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Villain:Side  作者: 昼の星
44/55

044,死出の森 -Girl- scene1

(逃げる?)


 木陰を渡ろうと踏み出した足が意図せず止まる。

 機を逸した男は移動を断念して木陰に留まった。


「ん? そこ?」


 少女の声が男の潜んでいる木陰に向いた。注視されているかもしれない状況で確認することはできないが、位置を把握されたと見て間違いなさそうだ。

 そっと石を拾い、木陰から自分の姿が見えないように手首の返しだけで少女の視界に入らないように彼方に向かって放る。石が枝葉を揺らして音を立てる瞬間を見計らい、足元の地面を木陰の外に向かって魔術で隆起させる。それから一拍置いて反対側へと一息に駆け出す。

 なるべく音を立てないように足元を選んで走り、短剣を用意しながら少女の様子を確認する。稚拙な誘導だったが、うまく意識を逸らすことはできていたようで、魔術で誘導した方を注視している。

 用意していた短剣を投げる。少女を狙うのではなく、その更に向こう側まで木や枝葉に触れないように、だ。投擲のあとは木の背後に回りこんで姿を隠す。

 再度様子をうかがうと、短剣の投擲がうまくいったようで少女は背後を気にして振り返っていた。

 見たところ、少女はこうしたかく乱にまったく慣れていないようだ。これならば逃げおおせるのも容易……だが、どうにも足が前に出ない。

 また逃げるのか。

 セレネから逃げ、ディーゼラルドから逃げ、王都の騎士から逃げて男は生き延びてきた。当然のことながら、凡百のハンターである男には、それ以前から命からがら逃げ出した経験が少なからず存在する。

 死んでしまえばすべてが終わり。それだけの事態に釣りあうものが、この世にどれだけ存在するだろう。

 少なくとも、男にとっては、命を賭けるのに見合うだけの……もしくは命を投げ捨てる覚悟を決めるのに見合うだけの、価値ある何かは存在しなかった。

 ではなぜ、いま足が動かないのか。

 逃げるための状況を整える過程で相手の評価を引き下げたのか。危険を冒すのに値する何かが己の胸の内に存在したのか。あるいはその両方か。

 ふと気づくと、男はふたたび短剣を手にしていた。視線の先には少女の背中があり、猫のものと思しき尻尾が左右に振られている。その少女の頭部に、首に、背中に意識を向けている自分に男が気がついたとき、足は一歩踏み出され、短剣に回転を伝えるために手首が捻られていた。

 短剣の投擲攻撃としては距離がある。首は的として小さすぎる。頭は体全体としても首から先でも動く可能性があり的も小さめで安定性に欠ける。致命傷にはなりにくいが、命中の可能性が高い胸、胴を狙うのが良いか。

 はっきりとは形を持たない思考が短剣を投擲する寸前に脳から体へと伝わる。腕がしなり、かく乱のためのさきほどの投擲よりも鋭く短剣が空を切った。

 これは無謀な行いだろうか。男は自問する。

 そうではない。たしかに少女の魔力は異常と断じてしまえるほどの強力なものだ。しかしそれ以外はどうか。環境にそぐわない装備と行動。明らかに場慣れしていない動き。強力な魔術にさえ注意を向けていれば、十分渡り合うことが可能なのではないか。

 山の方から魔物を連れて来ているなどと口にしていたが、やはりそれは狂言だったのにちがいない。

 短剣は狙いどおり少女の上半身、それも胸のあたりに飛んでくれた。少女の薄い体であれば、背中側からでも心臓を傷つけられるかもしれない。

 しかし男の期待は、思いもよらぬものによって打ち払われた。短剣が少女の体に命中する寸前、少女の腰の辺りから生えていた尻尾が勢いよく振られ、短剣が弾かれたのだ。


「いったああああー」


 少女は頓狂な叫び声を上げ、尻尾を撫でつつ振り返った。


「そっちだなあああ!」


 言うが早いか、少女は飛んだ。縦方向にではなく横方向に、だ。方角こそ男の潜んでいる位置から逸れていたが、離れていた距離が一息に縮められた。


(馬鹿な……!)


 驚愕に足を止めている男の視線の先で、身を隠している大樹の裏が視認できそうな位置まで少女が通り過ぎる。


「居たっ!」


 少女が叫びながら腕を振るう。それを目にした男は弾かれたようにその場を飛び退いた。

 少女の腕からは縄のようなものが伸び、その先は近くの木の幹に撒きついていた。


(なんだ!? 鞭!?)


 伸びきった鞭で少女の体が静止する……わけはなく、鞭が巻きついた幹を支点に勢いそのまま生い茂った枝葉に突っ込んで無様に落下していた。


「あうっ、あーもうっ! 最悪! これだから森とかさー!」


 少女は地面に尻餅をついて、ドレスに付着した葉っぱを乱雑に払い落としている。


(なんなんだこいつは。どうなっている)


 備えた能力が、あまりにも歪だ。素人の意識を絶大な魔力と身体能力を持った体に移し変えたかのような不自然さを感じる。

 だが、仕掛けてしまったものは仕方がない。逃げるにせよ、隙を見出すまではやるしかない。

 剣を鞘から抜き放ち、座り込んだままの少女に向かって駆ける。少女の眼前で剣を振り上げたとき、少女は口を開けた間抜けな表情で男を見上げていた。

 少女を脳天から真っ二つにするつもりで剣を振り下ろす。が、斬ったと思った次の瞬間には、振り下ろされた剣の腹に手を添えるようにして少女は身をよじっていた。

 理解はしている。ただ避けられただけだ。少女の髪に刃が触れるかという瞬間に少女が出迎えるようにして右手を剣に添え、振り下ろしの角度をずらしながら、その反対側に身をよじっただけ。しかし……。


(速過ぎだろ!)


「あっぶねえだろうが!」


 少女がまるで別人のような声を張り上げながら左腕を振りかぶる。男はとっさに逃れるように飛ぶが、少女の拳を避けるまでには至らない。


「ぐっ!」


 右わき腹に拳がめり込み、景色が高速で流れる。次いで衝撃と痛みが全身に走ると同時に景色が止まる。

 状況を把握しなければ。

 殴り飛ばされ、木に衝突したのだ。少女とはやや距離が離れている。武器は取り落としていない。軽く頭は打っているが、極端な異常は認めない。しかし自ら後退し衝撃を緩和したはずのわき腹はそれなりに痛む。


「あ! ちょっ、服がめちゃくちゃじゃん! どうしてくれんのよこれー!」


 少女はまるで食事の席で粗相をした給仕に対しているかのような声をあげた。それでもさきほどの張り上げた声に比べると日常の範疇に収まっているようで、現実の戦闘状態と比して違和感が募る。それとも少女にとって、男に剣を向けられるのは、その程度のことに過ぎないとでも言うのか。


「ほら! なんとか言いなさいよ!」


 言いながら、少女が鞭を振るってくる。狙いは甘く精度は低い。だが威力は高い。木に命中すれば硬い樹皮がめくれ、地面を抉るだけの鋭さがある。

 精度の低さはなまじ威力が高いだけに適度な振れ幅となり攻撃が読みづらい。少女の武器がもともと軌道の読みづらい鞭であることも男にとっては災いしている。これが剣のような直線的で線の動きが主となる武器であれば、未熟さをただ未熟さとして処理できたはずである。


「っ!」


 避けきれず掠めた鞭の一撃で男の腕の表面が裂け、血が噴き出す。

 間合いが詰まればやりようはありそうだ。少女の魔術は単体で接近戦でも使い物になりそうな速さがあるが、森を燃やしてはいけないという指示が出ているようだからそうおいそれとは使えないはずだ。死の間際とでもなれば話は別かもしれないが、追い詰めずに一息に殺しきれれば問題はない……はずだ。

 しかし容易には近づけない。正面から馬鹿正直に行くのであれば、肉を斬らせる覚悟は必要だろう。

 その程度の損傷で済むのなら別に構わない。しかし身体能力の高さから、一度の接近戦で仕留めきれるかは疑問だ。さきほどの振り下ろしが避けられた瞬間が脳裏によぎる。


(鞭が振るえなそうな場所まで逃げるか……)


 辺りの木々の密集度合いにはムラがあり、まともに鞭を使えそうにないくらい木々の感覚が狭くなっている箇所もある。そこまで逃げてしまえば少女は攻撃手段を失うことになる。もっとも、素手で殴られただけでもたいした威力ではあったので、たとえ武器を失ったといっても油断はできない。それになにより……。


(俺なら魔術に切り替える)


 すでに一度ならず二度までも少女は魔術で炎を放っている。おそらくそれほど厳格に言い含められているわけでもないのではないか。もしくは、少女自身があまり言いつけを守る気がないということかもしれない。とにかく、わざわざ武器を持たない不利な戦闘をするくらいなら森なんてどうなっても構わないと、鞭以上に怖ろしい武器を持ち出す可能性があるということ。


「チッ、いい加減でてこいよこのカス!」


 追い回されているので何度も姿は現しているのだが、それは出てきた内には入らないらしい。当然か。少女の言は「さっさと殺させろ」と同義なのだろうから。

 移動がてらに短剣を投げてみる。が、案の定、たやすく鞭で打ち払われた。


「残念でしたー! ま、せっかくの武器を駄目にしたいなら好きにすればいーけどー?」


 男が身を隠した木陰にまで回りこむようにして鞭が飛んでくる。扱いが下手だからなんとかなっているが、そうでなければとっくに仕留められていただろう。そうでなくとも、細かな損傷は増えつつある。


「ほらほら、どうしたの? やりかえさなくていーのかなー? あはは!」


 一方的な展開に気を良くしたのか、少しずつ声色が甘ったるいものに戻りつつある。口にしている内容は粗雑なハンターどものそれと大差ないが。

 少女との間に木を挟むようにして後退するも、鞭の軌道相手にはまともに障害物として機能しない。視界の端で捕らえた鞭を避けようと仰け反った男の目の前を、鞭の先端が掠める。男は後ろに倒れこんだ勢いのままさらに後退する。

 やはり仕掛けたのは間違いだったか。

 徐々に息が上がり始めた男の胸に後悔という重石がのしかかる。直線的な移動速度は少女の側が圧倒的に上ではあるが、位置を捉まれておらず、かく乱できていたあの時点であれば逃げおおせられた可能性は高い。その判断は少女の身体能力についての認識が改められた今でも変わらない。


「はぁ……ちょっともう飽きてきちゃったんだけど。もう燃やしちゃってもいいかな……」

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