005,街道のハンター scene2
理屈は簡単だ。ただ治癒術を使いながらナイフを刺しただけ。
何カ国にも渡って影響力を保持している教会は治癒術を魔術とは異なるものだと定義しているが、実際の行使に大した違いはない。
たいていの魔術はその発動に際して何らかの余波――魔力操作に伴う発光現象であったり、生じさせた物の残滓であったり――を視認させるものだが、ごく小範囲、小規模の術の発動に伴うそれらはそう目立つものでもない。
心臓とその周辺の太い管をなるべく避けて、胸のあたりの骨のあいだに短剣を突き刺してやる。そして素早く、もといほぼ同時に、短剣による傷を治癒するのだ。傷が癒えたとしても、短剣は当然その場に残る。ただそれだけのこと。
異物が体内にある状態でなぜ痛みを訴えないか、とは男も考えたことがある。正直なことを言えば、厳密に理屈を説明できるだけの理解が男にはない。おそらく、と考えているのは、異物が存在している状態で治癒しているため、それが正常な状態となるように肉体が再構築されているのではないか、という説だ。長くそのままでいればやがて違和が生じてくるかもしれないが、それを試したことはない。
ちなみに心臓を避けてもうまくいかなかったことはある。つまりは分のいい賭けでもあったのだが、今回はうまくいったようだ。
もし馬面が死んで、その服の胸の部分に穴が空いていたとしたらどうだろう。たとえその穴の下に傷が見当たらなくとも、死の直前に近づいた男が疑われるのは必然だろう。
しかし仕様がない。こうでもしなければ溜飲を下げることはできなかったのだから。
ほんの一瞬だけ露にした男の表情に気づいた者が、はたして何人居ただろうか。少なくとも、その中に男と関わり合いになろうという人間はいなかったらしい。
男は誰に邪魔されることもなく、間仕切りのごとく並んだ壁に張り付けられた紙切れに目を通していく。それらは人手を頼む依頼書であり、大雑把に仕事の内容や報酬について記されてある。依頼の内容は様々だ。街中で行うたんなる雑用めいたものがあったかと思えば、大人数で組んで強大な魔物を討伐するという大掛かりなものもある。依頼の受注には制限があり、ギルドの定める条件を満たしていない者は依頼に挑むことすら許されない。
ではギルドの定める条件は何かと言えば、実績である。それまでに達成してきた依頼の数と内容を勘案し、実績の証明となるランクを付するのだ。国に属していない武芸者の多くは各地のギルドで稼ぎを得ている者が多く、ハンターランクは実力の指針になるものとして広く知られている。
男の保有しているランクは銅だ。灰銀、白金、金、銀、銅の五段階ある中では最下位。なのだが、そもそも灰銀や白金などというものはまずお目にかからないものだ。実質的には金銀銅の三段階が目安として一般的で、金は実力者、銀はそこそこ腕が立つ、銅でそれなり、といった具合となる。銅の下にはランクを付されない、通称、石級の者たちが多数おり、銅のランクを付されていればハンターを名乗ることに不足はない。
とはいえ、有象無象が埋もれるありふれたランクであることは間違いない。
男が受付でランクの証となるカードを提示したときに受付の男がほんのわずかに見せた反応としては、案外できるらしいな、というものだった。目立った装備もなく、凡庸な印象を与える男に対しての反応としては自然なものと言える。
ランクの証明となるカードには依頼の達成状況が記録され、ギルドの職員はそれを確認する。個人を特定するような特別な機構はないし、ギルド側がハンター個人を把握しているということもない。カードを紛失すればそれまで。基本は下位ランクからやり直し。それが面倒なら誰かからカードを買い取るのもそう難しくはない。
ハンター個人の情報がギルド側でも記録されるようになるのは銀級から。それ未満の有象無象の情報など、わざわざ把握しておくだけの価値はない。理由は、無駄であるからの一語に尽きる。
「この依頼は銅級から受注可能ではありますが、参加はお一人で?」
「ああ」
「ある程度纏まった戦力と人数が必要との見込みですので、期日までにそれらが集まるまで待機して頂くことになります。構いませんか?」
「ああ」
「では、こちらの用紙にお名前を。代筆は?」
「必要ない」
男は求められるままに差し出された紙に名前を書きこんだ。紙がこうして普通に使われるくらいには製紙技術も発展している。識字率も一昔前に比べれば世界的にもかなり向上しているが、とかく肉体的な強さがあればある程度勤まる仕事が多いハンターには、まだまだ自分の名前すら文字で書けない者も多い。
「では、明日以降、できれば午前のうちにここに来てください。状況を確認しますので」
「ああ」
男はギルドを出て、手近なところに安宿を見つけた。ハンターは町に定住していない者も多いので、そんな連中が集まるギルドの周辺には必然、宿も多くなる理屈だ。
依頼に際して用意しておきたいものがあったので、すぐには休まず男は街に出た。依頼に参加する者のリストに書きこまれている名前の数や職員の口振りから、すぐに依頼に出発とはならなそうだったが、臆病者を自認している男は不安を解消すべく店を見て回った。宿が集まっているのと同じ理屈で、欲していたものは容易に調達できた。
次の日、男は硬いベッドで目を覚ましてすぐに宿を出た。近場の出店でてきとうに食い物を腹に入れ、ギルドに向かう。男は時計の類いを持たないので正確な時刻は把握していないが、まだまだ太陽は高い位置にあったはずだ。
昨日の男とは違う、別の職員に依頼の件を話す。職員は男が名前を書いた用紙を持ち出してきて、
「えーっと、ラットさんですね。まだ人手が足りていないみたいで出発の目処は立っていません。依頼を継続なさいますか?」
「ああ」
「ではまた後日お越しください。お待ちになるあいだ、何か別の依頼をお受けになりますか? 街中のものであれば時間も潰せると思うのですが」
「いや、断る」
やる気に溢れた職員の、未消化依頼の斡旋を蹴り、男はギルドを後にした。職員側が勧めてくる依頼など、面倒な割に実入りの少ないものに相場は決まっている。事実、暇ではあったが、いいように使われるのはごめんだった。
まだ昼前の時間に、すでにやることがなくなってしまった。こんなことなら、昨日焦って店を見て回ることもなかったか、という思いがよぎるが、もし人が集まっていればすぐにも出発という可能性も無いではなかったのだから仕方がない。
暇つぶしに、ふらふらと街を見て回る。
これまで旅してきた中でも、かなり発展している巨大な町だった。街路の整備もしっかりとしているし、人通りも多い。しかもかなり綺麗だ。
(まあ、そのぶんどこかにしわ寄せがいってるんだろうが)
それがこの街のどこかにあるだろううらぶれた一画なのか、それとも近くにある別の町や村なのか。そんなことまでは男に分かるわけもなく、関心もない。
そんなことを考えながら歩き続けていると、やがて少し雰囲気の違う路地に行き着いた。劇的に変わるわけではないが、どこかひっそりとして、周りの建物もどことなく古めかしい。
こういったところには、迷いこんでくる者を鴨にしてやろうと張っている奴らもいる。絡まれても面倒だと男が踵を返しかけたそのとき、突然物陰から小さな人影が飛び出した。一直線に突っ込んできたそれを避けた男は、交差際に片足だけ残してやった。
「あうっ!」
小さな影……薄汚い格好の子どもが、男の足に引っかかって地面に転がった。大方、男が腰に提げている剣なり、腰周りに何かしら身に着けていそうな荷物のひとつでも掴み取って、路地にでも逃げ込もうという算段だったのだろう。現在そうなっているように、大通りにスリに出るより遥かに危険なやり口だが、おそらく縄張り争いなりなんなりでうまいところにはありつけないのだろう。凡庸な容姿とはいえ武装した人間を襲うあたり、わりと切迫しているのかもしれない。それともたんに無謀なだけか……。
急いで立ち上がろうとしている性別もよくわからない子どもを、男は蹴飛ばした。子どもは壁に叩きつけられ、ぎゃあとかなんとか、悲鳴なのかもよくわからない音を発して再び地面に転がった。薄汚い盗人にかける情けなどあるはずもない。
やはりこの手の路地に入り込むのは面倒だ。認識を確かにした男はあらためて踵を返し、スラムらしき一画から抜け出した。
大通りに出て食い物を買い、またぞろふらふらと道の端を歩いていると、とある店先でべらべらとうるさい声が耳に飛び込んできて、男は思わず振り向いた。
「お?」
そこにいたのは町まで馬車に乗せてくれた青年だった。食事中だったらしい青年も男のほうを振り向いていて、目を丸くしていた。
「おーおー! こんなところで再会するなんて驚いたね!」
「何言ってんだよ。同じ町にいるんだから、別におかしくもないだろ」
「そうは言っても、この町は広いぜ? ってかあんたハンターなのに、なんでこっちにいんのさ?」
需要と供給の関係で、旅をする人間が立ち寄る区画というのはある程度決まっている。青年も旅暮らしの人間だからこそ、ハンターがこの辺りに立ち寄ることは珍しい、と自然と考えたのだろう。
「ま、暇つぶしにふらふらと、な」
青年に促されるまま、隣の席に腰を下ろす。青年は男の分の食い物を注文した。
「いいのか?」
「おう、おかげで今回は結構いい感じに儲けられたからなー。まぁ護衛料にしちゃ安すぎだろうけど、せっかくだし奢らせてくれよ」
「お前、商人じゃなかったか?」
「商人だよ。あんたやっぱ分かってたよな。悪かったよ」
「気にしてないさ。けど、ハンターには馬鹿も多いから気をつけろよ」
青年は大きくため息をついた。
「はぁ……。仲間に話でも聞いて探しに来たんかと思って肝が冷えたぜ」
「奢りは撤回するか?」
「いや、むしろ追加投資する。良縁らしいからな」
「よく言うよ」
青年はどうやら界隈に悪質な盗賊が出没していることを知っていたらしい。しかし護衛を用意するだけの余裕もなく、不安を抱えながら旅していたところで男を見つけたのだと言う。
「それなら近々解決すると思うぞ」
「あ? そうなのか?」
「ああ、討伐依頼が出てる。戦力が集まり次第出発になる。俺も参加する予定だ」
「ほえー」
翌日にはまた別の地方へ行商に出ると言う青年に付き合って、男も日暮れまで飲み食いした後、安宿に戻った。