010,街道のハンター scene7
それから部屋に残された武器の類いを適当に見繕い、手近な荷を手に部屋を出た。
この後ハンター連中で山分けするんだろうが、いまはまだチャールの所有物といってもいいだろう。男はチャールから好きに持っていけと言われていたのだから、何も問題はないはずだ。
洞窟を戻っていくと、複数のハンターたちとすれ違う。皆、荷物を運び出しに奥へと向かうのだろう。
半ばまで戻ると、洞窟の中でも開けた場所で、ハゲたちが荷を下ろして何やらあれこれと動き回っていた。片隅には、件の少年が寝かされていて、傍らには少女とセレネの姿もあった。
目ざとく男の姿を捉えた金魚のフンならぬハゲのフンが寄って来て、男の持っていた荷物を奪ってハゲのところへ持っていく。男がハゲに歩み寄っていくとまた別のフンが、
「おう、俺らのもんに手ェつけてねえだろうな?」
などと人の言葉を喋った。
「ああ」
事実、男はハゲやそのフンどもの物には一切手をつけていない。天地神明に誓って清廉潔白と言えた。増えた装備品の類いはチャールに融通してもらったものだ。
「ぼちぼちいい時間だろう? 今日はここで休んでいくことにした」
粗野なハンターには似つかわしくないグラスを手にしながらハゲが口を開いている。臭い息を浴びせられてはかなわんと、男は少し後ずさった。
「だが馬車があるだろう? いくら街道ったって放置するわけにはいかねえ。お前は向こうの連中にこっちに来るように伝えて、そのまま馬車の番をしてくれ。なに一晩中って話じゃねえ。ちゃんと交代は寄越すからよ」
「わかった」
男は踵を返し、洞窟の外へ向かって歩き出す。その背後でまた別のフンが「役立たずの寄生虫がよお!」などと喚いて唾を吐き捨てていた。
立ち去り際、手当てされて寝かされているらしい少年にちらりと視線を向けると、傍らのセレネと目が合った。が、男は立ち止まることなくそのまま洞窟を出た。
◇
日が落ちた。
ハゲの言う交代の人員は当然来るはずもなく、男は一人、街道沿いの木陰から空を見上げていた。
「休んでいるときでも、仮面は外さないんだな」
「……驚いたな」
「気配を隠すようなことはしていないが」
「だからだよ」
月明かりを受けて立ち、何やら包みを提げたセレネがかすかに首を傾げた。
「……俺は要らない。どうせなら向こうの奴らにくれてやれよ」
馬車の番を申し付けられたのは男だけではない。銅級パーティの中でも若い連中が数人、それと歳若い馬子が、監視の意味合いも含めて馬車に詰めさせられていた。
「そうか」
そっけなく言い、セレネは馬車へ向かった。そのまま洞窟へ戻るだろうと男は思っていたが、予想に反してセレネは再度、男のところへ戻ってきた。
「何か用なのか?」
「ああ、礼を言おうと思ってな」
予想外の言葉に、男は頭上の月に向けていた視線を地上のセレネへと向けた。彼女の姿に変わったところはない。結局、少年との一戦も難なく制して見せたということか。
セレネは男が背を預けている樹の側面に背を預けて立ったようだ。触れ合うほどに近くはないが、森が近いせいでうるさい虫の声に、会話が邪魔されない程度には遠くない距離。
「……何かをした覚えはないが」
男の心中は、決して穏やかではなかった。セレネには一度、少年を殺そうとして視線で制されていたからだ。結果的には何もしていないが、手を出そうとしたことは把握されている。
「そんなことはないだろう。助けに入ろうとしてくれた人間を邪険に扱うほど、私は薄情な人間に見えるか?」
「どうだろうな……」
「ふふ……ひどい男だな」
かすかにではあるが、セレネは確かに笑っていた。妙に上機嫌な様子を見るに、どうやら少年との一件がうまく運びでもしたのだろう。
男の発した害意を妙に好意的に解釈しているのもそのためか。わざわざ否定して、立場を悪くすることもない。男はそう考えていた。
「で、あのガキどもはどうなったんだ?」
「ああ、それなんだが……」
セレネの語るところによると、少年は少女がやってきてなんやかやとあり、正気を取り戻したらしい。しかし体力の消耗が激しく、倒れてからはまだ目を覚ましていないという。少女から事情を聞くと、どうやら少年と少女はつい先日、例の盗賊団に襲撃された馬車に同乗していたそうで、とても酷い目に合わされたそうだ。
「へぇ……」
視線も通っていない。仮面も着けている。それでも男はそっけない表情を浮かべ、それだけを言った。
「ありふれた話だと思うか?」
「まぁ……討伐依頼が出される程度には、同じような目に遭った連中がいるんだろ」
「そうだな……。私がソルを……、あの少年を気にかけていたのも、それが理由だ」
セレネはそれまでよりも少しだけ声を潜ませた。もともと馬車にまで声は届いていないだろうが、万に一つも聞かれたくないということなのか、はたまたたんに話しづらいことなのか、男には判断がつかなかった。
「少年が盗賊たちに酷く憤っていることは一目瞭然だった。それを見て、私はかつての自分を思い出したんだ」
「今は違うと?」
「どうだろうな……。今もまだ変われてはいないのかもしれないが、あれほどの猛りは……無くなったというべきか、失ってしまったというべきか……」
月に雲が掛かり、辺りに闇が満ちる。
「とにかく、私は私の個人的な事情で、お前の助力を無下にしてしまった」
警戒するなとでも言いたげに、セレネがゆっくりと樹を回り込み、男の眼前に姿を現す。
「すまなかった」
彼女が頭を下げると同時に、月を隠していた雲が過ぎ去り、月明かりが降り注いだ。宙に投げ出された青銀色の髪が踊り、光り輝いいた。
「……うつくしいな」
脳内のどのフィルターをも通すことなく、男は口にした。
「なっ!? なな、おおおお前」
セレネは勢いよく顔を上げた。青白い月明かりの中で、彼女の頬だけがやけに赤らんで見えた。
「どうした?」
「う、うるさいっ。だまれっ! 私はもう行く!」
そのままスタスタとやけに速い足取りで、セレネは森へと去っていった。
「生娘でもあるまいに……」
これまでにも散々、下卑た男どもの視線に晒されてきたであろう銀級のソロハンターが、やけに初心な反応を見せたものだ。
もしもあれが自分に対しての好意か、もしくはこの先、好意に繋がるものだとしたら……。男はそう考え、心中に激しい苛立ちを認めた。
自分は誰かに好意を持たれるような人間じゃない。そのことはよくよく理解しているはずだった。
ノブレス・オブリージュ。
そんな言葉が不意に脳裏に蘇った。
逆説的に、立場に相応しくない本性を持つ者は卑しいのだと罵る言葉。
「クックックッ……」
男は込み上げてくる哄笑を噛み殺した。
(これじゃあ初心なのはどっちかって話だ)
男は煙草に火を点けた。人目がない今、道具を用いる必要はない。
とうの昔に捨て去ったはずの感傷が照らし出されているような気がして、月に向かって煙を吹きかけてみる。当然、そんなもので月明かりは遮られたりしない。
「そりゃそうだ」
月はもう何に遮られることもなく、冴え冴えとした光を地上へ注ぎ続けていた。
◇
翌日。ハゲどもは昼もとうに過ぎた頃にようやく姿を現した。ハンター連中はほとんどが千鳥足に近い有様で、男はむしろよく起きてきたもんだなと感心したほどだった。
例の少年はまだ意識が戻っていないらしく、セレネや少女にやけにニヤついた面を向けるガタイばかりがいいハンターの男に背負われていた。セレネは男の姿を認めると、気まずそうに視線を逸らした。男にもその感情は理解できた。自分自身、雰囲気にあてられていた自覚があったからだ。
それから荷を積み込み、町へ引き返すことになった。微妙に荷が増えた影響で、男は道中のほとんどを外で過ごすことになった。
男の胸中を支配していたのは、かつて自分たちが襲った商人や旅人、そして当の盗賊たちのことだった。といっても、懐かしんだり、死を悼んだり、ましてや後悔の念を募らせていたわけじゃない。ただ事実としてあったことを思い返すのみだ。しかしその中にも心をざわつかせるものはあった。その原因が、いままさに道中を共にしている馬車の中にいる。
隙をみて……と、考えないではなかったが、なまじ少年が目を覚まさないせいで、馬車から出て行動するということもなく、機会が見出せそうにないと早々に諦めた。
野宿するときなどにセレネの姿を見かけることは何度かあったが、結局話しかけられることはなく、男もまた話しかけることはなかった。
そうこうしているうち、一行は町へと帰還した。依頼主である商会の人間を伴い、ギルドで盗賊の討伐を果たしたことを報告する。
参加したハンターたちのギルドカードに討伐依頼を達成した実績を記録した後、ギルドの職員は報酬の金が詰まった袋を手に、妙なことを言い出した。
「報酬は一括でお支払いし、皆さんがご自身で配分されるとのことですが、それで構わないのですか?」
「おう」
これまで同様、ハゲが間髪入れずに答えた。そうするのが当然であり、何もおかしなことはない。そんな態度。周りのハンターたちが異を唱える様子もない。唯一、セレネだけが困惑した表情で周囲に視線を走らせていた。
通常であれば、複数人が参加した依頼に関してはギルド側で分けた報酬を出している。それが一番面倒がないからだ。反面、いつも組んでいる人間が個別のカードを用意して倍々の報酬を得ようとすることもあるが、ギルドとしては依頼が達成されれば良し、されなければ再度受注者を募ればいい。緊急性の高い依頼や一度の失敗が問題になりそうなものは、そもそも銅級以下の受注を禁止するなどして対応している。
仮に銅級の偽造カードを用いて、三人パーティが個別に銅級のソロ三人と偽って依頼に臨んだとする。ギルドとしては銅級が3組として戦力を計上するが、現実には銅級1組相当の戦力しかない状態となる。結局危ない橋を渡ることになるのは自分たちなわけで、分不相応に倍々の報酬を得ようという輩はそれほど現れない。
「寄生虫がいたんでな。それを踏まえてあんたらに頼んでもいいが、面倒だろう?」
「どうぞ」
職員はそっけなく言って、さっさと金の詰まった袋を差し出した。余計な仕事はしたくない。そんな思いがありありと滲んだ表情だった。
「そいじゃ、さっさと分けるとするか」
ギルド内に設えられた長椅子にどっかと座りこんだハゲが、テーブルに報酬の入った袋を置いて、中身に手をつけた。
「まずはセレネだな。あんたは銀級だし、他の連中よりも報酬は多目になるよな」
ハゲは言葉通り、ギルド職員が分配するであろう量よりも、かなり多目に報酬を分配した。
「おい、これでは少し多過ぎるんじゃないのか」
「いやいや、あんたがいてくれなきゃ、アイツのせいで俺たちにも被害が出てたかもしれねえ。あんときゃジュールもいなかったし、俺らでも厳しかっただろうからな」
「いやしかし……」
ガタイのいいハンターが馴れ馴れしく、渋るセレネの肩に手を置いて話しかける。
「素直に受け取っておけよ。皆あんたの仕事振りを評価してんのさ」
件の少年と同年代くらいの年少のハンターもそれに続く。
「そうですよ! セレネさんがいてくれなかったら、俺たちどうなっていたか!」
「だが……」
戸惑っているセレネをよそに、ハゲはどんどんと報酬を分配していく。そうして、男に報酬が分配される段となった。
「おう、おまえか。確か銅級のソロだったなあ……。期待してたんだが、結局どの程度やれんのか、見せて貰えなかったよなあ……」
やたらとねちっこい喋り方をするハゲに、男は笑いを堪えるのに必死だった。
「ま、次はちゃんとパーティで参加してくれや、二枚目の兄ちゃんよ。いや、わざわざ仮面なんざ被って隠してるあたり、三枚目かもしれねえがよ」
そんな言葉とともに男に分配されたのは、銅級のパーティに分配されたのよりも、はるかに少ない額の報酬だった。