036,権力の棲まう場所 scene6
ひとしきり内心での言い訳が済んだところで、男は馬鹿に向き合った。
「あのクソ雑魚ナメクジの最後の言葉、知りたいか?」
「うらああああああ!」
またしても力任せの一撃。受け止めることは容易い。
「ずいぶん……」
「べらっべらべらべら! 気持ちわりぃいんだよ!」
さきほどと同じように振り払われる。しかし馬鹿の挙動には明らかな違いがある。
「死ね!」
男に向けられた馬鹿の手に炎が燃え盛り、放たれる。大した圧縮でないことは見てわかっていたので、さっと剣で割いてやるだけで事なきを得る。
と、馬鹿が深く沈みこんだ姿勢で斜め下から切り込んできているのを視界の隅に捉える。火魔術は当たればそれで良し、外れたなら目くらましにするつもりだったらしい。
左手で剣をもう一本、逆手で鞘から半ばまで引き抜いて止める。なかなかの威力。少なくとも始めから牽制と割り切っての一撃ではない。
引き抜いた剣を鋭く鞘に戻す。とっさに剣を引いた馬鹿に、すでに抜いている剣で袈裟に斬りつけるも捉えるには至らず。馬鹿の突きが飛んでくる。眼前を過ぎていく刃が、月明かりか、屋敷から漏れる人工の明かりかなにかで一瞬閃いた。
伸びきった馬鹿の手を、剣を鞘に収めて空いた手で軽く引いてやる。重心の管理を怠っているような相手なら、これだけで前のめりに死者の国へ旅立つことになっていただろう。しかし、いくら頭に血が上っていていたとしても、馬鹿はそこまで馬鹿ではなかった。わずかに崩しかけた体勢を整えて、殴りつけてくる。
男は馬鹿の腕を放し、後退する。顔面に向かってきていた馬鹿の拳が炎を湛えていたのを男の目は捉えていた。それはすぐに火の粉とともに魔術の残滓である粒子のような光を伴って霧散した。
エアデールを相手に魔術を中心に戦っていた者も、扱っていたのは火だった。そして殺してきた金髪も火を使っていた。そこに馬鹿も加えれば実に四人中三人が火を使っていることになる。
たしかに火も水に並んでよく修得される魔術の形態のひとつではある。何かと活躍の場があるだろうことは想像に難くないことと思う。
とはいえ、それを同じように修得している人間がこうもひとつの徒党に集まるものかと考えると、偶然とは言い切れないような気がしてくる。もしかすると、どこかの組織の戦闘員として養成されたような連中ででもあるのかもしれない。
「死ね! 死ね!」
しかしそんな相手の事情など関係ない。なぜなら、相手だって男の事情など何も勘案してはいないのだから。
剣を主体として火魔術を織り交ぜる戦い方はやはり金髪と重なる。どちらかといえば、怒りに呑まれているように見える馬鹿のほうが、それでも剣も魔術も洗練されているのはやはり、男相手なら、エアデールに対していた三人よりも格下の人間がひとりで十分、という判断がされていたということだろう。
剣で切り結びつつ、馬鹿に屋敷を背負わせる。魔術にさえ捕まらなければさしたる問題はない。何度か刃を返して位置を確認しつつ、応酬する。仕掛けは慎重に、不自然になっては元も子もない。
「っ!」
屋敷の照明を刀身に反射させ、馬鹿の目に入れてやる。大した光度ではない。せいぜいが、ほんの一瞬、目がくらむ程度のもの。しかしその一瞬が、刹那に勝負を賭ける場においてどれだけの価値を持つか。
男は馬鹿の足を払う。というよりも、軸足ごと蹴り抜いた。
「うぐ!」
胴を支点に半ば回転するように勢いよく地面に倒れた馬鹿は、それでもとっさに受身を取っていた。地面が芝生であることも相まって、ほとんど傷は負っていない。目をくらまされた際の防御反応も含め、金級は伊達ではないと思わせる動き。
男が断頭台の刃よろしく剣を振り下ろす。馬鹿も仰向けの状態で剣で受け止めようとするが、体勢的に勢いが乗るはずもない。肩口に刃が食い込み、ハンターにしては洒落た上着に血が滲む。
と、馬鹿が足を振り上げて男を蹴りつける。男がそれを片手で受けた瞬間、わずかに緩んだ剣を弾くようにして馬鹿は剣を振り上げた。そのままの状況であれば、男の上半身から顔まで切っ先が捕らえていてもおかしくない軌道。男は体を引き、上体も反らして対応した。
両者の間に距離が開く。しかしまだ倒れている馬鹿としてはもう一拍、間を置きたいと考えたのだろう。続けざまに炎を放った。
目の前が炎で包まれたらどうなるか。普通は怯むものかもしれないが、状況が見えてさえいれば、魔力が足りなくて魔術をろくに防御できない男でも恐れることはない。
焼き物の出店がよくやっている、派手に火を上げさせる客寄せと同じだ。見た目は派手で恐ろしいが、ろくに増幅も圧縮もされておらず、威力などないに等しい。
故に、動じることなく踏み込み、思い切り剣を振り下ろす。立ち上がりかけ、しゃがんでいる状態の馬鹿の姿が炎の向こうに現れる。予期せぬ一撃だっただろうが、馬鹿も必死で剣を構えた。
金属のぶつかり合う激しい音と同時に赤い血しぶきが舞う。
「おっと」
緊迫した場面に似つかわしくない声とともに後退したのは男のほうだ。上半身にちらほらと付着した火を軽く手で払い落とす。手にしていた剣は砕けて短くなっていた。
「ぬ……ぐ……」
馬鹿はまだしゃがんだまま呻いている。その足元には血に濡れた剣の破片が落ちていた。折れたのは男の安物の剣のみ。仮に男の剣が折れていなければどうなっていたか。男の斬撃を止めきれずに上半身をばっさり斬られていたか。受け止めきれた可能性は低い。
「安物はこれだからなぁ……」
本来なら信頼に足る剣を持つべきだという認識は男にもある。なぜそうしないかと言えば、一言で言って馬鹿だからである。目の前で苦しげに呼吸を荒げながらも立ち上がった馬鹿よりも、よほど。
安物の剣が折れるにしても、手持ちの耐久性と、剣で対応する敵の攻撃の威力を正しく見極められていれば、剣が折れることで被害を受けることはない。そんなことをつい考えてしまうのだ。
自分が、絶対に折れないような伝説の武器、なんてものを手にする機会は生涯訪れないだろう。そう思うからこそ、どんな武器でも見極めて使えるようにならなければと、志ばかりを大きく掲げている。凡才にして頂を見つめる愚かしい所業。
男は折れた剣を馬鹿に向かって投げつけた。これが武器としての最後の仕事。投擲用の短剣とも勝手が違い、うまく回転させることも叶わなかったが、馬鹿に命中する軌道ではあった。
馬鹿も体調が万全であればおそらく避けていただろう。なまじ壊れているからこそ軌道が読みづらい。しかし立ち上がったばかりでまだ痛みに意識が引き摺られたのか、足は止まっていた。
男は剣を投げた直後に駆け出していた。馬鹿が剣で弾こうと視線で追っているのを見ながら、その視線の反対側へ、屈むような低い姿勢で踏み込む。
さすがに、馬鹿もすぐに気がついて視線が交わる。だが遅い。もはや馬鹿の反応が追いつくよりも先に、人間の生命を絶つために必要な太刀筋をなぞる準備が男には整っていた。わき腹から刃が入り、最重要機関である心臓はもちろん、各種内臓ごと肩口までを切り裂く様が、明確に脳裏に描けていた。
しかし、結果的に馬鹿の体が切り裂かれることはなかった。危機という名の魔力の奔流を感じ取り、男がその場を飛び退いたためである。
直後、轟音と共に屋敷の壁が炸裂した。
同時に吹き飛ばされたらしい一人の男性が数多の破片とともに庭の芝生の上に転がる。その全身は何らかの衝撃に引き裂かれ、ずたずたにされていた。
屋敷に空いた大穴の内部では、巨大な魔物が暴れでもしたかたのごとき有様の広間に、大剣を手にしたディーゼラルドと、刺客らしき二名の男性たちが相対していた。
刺客も大した手足れだと一目でわかったが、男が目を奪われたのはディーゼラルドの姿だった。
魔物の放つ魔力のごとく、可視化しそうなほど濃密な魔力を纏ったディーゼラルドの姿は、蜃気楼の向こうに立つかのごとく揺らめいている。悠然と立つその姿に、男は王都に聳え立つ居城を見上げているような錯覚を覚えた。
すでに邸内では戦闘が始まっているのだとばかり思っていたが、それが誤りだったのではないかと思うほどの圧倒的な威圧感。壁一枚を隔てただけで、これが感じ取れないとは考えられない。
これを殺すのに、いったいどうすればいいのか。
男は途方に暮れた。
真正面からでは、到底太刀打ちできそうにない。次の瞬間にはそう思ってしまったことを後悔すると知っていてなお、これは無理だと思考してしまう。
では寝込みを襲うか。感づかれないとは思えない。奇襲も同様。まず隙を突かねば奇襲とは言えないが、その隙をどこに見出せば良いのかわからない。仮に排泄中を狙撃しても無駄だろう。
可能性があるとすれば毒だろうか。しかし曲がりなりにもハンターであるディーゼラルドがその辺りの知識が皆無であるとは考えられず、ああまで鍛え上げられた肉体に作用するほどの猛毒を大量に投与することが可能な状況は……。
男はハッとして視線を走らせた。
「チッ!」
目の前に壁とも思える炎が迫っていた。ギリギリで身を捩って魔力を纏わせた外套を翻した。避けられない。そう直感しての行動だった。
しかし男の脆弱な魔力では到底防ぎきれず、業火に転化された暴力的な魔力の奔流に男は半身、特に左腕を焼き焦がされて地面に転がった。
「アバハハハハハハ! 呆けているからだバーカが!」
魔術を放ったのは、あと数秒で死が確定していたはずの馬鹿だった。男が思索に耽っている中で、追い詰められていた馬鹿は状況の推移になど目もくれず、男を攻撃することだけに集中していた。その差が表れた結果だった。
「心底……腹立たしいな……」
男はゆっくりと立ち上がった。
「ざまあみろゴミが!」
外套は焼かれてボロボロ。上半身の衣服も左肩から上腕にかけて穴だらけになり、ところどころ赤く焼け爛れた肌が露出している。
痛みは酷いが指先まで感覚は生きており、少なくとも現状ではまだ、左腕が死んだわけではない。しかし、とてもじゃないが戦闘では使い物にならない。もし相手が魔物であれば、囮として餌代わりに献上する案もあり得たかもしれないが。




