第六十六話 牙を剥く皇龍Ⅰ
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
小鳥の囀る心地よい音と、階下から響く誰かの話し声に、東雲菜月は目を覚ました。
「……知らない天井だ」
お決まりの台詞を零すように呟き、僅かにシミが目立つ木造の天井をぼんやりと眺める。頭が覚醒する過程で視界がだんだんと明瞭になっていく様を感じながら、菜月は記憶を探った。
(昨日は確か、城が騒がしくて……それで、なんか騎士が襲ってきて……優莉に助けられて、エミアリスと合流して、逃げて……って、そういえば原因は――)
第二王妃が殺された、のだという。それで冤罪をかけられた第一皇子派、その仲間と見なされる可能性がある菜月達もエミアリスらと共に逃げ出した。そしてここ、第一皇子アースドルが確保した隠れ家とやらに逃げ込み、それぞれ部屋を与えられて休眠を取ることになった。追っ手を警戒するため、交代でだったが。
――と、そこまで流れを確認して、ふと菜月は右半身に感じる温かく柔らかな感触に気付いた。
「んぅ、んにゅ……」
湿り気のある喘ぎとともに、菜月の右耳に温かい吐息がかかる。思わず「ひゃっ!?」などと悲鳴を上げて、反射的に眼球運動だけで右を向くと、窓から差し込む朝日を反射して銀に輝く紫苑の髪が視界に映り込んだ。
その、この世のものとも思えぬ天上の魅力を孕んだ銀糸を、いつものツインテールではなく緩やかに流した少女。菜月と同郷で後輩の少女――絶世の美貌を持つ一条優莉が、菜月の首に手を回し、ぎゅっと抱きついていた。
「しぇん、ぱぁい……」
「――っ!?」
エロティックに水っぽい喘ぎ声が耳元に至近距離でかけられ、声にならない悲鳴を上げる菜月。だが菜月の心臓を跳ね上げさせたのはそれだけではない。着痩せするタイプなのか、普段目にするよりも大きく感じる胸と柔らかな太股がぎゅむっと菜月の右腕を挟み込んでおり、さらに密着体勢にあるため彼女から香る甘い匂いが激しく理性を揺さぶってくる。
とりあえず眠気は吹っ飛んだ。次いで理性が吹き飛びそうになり――寸前で、堪える。
さすがに寝込みを襲う気はない。たとえ相手がウェルカムと思っていようとも、自分が嫌だ。初体験に夢見ている童貞なのだ。据え膳食わぬはなんたらかんたらとも言うが、初めては、なんというか、こう、ロマンティックなのが良いのだ。……前世の友人、石崎冬悟からは「ロマンチストだな。あと女々しい」などと揶揄されたが。
ともあれ、ガンガン理性を揺さぶってくる色気たっぷりの超絶美少女のホールドを解くため、菜月は自由な左手で優莉を押しのけようとする。が、吸血鬼種ゆえか優莉の力は半端なく強く、魔法一辺倒の菜月では彼女からのホールドを解くことは叶わない。
仕方がないので、菜月は吐息がかかるほどすぐ近くにある優莉の顔に左手を近づけ――その頬を抓った。
「ひゃっ!? いっ、いひゃいれすしぇんぱいっ」
「止めて欲しければ離れろ」
「い、嫌れす」
「はーなーれーろーッ!」
「いひゃっ、いひゃいれすこれ頬が千切れひゃいますーっ!」
ぐぐぐっと頬を引っ張り抓り上げる指に力を入れると、爪が食い込んだのか苦痛の声を上げる優莉。本気で痛いらしい。すぐに言われた通りに菜月の腕を解放してくれた。
拘束が解けると、柔らかな感触が離れたことに若干の物寂しさを感じつつ、菜月はベッドから降りる。抓るのを止めたことですぐに優莉が飛びついてくるのを防ぐためだ。案の定、優莉は左手が頬から離れると菜月に向かってダイブをかまそうとしたが、菜月が離れた上でその飛びついてくる頭を押さえたので、菜月には抱きつけずそのままベッドのシーツに顔面ダイブすることになる。
「むぎゅっ」
可愛らしい苦悶の声が漏れたが、無視。菜月は優莉の旋毛を見下ろし、溜息交じりに言う。
「なんでお前が、俺のベッドの中にいるんだよ」
「わたしが先輩の愛の奴隷だからです」
「んな訳あるかっ!」
返ってきたおかしな答えを両断した菜月に、優莉はこてん、と首を傾げて、
「そんなにおかしなことですか?」
「いやおかしいだろ! 俺、昨日は一人で寝たはずだし、鍵も掛けたんだけど!?」
「そこはほら、愛の力ですよ」
「どんなだよっ!」
「具体的にはピッキング技術と魔術でちょちょいっと錠を弄りまして……」
「うわあ犯罪だよ畜生ッ!!」
「わたしの先輩を思う気持ちを前に、物理的な障害など無意味ってことですねっ!」
愛でセキュリティーを突破できるならば、ストーカー被害者は大変悲惨な目に会うことになるのだが。
相変わらず頭のおかしいことを宣う優莉に、深く溜息を吐く菜月。朝からどっと疲れた気分だ。起きたばかりなのに、もう一度ベッドに寝転がりたい。
けれど菜月が二度寝を決意する前に、すっと優莉の表情が変わった。何かを決意したような顔。冷酷な瞳に、ただ菜月への愛だけ温度を持たせて、吸血鬼の少女は口を開く。
「菜月先輩」
「……、なんだ?」
異様な雰囲気を纏った優莉に、気圧された菜月は返事が遅れる。
じっと菜月の目を見て離さない優莉は、その桜色の唇をゆっくりと動かし、こう告げた。
「逃げませんか? わたしと二人で、この国から」
「――――」
沈黙が支配する部屋で、自身の鼓動だけが嫌に響く。
ごくり、と喉を鳴らし、十秒ほど溜めた菜月は、絞り出すように問いかける。
「逃げるって……なんでだよ?」
対して優莉は、菜月の手を取り、大切そうに両手で包み込むと、そのラズベリーの瞳で菜月の漆黒の双眸を覗き込み、
「この国は、内部分裂を起こそうとしています。第一皇子派と、第二皇子派……あといくつ派閥があるのかは知りませんが、とても不安定な情勢です。そして、《終焉教》の脅威もまだ残っています」
さらにこの国は、動力源である『賢者の霊石』まで失った。しかも第二王妃は殺され、第一皇子と第一皇女は城から逃げ出している始末。
「そんな危険な国にいる必要なんて、ないんです。わたし達が危険を冒す必要なんて、ないんです」
「……だから、逃げるって言うのか?」
低い声で問う菜月に、優莉はこくりと頷いた。
その反応に、菜月はギリリッと奥歯を噛み締めると、自身の手を愛おしそうに撫でていた優莉の手を、いっそ強引なまでに振り払った。菜月の温もりを失った優莉は、瞠目してこちらを見詰めている。その表情に僅かに罪悪感のようなものを抱きながら、それでも菜月は主張する。
「俺は、逃げない。シャルちゃんだって城に残したままだし……なにより、エミアリスに恩を返せていない」
「――っ! で、でも、危険なんですよ!?《終焉教》だけが敵だった前回とは違うんですっ! 貴族とか皇族とか、そういう『力』だけじゃ対応できない厄介な奴らだっているんです!」
「――それでも」
あくまで冷静な声音で。しかし譲れない思いを、熱を込めて告げる。
「それでも、逃げない。――少なくとも、エミアリスに命を救って貰った恩を返すまでは、な」
「…………」
折れない菜月、そして菜月をじっと見詰める優莉。再び部屋に静寂が落ちる。
以前も、こんなことがあったか。《終焉教》にシャルロッテが攫われて、菜月が戦うと決めた日。どれだけ相手が強大であろうと、立ち向かうと言って譲らなかったあの時。その時から、変わらない。
自身の思うままに、行動する。助けたいから助ける。いっそ傲慢なまでの考え。
だけれど。
決して譲れない――菜月を菜月たらしめる、大切なものなのだ。
「……分かりました」
そして今回も、前と同じだった。
溜息を一つ零した優莉は、しかし次の瞬間、ふわりと可憐な笑みを咲かせる。
「菜月先輩がそう言うのなら、わたしもついていきます」
「いや、危険なんだからお前は逃げても――」
「そんなの絶対に嫌です。というかあり得ません」
きっぱり断言する優莉。思わず菜月はたじろく。
優莉はベッドから降りると、先ほどは振り解かれてしまった手を再び握り、菜月を見上げた。そして見惚れるほど可憐な笑みを浮かべ、告げる。
「前にも、言いましたよね。わたしが菜月先輩から離れるなんて、ありえません」
「――――」
「……わたしはずっと、先輩の傍にいます。振り払われたって、蹴飛ばされたって、絶対に離れたりなんかしません」
「――――なんで、そこまで」
思わず零れた菜月の問いに、分かり切った答えを、優莉は口にする。
「先輩が、大好きですから。愛して、いますから」
前世の告白――その情景が脳裏をよぎり、霧散する。
あの時から、彼女は変わらない。ずっと菜月を見続け、支え、そして愛を囁くのだ。
見返りなど一切ないのに。菜月はなにも、返していないというのに。
「俺は――」
言いかけ、けれど言葉は続かなかった。
「……いや、その、ありがとな」
代わりに礼などを口にして、誤魔化す。
最低だ。分かっているけれど、でも、言葉が出ない。
「ふふ、礼なんて良いですよ。わたしはただ、先輩の傍にいたいだけですから」
彼女のその微笑みが、なぜだか棘のように菜月の胸を刺す。
動く度に疼く痛みを抱え、それを解消する方法に気付きながらも、しかし菜月は目を瞑った。
さぁ悩め少年、悩んだ分だけ状況は悪化するのだからな!(ゲス顔)
……という冗談は流すとしまして、次回も宜しくお願いします。




