スマートの計画書 3
今日もアヴィは休みか、と教師は言った。教室の片隅にポッカリと空いた席はアヴィの席だ。彼女の机の中には周りの席に座っているいけ好かないクラスメイトたちの教科書で埋まっていた。彼等が男であることが余計に許せなかった。アヴィの席はほんの数回しか使われていないゆえに、彼等のしていることは有効活用と呼べるものだが、スマートは絶えず彼等の顔を見る度にいい気はしなかった。彼等の中にスマートの担任教師も含まれていた。彼は呆れた口調で言うのだった。「今日もアヴィは休みか」わざわざ声に出さなくとも誰が休んでいるかなど、皆把握している。絶えずアヴィの席は空席なのだ。そのことはクラスの誰もが理解していることだった。彼等が知らないことは山ほどあるが、スマートにとって重要なのはスマートとアヴィの接点を彼等が知らず、担任教師だけがスマートとアヴィの接点を把握していることだった。スマートは教師の目線の先にいるものが自分であると分かると、内心ため息をつき、窓の外に視線を転じた。いつものことだった。彼は言っているのだ。「アヴィはいつから来るのか。すべてはお前にかかっているのだ。私は忙しくて、一人の生徒にばかり構ってやれる暇などないのだ」あの教師はきっと彼女の抱えているものを理解しようとする気などさらさらない。そして、気づいているのだ。本当に自分がやれることには限界があり、もっとも親しいスマートにすべてを任せることが最良であると思っているのだ。そんな言い訳など聞きたくなかった。ただ何もしたくないし、責任を一切持ちたくないのでと言い訳をし、すべてをスマートに押しつけているだけだ。ここにはすべてが揃っている。傍観者も加害者も被害者もみんな一緒くたにされ、クラスの中で配置されていた。それぞれが果たさなければならない使命を持ち、割り当てられた役割を制限された世界の中でこなしていた。
昼休み、クラスの中で何かが議論され、四方から意見が飛び交い始めた。しかし、スマートは教室の片隅で気になっていた女の子に二人が専攻していた世界史について教鞭を振るっていた。モイラは言った。「世界を牛耳るために必要なものはお金ってことね」スマートが彼女の艶やかな肉付きのいい太ももに見とれていると、モイラは教科書から目線を上げた。「聞いてる?」ボーイッシュな髪型に健康的な茶色に焼けた肌は、彼女の性格を反映していた。なぜ彼女のような体育系の人間が文化部の盛んな学校にいるのか、甚だ疑問ではあったのだが、それも体育大会の日に明らかになった。彼女はその見た目以上に運動神経がよくなかったのだ。その事実は彼女一人の責任ではないが、クラスの皆に失望と敗北をもたらした。体育大会でダンスのパートナーであった身としてスマートは彼女に彼女の周りに集まってくる女子たちと同様、優しい声をかけたい衝動にかられた。彼女はスマートの目にとまっていたのだ。今がチャンスだと言わんばかりにスマートは彼女に近づいた。彼女は天真爛漫で、きっとスマートは彼女に癒やしを求めていたのだろう、いつも輝くばかりの笑顔を見せてくれるのだ。誰が近づこうと追い返す仕草を一切見せなかった。しかし、スマートが話しかけようと近づいたとき、彼女はやはり体育大会の失敗で落ち込んでいたので、彼女の返事はとても冷たかった。「ごめんね。ちょっと疲れてるの」スマートはつとめて相好を崩した。落ち込みは人に伝染するのだ。「そうなんだ」スマートがその場を立ち去ろうとしたとき、モイラは言った。「全然関係ない話するけど、スマート君って歴史詳しいんだね。この前のテストベストワンだって聞いたよ。すごいね。今度も頑張ってね。応援してる」あまりの唐突な褒め言葉にスマートはたじろいだが、彼女の微笑を見て胸がすく思いがした。彼女の優しさは冷たい返事をしてしまった罪の裏返しなのだろう、とスマートは思った。いつの話かも思い出せないテストの話を持ち出され、驚いたものの彼女がスマートのことを多少なりとも認識してくれていたことに笑みがこぼれた。それ以上話を続ける勇気のなかったスマートは立ち去り、心地の良いリズムを刻みながら、階段を駆け上った。
詳細は思い出せないが、あの日以来モイラに世界史を教える機会が何度かあった。今日はその何度目かの二人の時間だったのだ。誰にも邪魔をされたくはない。しかし、スマートの思いはあっけなく打ち砕かれることになった。クラス中でなされていた議論に終止符が打たれようとしていた。一人の男子生徒が大股で近づいてきた。スマートとモイラの手前で足を止めると、むすっとした顔のままスマートに言った。「アヴィさんのお見舞いに行きたいんだ。だけれど、おれたちは彼女がどこにいるのかもわからない。まして、いや、きっと行ったならば追い返される。そこで、もしかしたらスマート君なら彼女を知っているんじゃないかと思ったんだ」スマートは彼が気に食わなかったので、彼の頭からつま先まで睨みつけ、何も聞こえなかったかのように再びモイラに向き直った。すると、男は苛立ち気味に言った。「担任に言われたことなんだ。アヴィは病気だから、お前達で一度お見舞いに行くことを薦める、と言われたんだ。でも、ほら。おれたち彼女をよく知らないし、行っても相手にされないだろう。なぜいまになって担任の奴がおれたちにそんなことを頼むのか疑問には思ってる。そこはお前と同じだよ」スマートはいっそう気分が悪くなってきた。もしこのまま彼の話を聞き続けたなら、彼の歯を折る勢いで殴ってしまいそうだ。前頭葉の働きが感じられる。頭の前頭部が熱くなり、次第に胸の内がむかむかしてきた。スマートは無言で彼らの誰とも視線を交わさずに教室から出て行った。後には静かな足取りでモイラが付いてきていた。モイラが後ろを振り返り、誰もついていないかを確認した後、はっきりと言った。「わたしあの人たち嫌いだよ」スマートは失笑した。
放課後、クラスの彼等と顔をつきあわせたくなかったので、スマートは担任教師になぜアヴィに彼等をぶつけようとするのか聞いた。彼は疲労しており、アヴィの話を持ち出すとひどく神経質そうに顔を歪めた。教師が生徒にしていい顔ではないと思ったが、スマートにとってすでに彼は教師ではなかったので、意外ではなかった。スマートの眉がびくついた。怒りと失望だ。彼は何やら言葉を途切れ途切れに、愚痴をこぼすように言った。「どうでもよくなってね。先生は疲れたから、君たちに託すよ。それが一番だと気づいたんだ」今の彼に何を言っても無駄だと思った。スマートが冷えた廊下に出ると、モイラが手をこすりながら待っていた。犬のように誠実で忠実なものだ。




