004,街道のハンター scene1
森の中で一夜を明かした男は、翌早朝には街道に出て町を目指した。盗賊団が襲撃をしている地点からは遠ざかる方向で、先日の少年たちが目指していたであろう、町のある方向だ。
あれから少年と少女がどうしたのかは知らない。もしかしたら二人だけで当初の目標どおりに町を目指して移動しているかもしれないし、直前に立ち寄った村か何かに戻ったかもしれない。
あの時の口振りからして、同乗していた連中の死体をそのままにはしておかないだろう。あの地点から最寄の村まで戻り、人を頼んだかもしれない。もっとも、盗賊に襲われて何ら金銭的に得るもののない片づけに、誰が手を貸してくれるのかは疑問だ。おそらくは魔物なりが嗅ぎつけて片づけるほうが早いだろう。後に残されるのは馬車の残骸のみ。邪魔だと思った奴が道の端に寄せて、それでしまいと言ったところか。
仮に、そういった諸々を無視して、町を目指して歩いていたとしても別に構わない。道の途中で会ったとして、今度は心臓と頭を潰してみるだけだ。
(それがダメなら……)
考えながら歩いている内、背後から馬車の気配が近づいてきた。それは遠目にも立派なものでないことはすぐにわかった。
しばらく歩いていると、やがて馬車が男に追いついてきた。男は意識して道を譲ったわけではないが、もともと道の端を歩く性分であったため、やがて前を向いて歩く男の視界に馬が姿を現した。
「よお、にいさん」
横、やや高い位置から声が降ってきた。馬車がガタゴトと音を立てている中でのものなので、なかなかの声量だ。
男はそれだけの声量を発するのが面倒だったので、対応は視線を向けるに留めた。声をかけてきた御者台の男はまだ若い青年に見えた。馬車ともども、それほど商売が順調であるとは思われない。
「ここを歩いてるってことはアーデンまで行くんだろ? 良かったら乗っていくかい?」
馬は一頭。引いている荷車も大きなものではない。何かしら積んでいるであろう荷には布が被せてあるが、そこに誰かが寝てでもいない限り、青年は一人で行商を行っている者だろう。
「男なんて乗せたって、楽しくもないだろ」
「そんなことはないさ! 話し相手が一人ってのは寂しいもんでな」
御者台の青年は、わざわざ馬車の速度を緩めて男と併走させているが、馬車のほうが幾分か足は早い。そして何より疲れない。いや、揺れる馬車にずっと乗っているのはそれはそれで疲れるものではあるが、幸い現在地と目的地までは整備された街道であり、悪路を往くのとは比べるまでもなく快適であるはずだ。
「……礼なんか出せんぞ」
「ははは! 乗ってくれるのが礼になるから心配することはないさ! 一応言っておくが、ソッチの趣味もないから安心しろ!」
青年が身を乗り出すようにして伸ばした手に捕まり、御者台に足をかけて上る。
「ふぅ」
男は御者台の青年の隣に腰を下ろした。
「はは、どうよ俺の馬車の乗り心地はさ」
「いまいちだな」
「かーっ! それが乗せてもらって言うことかよ!」
「なら降りるか」
腰を浮かせかけた男を、青年は慌てたように引き止める。
「待て待て、短気だなあ。そんなんじゃ商談なんかできないぜ?」
「俺は商人じゃないからな。むしろお前が暢気すぎるんじゃないか? 自慢の馬車を貶されて、少しは怒れよ」
「怒ったって一銭にもならねえからなあ……、いや、怒って見せるのが有利に働くってこともあるけどさ」
「商人みたいなこと言うんだな」
「商人だよ! 見りゃわかんだろ!?」
男同士の下らないやり取りを辺りに振りまきながら、馬車はゆっくりと街道を進んでいった。
◇
「世話になったな」
「いやいやこっちこそ楽しかったさ。ありがとよ」
町に入ったあと、男は商人の若者と別れた。若者はどこかの商会へ顔を出すと言って、石畳の敷かれた大通りの向こうへ馬車とともに消えていった。
道中は特に何事もなく、ただ移動しては野宿し、移動しては野宿した。商人の男はたんに人恋しいというだけでなく、生来お喋りな気性だったらしく、延々と喋り続けていた。それに対して男はほとんど生返事のような相槌を返していただけだったが、若者に気にした様子はなかった。物言わぬ馬よりはまだ、反応があるだけ好ましかったのかもしれない。
そんなお喋りが話題にしなかったということは、若者は男が盗賊稼業を働いた街道とは違う道をやって来たらしいと男は推測した。盗賊の話題もあるにはあったが、うまいこと口で切り抜けたという話で、貧乏商人なんか襲ったってしょうがないだろうに、と締め括られていた。男は本心から、もっともだ、と返事をした。
町に到着したはいいものの、これといって目的のあるわけでもなかった男はどうしたものかと途方に暮れた。ある程度やっていけるだけの金はある。盗賊時代に襲っていたのが主に行商人で、基本的に金や嗜好品以外を重視していたとはいえ、近場の国の金が手に入らないはずはない。
男は何はともあれ、道の端に寄った。ひさしぶりに訪れる町の大通りは、人が多過ぎた。行き交う人の姿に、眩暈がするようだった。一方で視覚と違い、聴覚にはさほどの違和感がない。うるさいと感じはするが、それだけだ。
(べつに感謝はしないぞ)
食事中、口の中に物を入れたままでもお構いなしに喋り続ける、別れたばかりの若者の顔が浮かんだ。
建物と建物の影を渡るように、男は通りを歩き出した。この町にやってくるのはおそらく初めてだが、推測どおりなら、そう労せず目的の建造物は発見できるものと睨んでいた。
程なくして、大通り沿いに一際大きな建物が姿を現した。
ハンターギルド。
両開きの大きな扉は、片側が常に開かれた状態で、頻繁に人の出入りがあり、そのほとんどが何かしら武装している。一概に厳ついとか、屈強そうというわけではない。貧相と表現されそうな痩身の者もいるが、そんな連中もたいていは格好からして町人とは違っている。分かりやすく言ってしまえば、魔術士だとかそんな連中だろう。
魔術は専門技能というわけではないが、当然のことながら片手間に修めるよりは集中して鍛えたほうが物にはなる。その辺は剣術などと変わらない。故に体を使い込む人間に比べれば体格自体は劣って見える者が多いが、それだけだ。パッと見の体格の良し悪しでは総合的な強さなど測れはしない。
「よぉ兄ちゃん。人様にぶつかっといてダンマリかよ? あ?」
男が建物の中に入ろうとしたとき、ちょうどすれ違う形で馬面の男とわずかに肩が触れ合った。しかし、ぶつかったというほどのことではない。
「悪かったよ」
男は片手を挙げてそう言った。この程度のことで済むのなら面倒がなくていい。そういう考えだ。しかしやはりというべきか、馬面は語気荒く詰め寄ってきた。
「おいおいおい、そんなんで謝ってるつもりかよ! てめえ馬鹿にしてんのか? ああ!?」
取り乱すことなく、男はゆっくりと周囲を見回す。建物の中はかなり広い。ホールと言ってもいい。べたべたと紙が貼られた間仕切りのような板が何列も整然と並べられた一画を除けばかなり見通しもいい。とはいえ、職員がいる窓口の向こうまではそれなりに距離があり、入り口付近の様子には気を払っていないようだ。馬面の男はそれなりに大きな声を出しているが、建物の中は喧騒に溢れていて、それほど目立ってはいない。さすがに近くの者たちは気がついているが、積極的に介入しようというお節介はいないようだった。
「なんだおい、お友だちでも探してやがんのか? それとも誰か助けてくれないかって期待してんのか臆病モンが」
馬面の男は割合、体格が良い。大方、凡庸な男の容姿を見て、からかってやろうだとか、日ごろの憂さ晴らしに使ってやろうとでも考えたのだろう。そう男は推測し、嘆息した。
「なんだぁその態度は! 俺を馬鹿にしてんのか!」
馬面はなおも詰め寄る。しかし相対する男に焦った様子はない。こういった事態に遭遇することは初めてではないのだ。そこそこの数の町を渡り歩いてくる過程で、似たような出来事には何度も遭遇した。凡庸な容姿というのは商人の若者に気安さを覚えさせることもあれば、こうした馬鹿に侮られやすいものでもあるということだろう。
殺してもいい。男はそう思っている。罪の度合いなどに興味はない。公平でいるつもりなどさらさらないのだ。
しかし殺すことがこの場で楽な選択肢でないことは明白だった。これが町の外や、町の中でもスラムなどであればとっくにそうしていたかもしれない。
ならどうするのが一番、楽ができるだろうか。
金でも渡すのが手っ取り早いだろうか。しかしそれで仮にこの場を収めたとして、それで事態が終わるだろうか。事態の推移を見ていた者の中に馬面の同類がいれば同じように脅しかけてくるかもしれない。場所次第ではさっさと事が済む可能性もあるだろうが、何度も絡まれること事態が面倒だ。馬面が味を占める可能性もあるし、なにより馬鹿がおいしい思いをすること事態が気に入らない。
ならば無抵抗で好きなようにさせる、というのはどうだろう。馬面はどうせ逃がすつもりなどないのだろうから、いっそのことハッキリとした被害者に回るという選択肢。多少の傷は負うだろうが、それはさしたる問題ではない。場所柄、止めに入る人間もいるはずだし、金銭的な損害は被らずに済みそうだ。その場合、事の顛末はどうなるだろうか。馬面は多少の注意を受けるだろうが、揉め事は両成敗が基本であり、明確な加害者とはいえそれほどの咎を負うことはないだろう。馬面は己の武勇伝のひとつとして事の次第を酒の席ででも得意気に披露するのだろう。施設の職員あたりに忠告を食らうのも、この場合は箔になるに違いない。
気に入らない。
「いい加減なんとか言ったらどうな……」
馬面がいよいよ怒気を強め、がなり立てる……前に、男は馬面に歩み寄った。なんでもない。ただ、野を往くかのような気軽さで。
「うっ」
馬面がわずかに呻き声をあげる。
抱き合っているわけではないが、互いの顔は耳と耳が触れ合うほどに距離が近い。ぴたりと動きを止めた馬面の耳に、男は囁いた。
「動いたらどうなるかわかるか?」
馬面は驚愕に目を見開き、口をぱくぱくとさせているが、言葉は形を成していない。
馬面のジャケットによって遮られたその胸下に男の手が添えられている。その手のひらに触れているのは、ナイフの柄だ。刃は見えていない。もちろん、柄頭のほうを押し付けているわけではない。
「う、嘘だろ……」
「それはどっちの意味だ?」
この状況のことか。それとも本気で殺すはずがないという意味か。
馬面の胸には血が付着していた。しかしそれはごくわずかであり、すで出血はしていない。しかし馬面は感じているのだ。自分の胸に冷たい金属の刃が埋めこまれている感触を。
「わ、悪かった……お、おれ、が……」
男は馬面から体を離した。周囲からはちらほらと不満が聞かれたが、荒くれ者の集うギルドにおいて多少の諍いなど日常茶飯事であり、すぐに関心は逸れていった。
馬面の男はしきりに胸の部分に穴の空いた下着を触りながら、呆然とした表情で外へと出て行った。