001,街道の盗賊 scene1
「でやああああああああ!」
ただ胸を突き上げる衝動のままに声を張り上げ、手にした剣を振り下ろした。
ギィイイイィイン!
金属同士がぶつかり合う激しい剣戟の音が響き、火花が散る。しかしその下にいる男の表情は、ふと道端に見つけた虫を暇つぶしに眺めてでもいるかのように冷め切っていた。
自然法則に従って体が自由落下するよりも前に、男は冷め切った表情のままで俺の剣を跳ね上げるように弾き返してきた。
ふわりと浮かぶ感覚を覚えながら、着地しなければという考えが脳裏に過ぎる。なんとか地面に向かって足を伸ばし、じゃりじゃりと砂埃を巻き上げながら勢いを殺して着地する。瞬間、視界に差した影にほとんど無意識で手にした剣を掲げた。耳を劈くような剣戟の音と衝撃が発生したと思った時には、続けざまに腕に衝撃と鋭い痛みが襲い掛かってきた。
着地際、迫り来る男の剣をなんとか受け止めたまでは良かったものの、連続するように放たれた切り払いで剣を握った腕を斬り飛ばされたのだ、そう理解した。
「うぐっ……!」
「ガキが手間取らせやがって」
決定的に速さが違った。俺は動きも認識も、そして思考速度も男に追いつけていなかった。自分の腹に金属を押し込まれる段になってようやく、俺はそのことに思い至ったのだ。
「さっさと死ね」
男は俺の腹に突き刺した剣をただ抜き去るのではなく、横に切り払った。背中側まで貫通しているであろう剣が横っ腹を抜けていったら人体がどうなるか、考えたくもない。いや、そんなふうに逃避するくらいなら、始めから俺は明らかに格上のこの男に挑みかかったりしていない。いま自分にできる最良を、論理的に思考していたわけじゃないが、それでも俺は必死で剣の抜けていった腹を抑え、体の中身があれこれと零れ落ちていくのを防ごうとした。
チッ。
自分の体が伝えてくる洪水のごとき異常状態の信号に混じって、かすかに誰かの舌打ちする音が聴こえた気がした。
直後、世界が高速で反転した。
◆
止めは確実に、基本中の基本だ。致命傷だろうからと放っておくのは愚の骨頂。腹を割いておけばまず間違いなく死ぬ。だがまだ死んでいないのであれば、首をも飛ばす。
「これだから男のガキってのは嫌いなんだ」
愚痴愚痴と呟きながら、男は剣に付着した血潮を振り払う。
「おい! 済んだならこっちを手伝ってくれよ!」
背後から届いたダミ声に、男は眉を顰めて再度舌打ちをした。
襲撃した馬車に乗っていた男たちはその大半がすでに殺されているはずだ。殺されないのをいいことに女子供が抵抗しているようだが、引きずり出されるのも時間の問題だろう。あまりに時間が掛かるようだとその場で愉しみだす可能性もあり、男としてはさっさと根城に戻って休むためにも、早々に諦めて引きずり出されてくれよというのが正直なところだった。
馬車の荷台の中では、薄汚い容姿の盗賊の男の一人が、まさに痺れを切らして襲い掛かろうとしているところだった。修道服にも似た清楚な格好をした少女が、身につけた衣服の一部を力尽くで破かれて、悲痛な声を上げた。
「いやああああ!」
「へへ、女の悲鳴ってのはいつ聴いてもいいもんだ」
盗賊は悲鳴に動じることもなく華奢な少女の体に覆い被さるようにしてその両腕をまとめて掴み上げ拘束する。
「い、や……。ソル! ソル!」
馬車の荷台から漏れ聞こえてくる少女の悲痛な声に男が感じていたのは、この場でおっぱじまったら撤収が遅くなるだろうが、という不満だけだった。
「ソル……ね。そいつは死んだよ」
しぶしぶといった様子で男が踵を返したそのとき、背後で異様な気配が膨らんだ。幾度となく殺し合いの場に身を置いてきた自身の直感に従ってその場を飛び退きつつ振り返ってみれば、そこには、内臓をぶちまけ、首を飛ばしたはずの少年が立ち上がっていた。
「なんだぁ!?」
正確には少年の体が、だ。飛ばした首は地面に転がっているし、腹からは臓物がはみ出したまま。
「ゾンビか何かか……?」
見ている間にも少年の体は蠢き、切り裂かれた腹の中からはみ出していた臓物が、誰が押し込むわけでもないのに腹の中へと戻っていく。地面に転がっている顔も、男を睨みつけて目線を動かし続けている。
「気持ち悪すぎだろ!」
男が一息に距離を詰めて振り下ろした剣が、斬り飛ばしたはずの少年の腕が握っていた剣で受けられた。まだ腕が癒着したわけではなかったのか、男の剣の勢いを殺しきれず、腕は地面に叩き落された。
しかし男が剣を振るうよりも早く、少年の体は膝を突き上げ、男の腹に突き刺した。が、寸でのところで膝を手のひらで受けた男は、少年の体に肩から体当たりをかました。
少年の体はロクに受身を取ることもなく倒れたが、ただ突き倒されたていどのことでどこが破損することもない。むしろ時間経過とともに裂けていたはずの少年の腹は破けて露出した衣服の下で確かに塞がって見えた。
チッ。
今日だけで何度目の舌打ちだっただろうか。世の中には気に入らないことが多すぎる。
倒れた体の近くに転がっていた頭が、斬り飛ばされた首に接合したらしい。身を起こした少年の体には激情に顔を歪めた少年の顔が載っていた。首にはまだ切断面だったはずの血の跡が首輪のように残されている。
「フロラああああああああ!」
切断面から滴っていた血がまるで糸のように体と腕を繋げる。しかし少年は腕が体にひっつくのも待たずに、体から糸を引くようにして猛然と駆け出した。
「無視すんなよ」
駆け抜けようとした少年の体を男は横から蹴り飛ばした。地面をごろごろと転がった少年に男は歩み寄り、その体から伸びている赤い糸を断つように剣を地面に突き刺した。
「おおい、どうしたんだ?」
「ああ? いいからあんたはやることやっときなよ」
件の悲鳴が漏れ聞こえてきた荷台から顔を覗かせた薄汚い盗賊の男に、男はぞんざいに声を投げた。馬車の周りでは他の盗賊の男どもも、倒れた馬車の護衛や御者の死体から目ぼしい装備品や金品を剥いだり、他の荷を運んだりしていて、ほとんど男のことは気にしていない。せいぜいが少年の大声にうるせえなと視線を向けるだけだ。
「動くなよ」
「あぐっ!」
足元で震えながらも這いずって馬車に近づこうとしていた少年の背中に、男が踵を落とす。そのままぐりぐりと地面に押し付けるようにしながら男は懐に手を伸ばし、煙草を手にとって口にくわえた。
「なんで生きてんだかよくわかんねえけどよ、世の中、吟遊詩人の謳う英雄譚みたいには出来てねんだよ」
男が煙草の先端に指先で触れると、誰が火を分けたでもないのに小さく赤い輝きが点り、煙が立ち上る。男は少年を足蹴にしたまま、まるで一仕事終えて一服するみたいな気軽さで、懐からスキットルを取り出し、しかし口には運ばずに中の液体をばしゃばしゃと足元にぶちまけた。
「だから大人しく死んどけ、ガキ」
そう言うと、男はくわえていた煙草を大きくひと吸いした後、口から離した。
煙草は何ら斟酌することなく当たり前に大地を目指し、液体のぶちまけられた少年の体に落下する。途端燃え上がる炎に慌てることもなく、男は足をどけた。
「ああああああああ!」
少年は苦悶の声をあげながら、なおも這いずって荷台に近づこうとする。
男は地面に突き刺していた剣を引き抜き、躊躇いなく少年の背中を突き刺し、体を地面に縫い留めた。
「ふぅ……ま、こんなもんだろ」
地面がむき出しの街道から少し脇に逸れて、背の低い草が茂っているあたりに男は腰を下ろした。少年にぶちまけて残り少なくなった革袋の中身を振って確かめたあと、懐に仕舞いなおした。
「チッ、もったいねえ……。剣もダメになっちまうかもなあ……」
炎に包まれながらもがいている少年に突き立てた剣を見て独りごちる。燃焼材も使って剣までダメにしてしまったとなってはかなりの大損だ。
男はあくまで用心棒として盗賊連中に手を貸しているに過ぎず、そこに装備品の支給などの条件は設けていない。あくまで自前の装備なり備品なりで行動を完遂することが望ましい。相手を選んで交渉すれば装備品は回して貰えるだろう。しかしそれを快く思わない者もいるのだ。
「あ?」
男がそんなことをぼうっと考えこんでいる間にも、視線の先で少年は蠢き続けていた。当然のことながら、馬車からは少女の悲痛な声も聴こえている。別段聞きたいと思わなくとも耳に入るそれは、嬌声でも懇願ですらもなく、まさしく悲鳴の類。
「さっさとぶちこんでスッキリしちまえばいいのに……」
さきほど顔を覗かせた盗賊の男は直接的な性交よりも肉体的に嬲る趣味がある。どうにも過去に原因があるらしいが、いつか語られたそれを男はもう忘れてしまっていた。というよりも、そもそも脳細胞に記録していなかった。
地面でのたうつ少年を眺めながら、どうせなら想い人らしき少女が穢される声を耳にしながら果てればいい。男がそんなことを考えていると、
「おい、サボってんならこっちを手伝ってくれよ!」
という声が荷を運び出している盗賊の男から投げかけられた。
「チッ……、死ぬまで見張ってんだよ! もうちっと待っとけ!」
「あ!? んなわきゃねえだろ燃えてんじゃねえか!」
盗賊の男は担いでいた荷をその場に降ろすと、男の近くに歩み寄ってきた。
「ああん? マジでまだ動いてやがんのか」
「言ったろ?」
「どうなってんだありゃ……」
剣で地面に縫い留められながらもいまだに蠢く少年に、盗賊の男は近づいていく。
「ゾンビかなんかだろ、知らんけど。もうちょい放っときゃ死ぬと思うぞ」
盗賊の男が燃えながら蠢いている少年を見下ろしていると、突然背後の馬車の荷台の幕が乱雑に開かれた。
「おら見ろ! おまえの男はもう死んでんだ!」
「う、うそ……ソル……」
美しい藍色の髪を鷲掴みにされ、無理やりに顔を上げさせられた少女の視線が地面で燃えている少年の姿を捉える。自身の首に巻きつけられた野太い腕にかけていた指が剥がれ落ち、少女は両腕を力なくだらりと下げた。その頬はすでに涙でぐしゃぐしゃに濡れていたが、水滴は留まることなく、盗賊の腕をも濡らしていく。
「はっ、いい趣味してるよ」
男は呆れたように嘆息し、
「おい、あんま傷つけんじゃねえぞ! ったく、オレんときゃあババアばっかだったってのによお……」
もうひとりの盗賊の男はあからさまに不機嫌な様子で悪態をついた。
「へへ、日ごろの行いってやつだなあ……。さて、そろそろ頂くとするか。オレは優しいからな、このまま愛する男の顔を見つめさせといてやるよ」
盗賊はそんなことをのたまいながら自身のズボンに手をかけた。
「けっ」
荷台の外にいた盗賊が悪態をついた瞬間、その足首を何者かが掴んだ。
「な、なんだ!?」
足元を見下ろした盗賊の男が見たものは、炎に包まれた少年の手が自身の足首を握り潰さんばかりに掴んでいる姿だった。
盗賊の男は片足を引っ張られて立っていられず、その場に転倒した。少年は倒れた男にのしかかるようにしてなおも這いずる。
「ああ!?」
草の上に座りこんでいた男は表情に苛立ちを滲ませながら立ち上がった。馬鹿な盗賊がまだ生きているガキの手の届く範囲にのんきに立っていたのかと思ったからだ。しかしそれは見当違いだったとすぐに気づく。いくらなんでも盗賊だってそこまで間抜けではなかったらしい。地面に残された痕跡からそれが分かった。
少年は剣で地面に縫い留められながら、それでも愚直に前に向かって這いずり、自身の体を引き裂きながら前進していたらしい。男は気づかなかった自分自身にも歯噛みしながら駆け出した。
Villain:悪党、悪人、悪役。
※2018/08/16修正
男のセリフ「グールか何かか……?」「グールかなんかだろ、知らんけど。もうちょい放っときゃ死ぬと思うぞ」の「グール」を「ゾンビ」に変更いたしました。