今の日本で起きている問題とその解決策
今の日本に何が必要なのかを書いたやつ。
マズローの5大欲求というものがある。マズローの欲求五段階説というのは人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が満たされると、より高次の階層の欲求を欲するとされる説のことだ。下の階層から順に生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求となっている。生理的欲求というのは食べるとか寝るとか生きていくのに絶対必要な欲求、安全欲求というのは命の危機を回避したい、安全や安心に対する欲求だ。これは例えば雨風をしのぐために家が欲しいとか、健康に対する欲求、つまりは将来を保証するための欲求である。社会的欲求というのは集団に属したり、仲間が欲しいという欲求のことである。尊厳欲求というのは他者から認められたり、尊敬されたいという欲求、自己実現欲求というのは自分の能力を引き出して創造的活動がしたいという欲求であり、私はこの欲求こそが夢であると解釈している。つまりは人が夢を持つためにはまず下の四つの欲求を満たす必要があるということである。この説が正しいかはさておき、十分に示唆に富んだ説としてこれを前提に考えると、今の日本人はこの5つの段階のどの欲求を満たすために働いているか?。おそらく、多くの人が安全欲求、社会的欲求を満たすため、特に安全欲求を満たすためであろう。それもそのはず、先行きの見えない今の日本でこの欲求を満たすとなればよほど信頼できる保証が必要となる。安全や健康面もそうだが、特に危惧されているのは職業の問題である。安定した終始雇用、年金など期待できないために老後の蓄えも今から考える必要がある。会社に勤めていたって会社が存続する保証などない。いつ職を失ったっておかしくはない。そんな不安を抱えているため、今の日本はこの安全欲求、つまりは将来の不安を拭うために手一杯になってしまっているのだ。現在の日本の衰退っぷりは語る必要もないだろう。そんな安全欲求すらろくに満たされない日本の中で自己実現の欲求を満たすため、つまりは夢のために活動できるものははっきり言って異常である。こんな日本で夢を持てるのはよほど自信に溢れた自惚れ屋のアホか、よほど才能や環境にめぐまれた天才のどちらかである。今の日本で夢というのはアホか天才にのみ許された特権なのである。誤解の無いように述べておくが、そういう人達を否定しているわけでは無い。ただ、今の現状ではそういう人達がどうしてもマイノリティーなのは必然的と言わざるを得ないわけだ。それに私としては例えアホだろうが天才だろうが、そういう人達を後押しできるような世の中であるべきだと考えている(というか、アホか天才かなど結果でしか語れない)。
では、そのような現状にどのようなデメリットがあるかを考えてみよう。人間は将来のためにどこまで努力ができるか?。はっきり言ってノルマ程度にしか努力出来ないであろう。ノルマさえ達成していればクビにはならないのだから、安全欲求は概ね満たされる。だが、延々にノルマだけを守っていても現状維持以上の成果はあげられない。現在以上以上の成果はあげられないのだから衰退する一方である。要するに、非効率なのだ。そして衰退することによって、さらに将来への不安が強まり、より安全欲求を満たすために動くようになる。現状はそういう負の連鎖に陥っている。そのような負の連鎖を断ち切らねばならないという焦燥は誰しもが抱えているものだろう。この連鎖を断ち切ることだけでも十二分に需要があることであり、価値のあるアイデアである。
それともう一点、これはあくまで私個人の感想だが、将来のために働き続けるというのははっきり言って酷である。一年や二年程度で終わるのならばまだいい。だか、現状のままでは十年二十年、下手すれば老後も将来のために働き続けなければならない可能性がある。そんな目を背けたくなるような未来を妥協できるか?。満員電車に飲まれる毎日を妥協できるか?。週に一度訪れる、月曜日を目前にした日曜日が終わる絶望感を妥協できるか?。そんな思いを抱えて一生生きる人生を妥協できるか?。現状を妥協した者に今以上など訪れない。ただ良くて一生現状維持、下手すら破滅するだけ。私達に年金暮らしが約束された老後などという安泰はない。はっきり言って今のままでは10年先も20年先も、老後も、死ぬまで私達は将来のために働き続けなければならない。そんな未来を本気で妥協できるなどと吐かす奴は、はっきり言って頭がおかしい。好きで仕事をやっている人ならあまり関係のない話であろうが、私はそんな未来、絶対に妥協できない。夢がアホか天才にのみ許された特権という社会は、断じて認めるわけにはいかない。出来ることならば私は、毎日を明日を待ち焦がれながら眠れるような日々を送りたい。つまるところ私は将来のために仕事をする時代を終わらせたいのだ。
さて、ここまで話せば現状を変えることの必要性は分かっていただけたであろう。では何を変える必要があるかを改めて整理しよう。まず何が必要なのかと述べると、安全欲求を満たすために働く社会を変える必要があるということだ。安全欲求には先にも述べたが、健康面などの欲求もあるが、もっとも解決すべき問題は職の保証であろう。別にこれは働かなくてもいいと言っているわけではなく、例え失業したとしても容易に再就職ができるという保証という意味だ。先にも述べた通り、将来が保証されない社会では自分の好みよりも安定性を優先するのが普通だ。将来的な職の保証がされない限り、人間はやりたいことを職のために妥協する。もちろん、やりたいことが最大限できるような職を目指すであろうが、多くの人は将来のためにどこかで妥協するだろう。その妥協した先で納得が出来るような仕事が出来ているといいのだが…私から見るに、あくまで主観に過ぎないが、そんな妥協した先で多くの人が何かしらの不満を抱えているであろう。だからといって簡単には仕事は辞められない、嫌だからと言って先行きの暗い未来への保証を衝動的に手放すのは愚かと言われても仕方がない。衝動的な退職というのは安全欲求と社会的欲求を同時に手放すことである。簡単には決断出来まい。
さて、話が長くなったが、要するに社会の安全欲求を満たすため、つまりは将来の不安を拭うにはどうすればいいかという話だ。私が考えるに将来の不安というものは職が大きなウェイトを占めているので、まずは職の保証をしなければならない。現在は終身雇用という形でその点を保証しているが(…出来てるか?)、それではこの負の連鎖から抜け出すことは出来ない。この問題を解決する方法はいくつかあるであろうが、私が提唱するのはより幅広いマッチングを可能としたCtoC型のビジネスマッチングシステムである。これはサービスを通して個人間で仕事の受諾、例えば子育てや介護、家庭教師など、その他諸々の仕事の依頼が出来るシステムのことである。今でもそのようなシステム自体は存在しているであろうが、私が提唱する『より幅広いマッチングを可能にする』というのは、具体的には例え高齢者であっても簡単にマッチングが出来るほどの幅広いマッチングを可能にすることを指す。
さて、話は変わるが現在数多くのCtoCのサービスが世に存在するが、それらを可能にしているのが信頼である。現在シェアリングサービスが流行っているが、相手を信頼できるからこそそれ相応のものをシェアリング出来る。例えば空き家のシェアリングならば信頼できる相手には気軽に貸すことができても、信頼出来ない相手には貸すことが出来ない。CtoCは信頼によって支えられており(BtoCだろうがBtoBだろうが、信頼がなければ成立しないが、その辺は企業の信頼で支えられているだけだが)、逆に言えば信頼さえ勝ち取る方法があるのならばより多くのことができるのだ。現在、数多くのCtoCサービスではその信頼を数値化するためにユーザー間による相互評価を採用している(メルカリなど)。しかし、この評価方法にも欠点があり、実績がなければ評価すらされないことである。例えばメルカリでは、売買の記録がなければ評価すらされない。評価のある人物とない人物とどちらと取引するかといえば、評価が悪くなければ評価のある人物と交換するであろう。実際問題、評価が悪い人物などほとんどおらず、評価の有無で優劣が付いてしまうのが現状だ。物々売買程度ならばそれでも大した問題はないだろうが、仕事の委託となると話は違う。例えば子育ての場合、なんの評価もない見知らぬ高齢者相手に自分の子供を預けることが出来るか?。おそらくそれは難しいだろう。例え実績がなくともなんらかの方法で評価が必要なのである。その方法がない限り、新規ユーザーの参戦の敷居が高く、私の提唱した『より幅広いマッチング』にそぐうことは難しいであろう。要するに、なんらかの方法でユーザーを評価できるようなシステムが必要ということだ。
そこで私が提唱するのは『AIによるプレゼンテーション動画のレーティングシステム』である。これはプレゼンテーション動画の内容や仕草、表情、声色などからその人物をAIによって評価するシステムである。このシステムがあれば実績が無くともある程度はその人物を評価することが可能になり、評価の有無による待遇の差は無くなり、より幅広いマッチングが可能となるのだ。だが、動画で評価するにももちろん欠点がある。一番の欠点は人力でやった場合、動画の評価に時間と手間がかかることだ。例え一つの動画が5分であったとしても、その数が百や千、1万となった時、人力でそれらが全て評価できるか?。好みや趣向や偏見なくして評価ができるか?。動画が10分、30分と長くなった場合どうするか?。はっきりいって人力で評価する場合、条件が限られてしまう。より自由なプレゼンテーション動画で評価をする場合にはどうしてもITを導入した評価方法が必要となる。
ここまでの話をまとめると…日本が抱えている負の連鎖を断ち切るために将来の職の保証が必要であり、その職を保証する一つの方法として、CtoCによるビジネスマッチングサービスがあり、そのサービスでより幅広いマッチングを可能にするために新しい評価方法が必要で、その一つにAIによる動画レーティングサービスがあるという話である。
さて、次になぜ評価方法として動画が挙げられたのかだが、現状、考えられる方法の中で一番効果的と思われるからである。他にも評価をする方法はある。例えば中国ではクレジットカードの決算やSNSのフォロワーの数などから人物をレートするサービスがある。しかし、SNSのフォロワーの数が多い人など限られているし、そんな限られた人物のみが優遇されるシステムでは『より幅広いマッチング』を実現するには相応しくない。評価がない人を評価出来るからこそ価値があり、フォロワーなどの形で評価されてる人を再評価しても意味は無いのだ。それでも動画によるレーティングでも多少の問題が残っている。例えば高齢者に動画投稿はハードルが高いなど、動画にも技術が必要であるなど。なによりも最大の問題は私が提唱した『より幅広いマッチング』が可能かどうなのかである。
話は変わるが、元々私が考えていたのは高齢者に子育てをしてもらうことに特化した育児のシェアリングシステムであった。これはより幅広く、安価に子供を継続的に託児できるように高齢者に子育てをしてもらうためのCtoCのシェアリングシステムであったが、見ず知らずの高齢者に自分の子供を預けるのは流石に抵抗があると考え、子供を預かる側を何かしらの形で評価するシステムが必要になると至り、AIによる動画のレーティングという方法を思いついた。高齢者に子育てなど任せられるのかという疑問があるかもしれないが、昔ならばこのようなことは地域ぐるみで当たり前のように行われていた。しかし、近所の人はもちろんのこと、教師も警察も親も国も何一つ信用出来ない社会がこの地域ぐるみの育児のシェアリングを台無しにした。だがしかし、このデジタル社会でシステムを導入することにより、私はこの地域ぐるみを再び甦らそうと試みているのだ。昔にできて今では出来ないなんてことは無いはずだ。CtoCのビジネスマッチングシステムなど、その範囲を広げたちょっとした応用に過ぎない。その程度のことが決して不可能だなどとは私は思えない。
またAIによる評価が信用できないという方もいるだろうが、AIはあくまでマッチングをアシストするためのシステムに過ぎない。最終的には動画を見て視聴した人自身が良し悪しを決めてもらうシステムであり、AIによるレーティングはあくまでどの動画を見ればいいかというアシストに過ぎない。しかし、このようなアシストがなければ見られる動画は一辺倒になってしまい、目的とした幅広いマッチングは出来なくなる。
上記の理由により、AIによる動画のレーティングが必要なのである。