向に倒れないことへの怒り、焦り、男にはそんなものの発露に見えた。
直後、セレネは少年の大剣を今度は真正面から受け止めた。剣戟の余波で、青銀色の髪が大きく後ろに向かって靡いた。
生と死の境界線と言える刃の交わりを挟んで、至近距離でセレネが少年に向かって何かを口にした。。
少年のほんの一瞬の忘我の表情に、セレネは大きく大剣を弾き飛ばした。離れた場所に大剣が落下して転がる一方で、少年は両手で頭を抱えてうろたえていた。
男が様子を見ている樹上にまでセレネの声は届いてこない。セレネが何事か話したことで少年の様子が変わったことは分かるが、理解できているのはそこまでだ。
顔をしかめた男の視線の先で、少年は涙を流しながら叫んでいた。
「おれはああああああああ!」
(うるさいな……いい加減黙らせるか)
男は筋弛緩作用のある毒物の入った小瓶に手を伸ばした。冷静さを欠いた、衝動的な行動だった。が、結局それを手に取ることはなかった。
(わかったよ……)
敵意もあからさまに、セレネが睨んできたからだ。手を出すな、そういうことだろう。
セレネを敵に回して少年を殺すのは難しい。いまは他のハンターたちも出てきていないが、いくらなんでも洞窟の中あたりから様子を窺ってはいるだろう。個人で脅威になり得そうなのはハゲくらいのものだが、男の手札ではどうしたって集団をまとめて相手取ることは難しい。
結局、己の力不足なのだ。我を通せるだけの力がない、自分のせいなのだ。
「ソル!」
そのとき、突如として洞窟前に現れたのは、少年とともに馬車に乗っていた少女だった。あのときのぼろぼろにされた修道女らしき格好ではなく、村娘然とした地味な服装をしていた。袖の周りや裾の辺りの汚れや傷みから、少女が森の中を必死で走ってきたことが窺えた。セレネに気を取られていたとはいえ、まったく気配を隠していない少女の接近に気づいていなかった己の迂闊さに、ますます苛立ちが募る。
「ふ、ろら……?」
蹲った少年は顔を傾けるようにして自身の名を呼びかけた人物を視界に納める。溢れ出る涙が側頭部に向かって流れた。
「やめ……み、み……るな……」
縮こまって震える少年の声は当然、男には聞き取れない。もっとも、聞き取れたとしても、聞き取ろうとしたかどうかは疑問だ。
男は樹上から地上へと降り立った。そのままスタスタと歩き、洞窟前の空間に進み出る。何気なく、何に憚ることもない悠然とした歩み。一方では少年が、泣きながら自分を見るな、などと沐浴を覗かれた生娘のようなことを少女に向かって喚きたてていた。セレネだけは横目で視線を向けてきたが、それだけだ。
男が洞窟に入っていくと案の定、そこには何人かのハンターたちがセレネや少年たちの様子を見守っていた。
「中はどんな感じだ?」
「あ、あんたよくあれ無視して普通に通ってきたな……」
驚愕を顔に貼り付けたハンターに構わず、男は先端に小さな魔石の取り付けられた、発火魔術を発現させる術式の刻まれた棒状の着火道具を用いて煙草に火を付けた。
ため息のように煙を吐き出す男の背後、洞窟の外からもう何度目になるのかもどうでもいい少年の魔力の放射が空気を震えさせていた。
「あの女がなんとかすんだろ。それより中は?」
「あ? ああ……。ヘンリーが先頭切って突入してる。あのガキが暴れたせいで盗賊連中はかなり打撃を受けてたみたいで、ほとんど抵抗なかったよ」
「んで、あんたらはあいつらの監視?」
「監視っていうか、まぁそうか」
「わかった」
(つーかヘンリーって誰だよ)
煙草を投げ捨て、男は洞窟の奥に向かって歩き出した。洞窟の外からは少年と少女の大きな声が聞こえていたが、男が振り返ることはなかった。
◇
洞窟の内部は全体的に広く、天井も高い。灯りこそ疎らではあるが、閉ざされた空間特有の密閉感はかなり薄い。そこかしこに木材が持ち込まれ、内装も整えられている。ハンターからあぶれたみたいなたんなる荒くれ集団ならば、こうはならなかっただろう。どの種の人間が盗賊などに身をやつしたのかが窺える光景だった。
通路の片隅に、物言わぬ骸と化した盗賊が転がっていた。うつ伏せに倒れ、死因になりそうな傷は見られない。だが一見して五体満足なところを見る限り、少年ではなくハンターたちの仕業と思われた。
討伐依頼に関しては、それが実際になされたのかどうか、証しを立てる必要性がある。今回は依頼主側から派遣されている御者や馬子がいるのでわざわざ生かして捕まえる気もないのだろう。
ひっくり返して顔を拝んだところで個人を識別などできないので、そのまま放っておく。
さらに奥へと進んでいくと、ちらほらとハンターたちと出くわすようになってきた。固まって行動していないあたり、すでに警戒が薄れているらしい。
「もう盗賊は片付いたのか?」
「いや、奥でまだ残党が抵抗してるみたいだ。ま、ヘンリーの奴がなんとかすんだろ」
ハンターのおっさんはそういって盗賊のものらしい酒を呷っていた。
「あんたもどうだい?」
「いや、やめとくよ」
男が酒の勧めを断ると、おっさんは少し難しい顔をした。
「そいつはご立派な心がけだな」
「そんなんじゃねえさ。ミルクしか受け付けねえクソガキの口なんだよ」
去り際にそんなことを言うと、おっさんは「そりゃあ難儀なこったな。がはは!」と笑った。
さらに歩みを進めていくと、確かにすでに事態は収束しているといっていい有様となっていた。そこかしこに転がっている死体は軒並み盗賊のものばかり。もとより勝ち目のない戦力差ではあったが、件のガキの襲撃で混乱していたのだろうから無理もない。
「お? 仮面野郎じゃねえか」
前方からハゲが数人のハンターを引き連れて姿を現した。どいつもこいつも、手に手に荷物を抱えている。
「なんだ、もう終わったのか」
「おう、おめえが隅っこで震えてるあいだに片付いちまったよ。ところでセレネがどうしてるか知ってるか?」
「外でやりあってたよ。どうなったかは知らん」
「そうか。ま、負けはないと思うが……。じゃあお前もこの先の部屋から荷物を運び出してくれ。連中けっこう貯め込んでいやがった」
ハゲの言葉で、周りのハンターが手にした荷物をわざとらしく持ち上げてみせる。
「依頼主の品は難しいかも知れんが、他は分けちまって構わんだろ」
ハンター連中は口々に「どうせなら女も貯め込んでおいてくれりゃよかったのによー」などと軽口を叩きながらすれ違っていった。
そのうちの一人が振り返り、
「目ぇ通してあっから、ネコババなんてやめとけよ」
と言い残して去っていった。
盗賊団の首領であるチャールが現場に出ていた頃は、女子供は極力傷つけないように、という方針があった。昨今、分裂気味となってからはそんなことはお構いなしな連中が多く実働していたのでうやむやとなっていたが、初期に団に加わりチャールに同調している派閥も多少は存在し、本拠地側でおおっぴらに女子供が囚われることはなかったのだ。もっとも、男が抜ける以前から好き勝手する過激派は台頭していて、チャールが首領を追い落とされるのは時間の問題と言える状況ではあった。
「……」
首領の部屋で、チャールは死んでいた。そのほかにも数人の盗賊の死体が乱雑に部屋の隅に転がされている。
男が団を抜けてからまだひと月も経っていないが、好き勝手にやりつつも派閥としてはチャール派と見られていた男がいなくなっても、即座に首領の座を追われないくらいには、チャールは慕われていたらしい。
それとも単純に、ハンターたちに追われ、最奥に位置するここまで逃げ込んできただけか。男には分からなかった。分かりたくなかったのかもしれない。
中身が運び出されているせいで部屋はいくらか広くなったように見えた。床には割れた酒瓶とその中身がぶちまけられているが、目立った争いの痕跡は血痕の他にはそれくらいだ。
酒の類いは真っ先に運び出されたようで、部屋の中には残されていない。だが、洞窟に似つかわしくない高級品のソファの傍ら。テーブルの上にグラスが載せられていて、そこには飲みかけらしい酒が少しだけ残されていた。
男はそれを手に取り、チャールに歩み寄る。
グラスを傾け、しかし、中身が零れる前に静止する。
足元で、物言わぬ屍と化した男の、酒を勧める声が聞こえた気がした。
男はグラスの中身を一息に呷った。
「まず……。こんなもん、よくいつも飲んでやがったな……」
男は空になったグラスをテーブルに戻した。