決闘
視界がぐるぐるとコーヒーカップに乗った時のように高速回転し、ムサシは思わず吐きそうになった。
「うぐぐ……」
がんがんと響く頭痛に苦心しながら、ムサシはゆっくりと立ち上がろうとした。
するとその時、ムサシの鼻を擽る良い香りが立ち込めているのに気が付いた。それはまるでシトラスミントのような爽やかな香りだった。
一体これは何なのか。ムサシの頭がクエスチョンマークで一杯になっていると、何やら下の方から温かいいぬくもりを感じることに気が付いた。
ムサシはまるで眠気を誘うような温かさに思わずダイブしそうになったのだが、その瞬間只ならぬ殺気を感じた。
「…………」
ムサシは、未だに焦点が定まらない目で恐る恐る目線を下げていく。
そこには、ぼやけていても分かる程に顔を妖怪変化させたユメが横たわっていた。
ムサシはそこに覆いかぶさるような体勢の中、一言呟いた。
「や、山姥みたいな顔してんぞ」
「この変態が__どきなさぁぁぁぁい!!!!」
「うぎゃぁあああ!!!」
ユメのどぎついブローが顔面を直撃し、ムサシはゴムボールのように弾け飛んだ。
そしてムサシは地面を転げ回り、ぷすぷす音を立てて朽ち果てた。
「最低!!」
「こ、これは……不可抗力……だ」
「そんなの知りません! 本当にムサシって変態でスケベだわ!」
「俺は……紳士だ」
「そんな人ここには居ません!」
ユメがそう言ってふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた時、
「ユメ? こんな所で何やってるんだ?」
ムサシには聞き覚えの無い男性の声が耳に届いた。
「え!? いや私こんな所でハレンチな行為なんてしてないわよ!? これは冤罪よ!」
ユメが慌てながら問いに対して的外れな答えを出すと、その男性は苦笑した。
「ユメ、それ普通の人なら勘違いするよ?」
「そうなの!? ていうかユウキじゃない! びっくり!」
ユウキと呼ばれた彼は、育ちの良さそうな笑顔の似合う青年だった。
歳は恐らくそう変わらないが、目鼻立ちがすっきりして大人っぽく見える。要は美形だ。
茶髪で少し肌の焼けたユウキは、爽やかな風雲児と呼ばれても遜色はない。それ位彼は凛々しかった。
そんなユウキを、ムサシは仏頂面で見つめた。
「けっ。こんな奴はイケメンって四文字で済ませりゃ良いんだよ。長々と語りやがってこんちくしょうが。末代まで祟ってやるぜ本当」
ムサシは毒づきながらタンを地面に吐いた。彼は未だうつ伏せに倒れたままである。
そこで初めてユウキは、ムサシの存在に気付いたようだった。
「な、なぁユメ。あそこで片頬を真っ赤に腫らしながら日向ぼっこしてる彼は誰だい?」
ユウキは、ムサシを若干引き気味に指差してユメにそう聞いた。
だが、答えるのはムサシである。
「日向ぼっこだぁ? お前の頭こそ日向ぼっこ中なんじゃねぇのぉ? つうかお前が爽やかな風雲児だったら俺はさすらいの旅人だっつうの!」
「この方はムサシって言うそうですよ。略して変態さんです」
「いやどこも略してねぇけど!? つうか勝手に自己紹介すんな!」
何だかさっき会ったばかりなのにムサシの扱いが雑である。これはムサシの人間性故なのか。
「ムサシって言うのか。俺はユウキ。宜しく」
ユウキは寝そべっているムサシに手を差し伸べたが、ムサシはその手を跳ね除け、猫のように毛を逆立てて__比喩的に__ユウキへ威嚇する。
「何だよ? 僕が怖いのか?」
「怖くねぇよ! 勘違いすんな! 俺はお前が嫌いなだけだ!」
「いや僕何もしてないんだけど!?」
ユウキは困ったような顔を浮かべているが、ムサシにとって知った事ではない。この男はムサシにとって敵だ。
するとユウキがぽんと手を叩いて分かったような顔をする。その仕草が少し古臭いのは目を瞑ろう。
「もしかしてムサシって男性恐怖症?」
「ちげぇよ! 勘違いここに極まれりだよ!」
「なら対人恐怖症?」
「いやそれもちげぇよ!」
「なら生物恐怖症?」
「んな訳ねぇだろ! てか初めて聞いたわその言葉!」
「ムサシって面白いね。はは」
「笑うなこのイケメンが!」
やれやれと言わんばかりにムサシは胡坐をかいて地面に座った。
因みに、先程から地面と称しているが正しくは草原である。大小高低様々な草花が辺り一杯に広がっている。そこだけ切り取ればまるで桃源郷のようだ。
「なぁユメ、ムサシって一体何者なんだい? 怪しさ全開なんだけど……」
ユウキは難しそうな表情を浮かべて、ユメに耳打ちする。この時、ムサシからは目を離さない。
「うん。それがね__」
ユメは先程ムサシが言っていた事をそのまま話した。
するとユウキの表情がどんどん訝し気になっていく。ユウキはムサシを一瞥した後、ユメにこう言った。
「ユメ、君は疑う事を覚えた方が良いよ」
するとユメは口を尖らせた。
「何よ。私だって疑う事位出来るわよ」
「僕、本当は女だったんだ」
「え!? そうなの!? でも貴方子供の時ちゃんと__もしかしてあれは造り物だったの!?」
「いや待って! 嘘だから! そういう回想に繋がるとは思ってなかったよ!」
「あら嘘なの。びっくりさせないでよね」
「さっきの言葉を振り返ってみようかユメ」
ユウキは困った顔で溜め息を一つ吐くと、ムサシを睨み付けた。その目は明らかに警戒していた。
「僕は騙されないよムサシ。君が何者なのかはっきりさせるまで、ユメには近付けさせない」
ユウキは毅然とした態度で、ユメの前に立ちはだかった。
「格好良いな。まるで勇者だ」
ユウキの格好は青を基調とした服装だった。青いマントに青いバンダナ。動き易く丈夫そうな布製のローブ。本当に文字通り勇者を彷彿させるような恰好だった。
一方ムサシは無地の白Tシャツと、色褪せた黒のジーンズを履いている。パッと見、ボサボサの黒髪も相まって浮浪者のように見える。
この二人の服装だけで見るならば、ムサシがヒールで、ユウキがヒーローである。
「これが映像になった時の俺の負け感は半端無いな」
「……何を言ってるんだ?」
ユウキは言葉の意味が分からなかったのか、首を傾げた。
そしてムサシはある事を思いつき、悪人宜しく不敵に笑みを浮かべた。
「おいユウキ……だっけか? 俺とお前で勝負しないか?」
「勝負? 決闘って事か?」
その申し出で、ユウキの雰囲気ががらりと変わった。
「あぁ。お前が勝ったら俺の事を包み隠さず話してやるよ。くっくっく」
「ならムサシが勝ったら?」
「俺が勝ったら__取り敢えず飯を食わせてくれ」
「……飯?」
ユウキは間の抜けた言葉を発した。何だか一気に毒気を抜かれたようだ。
「それでいいのか?」
ユウキとしてはそれでも良いが、決闘の理由がそれだけというのも身が引き締まらない。
それに気づいたのか、ムサシは顔を顰めて何かを考え始めた。
「決めた。ならユメを貰う!」
「嫌よ。死んで」
「……なら住む場所を下さい。お願いします」
「案外ムサシって打たれ弱いんだね……」
少しだけユウキはムサシに対して同情した。
「いいよ。僕に勝ったら君の住む場所を提供してあげるよ」
「ほ、本当か!? あ、でもお前とシェアハウスとかは無理。ごめんな」
「それはこっちのセリフだけど、勝つ未来しか想像してないんだね」
「負ける未来を想像する訳ねぇだろ。けちょんけちょんにしてやるぜ」
ぺっと地面に唾を吐きながら、指をゴキゴキ鳴らす。何だか悪役が板についてきた。
「だ、大丈夫なのユウキ……?」
ユメが心配そうにユウキを見つめた。
「あぁ。ここは僕に任せてユメは後ろに下がってて」
「で、でも……ムサシって弱そうだけど結構強いのよ?」
「こらこら聞こえてるぞ」
するとユウキは、ユメの心配を跳ね除けるような爽やかな笑顔で言った。
「大丈夫。僕は負けないよ」
「……分かったわ。でも気を付けてね」
ユメは心配そうにしながらも、少しずつ後ろに下がっていった。
「ムサシも程々にね!」
「良いから早く下がれ!」
一言も二言も多いユメが下がった所で、二人は対峙した。
「この勇者気取りめ。手加減はしねぇぞ」
「それは僕も同じだよ」
そう言ってユウキは、腰に差していた茶色い棒状の物をムサシに投げ付けた。
くるくると円を描きながら飛んでくるそれを、ムサシはキャッチした(が落とした)。
全長一メートル程の深い茶に包まれたそれは、正しく木刀だった。
「この世界に何でこんな物が……」
ムサシは不思議に思ったが、一応ユウキやユメを見る限りこの世界には人間がいる。だから、こういう物が独自に作られていても不思議では無いのかもしれない。
「僕もそれと同じ物を使う。これで対等だ」
ユウキは何故か二本の木刀を持っていたらしく、それを腰から引き抜いた。
「……いや何で木刀を二本も持ってんだよ?」
「そういう気分だったのさ」
「いや全然格好良く無いから。寧ろ意味分かんねぇから」
木刀を二本持ちたい気分とはどんなものなのか。ちょっぴりムサシは知りたくなった。
だが、そんな事を言ってても始まらないので、ムサシは剣を構えた。
構えは剣道の真似事だ。本物の達人が見たら怒鳴られてしまう程の拙さだと思うが、初心者なのでご容赦頂きたい所だ。
一方、ユウキの構えは綺麗だった。少し手首を捻らせて、木刀を斜めにさせている。
「さぁ、始めようか」
ムサシはこの時好奇心で胸が一杯だった。ここから猛烈な剣戟が始まるのだ(木刀だが)。
「そうだね!」
先手を打ったのはユウキである。洗練された無駄のない動きでムサシに大股で近づき、ムサシの脳天に木刀を叩き込まんとする。
だが、ムサシはそれを身体を半身にして避けた。木刀がすれすれで空を切る。
「そんな!?」
ユウキは驚きつつも果敢にムサシに攻め込む。だが、ムサシはそれをいとも簡単に捌いていく。
ユウキは焦りを感じた。
「くそぉ!!」
ユウキは何だか自尊心を傷つけられたような気分になり、動きに乱れが生じた。
ムサシはそこを見逃さなかった。
「めぇぇぇん!!」
ムサシはユウキの脳天に木刀を叩き込んだ。
「かは__!」
ユウキはその衝撃で崩れるように地面に倒れた。
「ふふふ……ふはははは! 俺の勝ちだな! 俺、ウィナー!」
ムサシは両手を振り上げ高らかに宣言した。
だが、そこで終わるヒーローでは無かったらしい。
「まだ__まだ負けてないぞ僕は!」
ユウキは頭から血を流しながらも、木刀を構えた。刃先が震えている。
「そう来なくちゃな! ふはははは!」
完全にヒールであるムサシは、笑い声までその色に染まっている。まるで自分に酔いしれているみたいだ。
だが、そうは言ってもムサシの優勢は動かない。どんどんユウキの体はボロボロになっていく。
「もう止めてよ! ねぇ! 二人共!」
ここでズタボロになったユウキを見ていられなくなったのか、ユメが叫んだ。
「姫様が嘆いているぞ。もう諦めたらどうだ?」
「冗談じゃない。僕は諦めが悪いんだ。それに__」
ユウキはムサシに不敵に笑いかけた。その瞳に、敗北の二文字は無かった。
「僕は昔から逆境に強い質なんだ」
「ヒーローは言う事が違うなやっぱり」
そこから剣戟はまた始まった。
そこで奇妙な事が起こった。本当に、ユウキの木刀のスピードが速くなっていくのだ。
まるで毎秒レベルアップでもしているかのようだった。
「嘘だろ!?」
ムサシは少しずつだが劣勢になっていくのを感じて焦りを覚えた。それに、息も上がっている。
一方ユウキは全く息も上がらず、どんどんレベルアップを続けていく。
気付けばムサシは防戦一方だった。
「何だよムサシ。もう終わりか?」
ユウキはボロボロになりながらも笑みを絶やさない素晴らしい人間だった。
「ま、まだまだぁ!」
ムサシは負けじと心を奮い立たせた。勝負を終わらせたくない。その一心で木刀を振るった。
そのお陰なのか何なのか、二人は互角の勝負を繰り広げた。
ユメはじっとその闘いを見守っていた。
「これが最後だよムサシ! 僕は全身全霊をかけて君を倒す!」
「上等だよ!」
二人は同時に駆け、交差するように木刀を振り抜いた。
暫くの沈黙の後、パキンという何かが割れる音がした。
「ぐはっ!」
その瞬間、ムサシは地面に倒れこんだ。
ユウキは何も言わずにそっと木刀をしまうと、さっと振り返った。
「僕の勝__」
その瞬間、何か硬い物がユウキの脳天を直撃した。
「え__」
それは木刀の切れ端だった。
どうやら、ムサシの割れた木刀の破片がユウキの脳天に襲い掛かってきたようだった。
「そんな……馬鹿な」
そしてユウキは倒れた。
これがこの勝敗の決着だった。
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この世界は何て希薄なのだろうと彼は思った。
何をしても何をやっても面白くない。つまらないと感じてしまう。
どうしてそう思うか、自分でも良く分からない。
でも一つ思う事がある。それは自分がこれから生きていく先の事だ。
きっと自分は社会の荒波に呑まれて生涯を閉じることになるだろう。
それは自分の性格上、客観的に見てそう言えるからだ。
皆が理不尽な社会に我慢してるから、自分も我慢しなきゃならない。きっと自分はそう考えてしまう。
それを日々考えながらきっと自分は定年を迎え、いつの間にか死というものに直面する。
それが自分が思い描く自分ルートだ。何の面白味の無い人生だ。
これが良いと思う人も中にはいる筈だ。普通の人生を送れるのは幸せな事で、それはきっと大切にしなきゃいけないものだ。
けれど、だからといって自分はこのルートに乗らなきゃいけないのかとも思う。
それを無理に押し付けるのは唯の身勝手な人生観でしかない。
だが、ここで恐ろしいのがその身勝手な人生観を跳ね除けられる程の強さを、どれだけの人が持ち合わせているかということだ。
現に自分は屈してしまうのだ。
そして彼は自殺という道を選んだ。
死んで死んで死にまくった(らしい)。
これが一体どれだけ凄い事なのかなんて自分には分からない。
だが、要は心の弱い人間はどれだけ生まれ変わっても結果は変わらないという事だ。
こんな悲しくて残酷な運命を永遠とやり続けるなら、生まれ変わりたくはない。
死に続けるくらいなら__ずっと死んでた方がマシだ。