035,権力の棲まう場所 scene5
エアデールはすぐに立ち上がってくる。転がったのはあくまで回避のため。しかしかなり無茶な動きだったのは間違いない。しかもそれだけやってもかわしきれなかったらしい。一層険しい表情で剣を構えるエアデールの全身には草の切れ端やら土が付着しているが、三人組はそれを払う隙も与えない。
観察している限り、エアデールの攻め手は剣術が軸のようだ。水を扱う魔術は火球に対抗するためかもしれないが、ほとんど攻撃には転用していない。余裕があればほかにも何か扱えるかもしれないが、なんとなく、やはり水魔術が得意なのだろうなと男は考えた。
魔術を扱うにあたって、水は率先して修得を考えられるものだ。鍛えられなければなかなか攻撃用としては威力に乏しいものの、使い道が多岐に渡ることがその理由。水がいかに人間の生活に欠かせないものであるかは語るまでもないだろう。
そのため、適性のある者はまず真っ先に水を扱えるようになるべきという気運がある。基本のように考えられているのだ。
エアデールの動きには奇をてらったところがない。基礎を洗練して洗練して洗練してきたかのような生真面目さが垣間見られる。だからきっと、魔術に関しても基本であるかのように捉えられている水をなにより訓練しているのではないか。
エアデールの実力について、男は金級は確実と見ているが、おそらくは敵も金級か、少なくとも銀級のなかでも上位に位置する実力はあると見た。それが三人で連携して襲ってきていると考えれば、エアデールはよく持ちこたえているほうだろう。
(あの女に三人がかりなら、屋敷内には何人侵入しているのか……)
本命はブレナスだろう。もしくは、ブレナス自身に戦う力がないことを思えば、ディーゼラルドが本命と言い換えても良い。護衛にはもうひとり、男と面識のないハンターがついていたようだが、そいつの実力はよくわからない。遠目の印象ではそれほどの強者には見えなかった。
ディーゼラルドをどうにかする算段がつかなければ、襲撃などする意味がないように思えるが、はたして金級同等からそれ以上の人間がそうかんたんに何人も集められるものなのか。ギルドで雇い入れるならばそう難しくもないだろうが、まさかギルドの要人を殺す依頼をギルドで募集したということはあるまい。やるとしても秘密裏にということになるだろうし、それは結局のところギルドとはあまり関係のない、人脈によって成されることと言えるのではないか。
男が敵の戦力について思考している間にも、エアデールは少しずつ、だが確実に追い詰められていた。仮に双方の損耗を数値化するのならば痛み訳といったところだが、相手はそれを三等分できている。苦しいのは圧倒的にエアデールの側だ。
消耗してきたエアデールを前に、もし三人組が野盗などであれば下卑た表情を浮かべて雰囲気を弛緩させたかもしれないが、連中にそうした緩みは見られない。
殺されるまで見ていてもいい。そう思っていた。王都までの道中、様子を見ていた限り、エアデールはブレナスやディーゼラルドとはあまり親しくもないようだったが、奴らの仲間にはちがいない。ならば死んでもらうほうが何かと都合が良いに決まっている。そもそも嫌いだ。
しかし、斬りつけられて血を流しても、防御が間に合わずに火球を浴びせられても女らしい悲鳴ひとつ上げないエアデールの姿を見ているうち、ふと煙草に手を伸ばしかけた自分に気がついて、男は胸の内に苛立ちが蟠っていることを認めた。
一度は止めた手を懐に忍ばせ、改めて煙草を取り出した男は、それを咥えてから指先で火を点し、物陰を出た。そのまま無造作に屋敷と庭を隔てている柵へと歩み寄る。
柵の向こうでは、三人組のうち魔術を中心に戦闘している者が気がついたようだが、とくに何かを仕掛けているわけでもないので、対応は動向をうかがうに留めているようだ。
柵は細く見通しはいいが幅は狭い。高さもそれなりで、男の身長を優に超えて余りある。
男はゆっくりと煙を吸い込む。煙草の先が赤く光り、存在を主張する。短くなったそれを道端に吐き捨て、男は身を屈めた。
地を蹴り、柵の上部に手をかけて一気に乗り越える。マントの裾が引っかからないように身を翻し、庭の芝生に着地した。
エアデールは天才ではない。男はそれをここまでの道中で知った。まだ若く、年齢の割に強いので勘違いしていたのだ。おそらく同年代の人間の中ではかなり上位に食い込む強さだろうが、その裏にあるのは類稀なる才能ではなく、費やしてきた膨大な時間。
そして今、男の目に映る四人の人間の中で一番強いのはエアデールだ。三人を相手に、有利な状況も選べずに戦って、その上で持ちこたえていることからも明らか。
「おいおい、誰かと思えばマウスじゃん」
三人組のうちのひとりがいかにも軽薄な声を発したかと思うと、いきなり踏み込んで斬りつけてくる。
切っ先で芝生を切り散らしながら走ってきた刀身を、とっさに抜き放った剣で受け止める。直後に剣の軌道の真反対、斜め上段から鋭い回し蹴りの踵が降ってくるのを掻い潜り、煩わしいとばかりに拳を固める暇も惜しんで体当たりで斬りかかってきた敵を追い払った。
「ととっ……。なんだ、思ったよりやるな」
すぐに体勢を立て直した敵……馬鹿は、いつものように、ニッと笑って男を見返した。状況が違えば、「今日も一日よろしくな」などと言葉が続いても違和感のない表情。
「おい!」
エアデールと向き合っている二人から声が飛んでくる。
「ちょっと二人でやっといてー」
馬鹿は手をひらひらさせて応えていた。
男はへらへらしている馬鹿面に向かって剣を突き出した。
「うお、あぶねっ」
横目で捉えたのか、馬鹿は全身を反るようにして突きを避けた。直後、持っていた剣で目の前を通りすぎた剣を払い、あらためて男から距離をとった。
「おいおい、エアちゃんが心配なのはわかるけど、ちょっとは落ち着けって」
いかにも敵意はありませんとばかりに両手を広げた馬鹿の首に向かって、今度は短剣を投げてやる。
「チッ!」
馬鹿の舌打ちと共に、短剣は容易く弾かれた。
「はぁ……。なに? そんなにあの女のこと助けたいの? あれか、白馬の王子様でも気取ってんのか?」
男は思わず吹き出した。
「ふふ……。お前のほうこそ、そんなに時間稼ぎがしたいのか? しょうがないから付き合ってやるよ」
「あ?」
馬鹿の顔面に張り付いていた薄ら笑いが剥がれ、表情筋が仕事を放棄した。
「お前も大変だよなぁ。仲間が不甲斐ないばっかりにさ。なんて言ったかなあの……。なんかほら、金髪の……」
「……」
「あの雑魚。ちゃちな火しか出せないくせに剣の扱いもまるでなってない奴さ。あんなのといっしょに作戦に当たらなきゃならないなんて、俺ならご免被りたいね。あんなのが仲間にいるせいで、こうやって馬鹿な真似をしなきゃならなくなる」
「くく……」
ふいに、馬鹿が口の端を吊り上げた。それは笑みの形に近いが、これまでの道中に馬鹿が浮かべていた軽薄な笑みとはまったくの別物だ。
「いやあ、つくづく下手だなぁあんた。挑発にしたってもうちょっとうまいこと言えないわけ? コルトの炎がちゃっちいとしたら、あんたの……」
「へぇ、あの雑魚、コルトってのか。で、お前そのコルトってのとは親しかったの?」
「……同郷だよ」
しぶしぶといった調子で、馬鹿は男の質問に答えた。後ろの二人がエアデールを仕留めてくれるまで男を参戦させないために止む無くといったところか。当然、男もそのことはわかっていて話をしている。
男がこの場に現れる以前の評価であれば、会話などせずに攻撃して殺してしまえばいいと考えただろう。しかし、ぶつけた戦力が早々に片付けられ、無傷で敵対されては戦力評価を改めざるを得まい。エアデールに加勢されて三対二の構図になったとしたら、ようやく見えてきた勝ちの目が潰える可能性がある。馬鹿の内情はそんなところだろう。
「コルトってのはいくつなんだ? まだ若そうに見えたが、親は生きてんのかなぁ。兄弟なんかがいたりするんだろうか。まさか、こんな仕事していて結婚してるってことはなさそうだが」
「…………」
勝手に話をして、時間を潰してくれるならそれに越したことはない。そうであるはずだ。そのために男の意図を汲み取って「同郷だ」などと馬鹿は口にしたのかもしれないが、だとしたら男の姿は相当に滑稽だろう。笑わずにはいられないに違いない。そう考えれば、案外と馬鹿の言葉が真実であるように思えてくる。
「何が好きだった? ありがちに酒か? 魔物肉では何が好きだった? 貴族様じゃあるまいし、まさか牛だの豚だのの畜産品とは言わないよな?」
馬鹿は口を引き結んだままで沈黙している。勝手に喋って時間を潰してくれるのだから、願ったり叶ったりだろう。
「同郷だって話だったが、あいつはいつごろから剣の修練を始めたんだ? あの腕じゃつい最近でもおかしくないよな。もしかして他に得意な武器でもあったんじゃないか? まさか火魔術ってことはないだろうが……お前知ってるか?」
「……ねぇよ」
話しているあいだ、少しずつ俯いていった馬鹿の表情はうかがえないが、搾り出したようなその声はたしかに震えていた。
「あの雑魚はどんな話をすると笑うんだ? どんな声で笑った? どういう女が好みだったか知ってるか? 優しい女か? キツイ女か? それとも男が好きだったか? たとえばお前みたいな……」
「知らねぇええええ!」
猛然と突っ込んできた馬鹿の剣を受け止めてやる。力だけは込められていたが、何の工夫も次への布石もない大上段からの振り下ろし。
「急にどうし……」
「だまれくそがあああ!」
男は、強引に剣を振り払ってきた馬鹿に逆らわずに後退し、距離をとる。
馬鹿は、さっきまでエアデールを相手にしていたとき以上に息を荒げて肩を上下させている。男自身、我ながら下手な挑発だと自嘲していたが、何かしらお気に召していただいたらしい。
馬鹿の背後では依然としてエアデールと二人の刺客が戦っている。一目、戦況は拮抗している。三人が二人に減って、傷ついて弱ったエアデールと同等。もしも男と彼女が仲間だったとしたら、助けにきたことはともかく、無駄に口を開いて時間を潰しているあたり、相当に憤っていることだろう。
(ま、そんなことは関係ない)
男にしてみれば、エアデールが生き延びるかどうかは重要ではない。いや、助けるために助勢したのは確かなのだが、まず第一に気に入らない人間であることと、この程度で死ぬのであればそれまでの人間だという思いも同時にあるのだ。
感覚としては、三人組が気に入らないから邪魔しに入ったのであって、エアデールを助ける格好になったのは結果的なことに過ぎない。そういうことだ。




