002,街道の盗賊 scene2
いまさらですが、だいたい
◇=場面転換
◆=視点変更
としてお読みくださいm(_ _)m
「うああああ!」
情けない声を上げた盗賊は、のしかかってきた燃える少年の振り下ろした拳でその醜い顔面を叩き潰された。
男が腰に差したもう一本の剣を抜き放ちながら少年に迫る。すると、いつの間にかふたたび少年の体から伸びていた赤い糸が鞭のようにしなった。そして迫り来る男に向かって、切り飛ばされていたはずの剣を握り締めた少年の腕が、あたかも別個の生物であるかのように勢いよく飛びかかる。男はそれを横目で瞬時に視認した。
「チィッ!」
ギィン! と甲高い音を立てて、少年の腕は男の手にした剣で弾き飛ばされた。しかしその勢いに男も一瞬、足を止めることになる。その間に少年は、少女を片腕で拘束したまま呆然と成り行きを見ていた間抜けな盗賊の顔面に思い切り拳を叩き込んでいた。
「ソル!」
拘束を脱した少女は、いかにも乱暴されていましたというぼろぼろの格好で少年に抱き着こうとしたが、少年はそれを避け、横に移動した。直後に、ドスッという鈍い音とともに、少年の体がわずかに揺れる。
「はぁ……見えてんねえ……」
足止めされた地点から動いていない男が嘆息する。それを横目に見ながら、少年は背中に刺さった短剣を抜き去った。一度は飛び散ったはずの鮮血が、うぞうぞとまるで死に際のスライムのように震えると、時間を戻すみたいに少年の背中に飛びつき、傷口へと帰っていく。
弾き飛ばしたはずの左腕までが、赤い糸が手繰られるみたいに肩に近い切断面に張り付き、切断された証である赤い線のように見える傷口も見る間に消えていく。
「ソル、どうして……」
少女は異常な様子の少年に驚愕の表情を向ける。さきほどまで片腕を失って火に包まれていたはずの少年だ。驚くなというほうが無理があるだろう。そんなふうに蠢くものがいるとすれば、それは神に仇なす不浄の存在に違いない。少女は無意識に自身の胸元に提げた神のシンボルを握り締めていた。
「おまえら、皆殺しにしてやる!」
激情に顔を歪める少年の身につけていた衣服はその大半が燃え、ほとんど短いズボン一枚にボロ布を巻きつけたかのような格好となっている。視線を交わしている男はといえば、そこらにありふれた軽戦士といった出で立ちに、旅装に用いられるようなマント姿。それらは着慣れた感はあっても、激しい戦闘に身を置いていたとは思われない綺麗なもの。
「まぁ待て。そういきり立つなって……」
「黙れ盗賊が! よくも皆を……!」
辺りには馬車に乗っていた数人の男たちが、物言わぬ屍と化してそこらに横たわっている。男には少年たちと彼らにどういった繋がりがあったのかなど分かるはずもなく、それを知ろうとも思わない。
荷台を降り、街道に立った少年はぎりぎりと左手の剣を握り締め、いまにも踏み出さんと姿勢を低くした。
「待て待て、俺は雇われただけだ。もうこれ以上やるつもりはない」
男はそう言うと、両手のひらを空に向け、天秤をかたどるように腕を挙げた。手にしていた剣も、手のひらから滑り落ちるようにして地面に落ちて転がった。
「ふざけるな! だれがそんな……!」
男の言葉に、少年は矛を収めるどころか、余計に怒りを深くした。いまにも飛びかかってきそうな少年を見据え、男はなおも口を開く。
「おい、俺はもう武器も持ってないし、戦うつもりもないって言ってるんだ。そんな俺をお前は殺すのか? そこの嬢ちゃんを守りたかったんだろ? ならもう戦うことはないだろうが」
「何を言ってやがる! 皆を殺しておいて、フロラにも……酷いことを!」
少年の語気は衰えない。しかし、その体が、足元が、すぐにも飛びかかろうという体勢からわずかに後ずさったのを男はじっと観察していた。
「ならどうすれば見逃してくれる? 神にでも祈ればいいか? 己の罪を悔い、赦しを乞えば……」
「黙れ!」
はぁはぁと大袈裟なほど肩を上下させて大きく呼吸する少年。
「無抵抗の俺を殺したら、それはお前も人殺しになるってことじゃないのか?」
「な、にを!」
怒気を露にした少年に、男は眉をひそめる。煽りすぎたか? そんな心の声が聞こえてきそうな表情。しかし、
「やめて!」
少女が悲痛な声を上げながら、少年の腕に縋りついた。
「フロラ!? なんで!?」
「やだよソル、ソルが行っちゃったら、わたし……」
ぼろぼろと涙を零しながら、少女は必死に少年に縋る。
「ぐっ……けど……!」
少年は少女を振り払うことができない様子でその場に立ち尽くしている。しかし激情が消えるわけもなく、剣を握り締めた腕はぶるぶると震えている。男はそんな少年と少女の様子を見ながら、さきほどからずっと遠巻きに様子をうかがっていた盗賊連中を横目で見て、片手で追い払うような仕草をしてさっさと撤収するよう促した。
「わたしを一人にしないで、ソル……」
ぼろぼろの格好で命すら預けると言わんばかりに全身で抱きついてくる少女に、少年は剣を下げた。その様子を見ながら、男はゆっくりと歩き出す。
「ああああああああ!」
やり場のない激情を迸らせ、少年は叫ぶ。
「うるっさ……」
それを背中越しに聞きながら、男は悠々と森の中へと姿をくらました。
◇
「チッ……」
男は森の中を歩きながらもう何度目になるか分からない舌打ちを打った。
損害は、剣が二本と短剣一本。可燃性の液体一袋に煙草一本。あとはクソみたいな盗賊が二匹。自分にとってはどうでもいいものだが、現雇い主にしてみれば仲間の二人には違いない。
それにしても下らないことに首を突っ込んでしまったものだと、男は後悔していた。この盗賊団に雇われてもうどれだけ経ったか。初めのころはあんなに馬鹿をやらかす連中じゃなかった。地道に”通行料”をせしめて糊口を凌ぐようなちっぽけな奴等だった。
それがいつからだ。男は殺し、女は犯し、問答無用ですべてを強奪するようになったのは。ちっとばかり腕が立つってんでいきり立った輩を男が黙らせてからか。馬鹿が見境なしに襲い掛かった豪商の、いかにも腕利きの護衛を男が黙らせてからか。
「最後にするつもりだったのによ……」
盗賊の用心棒なんて、積極的に請け負ったわけじゃない。あるとき街道を一人歩いている時に、三人ばかしのみすぼらしい格好の男たちが、震える手に草刈り鎌なんかを握り締めて襲ってきたのだ。
馴れ合いか。情が移ったのか。
違う。
だから、あのとき無駄にした短剣も、メスガキを傷つけてやろうという自分の悪趣味が原因であって、あの時の一人がガキに顔面を殴り潰されたからじゃない。
鬱陶しい茂みを抜け、森の中に打ち捨てられていたボロ小屋を改築した盗賊の拠点のひとつに到着した。現在は盗賊団の規模が膨らんでしまっていることもあり、近場に見つけた洞窟のほうを本拠地にしていて、小屋のほうは主に前線基地として使用されている。
「お、てめえどの面下げて戻ってきやがったんだ!」
盗賊の一人が男の顔を見るなり語気荒く詰め寄ってきた。男はそいつの腹に拳を埋め込んだ。さきほどの襲撃の現場には来ていなかった奴だった。
「おう、わりぃな。そいつ死んだのと仲良かった奴だ」
やりとりを見ていた、また別の盗賊が声をかけてくる。
「ふーん」
自分の足にもたれかかるようにして蹲った盗賊を、男は退けるように地面に転がした。
「で、結局やられたのは二人だけか?」
「いや、仕掛けた時にもう一人死んだな。あとはまあ、多少傷ついたくらいだな」
「そうかよ」
自分から問うたくせに、そっけなく返事をして男はその場から立ち去ろうとした。方向は本拠地になっている洞窟のほうだ。
「さっきはあんがとよ。おかげで助かったぜ」
「んー」
返事とも取れないようなうめき声を残し、男は振り向きもせず茂みの向こうへ消えていった。
「いっぱしの人間みてえに礼なんか言ってんじゃねえよ……」
口の中で呟いた言葉は残滓も残さず、誰の耳にも届きはしなかった。
◇
「まぁ飲めよ」
「いらん。酒は嫌いだと言ってるだろ」
盗賊団の団長は最近、男の顔を見れば酒を飲めと誘ってくる。男はその度断るのだが、四六時中酔っているせいか、どうも記憶に残らないらしい。
「まぁいい。で、どうかしたのか」
「ここを出て行くことにした」
「ここを出て行く、ね……。なんだと!? 団を抜けるってのか嘘だろおい!?」
恰幅のいい団長が出っ張った腹を揺らしながら立ち上がり、喚き散らした。
「嘘じゃない。抜けるも何も、俺は始めから団に所属した覚えはない」
「なあバンディ、まだそんなこと言うのかよ。俺とお前の仲じゃないか」
本拠地の最奥の部屋でふんぞり返っていた年嵩の男は、三人だけで盗賊行為を働き始めた頃からの団のリーダーだ。最近はずっと本拠地にいて、実際に盗賊行為を働くこともなくなっていた。
「何が不満なんだ? お前、金も女もいらねえって言うしよ。だからって男が欲しいってわけでもねんだろ?」
「さてな……それは俺にもよく分からん。たんに飽きたのかもしれん」
「飽きた……。そうかよ……」
年嵩の男は洞窟に似つかわしくない高級品の椅子にどっかと腰を下ろした。
「チャール、ここにあるの、いくつか譲ってもらえないか?」
男は部屋に並べられていた武器をあれこれ手にとって眺めながら口にした。
「ん、ああ。どれでも好きなのを持っていって構わんぞ。お前が居てくれなきゃ手に入らなかったものばかりだろ」
「助かる」
片手剣を二振りばかり選び出し、男は腰に差した。
「じゃ、世話になったな」
「ああ……、考え直してはくれないのだろ?」
「そうだな」
人払いのされた部屋には沈黙が満ち、どこからか下卑た男共の喧騒が紛れ込んでくる。
部屋の扉に手をかけた男はそこで一度立ち止まった。
「なあチャール。お前もそろそろ足を洗ったらどうだ」
「……畑の耕し方なんて、もう忘れちまったよ」
年嵩の男は呟いて、盗賊に身を落とす以前の暮らしを続けていたとしたら、生涯口にするはずのなかった高級品の酒を呷った。
横目にそれを見ていた男は何も口にすることなく、静かに部屋を出た。