019,山を殺す scene2
どうしたものか、男が目の前に並べられた料理を眺めながら逡巡していると、その様子を見た女将が、
「仮面外しちゃったら? 私ならほら、ラビちゃんから聞いているし」
と、なにやら気遣わしげに話しかけてきた。
男が隣のラビを見下ろすと、にっこりとした笑みが返ってくる。
「……まぁ、そういうことなら」
何を聞かされているのか、これといって見当がついていたわけでもないが、特に問題はないように思える。顔に傷などがない以上、何か後ろ暗いことがあるのだろうと邪推されるのが自然な発想だろうが、ラビを連れているという事情が目くらましになる。
男は仮面を外して脇に置いた。女将からの視線を感じる。隠されていれば見てみたくなるというのは自然な心理だろう。
「ね、かっこいいでしょ!」
ラビが気味の悪いほどに子どもっぽい無垢な笑みを浮かべて女将に問うが、
「そ、そうだねー……」
と答えた女将の顔はやや歪だった。村では五指に入るだろう、外部の人間と接する機会を持つはずの女将が微妙な感想を抱くほど、男の顔は凡庸だった。おそらく事前にラビに聞かされていた英雄的……というより、白馬の王子様的なイメージはまったく重ならない。
ラビがわざわざ男の顔についてそのようなイメージを植えつけたのは、実物は全然冴えないじゃないか、という落差を目の当たりにした瞬間の人の表情でも見てみたかったのだろう。しかし、好意が先に立っている人間と言うのはとかく目が曇るものらしい。「かっこいいね」とつぶやいた女将は袖口を目元へと運び、瞳を潤ませていた。
大方、これほどに凡庸な顔をした男が王子様のように見えるほど、ラビの境遇は辛いものだったのだ、とでも想像しているに違いない。
その後、食事も済ませて部屋に戻った二人だが、
「えー、ウチこんなん履きたくないっちゃけどー」
よくわからない訛りでラビは文句を言っていた。
男がこの村に立ち寄った理由は二つ。一つは疲れたとうるさいラビを休ませるため。もう一つはラビの装備を整えるためだ。
訪れた村が思いのほか寂れたものだったために二つ目の目的は半ば諦めていたものの、靴だけは購入してきたのだ。町で購入してきた洒落たものとは違い、実用重視の丈夫な靴だ。
「なら好きにしろ。言っておくが、いつまでも俺が言うことを聞くと思うなよ」
「むー」
むくれているラビを無視して、男は寝床に入った。ベッドの位置は隣り合っておらず、それなりに離れている。男は部屋の奥側、窓に沿うように置かれたベッドを使用した。久々に体を横たえる文明の利器は、高級品といかなくとも十二分に気持ちのいいものだった。
◇
夜半。ベッドの上のラビが音もなく身を起こし、寝ている男の背中へと近づいてくる。部屋に灯りは存在しないが、外では月が出ているらしく、暗さに慣れた目であれば、移動にさほどの苦労はないだろう。
ラビはベッドの傍らにまで歩いてくると、そこでしばらくじっとしていた。夜の音に紛れて、かすかな息遣いや床板の軋みが聴こえるような気もするが、それが気のせいであるような錯覚さえ抱くほど、何事もなく時間が過ぎる。
本当にラビはそこに立っているのか。いったい何を考え、沈黙しているのか。ベッドの傍らには、寝るのに邪魔な装備品を置いてあった。
「……おい、やんのかやらねえのかハッキリしろ」
男がラビに背を向けたままで口を開いた。
「…………」
声が掛けられてからもラビはしばらく立ち尽くしていたが、やがて歩み寄ったときと同じように、ほとんど音もなくベッドに戻った。男がちらりと視線を向けたとき、ラビはすでに寝息を立てているように見えた。
◇
翌朝。
「だいたいさ、なんで私とあんたが同じ部屋なわけ?」
いっしょに旅しているくせに、いちいち別の部屋を押さえる男女が世の中にどれくらいいるのか男は知らないが、勝手についてきている輩にとやかく言われる筋合いはなかった。とはいえ、いっしょの部屋が嫌なのは男も同じ気持ちではある。ではなぜ別々の部屋にしなかったかといえば、たんに金銭的な問題だ。
「なら自分で部屋を取ればいいだろうが」
しかしわざわざそんなことを説明してやるのも煩わしい。
二人の間に流れる空気は、先日までのものと何も変わらない。昨夜のようなことは、これまでの道中でも何度かあったことだ。
男たちが部屋を出て一階へ向かうと、女将が村の男性と話をしていた。
昨日座った場所へ男は腰掛けた。気配を隠したりはしていないので女将と男性は男たちの存在に気づいたはずだが、特に声を抑えたりはしない。
「つーわけで、何人か連れてくるんで、そのつもりで頼むよ」
「そりゃあ構わないけど、山のほうは大丈夫なのかい?」
「まぁ、なんとかするしかない。できなきゃそれまでだ」
二人の間に漂う緊張感に、男はただ座って様子を窺っていた。が……、
「ねー、どうしたの?」
傍らに居たはずのラビの姿は、話している女将たちの許へ移動していた。もちろん、男は気づいてはいたが、放っておいた。
ラビに問われた二人は一瞬、顔を見合わせたが、
「……じゃあ、そういうことで」
「あいよ」
と、男性は話を切り上げて去っていってしまった。
女将は見上げてくるラビを困った表情で見下ろし、
「……そうだね。あんたたちにも聞いてもらったほうがいいね」
そう言ってラビを伴って男のところへとやってきた。
男の対面に女将が座り、ラビは男の腕に抱きつく。それを振り払おうとする男と、なおも絡み付こうとするラビの様子を見た女将は微笑んだ。
「いやね、たいしたことじゃないんだよ……」
そう口火を切った女将の話は、要約すると、近場の山に魔物が出た、というものだった。
「厄介なのか?」
「どうもそうみたいだねぇ」
山だの森だのに魔物が出る、なんてのはごく当たり前のことだ。そんなことはこの地で暮らしている彼らにしても日常の出来事だろう。それをことさら問題にしているということは、彼らの力では対処が難しいような魔物が現れたのだということになる。
「だからね、悪いんだけど、あんたたちも早々にここを出て行ったほうが良いと思う。きっとバタバタすることになるから」
「そうか」
男はそれだけを言った。ラビはじっと男の顔を見つめていたが口は挟まなかった。
「でもま、朝食くらいは食べていってくれるだろう?」
そしてまた、二人分にしては多目の料理が並べられた。
男とラビは料理を平らげた後、出立の準備を済ませて一階に下りてくる。男はいつも通りの旅装だが、ラビはこの間の華美な服装とは打って変わって、村娘が森に入って薬草でも摘んでこようといった地味な格好だ。履き物を用意したのは男だが、服装に関しては関与していない。聞けば、女将さんに譲ってもらった、ということらしい。ちなみに、服装が地味になったのと対照的に、ごわごわとしていた髪の毛はさらさらと流れ、くすんでいた金色は金糸のようにきらきらと煌いている。もし領主のバカ息子あたりが村にやってきたとすれば、目をつけられて攫われそうになる役が回ってきそうな風情だ。
宿の一階にはまたしても、女将のほかに村人らしき男性がいた。朝食の前に女将と話をしていたのとはまた別の人物。
「おいあんた」
その男性は男の姿を認めると、興奮した様子で詰め寄った。
「なあ、あんたハンターだよな? つええのか?」
「よしなって! その人は仕事で来てるわけじゃないんだから」
女将が間に入ろうとするが、男性は引き下がらない。
「別にいいじゃないか頼んでみるくらい! 今から呼びに行ったんじゃ、到着するまでに何日掛かるんだよ!」
「そりゃそうかもしれないけど……」
どうも、ハンターが滞在していることを聞きつけて、例の件を頼みに来たということらしい。
男性の言い分はぶしつけではあるかもしれないが、村の被る損害を最小限に抑えようと思うのならば悪い手ではない。女将もそれが分かるから、強く止めることができずにいるようだ。困った顔をして男に視線を向けている。
「なぁ、別にギルドを通さなくても依頼ってできるよな?」
「そうだな」
ハンターは別にギルドに属しているわけではない。個別に交渉を行い、契約を結ぶことは咎められていない。とはいえ、ギルドというものがあり、多くの依頼者やハンターがギルドに仲介を担ってもらっている現状、それを通さない依頼には何かと問題が付き纏う。依頼者側も、そしてそれを受注する側も、保障がないのだ。
依頼の内容に偽りがないかどうか。報酬が妥当であるかどうか。そういったことを自ら判断し、交渉する必要がある。しかし裏を返せば、それらの問題を解決できるのであれば、仲介など通さないほうが時間や手間が掛からないし、仲介で必要になる費用も抑えられる。その分の金が報酬に上乗せされるか、はたまた依頼者の懐に留まるかは、まさに交渉次第となる部分だ。
「だからって、ねぇ?」
女将は男の隣に立っているラビへと気遣わしげに視線を向けた。彼女はラビから、男がラビを悪い奴隷商から逃がすために旅をしているのだと吹き込まれている。そのことを気にしているのだ。男はラビが何をどう話しているのか詳しく聞いていたわけではないが、おおよその見当はつけている。
だが、
「まぁ、話ぐらいは聞いてみてもいい。受けなければ事情さえ説明できないというのなら話は別だが」
男はたんたんとそう答えた。実際問題、路銀が心許ない状況ということもあり、手っ取り早く済ませられるような案件であれば渡りに船の心境だった。
「そんなややこしい話じゃねえ、山に魔物が出たんで、なんとかしてほしいんだよ」
村の男性は矢継ぎ早にそう捲くし立てた。
住民では対処が難しい魔物を退治する。ハンターの仕事としてはごくありふれた依頼と言える。
「相手次第だな。俺の手に負える程度の魔物なら受けよう」
男の言葉を聞き、男性はいまさらのように男の姿を眺め回した。
「……まぁとりあえずついてきてくれ」
妙に気勢が削がれたらしい様子の男性はさっさと宿を出て行く。男の容姿を確認し、期待できそうにないな、と頭が冷えたことは明らかだった。とはいえ、男はそんなことをいちいち気に留めたりはしない。慣れているからだ。




