048,死出の森 -Boy- scene1
ソル。
男がバンディと名乗ってとある連中の盗賊行為を助けていたころ、その最後の仕事で殺したはずの少年だった。
あれからもうどれくらいの時が流れたのだろう。そんな風に表現するほどの年月は過ぎていないはずだが、しかし森の中を歩いている少年の姿は、明らかに当時のものとは違っていた。
だがその印象は、必ずしも前向きなものではない。
容姿は成長期の少年らしく、以前より逞しくなり、身長も伸びているようだ。その背には伸びた身長に比してもかなり大振りな大剣を背負っている。腰には片手剣も差してあるが、暴走状態で使っていたのに近しい武器をも担いでいるとは、いったいどういった心境の変化だろうか。ラビを連れて行かざるを得なくなった一件のときは、たしか大剣など背負ってはいなかったはずなのだが。
服装もずいぶんとハンターらしくなった。かつてはせいぜい村人に毛が生えた程度の装備だったものが、町ですれ違えば十人が十人、彼はハンターだろうと言う程度には装備が充実して見える。森での活動に際して適格化したものなのか、金属板のような硬い素材での保護は重要部位に留めた、動きを阻害しない装備だ。強いて言えば手甲がいかにも頑丈そうで少々浮いて見えるが、おそらく大剣で戦う際に防具として用いていると推察する。
そんな風に、見た目には立派に成長を遂げた少年を前向きではないと評させるのは、少年が纏っている雰囲気のためだ。
少年にとって不可解な状況のせいもあるのだろうが、彼はかつて死んだはずの状態でも戦意を剥き出しにしていた少年と同一人物とは思えないほど覇気のない表情をしていた。
思い返してみれば、町で出会ったときから現在に近いある種の翳りはあったのかもしれない。当時、男はラビとセレネのことばかりで一杯一杯で、少年の様子などそれほど気に留めてはいなかった。せいぜい、落ち込んでいるなと感じたくらいだ。どうせ、暴走して盗賊を殺して回ったことを悔いでもしていたのに違いない。そんなこと、気にする必要はまったくないと男は思うのだが。
少年……少年は、頼りなげに方々へ視線を走らせながら慎重に……いや、臆病に歩みを進めている。少年のその情けない姿を見ていると、男の胸に得体の知れない感情がふつふつと湧き上がってきた。
だがその感情の正体はすぐに判明した。
(これは怒りだ)
わからないのは正体ではなく源泉のほうだ。なぜ件の少年が情けない姿を晒しているというだけで、男が怒りを感じなければならないというのか。男は少年の友人でもなければ師でもない。ましてや好敵手などでも……。
チッ……。
「だれかいるのか!?」
苛立ちから、男は思わず舌打ちをしてしまった。普段ならしない失敗だ。それはつまり、男自身が内心では存在を感づかれても構わないと思っているということ。
(ああ……)
不安そうに周囲の様子をうかがっている少年の姿を見ていると、苛立ちの根がどこに繋がっているか。見当がついた。
少年が生きているから。
殺せていないからだ。
あの少年は一度、間違いなく殺したはずだったのだ。それがどういったカラクリか。少年はゾンビ……意思持たず蠢く死体のごとく、首を切り飛ばしても立ち上がったのだ。それどころか、切断面が血液を糸のように引き寄せあい再生するという、見たことも聞いたこともないような現象でもって男が与えた傷を瞬く間に治癒してしまったのだ。一連の現象は治癒魔術などでは到底あり得ない。男が無知なだけかもしれないが、あの場に主に教会が祀り上げている聖女でもいない限り、納得できる人間などいないはずだ。
す……と、男は音もなく木陰から歩み出た。
凍りついていた森が少しずつ溶け出し、止まっていた時がゆっくりと動き出す中、その只中に立っていた少年もまた、同じ時の中に閉じこめられたかのようにごくゆっくりと男を振り返った。それはあるいは、男の幻視した体感の世界だったのかもしれないが、男の目には驚愕に見開かれていく少年の瞳までが鮮明に見えた気がした。
「な、な、んで……」
愕然とした表情をした少年の口から、思わず漏れたらしい言葉。町で遭遇したころも男の陰に怯えている素振りはあったような気がするが、いまだに払拭できていないのか。それとも払拭したところに本人が現れて動揺しているのか……。
「なんでって、仕事だよ」
「こんな場所で、山賊を……?」
会話をしているというのに、少年の目は懐疑的だ。少年にしてみれば、死んでいるはずの……もしかして生きているのではないかと怯えながら、状況からしてきっと死んでいるのだと思い込もうとしてきた存在が、生きて目の前に現れたのだろうから、それも止む無しか。
それともこれまでに男の幻に苦しめられた経験でもあるのだろうか。はっきり言って、男はそれほど恐れるような存在ではない。これは男が自己評価を低く見積もりがちな卑屈さも勘定に入れた上での話だ。男の実力は、ハンターの等級で言うところの金級下位がせいぜい。それも好条件が整った上でだ。おそらく性格面を考慮に含めれば、協調性の無さから金級にも届かないだろう。
「まさか。こんな辺鄙なところでだれを襲って稼ぐってんだ」
「じゃあ、どうして……」
少年は完全に萎縮している。無理もないこと……なのだろうか。一度はたしかに自分を殺した人間だ。それも、込み入った事情も何もない、ただの悪意の発露としてだ。
「お前といっしょだよ。いまこの森に入っている人間なんて……ほとんどがそうだろ」
どうやらすべての人間がそうでないらしいことは、男自身さきほど知ったことだ。もっとも、あれらが人間であれば、の話だが。
「アンタ、ハンター、なのか?」
「そうさ。あのときは盗賊連中を手伝っていただけだ。まぁ、盗賊稼業とハンター稼業を両立させてる奴なんて別に珍しくもないだろうが、俺は違う」
話をしながら、男はどうしたものかと考えていた。いや、考えている振り……だろうか。わざわざ少年の前に姿を現したときから、すでに行動は決定されていたに違いない。
「どうして、そんなことを……」
「どうして? 盗賊の手伝いのことか?」
少年が頷いた。
「ふふ……」
男は思わず口元を押さえた。
「何が可笑しい……!」
僅かに。少年の言葉に力がこもった。同乗していた人間の死に顔でも思い浮かべたのかもしれない。それとも涙でぐしゃぐしゃに濡れた件の少女の顔だろうか。どちらにせよ、男にとっては愉快な話である。
「もし……もしもだ。恋人を人質に取られて仕方なく協力していたんだ、と言ったらどうする?」
「……そう、なのか?」
元来お人好しなのだろう。そもそも言葉を交わしている時点でそうだ。男が少年の立場であれば、どうやって殺すか、それだけを考えるのに違いない。それともこうして言葉を交わしているのは表面上のことで、実際はそうした算段をつけているのだろうか。
「いや、そんな事実はない。もちろん家族が人質に取られていたなんてこともない」
「ふざけているのか!」
(企みは……無いな)
強いて言えば、援軍のあてがあって会話で時間稼ぎをしている可能性はないこともないか。だとすればその判断は正しい。現在もセレネと行動を共にしているかはわからないが、だれかしら味方についてくれそうなハンターくらいいるだろう。
「ああ、ふざけているよ。せっかく久しぶりに会えたんだ。少しくらいいいだろ?」
「もういい……アンタなんかと話をしようとした俺が馬鹿だった」
少年は男に背を向けようとした。とっさに短剣を投げてやろうかという気になる。しかしまだだ。まだ早い。
「おい待てよ。俺をこのまま放っておいていいのか?」
「放ってはおかない。皆と合流して、アンタを捕らえる」
少年は体半分振り返って口にする。
仲間と合流しようというのは正しい判断だ。それが可能であれば、だが。
「冗談は止せよ。なんの咎で俺を捕らえるなんて言ってるんだ。それとも、俺の知らない間に指名手配でもされていたか?」
「あれだけの人を殺しておいて何を……!」
少年の顔が怒りに歪む。
「俺がやったって証拠でもあるのか? ああ……」
(もういいか。段々面倒になってきた)
「そういえば……」
男は剣の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。少年はそれを注視しながら身を硬くしていた。
「お前自身が証拠といえば証拠だったな」
一息に距離を詰め、少年に向かって剣を振り下ろす。腕に力を込めると、少女の炎に焼かれた傷が引き攣るように痛み、まだ癒えきっていないのがわかる。だが剣を握るのにはさほど支障はなさそうだ。
「くっ!」
少年は必死の形相で両腕を上げ、手甲で刃を防いだ。挟み込まれて刀身を折られたりする前にさっさと剣を引きつつ、男は左足で蹴りを放つ。
「ふっ!」
少年のわき腹を狙った中段蹴り。剣での一撃とは違い、それなりに威力は込めてあった。まともに入れば、少年の体躯なら軽く吹き飛んでいてもおかしくないはず……しかし、そうはならなかった。少年が腰を落とし、両腕でしっかりと防御したからだ。
男は蹴りを放った左足は浮かせたままに右足を踏み切り、上体を捻ってさらに蹴りを放つ。斜め上から打ち下ろすような角度の蹴りだ。少年にとっては左斜め上からの攻撃。対応しなければ首に命中する一撃。
「んんん!」
少年は必死の形相で体を反らせつつ両腕を上げた。男の足と少年の腕が衝突し、少年がやや体勢を崩した格好で後ずさる。男は追撃はせず、一旦その場で剣を下ろして落ち着いた。
少年もすぐに体勢を整えて男の動向をうかがっている。後退こそしているものの、これといった傷は負っていない。
(相当腕を上げたらしいな……)
おそらく、男が盗賊団の一員として襲撃した時点の少年であれば、いまの攻撃は凌げても中段の蹴りぐらいまでだったのではないかと推測する。少なくとも、腕をただ防具としてぶつけるのではなく、一種の緩衝材として衝撃を逃しつつ距離を取るなんて器用な真似はできなかったはずだ。




