038,権力の棲まう場所 scene8
「っ!」
左腕に痛みが走り、刺客を追うために治癒を中断していたことを思い出す。
「お二人とも大丈夫ですか? よろしければ私が治癒いたしますが」
護衛の男性が端正な顔に能面のような無表情を貼りつけて申し出たが、男は「いや」と一言。エアデールも「大丈夫です」と返事をして自ら治癒術を起動していた。
「そうですか。ではしばらくこの場をお任せしてもよろしいですか?」
「構いませんが……」
エアデールが応じると、男性はうなずいて敷地の外へと歩いていった。
二人きりでその場に残され、どうにも座りが悪い。男はようやく治癒術を発動させたエアデールをその場に残し、外へ向かって歩き出した。男性の後を追うようで嫌だったが、かといってこの場に留まっていてもしょうがない。下手に居残って、後処理に借り出されでもしたらかなわない。
「あ、おい……」
躊躇いがちなエアデールの声を背に受けつつ、男はその場を後にした。
貴族街の道路に出てくると、街灯が疎らで薄暗い中、男は足を止めた。
「チッ……」
屋敷を離れ、気を向ける対象がいくつか失せたせいか、左腕の痛みが鮮明化して煩く主張してきた。
それと同時に蘇ってくる、己の油断が招いた負傷という事実が、腹の底に汚泥として降り積もって足取りまでが重くなっていく。
ふと目を閉じれば、巨大な邸宅に空いた大穴の内に立ったディーゼラルドの姿が目蓋の裏に映し出される。
才能。そんな言葉が頭蓋のうちを塗りつぶして占有していく。
天才ではないと思ったエアデールとて、火や水を現出させる類いの魔術とは一線を画す修得難易度の治癒魔術まであの若さで修めているとあっては、評価を改めざるを得ないのではないか。
「チッ……」
再度の舌打ち。男は右手を握り締め、直後に奥歯を噛み締めた。
男は、痛めていないほうの腕を意識的に選んでいる自分に気がついていた。
◇
その後、男は安宿にもどった。うっすらと窓の外が白み始めたころ、ようやく最低限の治癒を済ませて眠りについた男の許に、ブレナスの従者のひとりが尋ねてきたのは、じきに昼になろうかという時刻のことだった。
従者は用件について聞かされていないらしく、とにかく顔を出せという話だった。
昼間に訪れた貴族街は、無駄に広い道を少数の馬車が無駄に優雅に行き交い、よくよく手入れのされた庭が太陽の光に照らされて輝く、無駄に美しい街並みだった。
ブレナスの滞在している屋敷は建物に大穴が開いたままで、庭もそこかしこに炎で焼けた跡や建材の破片が残り荒れた様子だった。刺客の死体ぐらいは片付けたらしいが、さすがに昨日の今日では手が回らなくとも当然か。
男は大穴の内を行き交っている使用人たちを横目に、屋敷の入り口に立ち、ノッカーに手をかけた。
この規模の屋敷にしては狭めの応接室で卓を囲んだのはたったの四人。ディーゼラルドともう一人の護衛の男性。それにエアデール。これしきの戦力で護衛とは、とあらためて思うが、本来ならば王国の兵士が護衛につく手筈なのだったか。
個々の実力も考慮すれば、たしかに普通に街道の魔物や相手を選ばないちゃちな強盗を相手にするだけならば十分。いや、十分を通り越して過剰に思える。
結局、小一時間も話をして、男は会話の内容をほとんど覚えていなかった。自身に関係のある事柄以外には興味がないためだ。覚えていることはと言えば、ディーゼラルドがたんたんと話し、もうひとりの男は事務的に説明し、エアデールが憤懣やるかたなしといった様子で憤っていたというそれぞれの印象と、翌日にも王都を発って辺境伯領を目指すということ、そしてやはり王国の護衛はつかないということくらいだった。
話を終えた男は庭に出て、昨夜自分が戦っていたと思しき場所を探した。芝生はあちらこちらに焼け焦げた跡があって紛らわしかったが、中でも比較的広範囲に焼かれている場所を探すと、目的のものはそこにあった。
昨夜はさっさと宿にもどってしまい、落としたままにしていた禍々しい意匠の仮面だ。適当に汚れを払い落とし、装着した。
本来ならばもう少し長く滞在する予定が大幅に短縮され、ブレナスの従者たちは忙しそうにしている。しかし普段から特別なにを用意することもない男にとっては、仮に出立が今日であっても問題はない。買い物などはせず宿に戻り、左腕の治癒に努めて過ごした。
そして翌日、王都に到着したときに一行が解散した場所に、今度は集合する運びとなった。男はいつも通りにギルドで待機し、馬鹿がご執心だった(今となっては本気だったのかどうか定かでないが)若い女の従者に呼ばれ、同じく待機していた新しい護衛のハンターたち数人とともに外へ出た。外にはすでに出立の準備をあらかた終えた馬車が三台、いつものように並んでいた。
すでに年嵩の従者と外にいたハンターとで護衛の配置は話し合われていたらしく、男は口頭でそれを伝えられた。これまでずっと護衛してきていることも、ブレナスの下っ端と言えるような立場も知らされていないため、ただの銀級ハンターの一人として言い渡された配置は、これまで同様の最後尾だった。中には機嫌を損ねるものもいるのだろうが、男にしてみれば望むところだ。
いつものように、年嵩の従者だけはブレナスたちの馬車へと乗り込み、出発と相成った。
王都へやってきたときとは別の道を行く。これといった街並みの違いや変化はないが、比較的、こちら側が下町にあたるのだろうなという雰囲気があった。道中には話に聞いていたもうひとつのギルドもあり、付近を行き交うハンター連中の容姿も、出発地点のギルドにたむろしている連中と比べて庶民的に見えた。
建物が減るにつれて、男は次第に心が落ち着いていくような気がしていた。一行の最後尾で、反対側を歩いているのはもう馬鹿ではない。いや、馬鹿ではあるかもしれないが、いまのところその中身はうかがえない。
歩きながらの治癒を試みるが、やはりうまくいかない。たとえば指先に火を点しながら歩くくらいはわけないことだが、治癒だけは別だ。
(しばらくは我慢するしかないか……)
まだ痛みは取れないが、大分マシにはなっている。あとは暇を見て少しずつ治癒していけば遠からず全快するだろう。もし治癒術がなければ、いまごろ左袖の中身は空洞になっていたはずで、この状態からでも万全に戻すまでにどれだけの期間が必要になるかわかったものではない。それを思えば、数日間の不便や修練の中断くらい、どうということはない。
それから数日、野営で進行が止まったときには、男は一行の傍をそれとなく離れて左腕の治癒に努めた。
そうして、王都周辺部の魔物が掃討された区域、言わば安全地帯を抜けて同道する馬車なども見かけなくなったころ、男は一行の最後尾でとある事態に気がついた。
(なんだあれは)
自分たちの進行方向から見てはるかに後方、街道の彼方からかなりの速さで近づいてくるものがある。次第にはっきりと視認できるようになると、迫ってくるものが人を乗せた二騎の馬であるとわかった。
「お、なんじゃあれ」
じきに、ともに後方を歩いていた護衛のハンターも気がついて声を上げた。どうする? とでも言いたげな視線を向けられた男は、顎をしゃくって報告を促した。
「へいへい……」
しぶしぶといった様子でハンターは歩調を速め、前方を行く馬車へ追いついていった。
少数で馬に乗って移動している人間というだけなら、わざわざ報告する必要はないかもしれない。とはいえ、王都で襲撃を受けたばかりでもあることだし、報告くらいしておいて損はないだろう。何事もなければそれで済む話だ。まさかディーゼラルドも、いちいち報せてくるな、と怒り出すこともあるまい。
気がかりなことがあるとすれば、やはり迫ってくる連中の進行速度だろうか。何らかの事情で急いでいるのかもしれないが、それにしても飛ばしすぎではないか。よほど持久力のある馬でもなければ、早晩潰れてしまいそうである。むしろ、その急いでいる内情にこそ注意するべきか。男が考えながら歩いているうち、さらに距離が縮まって、馬の背に跨っているのが鎧を身につけた王国の騎士であると知れた。
「はぁー……」
道にしゃがみ込んでいた護衛の片割れがいかにもダルそうに立ち上がり、並行して歩き出す。何を口にすることもなく配置にもどったあたり、これといって対処はしないようだ。
しかしやはり気がかりではある。護衛の片割れもちらちらと背後を振り返っている。
「なぁ、なんかやばそうじゃないか?」
「……どうだろうな」
二騎の騎兵が疾駆する足音が耳に届く距離まで迫り、馬上の騎士らしき人間の様子も多少は判然としてくる。男の私見では、片割れのように、やばそうとは感じない。確かに迫りくる馬の疾走音と武装した騎士の姿に威圧感を覚えるのは無理もないことだと思う。しかし騎士の佇まいに鬼気迫るといった風情は感じないのだ。
「なぁ、おいって」
だが、追いつかれるまでもう幾ばくもない距離まで接近され、馬上の騎士が腰の剣を抜き放つ段になり、男は己の判断が誤りであったことを覚った。
「ちょ、おい!」
二騎は左右に距離を置き、馬車を挟むような位置取りで向かってくる。その両方ともが剣を手にし、明らかに男と護衛の片割れをそれぞれに狙っている。
男はとっさに外側に向かって飛び出した。ほんのわずかでも判断が遅れていれば、走ってくる馬に自ら衝突しにいくかのような時機。
背後を暴風が通過していく圧力を感じつつ、街道の脇へ飛び出す。その一瞬に、立派な躯体の馬が通りすぎ、自身が立っていた地面が斬撃に伴う何らかの魔術によって砕かれる様を見た。
男は着地を考慮している余裕もなく飛び出したために原っぱを転がる。どうにか手と足を突っ張って顔を上げると、従者の馬車を行き過ぎた辺りで馬の背から街道に飛び降りた騎士が男を見ていた。
(やばい!)
兜の下からの空色の視線を認識すると同時に、男の体は逃走体勢に切り替わっていた。馬上からの一撃も大概鋭いものだったが、ずいぶんと加減していたのだと理解する。




