012,隷属少女 scene1
翌日、大通りを選んで歩き、さっさと町を出た。入ってきたのとは別の方角だ。街道の環境からして、おそらくこちらのほうが栄えているのだろうと知れる。
衛兵も立っている街門からは、男と同じように町を出て行く者たちが沢山いるが、ほとんどは馬車で移動しており、徒歩で出て行く者は少ない。
町を出てしばらくは、一見すると大きな一団が集団で町を出発したかのような光景が繰り広げられていたが、時間が経つにつれてそれぞれの集団ごとに間隔が開き始める。途中で道を違える者たちもおり、次第に男の周囲は閑散としていった。
腹が空けば街道を逸れて草原や林に入り、食料になる魔物を捕獲して食した。立派な街道沿いだけに、探すのにやや手間取ったりもしたが、それでも飢えなどは程遠い。町を出た際にはいつもしていることだが、魔物さえ狩れるならこれで大抵の場所ならやっていける。
旅路で食料と並ぶかそれ以上に重要な物としては水が挙げられるが、これに関しては男は魔術で空中から収集できるのでほとんど不便を感じたことはない。水浴びをしようと思えるほどの量は一苦労だが、幸いというべきか、男の衛生観念は田舎の小規模な村落の一般人よりも低かった。仮に耐えられなければ、多くの旅人やハンターたちがそうしているように、何かしら対策をすれば良いだけのことではあるが。
そんなふうにのんきな一人旅を続けていると、道中で立ち往生している馬車が遠目に見えてきた。まだ日も高く、野宿の準備を始めるには早い時間だ。
よくよく目を凝らして見てみると、馬車の周りでは何人もの人が忙しなく動き回っているのがわかった。そして、距離が近くなっていくにつれ、それが人間のみならず、魔物どもの影であることもわかった。かすかにではあるが、戦闘に伴う怒号や剣戟の音なども届いてくる。
男はひとまず街道を逸れ、草原に出た。概ね平野ではあるが、それなりに起伏もあり、林と呼んで差し支えない程度の木々も生えている。草むらもあり、身を隠すのに困ることはない。
物陰から物陰へ渡りながら、件の馬車の近くへと移動していく。街道上は見通しが良いため、感づかれる危険性を考慮するほど近くまで寄る必要はない。
件の一団はなかなか大規模なもので、馬車の装丁の程度から、貴族階級か、それに連なる者の所有ではないかと知れる。群がる魔物と戦っているものの装備も相応のもののようだった。どうもここらではあまり見かけないような魔物が集団で襲い掛かってきたようで、対処に時間が掛かっていたようだ。
だが、戦闘は程なくして概ね問題なく終了したようだ。ちらほらと治癒術を用いている様子は見られるが、死傷者は出ていないらしい。
当然だろう。貴人が乗っている物に、相応の護衛が付いていないことなどそうそうない。よほどのイレギュラーな事態でも起こらない限りは、窮地に陥ったりはしないはずだ。仮にそんな事態に遭遇したとして、その場に出て行ったら状況的に嫌疑をかけられて然るべきだ。いずれにせよ、権力者などには迂闊に関わらないことが賢明。
男はそのまま身を隠し、件の馬車が通りすぎて見えなくなるまで動かずにいた。自分の能力の程度を知っているからだ。もし馬車の護衛の中に吟遊詩人の詩に出てくるような実力者が混ざっていたりすれば、自分などはひとたまりもないだろう。悔しくないわけはないが、どうしようもない。小市民の身の潔白など、権力者には塵芥ほども価値のないものなのだから。
やがて完全に馬車が見えなくなったところで、男は移動を再開し、数日の日程を経て町へと到着した。
◇
訪れた町は、数日前まで滞在していたのとあまり見分けの付かないようなところだった。おそらく立地的にそれほど違いがないせいだろう。規模としても、若干こちらのほうが大きいか、と思える程度の違いしかわからない。双方の町に住み暮らしている者たちにとっては様々な違いがきっとあるのだろうが、表面的なことしか見えない男にとっては同じ、ただの町でしかなかった。
とりあえずでギルドへ顔を出すのもいいが、宝石の換金のためにわざわざ移動してきたのだからと、まずはそちらを優先する。とはいえ、表通りに店を構えているようなまっとうな宝石商に持ち込むのはやはり不安があった。なにせ出所が盗品である。わざわざ町を移動しておいてそこまで慎重になる必要があるのかと自問はしてみるものの、万が一を恐れる臆病な男は、結局のところ後ろ暗い連中に頼ることに決めたのだった。
多少の危険は伴うだろうが、力さえあればそれなりに食っていけるハンターという職業があってなお身を持ち崩す連中の程度など高が知れている。実力があっても好き好んでそういった世界に身を置いている者だって中にはいるわけだが、そんな連中が出張ってくるような深みにまで足を踏み込むつもりはない。
それとなく町の様子を観察し、荒んだ空気を辿って歩いていく。次第に日が傾いてきたこともあり、どことなく淀んだ空気が建物の間に漂っているように感じる。周囲の建物も古びて、ろくに補修もされていないようなものが増えてきた。
そのとき、物陰からいきなり何かが飛び出してきた。男はそれがいったい何なのかまでは把握していなかったものの、それに向かって思い切り蹴りを放った。大方、物取りの類いだろうとアタリをつけてのことだ。どこの町にでもそんな連中はいる。
しかし男の足は空を切っていた。視界の中で、足の上にくすんだ茶色をしたボロ布が浮いているのが見える。馬鹿な、そんな思いが男の頭に過ぎる。次いで自身の腹の辺りを叩かれたような感触。
咄嗟に見上げた男の視界に、傾きかけていた太陽を遮るように上下逆さまな体勢の子供が宙を舞っていた。それはごく一瞬のことで、頭まで覆い隠すようにボロ布を纏った子供が勢いのままその位置を通り過ぎると、太陽の光が目に差し込んで、男は顔をしかめた。
「チッ!」
薄く開いた片方の目で、子供が垂直の壁に着地しているのが見えた。そのままでいれば、自然と落下するのは分かりきっている。
飛び出そうとする子供の動作を見て、男は軌道を予測し、飛び上がって手を伸ばした。が、子供はすでに壁を蹴って飛び出しており、男の頭上を通り過ぎていく。伸ばした手は、ぼろ布を掠め、子供の伸ばしきった足先に触れた。だがそれは手のひらではなく、わずかに指先だけ。掴むことはできなかった。
始めに着地したのとは反対側の建物の屋根に飛び移った子供は、一瞬だけ驚いたように目を見開いて男を見下ろした。そして屋根の向こうへ姿を消した。
男が急いでマントの内側を探ると、宝石を入れた麻袋が失われていた。
男はところどころ浮き上がりガタガタになった石畳を蹴り、屋根の縁に手をかけて、側面の建物の壁を足場に屋根の上によじ登った。屋根の上に顔を出すと、視界の先にはまだ子供がおり、何やら左右を見回していた。
男は懐からナイフを取り出し、投げた。だが、物音に気づいて振り返っていた子供はそれを避け、屋根から飛び降りていく。
「チッ!」
体勢が不十分でまともな投擲ではなかったものの、ナイフを避けられて余計に苛立ちが募る。
一息に屋根に上り、子供が姿を消した屋根の縁まで駆け、辺りを見下ろす。
路地を曲がっていくボロ布の姿を認めた瞬間、男は躊躇いなく屋根から飛び下りていた。
難なく着地し、衝撃を殺すための低い体勢もそのままに路地を駆け出す。英雄とはいかなくとも、日々、命のやり取りをして生き抜いてきた男の身体能力は伊達ではない。
だというのに。子供の背中に手が届くことはない。見失うことこそないものの、なかなか追いつけない。直線であれば男の速度が上回るが、それを理解しているのか子供は細かに路地を曲がって逃げていく。ナイフを投擲するだけの隙は見出せなかった。
子供を追いかけるうち、男の胸中には絶対に逃がさないという執念が芽生えていた。その思いにとり憑かれた男はなりふり構わず、角を曲がる際にとっかかりがあれば掴み、なければ正面の壁を蹴り、勢いを可能な限り持続させるようにして子供を追い詰める。
そうして距離が縮まる一方になって焦ったのか、子供の曲がった先の路地は行き止まりになっていた。
ようやく追い詰めた。そう考えた男は速度を緩めた。そうしてじっくり追い詰めたかったのだ。
だが視線の先の子供の速度は緩まない。
(まさか登る気か!?)
男がそう考えたときには、子供は勢いのままに壁に飛びついていた。
行き止まりを囲んだ建物は複数階層ある建物らしく、始めに屋根に上った建物よりもはるかに高い。
しかし子供は勢いのまま壁に組み付き、出っ張りや、縁にしがみついてするすると登っていく。
(あれを登るのは容易じゃない)
いきなり屋根の縁に手をかけて登るなんて真似は今度は通用しそうにない。かといって、子供のように手をかけ足をかけ登っていけるかどうかは建物の状態を見ながらでなければ不安がある。どう見たって男のほうがはるかに重量があるのだ。出っ張りや縁が崩れて登れない可能性もある。日が傾いた路地には闇が凝りつつあり、遠目で建物の状態まで把握することは困難だった。
男は懐に手を忍ばせ、ナイフを取り出して投擲した。鋭く回転するナイフは闇を裂いて飛び、やがて屋根に到達しようとしている子供を追うようにして斜陽の中に飛び出し、白刃を煌かせた。
ギィィン!
「あうっ!」
金属が石の壁に当たって跳ね返り、刃の振動する音が響いた。同時に全身を隠すようなぼろ布の中から子供の声が漏れ、子供はわずかに体勢を崩していた。
しかし子供が落下することはなく、見上げる男の視線の先で屋根の上へと姿を消していった。
路地裏の隅に転がっていたナイフを拾い上げ、男は壁を見上げた。
「チッ……!」
男は手にしたナイフを懐には仕舞いこまず、側面の建物に向かって思い切り叩きつけた。バシィッというけたたましい音が木霊する。壁は一部が欠け、地面には折れたナイフが転がった。
男はそれを見下ろしたあと、ゆっくりと壁を登り始める。路地を走っていたときの勢いは欠片も見られない。あのときのような激情のままに取り掛かっていては、とっかかりを破壊して落下するのがオチだ。
もはや男は諦めていた。子供を屋根の上に逃がしてしまった時点で、もう追いつくことはできないだろう、と。それでも壁に取り掛かったのは、そうしないと一連の出来事が終わらない気がしたからだ。
スリの類いにしてやられたのはいつ振りだっただろうか。そんなことさえ考えながら、男は壁を登っていった。そして屋根というゴールが見えてきた頃、壁に付着する血の跡に気がついた。それはまだ新しく、乾ききっていないものだった。
漏れ聞こえてきた子供の声を思い出す。
(命中してはいたらしいな)
だが落ちていたナイフには地面の様々な汚れが付着していたとはいえ、血の痕は見られなかったような気がした。
(見逃したのか?)
そんなふうに思ってしまうくらい、あのときは苛立ちを募らせていて、まともな精神状態ではなかった。
どの道、たいした怪我でないことは間違いない。溜飲を下げきることもできないまま、男は屋根の上へと身を乗り出した。




