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進化に疎い日本人

今回の前書きは以下のサイトから部分的に引用したものです。…許可?そんなもの知らんな。


http://toyokeizai.net/articles/amp/155234



以下、引用です。



2015年には世界第27位だった日本の「1人あたりGDP」。IMFが最近発表した2016年のデータによりますと、さらに下がって第30位に落ち込んでしまいました。


日本は、潜在能力は高いにもかかわらず、毎年順位が下がっています。同時に貧困化が進み、社会福祉の支出が膨らみ、国の借金も増える一方です。もはや「生産性を上げたからといって幸せになるとは限らない」などと、のんきなことを言っていられる状況ではなくなりました。生産性向上は、日本にとって喫緊の課題です。


そんな日本の生産性の低さを語るうえで、外すことのできないテーマ、それが「サービス業」の生産性です。


サービス業における1人あたり総生産を見ると、G7の平均が3万8193.3ドルであるのに対して、日本は2万5987.6ドル。これはG7諸国の中でも最下位で、イタリアにも劣っています(2015年、米国中央情報局データより、人口は直近)。


日本の1人あたりGDPは3万6434ドルですが、先進国上位15カ国の平均は4万7117ドルでした。その差額1万0683ドルのうち、9824ドル(92%)は、サービス業で説明がつきます。経済における比重が高くなっているのに生産性が非常に低いサービス業は、1990年以降の日本と海外の生産性のギャップ拡大に、最も大きな影響を与えているのです。


〜中略〜


ニューヨーク連邦準備銀行の分析によりますと、1995年からアメリカなどの先進国の生産性が向上している最大の要因は、IT、通信業界の発達だと結論づけています。そのITが最も活用されている業種が、実はサービス業です。1995年以降、ほかの先進国の生産性が大きく向上して、日本の生産性が置いていかれている理由のひとつは、日本のサービス業がITを十分に活用できていないからという結論が導き出されています。


〜中略〜


わかりやすい例を1つだけ挙げておきましょう。日本の銀行の多くは、なぜかいまだに3時に窓口を閉めてしまいます。これは、銀行がまだそろばんと手書きの帳簿を使っていた時代の慣習の名残です。3時に窓口を閉めて、お札、小切手、小銭を手作業で確認して、帳簿に書いて計算、数字を合わせると、だいたい5時くらいになります。つまり、アナログ時代に、行員たちが5時に終業するための決まりなのです。調べてみたところ、これは明治時代に、海外から輸入されたルールであることがわかりました。


しかし、今はどうでしょう。ATMもあるので窓口の取引は減り、お札や小銭を数える機械もあります。帳簿は手書きではなくシステムが開発され、計算は機械がやってくれます。3時に窓口を閉める理由はないはずです。


さらに驚くのは、ATMを使った振り込みも3時までで締め切って、その後の振り込みは翌日扱いになるということです。システムを使った振り込みですので、支店の営業時間に合わせる意味がわかりません。あまりに気になったので全国銀行協会に尋ねてみたのですが、やはり理由はないそうです。ただ単に昔の名残が、検証されないまま続いているのです。


〜中略〜


ITとは関係ないですが、同じ現象は農業にも起きています。戦後、農業の機械化が進みました。機械化すると、普通の国では農家の数が減り、法人化され、農地は統合され、1人あたりの平均耕地面積は上がります。


しかし、ご存じのとおり日本ではそうなりませんでした。日本の平均耕地面積は、米国などを除いた他の先進国のおよそ30分の1です。つまり、日本の農業における機械化は、ひたすら農作業を楽にしただけだったのです。生産性を上げるためには、機械化に伴って農地を集約するなどの「抜本的改革」が必要なのです。


このような指摘をすると、また「地形」うんぬんの正当化が聞こえてきそうです。スペースの関係でそれを議論することはできませんが、地形だけでこの問題がすべて説明できるとは、到底思えません。


人口に占める農家の比率が相対的に高いにもかかわらず、輸出は少なく、食料自給率も低いという日本の農業の現状を正当化するのは、極めて難しいのではないでしょうか。


どんな業種でも、ITを導入して生産性を上げるためには、大きな変化は避けられません。場合によっては、ITの犠牲になってしまう人も出てくるでしょう。今の日本は、どちらかといえば変化に対する反対が多い国ですので、結局はIT導入によって生産性を上げることができていないのだと思います。皮肉なことに、人が足りないのに、ITを活用して同じ仕事にかかわる人を減らすことができないので、移民を増やそうという不思議な議論まで展開されています。


生産性を向上させるためには、組織や仕事のやり方を抜本的に変える必要があります。当然「痛み」を伴うケースもあるでしょうが、もはや躊躇していられる状況ではありません。逆に、それさえできれば、日本人の潜在能力を考えれば劇的な生産性向上が期待できます。イタリアでもスペインでもできることを、日本でできないはずはありません。要は「やるか、やらないか」、それだけなのです。




以上、引用終了。


まぁ、要するに日本は変化に疎いよねって話です。今回は僭越ながらそんな変化に疎い母国日本に対しての私の意見です。


日本という国は変化に対して著しく怠慢である。例えば伝統や仕来りを重んじて、昔ながらのやり方を貫ぬいたり、守ることを美徳とする人がいる。まずこれこそ怠慢だ。そうして変化に対しての怠慢を繰り返した結果、時代に乗り遅れ、『わざわざ守ろうとしなければ存続ができないほど』の価値しか残らなくなるのだ。

昔ながらを美徳とするからITの導入も遅れる。そもそも上の立場である年配者が変化に疎いので乗り遅れてしまうのだ。日本にも海外に見られるように高齢者に新しい電子機器の使い方を教えてあげるような文化があれば少しはマシになるかもしれないが…とにかく、変化に寛容でなければならない。

そしてその変化に対して怠慢であるもっとも顕著な例が言葉遣いである。よく若者は言葉遣いが出来ていないなどと宣う人がいるが、まずその考えがおかしいのだ。言葉とは生き物だ、時代の流れとともに変化を繰り返し、より高度で効率的なコミュニケーションツールへと進化していくものなのだ。言葉というものがどれくらいの速さで進化しているのか、その分かりやすい例として挙げられるものが参考書だ。受験勉強で英語の参考書を使う場合、10年前の参考書を使っても使い物にならないと言われている。そしてもちろん、参考書というものはある程度の実用性を帯びているものを取り扱う。つまりは10年もすれば昔のものは使い物にならないほど言語の進化とは劇的なものなのである。しかしながら、『言葉遣い』がその進化を妨げる。より高度に、より効率的に進化を遂げようとする言語に『言葉遣い』を重んじる老害が歯止めをかけるのだ。『敬語』を使え、などと宣う人もいるがそもそも『敬語』などという非効率的な言語があるのは日本語くらいであり、日本語を学ぶ外国人のほとんどを困惑させている。時代に乗り遅れた日本語は『難しい言語』と評価されるようになった。はっきり言って『難しい言語』というものはコミュニケーションツールの評価としては最低だ。扱いにくいコミュニケーションツールなどゴミ同然だ。はっきり言って私はこんなゴミみたいな言語が大嫌いだ。日本語など廃れてしまえ。最近ではようやく『ら抜き言葉』を使う人が50%を超えるようになり、ようやく変化の兆しが見え始めたがそれでも成長が遅い。こうした言葉の進化の歯止めは例えば外国人が日本語の習得に時間をかけ過ぎてしまうようになり、習得を諦めてしまうなどの弊害を生み出し少しずつだが、日本の発展を蝕む要因となるだろう。

以上のことを踏まえて日本人は変化に疎い。いや、進化に疎い。進化に疎いからいつまでたっても非効率な作業を繰り返す羽目になり、いつまでたっても成長しない。だから働けど働けど暮らしは楽にならぬのだ。古きを温ねただけで終わらずもうすこし新しきを知る努力が必要なのだろう。

結論


温故ではなく大切なのは知新。

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