045,死出の森 -Girl- scene2
森を燃やしても構わないか、という少女の言葉は、発した人間が違えば駆け引きの一種とも考えられただろう。しかし相手はここまで自前の超人的な能力だけで戦っていて深慮遠謀などという言葉とは縁遠そうな印象だ。それはつまりどういうことかというと……。
(本気で燃やされかねない)
少女の言うところの辺境伯とは別口の依頼主とやらの言いつけである、森を燃やしてはいけない、という言葉は、現状では男にとって有利に働いている。仮にこの言いつけがなければ、問答無用で森ごと燃やされて死んでいた可能性が高い。
ゆえにこの場合、現状の男にとって、少女の言葉は知恵者の揺さぶりよりも性質の悪いものとなる。いや、何も言わずにいきなり焼かれるよりはまだマシだろうか。
木陰を渡る際に短剣を投げる。
「無駄だっつーの」
狙いは悪くなかったが、ただ首を傾げられるだけで容易く処理されてしまう。
男は渡った先の木陰で足を止めることなく、剣を手に少女に向かって低い体勢で飛び出した。うまく行けば短剣で生まれた隙をつける時機だ。
男の視界の中で少女の姿が一瞬、木に遮られて見えなくなる。意を決して飛び出した瞬間、少女の意識は短剣によって逸れ、自分に意識を割けていないことがわかった。
比較的長めの鞭で遠ざけられているために、剣が届く間合いまでには距離がある。完全に虚をつくことはできないだろう。鞭か、それを手にする右腕を使わせられなかったことも痛い。
それでも先手は取れるだろう。そんな思いがよぎった瞬間、男は視界の端に地を這うように向かってくる蛇のごとき鞭の姿を見た。
「っ!」
男は引き裂かれたボロ布と血を撒き散らしながら、進路を変更して大樹の裏へと逃げ去る。
「あはっ! やっぱり鞭ってすごい! やばい気持ちイイ!」
少女の歓声を聞き流しながら、男は怪我の程度を確認する。右の胸から肩先にかけて服が切り裂かれ、肌も裂けている。刃物で斬られるのとは違い、傷が表面的で身体機能にはまだ悪影響を認めない。しかし傷口が綺麗でなく、治癒するにも損傷の割に時間を要しそうだ。
「ほーら、どんどんいくよー!」
気を良くしたらしい少女の声とともに、大樹の裏側にまで鞭が飛んでくる。結果的に強襲は失敗に終わったが、魔術から意識を逸らせたのは不幸中の幸いと言えるだろうか。逃げ回る最中に次々増えていく細かな傷も、死に比べればはるかに安い代償ではある。
しかしこのままでは状況は好転しない。むしろ、またいつ少女が鞭で遊ぶのに飽きてもおかしくないことを思えば、肉を切らせて骨を断つ、覚悟を決めるべきなのかもしれない。
少女の振るう鞭には骨を断てるだけの威力が備わっており、覚悟を決めたとしても易々とは飛び込んでいけない。だとすれば狙うべき状況は……。
「ほら! 足が遅くなってるよ! ちゃんと逃げないと、こうだぞ!」
逃げた方向と少女の攻撃の方向が直線的に重なってしまい、避けようのない鞭の先端が加速を増して迫ってくる。
男は止むを得ず剣で切り払う。が、少女にもその動きは見えていたのだろう。手首の返しによって鞭の軌道を変化させてきた。
「チッ!」
結果、直撃は避けたものの剣は思い切り弾かれた。衝撃に、指先が痺れる。
しかし足を止めるわけにはいかない。男は少女を回りこむように走る。
「あっはは! そんなのむだ……あっ?」
少女が鞭を振り回そうとしたその背後の空間。そこには木々が立ち並び、自由に鞭を振り回せるだけの隙間がほとんどない。
少女の扱う紐状の長い鞭は、振り回した勢いを乗せることができなければ威力は出しにくい。
少女も気をつけてはいただろう。それは熟練の遣い手の目から見れば足りない配慮だったかもしれないが、その見た目にそぐわない怪力で無理やり振り回す分にはそれなりにうまくいっていた。
だから戸惑うのはほんの一瞬のことだ。だがその一瞬、少女の脳内で判断すべき案件が急増し、動きが鈍くなる。対応が遅れる。
男は回りこむような位置取りから、直線的に少女に向かって突貫する。それはとっさに鞭を振るうことのできない位置。
「うっぜぇよ!」
向かってくる男の姿を認め、少女は迷うことなく鞭を捨てた。決断力があると評すべきか、ただ反射的に動くだけで考えがないと断ずるべきか。いずれにせよ、この状況においてとっさに行動できる点は少女の強みに他ならない。
並みの魔術士が相手ならば。こうして飛び込んだ時点で男の勝利は決まったようなものだっただろう。慌てて魔術を行使しても、まともな威力のものを放つには時間が足りず、さりとて時間を間に合わせればとてもじゃないが男を退けるだけの威力に満たない。
彼らとて近接戦闘をないがしろにしているわけではないが、魔術が使い物にならなくなった状況で、常にその距離で命のやり取りをしてきた人間とでどちらに分があるかは火を見るより明らかである。
しかし少女の魔術はその短時間で、威力を伴った上で発動が間に合ってしまう。
「死ね!」
別人のごとき少女の罵声とともに男の目の前に放たれた炎は、さきに王都で馬鹿に喰らわされたものを上回る業火だった。あのときは男の油断によって十分な時間をもって発現された魔術を、ほとんど反射に近い反応で放つ少女。その才に、男は仮面の表面に熱を感じながら歯噛みした。
次の瞬間その場にあった光景は、水分を含んだ大樹の幹さえ焼き尽くさんと業火が迸るその傍ら。木の根元にしゃがみこむ格好で負荷のかかった両足をギシギシ言わせながら踏ん張っている男の姿だった。その手には当然、剣が握られている。
「あああああああ!」
急襲しようというときに、声を発するべきではない。しかしあまりの急制動に体が持ち上がるどころか、踏ん張りきれずに勢いのまま地面を転がってしまいそうだったのだ。ここまで危険を犯してようやく掴んだ好機を逃すわけにはいかなかった。
声を上げて反動を制し、地面から横っ飛びに飛びあがる形で少女に斬りかかる。ひらひらとしたドレスごと胴体を薙ぎ、上半身と下半身に永遠の別れを告げさせてやる。男はその腹積もりだった。
しかし少女の脇を抜けてその更に向こう側まで行き過ぎたとき、男が抱いたのは、
(冗談だろ)
という、世界の在り様に撤回を求むる思いだった。
「ぁいっったああああ!」
少女のどこか間の抜けた叫びが木々の合間に木霊する。
斬った。
その確信を抱きながら男が飛びあがった瞬間目にしていたものは、必死の形相で男を振り返る少女の姿だった。
そこまではいい。炎を目前に木の幹を蹴って避けるのも想像以上に制動が困難で、その後飛び出すのも想定以上に手間取った。いかに炎を目くらましにした急襲だとしても、反応が遅い者だって視線くらいは向けてきただろう。
問題はその先だ。認識から判断が下され、実際に行動に繋がるまでには時間差がある。いくら目で見て意識の上では気がついていても、反応が追いつかずに体が動かないことなどざらにある。
だというのに、少女は男から逃れるようにして体をよじり、男の剣から逃れたのである。
「ああああ! っってえだろうがこのクズ!」
獣のような叫び声を上げながら少女は男を振り返った。右手で押さえられた左上腕のあたりからは赤い血が流れてドレスの袖を汚している。
少女は鞭を拾うこともせず、男に向かって右腕を掲げた。その腕には紫色の可視化された魔素がまとわりついている。それは見る間に膨れ上がった炎に隠されて見えなくなる。
角度によっては少女の体ごと隠れてしまいそうな大きさの火球、いや、炎の塊が放たれる。
一つを避けてもまた次の炎塊が飛んでくる。男の駆け抜けた背後では木々が焼かれ、焦げ跡では火が燻っている。
立ち並ぶ木々が盾として機能しない状況だが、頭に血が上っているせいなのか、やはり狙いが甘く、なんとか避けることはできる。
「よけんなゴミ!」
だが状況は決して良くない。いまは躍起になって炎塊をただ撃ち出しているだけだが、これがもっと命中を重視した範囲攻撃に切り替えられれば、男には対処のしようがない。せいぜい必死になって遠くへと逃げるのみだ。
それにこのままでもいずれ周辺が炎上しだし、逃げ場がなくなってしまうだろう。
「燃えろ! 死ね!」
下手に仕掛けるのも難しい。短剣を投げるのも、隙を見て直接切りかかるのも、現在の点と線の攻撃から、広範囲を狙う面の攻撃に切り替えさせる契機になりかねない。それは男が誘発せずともそのうちに切り替わるものではあるのだろうが、だからといって自ら火中に飛び込むような真似はごめんだ。
(どうする)
焦る。魔術をどうにかできれば……それが無理ならば、せめて一息に仕留められる手段があれば。だがそれもない。どう対処すれば良いのか。おそらくはその正解がわかっているのに、実力が足りないばかりに試行することさえできない。
もどかしい。力の無さが。
「いい加減死ねよドブネズミが!」
男を追い回す中、驚異的な跳躍力で飛び上がった少女が上空から炎塊を撃ち放つ。
炎の塊は枝葉など問答無用で焼き尽くしながら降ってくる。直撃を避けるのはこれまでと変わらない。しかし角度が違う。
「っ!」
これまでは通りすぎていた炎が近くの地面に衝突し、爆ぜた。男は予測はしていたが、これまでだって余裕を持って避けきれていたわけではない。直撃を避けるので精一杯で、爆ぜた炎の余波が全身に襲い掛かった。
衝撃で吹き飛ばされ、地面を転がった挙句に木の根元に衝突して止まる。気休めに翳した外套は焼け、防御した両手の袖も損耗していた。
「くそ……!」
全身に動けなくなるほどの異常はない。まだ戦える。
だが、それだけだ。
結局は殺されるのを待つだけの戦況。
膨大な魔力だけでも手がつけられないのに、目も反応も良過ぎる。あれでは毒や何かの道具を用いてもうまくはいかないだろう。
有効な手段としては罠ならなんとかなりそうだが、この環境で鞭の動きを阻害する以上の有効な罠が、男には思いつけなかった。




