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Villain:Side  作者: 昼の星
51/55

051,死出の森 -Boy- scene4

「がっあああああ!」


 少年がくの字の格好で大樹に背中を叩き付けられた。

 男は剣を握った己の手元を見下ろした。なぜいま、自分は少年に止めを刺さなかったのかと自問する。

 あとはばっさりと斬っても良いし、心臓あたりを一突きにするのもいい。そういう状況を作り出した。だが結局、男がとった行動は少年の腹部を蹴り飛ばすという、これまでにも何度か取っていた日和見の選択だった。


(何をしている……!)


 いい加減、少年に対してよりも自分自身の不可解さに苛立ちを覚えてもいたが、大樹の根元で膝をついていた少年が、ふたたび剣を手に立ち向かってきたことで思考は中断された。


「無駄だ!」


 少年の剣を絡め取るように剣を絡ませながら、さらに内の間合いへと踏み込み、少年の顎を左手の掌底で打ち抜く。

 少年は一瞬、ふらふらと後ずさる。その様はほとんど無防備であり、その気であればいかようにも傷つけることが可能だった。

 しかし男はそれはせず、代わりに口を開いた。


「本気でこいよクソガキ」


 服も泥で汚れ、傷ついた装備にこびりついた血潮。そんな満身創痍にも見える格好の少年は、乱れた髪の隙間から男を睨み返した。その目には、まだ光がある。

 自分が決定的な隙を晒していたことくらい、少年にもわかっているはずだ。それを生かされている、殺されないなどと馬鹿げたことを考えているのなら、その勘違いは即座に正されねばならない。


(そうだ。こいつを殺さないのは……)


 死の淵にその身を投げ出されても、魔術を使ってこないからだ。

 魔術も使える剣士であっても、接近戦においては剣のみで戦う、というのは別段珍しい話ではない。魔術の制御、併用には当然、相応の意識を割かなければならないし、そんなことをする手間で剣術を扱ったほうが手っ取り早いという状況が多いからだ。選択肢として持っておくに越したことはないし、併用できれば幅は広がるが、それが強さに直結しているかと言えば必ずしもそうではないということ。

 しかし少年は使っていたではないか。併用が噛み合っていたかはともかく、暴走状態でセレネと戦っていたときは甚大なる魔力を放っていた。それがこの森で戦っている最中は、その片鱗ですらただの一度も発揮されていない。

 そんなものが本気だと言えるだろうか。そんな、実力を発揮していると言えない少年を殺したとして、本当にあのとき樹上で抱いた感情を払拭できるのだろうか。


「俺は、本気で……」

「ああ!? 魔術だよ! 使えんだろうが!!」


 こうまで感情も露に声を荒げたのはいつ振りだっただろうか。ブレナスらに欺かれ、王都の騎士どもに殺されかけたときでさえ、こうは叫ばなかった。感情を露にすること自体、そうあることではない。ほんの一瞬、懐かしくも忌まわしい顔たちが脳裏をよぎる。


「使わない」

「あ?」


 少年は苦しそうに顔を歪めながら、視線だけを周囲に走らせそう呟いた。


「ふざけんなよこのくそ……」

「俺は! 使わない!!」


 男の言葉を遮って、少年は吼えた。口の端からも血を垂れ流し、赤い雫を迸らせながら。


「そうか」


 全身に大小様々な傷を負い、泥と血に塗れながらも、少年の瞳は紅く煌いている。


「なら」


 少年の腕が細かに震えている。だがそれは、もはやすでにただの疲労でしかありえないと、視線を交わした男は覚った。


「死ね」


 けたたましいほどの金属音とともに、白刃が宙を舞う。その瞬間、男の目の前にあったのは無様に手を上げて隙だらけの状態でありながら、それでも真っ直ぐに睨み返してくる少年の姿だった。

 少年の掲げた剣が振り下ろされ、威力が乗せられるよりも先に、男はそれを弾き飛ばしていた。

 初速の差。それは可動する肉体の強さ如何のみならず、状況判断の早さ、そして次なる行動への備え、そうした様々な要素により、男は少年の行動を受けてなお、その機先を制した。もはやそこに、あれこれと面倒くさい理屈を考えている余地は存在しなかった。

 男は振り上げていた剣を振り下ろさんと、剣を返した。そしていざ少年の体に剣傷を刻まんとその腕に力を込めようとした。

 その刹那。

 男の視界の端で何かが煌き、それと同時に魔素の揺らぎのようなものを感知した。

 とっさに剣を上段に控えさせたまま、男は後退する。少年を殺すことに固執して、何か損害を被るのは馬鹿馬鹿しい。目の前にあるのは、その気になればいつでも奪える命だ。そういう判断。

 男は飛び退きながらも飛来する何かを注視する。それは揺らめき、木漏れ日に煌く水の帯のように見えた。その先端に違和感を覚えた直後には、水の帯は男の目の前にまで迫っていた。退かなければ自身の下半身辺りに浴びることになっていただろうそれは、ほんのわずかに行き過ぎたところで巨大な氷柱と化して聳え立ち、男と少年とを分かった。四方八方へと腕を伸ばしたつららの複合体は針山のようでもある。

 男の背筋がぞくりと震えた。それは目の前の氷柱が引き連れてきたらしい冷気のためではない。ましてや、白く濁った氷柱の向こう側にいる少年のためなどでは、絶対にあり得ない。


「大丈夫か! ソル!」


 その声の主。氷魔術らしきもので男の邪魔をしたらしいその元凶。

 男の瞳の中に、確かにいつか見た女剣士の姿があった。無意識にその姿に結びつく者の名前が口から滑り落ちる。


「セレネ……」


 次の瞬間、男は剣を鞘に収めることさえ後回しにしてその場を飛び出していた。本来であれば森を抜けるために砦の方へと向かいたいところだったが、それぞれの位置状況から、少なくとも一旦は山裾の方へと向かわざるを得ない。

 目の前に氷柱が立った一瞬、少女を連れ去った厚着の男が戻ったのかと思考したために判断が遅れた。

 そもそも少年が一人きりで先行していた理由が不可解ではあったが、十分に予想された事態に男は歯噛みした。


(追ってくるか?)


 まず間違いなく少年を追ってきたのだろうセレネにしてみれば、その身柄の確保こそが第一に達成すべき目的であり、その次は当然、少年の治療なり安全の確保が目的に挿げ変わるはず。そうなれば、いかに当の少年を痛めつけた犯人といえど、安易に追跡してくるかは疑問である。

 それよりもむしろ、山側へ向かって逃げている現状では、強大な魔物の存在にこそ気をつける必要があるのかもしれない。

 聳え立つ山の向こうにいったい何があるのか。いまだ大陸の人間がだれひとりとしてそれを知らないのは、その地に蔓延る数多の強大な魔物の存在が大きい……とされている。なにせ生還するものは、結局、奥地にまでは踏み込めなかった者たちだけなのだ。

 王国の北方、その向こうを知るは死者のみである。そのくらいのことは、ハンターとしての人付き合いがかなり悪い男であっても知っている、旅する者たちの常識だ。

 徐々に木々の間隔が開け、地面の傾斜が一方的になるにつれ、まだ見ぬ脅威の存在に男の足が知らず鈍りかけた。

 そのとき、男を追い越して背後から何かが視界の中に飛び込んできた。いや、何かではない。それは少し前に一度、目にしているものだ。駆け抜ける視界の端に一塊の氷柱が聳え立つ。男はそれを横目にひとつ舌打ちをした。

 直後、さきほど少年を前にして感じた魔術の気配が男の背筋を這い登る。どうやら今度はしっかりと狙いを定められたらしい。

 わずかに振り向いて背後を窺えば、そこには三たび目にする水の煌き。そしてその向こう側には長剣を手に追いかけてくる女の姿。


(セレネ……!)


 それなりに傷を負っているはずの少年を、魔物が異常発生しているという森に置き去りにしてまで追いかけてくるのか。

 すでに視認可能な距離にまで追いすがられている状況に疑念が湧き上がる。たしかにセレネは強いが、それにしたって単純な移動速度においてまで大きく劣ることがあるだろうか。セレネの経歴など男は知る由もないが、いくらか年下だろう盗賊狩りの女ハンターに、山野を駆けている経験で負けているとは思えない。

 と、不意に前方の木が凍りつき、進路を塞ぐように氷柱が突き出てきた。男は寸でのところで体を捻って氷柱を避けて通過する。後ほんの少しでも遅れていれば、勢いのままぶつかるか、最悪の場合は氷柱に貫かれていたかもしれない。直接狙うのでは魔術の気配を覚られ対処される。セレネはそれを避けて進路を妨害するつもりらしい。

 多少は範囲が離れても魔素の躍動する気配は窺えるものだが、必死に逃げている最中にそこまで些細な感覚を掴み取るのは難しい。ましてや、魔素を扱える力が極端に弱い男には。


「くっ!」


 今度はさきほどよりも離れた前方に氷柱が突き立つ。氷柱は疎らに伸び、その先に生えている木の幹や、上に張り出している枝葉にまで及ぶ。それはもはや氷柱と言うよりも、氷でできた網となって男の進路を塞いだ。

 勢いのままに突っ切ることはできないか。男の思考に迷いが生じる。

 逃走速度を落としてまで剣を抜いたところで、氷柱の先端くらいならばともかく、厚みのある根元付近、ましてや網のように進路を塞ぐ氷を速度を落とさないまま突破できるとは思えない。

 なるべく進路を変えないように通りすぎるしかない。だが……。


(迷っている余裕はない!)


 横に逸れるにしても、判断が遅れれば遅れるほど、直角に近い角度で折れる必要が出てくる。そうなれば、わずかばかり距離が伸びるのはまだしも、速度を維持できなくなる。

 決定的な判断材料を見つけられず、判断も定められないまま進路を右方向へ修正する。

 と見せかけ反転する。視線だけでセレネを窺うと、魔術の煌きが寸前まで向かおうとしていた方へと飛翔するところだった。


(やはりな)


 男の動きを見て、その進路を塞ぐ心積もりだったのだろう。たとえそれを読んで反転したところで速度が落ちるのは同じだが、それでも捕まるよりはいくらかマシだ。心底嫌らしいと思えるのは、さらに右方向へ折れて進路を直角に近い角度で横に変更していたら、進路を塞がれるどころか、直撃しかねないところへ魔術が放たれていたことだ。

 とにかく、反転して逃走しなければ。そう思い足に力を込めた瞬間だった。

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