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Villain:Side  作者: 昼の星
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054,死出の森 -Lady- scene3

 魔物の咆哮はそう遠くない距離、山側から聴こえていた。

 件の少女と厚着の男らの誘導に乗せられなかったものなのか、それともさらなる山奥から誘導されてきた途中のものなのか。もしかすると一連の事とは関係なしにたまたま近隣から移動してきただけの魔物なのか……。事情は分からないが、そんなことは今は問題ではなかった。

 男にとって問題なのは、魔物の存在が自分に有利に働くかどうか、だ。

 相手を斬り付けるためには踏み込みの一瞬が必要な距離で男とセレネは向かい合っている。互いにその一瞬は超えない範囲で魔物の咆哮に注意を払っていた。

 この状況……望ましいのは、やはり魔物とセレネが殺し合う状況だろう。その間にどうにかして自分だけはこの場を逃れ、ついでにセレネは倒れてくれれば言うことはない……。とはいえ、そうそううまく事が運ぶとは限らない。最悪、自分だけがあっさりと殺される可能性もあるだろう。そしてその確率はそう低くもないはずだ。だが魔物を利用しないとすればどうだ。すでに手持ちの武器はほとんど使い果たし、片手剣と切っ先の欠けた小剣が一本ずつあるのみ。


(先がない)


 全身は疲労で重く、細かな傷が無数にある。なかでも、ついさっき付けられた胸の傷は放っておけば死ぬまで出血し続けそうなものだ。

 この状況で……はたして戦闘を継続して生き延びられる道があるか。


(やるしか、ない)


 魔物を利用しなければ、どの道生き延びることは難しい。その判断の元、男は駆け出そうとした。

 だが次の瞬間、男の目の前には地面が迫っていた。反射的に全身に力が込められると、自身の状態を把握する。振り向きざまに駆け出しているはずだった自分の体は身構えた姿勢から一歩も動くことはなく、それどころか小剣すら取り落としそうになりながらその場に片膝をついていたのだ。

 理解した瞬間、自分はなぜ生きているのだとの疑念を胸に顔を上げた。するとセレネは、男が意識を失う前と変わらない位置に立っていた。

 あまりに理解不能な事態に直面したことにより、男の頭は真っ白になった。

 なぜ殺さなかったのか。

 その思いが明確に形になるより以前、まだおぼろげに像を結んだときすでに、男は全身が炎に包まれたのではないかと錯覚するほど熱を発するのを感じていた。

 致命的な隙だった。あまりにも。

 互いの命に到達するはずの踏み込みの一歩、それを詰めて斬り捨てるのに補って余りある隙だったはずだ。

 それを見逃された。生かされたのだ。

 セレネほどの剣士が、意図せず好機を逃したとは考えられない。間違いなく意図したものだ。

 煮えたぎる感情のまま剣を握り締めた男がセレネに向かって吼えようと膝を浮かせた瞬間、セレネは足元の塵のみならず、落ち葉や枝が巻き上がるほどの魔素を展開させた。渦巻く風の中に水が混じりだし、見る間に複数の小さな水流となってセレネの周囲を巡り出した。

 それを目にした男は、思わず地を蹴っていた。もはや何も考えられない。身の内にあるものはただ、怒りそれのみである。見た瞬間に理解したのだ。これがこの女の本気なのだと。

 いかに魔法を近接戦闘で併用できようと、それをしない者はいくらでもいる。習熟度合いはもちろん、得手不得手もあり、剣なら剣だけに集中したほうが実力を発揮できるということが珍しくないためだ。

 だが目の前の剣士は違う。目の前で見たその魔力、淀みのない展開は間違いなく併用に足るものだった。

 ならばなぜ、男との戦闘おいてこれまでそれをしなかったのか。致命的な隙を見逃されたことと無関係ではないだろう。

 つまり、手を抜かれていたということ。

 男が死力を尽くして逃げようとしているのを、余力を残しながら弄んでいたのだということ。

 理由など知らない。ただその事実だけで、男の脳は思考を拒絶していた。

 男が剣を振りかぶって地を蹴ると、セレネの纏った水の帯が膨らみ、三箇所から砲弾のごとく水が射出された。


(知るか!!)


 それはもはや自殺だった。ずっと手加減されていたということは、いつ殺されてもおかしくなかったということ。そんなものはすでに死んでいたのと変わりないではないか。ならもうどうでもいい。一瞬の間にそこまで深く考えていたわけでもないが、心の動きを追いかけてみればそういう理由で、男はもう避けることも防ぐことも考えず、ただセレネに向かって剣を振り下ろすべく飛び込んでいた。

 セレネの眼前に、男は着地する。当然、互いの剣の間合いの内側である。しかし双方の剣は今、血を滴らせてはいなかった。そして、男の体にもまた、魔術に穿たれた穴はない。


「ゴルォオオオォァアア!!」


 背後から聞こえたその声に男が振り返れば、そこにはおそらく熊あたりの魔物が後ろ足二本で立ち上がり吼えていた。その体長は見上げるほどに巨大で、前と後ろ、両方の足が人間の胴体以上に太い。そしてその前足の片方、反対側の脇腹と後ろ足の三箇所が、近くの大木ごと氷付けになっている。その光景には見覚えがあった。それは言うまでもなく、セレネから逃げようと森を走るさなか、散々浴びせられた魔術に相違なかった。

 丁度いい。セレネがやる気ならそのまま逃げてしまえばいい。そう思いながら男は、


「邪魔だあああああ!!」


 と、魔物に向かってそう吼えていた。

 そして踏み出す方向を間違える。長剣を魔物に向けるセレネの脇を抜けるための一歩は、それと真反対の方向へと踏み出されていた。

 おそらくふだんの7割がいいところの加速で魔物に迫り、氷付けにされていないほうの後ろ足をすれ違いざまに手にした剣で薙いでやる。両断とはいかないまでも、皮を越えて肉まで刃の届いた感触がした。


「ゴォロアアァアアア!!」


 吼え猛る魔物を振り返れば、漆黒の体毛が、紫色の輝きを帯びだす。いつか殺したのと同じく魔術らしい魔術はほとんど放ってこない肉弾戦系の魔物のようだ。が、ただでさえ並みの鋼など跳ね返してしまうような体表を持った動物が、魔物化して魔素まで纏ったとなれば、それはもはや存在自体が止めようのない大魔術のようなものである。

 魔物は身をよじるようにして暴れ、前足を戒めていた氷を砕き散らした。そして体勢を崩し、後ろ向きに倒れてくる。狙ったわけでもないだろうが、男が押し潰される位置関係だ。

 男が横っ飛びに逃れると、衝撃と風圧が全身に襲い、飛び出した勢いが加速して大木に叩き付けられた。胸の内で煮え滾る思いに釣られて視線を上げれば、倒れた拍子に腹部と後ろ足の戒めを解かれた魔物が、体勢もろくに整わない内から涎を撒き散らして四足でセレネに向かって突進しようとしていた。

 瞬間、魔物が水辺に突っ込んだかのように水が巻き上がった。それは男の身長をも超える魔物の体高を倍するほどの水しぶき。考えるまでもなく、セレネの魔術だ。

 これまでの戦闘に鑑みれば、水しぶきは瞬きする間に凍りつき、再度魔物の動きを戒めるはず。しかし紫を帯びた漆黒の肉体に触れた水の大半は弾かれて四方に飛び散り、蒸発したように消えた。

 それでも魔物の体を下から押し上げるように水は凍りついた。静止したその巨体目掛けて、立ち上がった男が走る。

 地を蹴って宙に飛び出した男は剣を構えた。見据える魔物の体表に紫の輝きはない。セレネの魔術に相殺され、一時的にその保護が失われているのだ。一撃で斬り飛ばせるとは思わないが、それでも急所には違いない。うまくすれば殺せないまでもほとんど戦闘不能の状態にまで追い込める可能性はある。

 しかし男が斬り付けようとした瞬間、魔物が再度後ろ足二本で立ち上がろうとするかのように、前足の氷を砕きながら体を起こした。

 剣に勢いを乗せるための空間に割り込まれ、刀身は虚しく漆黒の体毛を叩いた。そして空中で通りすぎるはずだった場所に魔物の巨体が迫り、見た目以上にごわごわした体毛に包まれた岩のごとき筋肉に衝突した男は、転がるようにして宙に投げ出された。

 水中で漂う藻類のように半端に天に向けて立ち上っていた氷をバキバキと砕きながら、男は地面に落下した。攻撃はうまくいかなかったものの、魔物にしても氷から逃れようと動いただけなので、男にたいした損耗はない。

 しかし疲労の色は隠せず、素早くその場を飛び退くことはできない。もたついている間に魔物の爪が振り下ろされた。獣らしい、怒りに任せた大振りの一撃であり、同じく沸騰した男の頭でも回避は容易だった。

 最初の一撃こそ砕いた氷が飛礫のように撒き散らされて近づけなかったが、二撃、三撃と振り下ろされる前足にはさほど気を払う必要もなかった。風圧にだけ巻き込まれないように位置を変えながら、輝きの戻らない内にと振り下ろされた前足に斬りつけていく。

 殺意に取り付かれた魔物にしてみれば大した痛みでもないだろうが、それでも一方的に痛めつけられる状況に苛立ったらしい。魔物は前足を振り下ろしざまに大口を開けて首を伸ばし、それすら後方に飛びすさって避けた男に追いすがるようにして突進した。


「チッ!」


 男は切っ先の欠けた小剣で魔物の鼻頭を押さえつけながら、剣の柄を魔物の顔に目掛けて叩き付ける。体勢が崩れていたために狙いを付けるのは困難であり、魔物の体表にも薄っすらと魔素の靄が戻りつつあった。


「グルゥァアアァ!」


 口の中に収まらない男に苛立つように、魔物は男を貼り付けたまま勢いよく頭を振り上げた。

 男の身長を倍するほどの魔物の体長をもさらに超えて男の体が宙に投げ出される。眼下で男の姿を追いかけているらしい魔物の姿を認識した瞬間、


「がっ!」


 大樹が伸ばした太い腕に、したたかに背中を打ちつけた。時が止まったような一瞬に、眼下の光景を見る。大口を開けて、吼えているかのような魔物の姿。そして、少々の距離を置いて、長剣を両手で持って下段に構えているセレネ。その足はしっかりと地面につけられているのに、銀色の髪がふわりと風を孕み、宙に踊る。それを視認したとき、対照的に男の体には重さが戻り、為すすべなく死への落下が始まった。

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