032,権力の棲まう場所 scene2
翌日、男がギルドに仮面、もとい顔を出すと、ちょうど馬鹿がギルドの奥から出てくるところだった。
「あ、おい何やってたんだよ。朝来いって言われてただろ」
「無駄に広いんだよ、町が」
確かに、昨日宿に案内してくれた従者に伝えられていた。それを覚えていればこそギルドにやってきたのだ。
「エアちゃん、めっちゃ怒ってたぞ。いい加減、切られても知らんからな」
それは雇われとしてなのか、それとも物理的にということなのか。前者はブレナスの下っ端……いや、ディーゼラルドの下っ端? としてはあり得ないことなのだが、馬鹿は知らないのだからその可能性も考えるだろう。それにしても、ほとんど接点がないというのに、エアちゃんだのとまったく馴れ馴れしいやつだ。
「あんな奴の話はやめろ。朝から気が滅入る」
久々に朝、顔を合わさずに済んだのだ。できることなら、このまま一生、顔など見ずにいたいものだ。
「そんなこと言ってやるなよ。エアちゃんだってお前に会いたかったんだろ」
しかし神が男のような者の願いをそうそう聞き届けるはずがない。そんなことは馬鹿の背後を見るまでもなくわかっていたことではあったが。
「だれがだれに会いたがっているって?」
「いやだから……」
声の主を認識するよりも先に内容に反応するというのはいったいどういう頭の構造をしているのか。まったくもって不思議なものだ。男は我関せずと、ギルドの外へ引きずられていく馬鹿から目を背け、ギルドの片隅に立ち尽くした。
そう間をおかずに戻ってきたエアデールは、七日間ほどの滞在期間中の自由をきわめて機械的に男に申し付けると、さっさとギルドの奥へと引っ込んでいった。
七日間ほどの余暇。
これまでの町での滞在期間と比べるとかなり長い。王国のギルド本部があるということで、ブレナスたちにとってはきっといろいろとあるのだろう。男にとっては、ほとんど関係のない話だ。
遠征するようなものでなければ、いくつか依頼を受けても達成できそうだ。金には困っていないが、時間潰しに適当なものを探してみるものいいかもしれない。
そうして張り出された依頼を眺めていると、馬鹿が疲れた様子で戻ってきた。
「ん? お前依頼なんて受ける気なの?」
「まぁ……暇つぶしに」
「暇つぶしねぇ。せっかく王都にきたのに遊ばないんかよ。ほんっと真面目くさってんな」
「お前の言う遊びってのに興味がないだけだ」
馬鹿の言う遊びなど、どうせ酒だの女だののことに相場は決まっている。あとはせいぜい賭け事か。ハンターとしては一般的な嗜みの範疇だ。のめりこみ過ぎるのは問題かもしれないが、自分で稼いだ金を何に注ぎこもうがそれは当人の勝手だろう。男はそれらに興味がないだけで、真面目だという馬鹿の評価は間違っている。
「んじゃま、生きてりゃまた会おうぜ」
そう言うと、馬鹿はさっさとギルドから出て行った。
依頼を眺めていると、その地域の実情がある程度見えてくる。かんたんな理屈で、魔物に脅かされている地域では魔物退治の依頼が多い、とかその程度の話だ。
王都のギルドに張り出されている依頼は、魔物退治の項目がかなり少ない。昨今は素材の収集としても魔物退治は需要があるのだが、おそらく周辺部の魔物が少なすぎるために、そうした需要は交易のほうで回っているのだろう。その証拠、とまで言い切っていいのかはわからないが、護衛の依頼が多く並んでいる。それも中長期的に雇用契約を結ぶというもの。
ほかの依頼はと言えば、賞金首の張り出しが多いが、それ以前に、依頼の絶対数がかなり少なかった。それと大多数の依頼が銀級以上を要求するもので、銅級以上ですら珍しい有様。
男は新市街にもうひとつギルドの支部が存在するという話に得心がいった。おそらく、銅級以下のハンターの多くは向こうのギルドに集まっているのだろう。そしてこちらには、そうした下位の連中と自分たちは違うのだという不遜な輩が集まっているということ。普通もっとも混み合う時間帯を過ぎているとはいえ、やけに閑散として静かなこともその証左のひとつと言える。選民思想に囚われたハンターたちだからこそ、ぎゃあぎゃあと小うるさい連中と自分たちは違うのだと気取っているのに違いない。
ギルドを後にした男は、昨夜も訪れた大通りを町の外へ向かって歩いていた。空は晴れ渡り、自然の光に照らされた街並みは、仮面の奥の瞳にまったくの別物のように映る。
新市街のギルドに行ってみようかとも思ったが、まだ場所がわかっていなかったこともあり諦めた。探すだけの気力は残っていなかった。
男にとってギルドで依頼を請け負うというのは金を得るための手段に過ぎない。かつてギルドというものが発足したときに掲げられ、現在でもエアデールのような謹厳なハンターが胸に抱いているという『人を守る』という理念など、男には欠片も存在しないのだ。
よって、懐に余裕のある現在、積極的にギルドで依頼を請け負う理由はない。
男はいつも通り、影を渡るようにして道の端を歩いていく。通りを行き交う人々が、だれもかれも活力に溢れて見えるのは、まだ一日が始まったばかりであるためか。それとも、虚ろな自分と対比させて見てしまうためか。
訳もわからず、足が止まる。
この先にいったいなにがあるというのか。町の外の話ではない。
「おい! 王が来るぞ!」
男がぼんやり思索に耽っていると、そんなことを声を抑えて、それでも叫びながらひとりの男が通りを走っていった。それを聞いた人々は、みな慌てたように動き出す。見ていると、多くの人々は近くの路地へと駆け込んでいき、店を開けている者たちは逃げようもないだろうが、どうも女性を奥へ下がらせているようだった。
男もそれとなく建物の陰に身を潜ませた。自分が歩いてきたほうの道を見やると、遠くに一台の馬車が見えた。
かつてどこかの貴族は、道を歩くときに町の人間をすべて道端に平伏させたという。そこまでのことは行われていないが、馬車が近づいてくるとだれもが道の端により、どことなく居住まいを正していた。
馬車は箱型であり、中に乗り込んでいるらしい王の姿は男の位置からでは視認できない。車体はブレナスのものと比べてもかなりゴテゴテと飾り立てられたもので、一目で乗っている人間が只者ではないことがうかがえるものだ。
馬車に急いだ様子は見られず、ゆっくりと練り歩くような速度で進んでいる。。
人々が緊張して馬車の通過を見守る中、男が見ていたのは護衛の騎士たちだ。馬車を囲うようにして歩いている騎士たちは実用性に疑問が持たれるような華美な装備をしていたが、けして実力が低いというわけでもなさそうだ。少なくとも、男が襲撃をかければ瞬く間に切り伏せられてしまうのは間違いない。
ため息が漏れる。当然、感嘆したわけではない。
自国の城下町を巡っているだけとはいえ、世界一の大国の王の警護を任されている選りすぐりの強者たちだ。強いのは当然。一、凡人である男が敵わないこともまた、当然。
しかし当然だからといって、心中の苛立ちまでは止められない。陰の中から睨みつけていると、王様御一行は、通りが孕んだ緊張感とは裏腹に、あくまでゆったりとした様子で通りすぎていった。
馬車が小さくなっていくのを見送っていると、しばらく行った先で、ふいに道の脇から一人の女性がスカートを翻しながら通りへと躍り出た。遠目にではあるが、なにやらはしゃいだ様子に見えた。
すると、それまでゆっくりと進み続けていた馬車が進行を止めた。女性が前を遮ったりしたわけではない。それどころか、護衛の騎士たちとすら距離は離れていた。
女性はすぐに通りの様子に気がついたようで、慌てたように道の脇へ姿を消す。
なにやら停車した馬車の窓が開いたかと思うと、周りについていた護衛の騎士たちが通りへと駆けていった。
「いやああああ!」
そんな女性の悲鳴がかすかに耳に届く。男の周囲から、「あー……」というようなぼやきが漏れた。
路地へ入っていった騎士の一人が、女性を連れて通りへと姿を現すと、そのまま引き摺るようにして馬車の中へと押し込んだ。馬車は女性を乗せたまま、またゆっくりと発進する。と、路地から男性が飛び出し、馬車に追いすがろうとした。
いかにもな、ただの町人だ。刺客の襲撃だとかそんな様子ではない。男性は騎士に遮られ、道に転がされた。それでもなお彼が立ち上がって馬車を追いかけようとすると、周りから町人が群がってきて男性を押さえつけた。
馬車はそんな騒動になどなんの関心も示さず、一定の速度を保って進んでいく。男性を地面に転がし立ち止まっていた騎士も、男性が周りの者らに押さえつけられたのを見て馬車の許へと戻っていく。
「はぁ……もう見てらんねぇよ……」
そんな声が周囲から聞かれ、男はそちらへ視線を向けた。その瞬間、「おおい!」だとか「待て待て待て!」と、そんな声が通りの向こうでいくつも上がった。見れば、男性が周囲の制止を振り切って、馬車に向かって走り出していた。
馬車の許へ戻ろうとしていた騎士が振り返り、それと同時に、走っていた男性が石畳の上に駆けていた勢いのままに転がった。
騎士はなにかごそごそとやりながら、今度こそ馬車の傍へと戻っていく。転がった男性は倒れたままで、押さえつけようとしていた人たちも呆然とした様子で立ち尽くしていた。男からは視認できないが、おそらく転がった男性は石畳を赤く染めているのだろう。
悲鳴などが上がることはない。周りの人間の反応からして、これが珍しい出来事でないことは明白だ。頻度はわからないが、こんなことがこれまでに何度も繰り返されてきたであろうことは疑いようがない。
「素晴らしいじゃないか……」
思わず言葉が漏れていた。
通りが静まり返っていたために、小さな男の呟きを聞き取ったらしい中年の男性が険しい顔で振り返る。影に佇む男の姿を視界に捉えると、ふんと鼻を鳴らして踵を返した。
男の胸の内は滾っていた。あれが力の形態のひとつ、権力の最高峰だ。素晴らしい、クズの姿だ。
あれに頭を垂れないためにはどうすればいい。
あれに膝をつかないためにはどうすればいい。
あれをねじ伏せるためには、どうすればいい。
男は拳を握り締め、影に呑まれた路地へと足を向けた。




