第五十三話 夢を見る少女Ⅰ
今回は短めです。
非生産的な会議がお開きとなり、自由になった菜月、優莉、エミアリス、テニーの四人は、皇城のとある客室を訪れた。
「あ、お姉様!」
部屋に入った途端に掛かる声。菜月にではなく、皆をここへ案内したエミアリスに歓喜の声を上げた少女――第二皇女リリアーナが、皇族のお姫様とは思えない速度で愛する姉に抱き着いた。が、過大な愛情表現を当の姉はすらりと受け流して部屋の奥に入っていってしまう。
「うう、酷いですわお姉様……わたくしの愛を受け取ってくださらないのですの⁉」
「時間があったら考える。……永久に無いと思うけど」
ぼそっと酷い一言を零しつつ、部屋の前で呆然としていた三人をちょいちょいと手招きするエミアリス。そのアクションに従い、姉の言葉に打ちひしがれるリリアーナを避けて三人は部屋の中に入った。
この部屋に置かれた家具は、他の客間と比べて少ない。加えて色素も薄めに整えられていて、全体的に清潔感溢れるというか、どことなく空虚な部屋だった。テンションを上げるのには向かないだろうが、心を落ち着かせるにはちょうど良いかも知れない。
権力の象徴とも言える皇城で不釣り合いに質素に作られた理由は、この部屋の目的が客をもてなし財力を見せつける事ではなく、心身を休ませて療養させる為の場所だからだ。
「――あ。ナツキさんにユーリさんにエミアリス様、それにテニーさんも」
突如全員に掛けられたその柔らかな声の主は、部屋の中で最も存在感を放っている、大きな療養ベッドに寝かされていた。
いつもは編み込んでいる若草色の髪をすらりと流し、シアンの瞳はどこか夢を見ているように薄ぼんやりと陰っている小柄な少女。人より少し尖った耳が特徴的で、幼さが抜けていないが可愛らしい容姿は将来を楽しみにさせる。
どこか存在感が希薄になっているように感じる彼女の近くに寄って、菜月は囁くようにその名を呼んだ。
「……シャルちゃん」
そう――ベッドに横たわっていたのは、シャルロッテ=エンフェイト。菜月と優莉がこの世界に来て初めて遭遇した現地住民、半妖精種の少女だ。
ラムル村にて、〝終焉教〟の襲撃に巻き込まれて攫われてしまった彼女。帝都リアードのとある廃棄予定の研究所の牢屋に他の攫われた者達と一緒に入れられていたが、何らかの――菜月の知る由もない――理由で『銀虐魔王の血脈』を解放させて、魔女と魔女の手によって怪物と化した己の母ミシアと戦い、そして死にかけていた。そこに駆け付けた菜月と優莉とテニーで何とか助ける事に成功したが、気絶してしまったシャルロッテは城の医務室に運ばれて治療を受ける事になる。その後、菜月より早く目覚めたが、精神面に多大なダメージを受けてしまった彼女は、エミアリスの計らいで長い療養期間をこの部屋で取っているらしい。
菜月はその時、イアミントとの戦いで気絶してしまい、微妙に記憶が残っていないので聞きかじった程度の情報でしかないが、概ねそんなところだ。
なんとか無事に動けるようになってからはすぐに円卓会議に呼ばれてしまっていた為、シャルロッテの様子は気になっていたが一度も部屋を訪れた事は無かった。だから自由時間を得た今、エミアリスに案内してもらったのだ。
それに――菜月は様子を確認するだけでなく、彼女に謝りたかった。
「その……体は、大丈夫か?」
だが、どうしても言葉が出てこない。代わりに口にしたのは、答えが分かっているうえに在り来たりな台詞で、ヘタレな自分が嫌になる。
しかし、どうやらシャルロッテは純粋に菜月が心配してくれたと思ったのだろう。負い目を感じていて自分から目を合わせられない菜月に、シャルロッテは意図的に微笑みかけてくる。
「はいっ! 元気……とまではいかないですけど……で、でも、もうどこも痛くはないです!」
その声は明るく、体が痛くないのも本当なのだろうと分かる。事実、外傷はもう殆ど消えているし、身体内部の損傷も治癒し終えているらしい。――だが。
(心は……)
菜月が目を覚ました日。菜月は優莉にシャルロッテが無事かどうか尋ねたが、その時に帰ってきた言葉は、「体は無事」というものだった。
体は無事――だが、心は無事ではない。
原因は大体分かっている。恐らく、というか確実に、魔女の手によって怪物にされた彼女の母親、ミシア=エンフェイトの事だろう。
怪物にされた自分の母親と殺し合うなど、正気でいられる事態ではない。実際、殺されかけていた彼女は、その心に決して癒えぬ深い傷を負っている。時間が解決するとはあまり思えないが、それしか手がないので、彼女はこうして長い療養を取っているのだ。
しかし彼女は、気を失う直前に、菜月にミシアの事を助けてほしいと頼んでいた。
残念ながら、その願いを叶える事は出来なかったが――もし彼女が、菜月がミシアを生きて連れて帰ってくる事を心の支えとしていたら、彼女はもう平静を保っていられなくなってしまうだろう。いや、想いを裏切った菜月の事を心底憎むだろうか。
でも、言わなければならない。どんな悲惨な結果になろうとも、例え死を選びたくなるほどに残酷な真実だろうとも、現実はいつか知らなければならないのだから。
「…………そう、か」
――言えない。言える訳がない。彼女に、母親は助けられなかった、など。
だが、言わない訳にはいかない。そしてその役目は、彼女に母の事を頼まれた菜月の役目だ。
だから菜月は覚悟を決める。心を落ち着かせ、緊張と恐怖に乾く喉に唾を流し込んで、いざ口を開き――しかしそれを遮るように、シャルロッテがいきなり頭を下げた。
「あ、あの! こ、怖い魔女のところから助けてくれて、ありがとうございますっ!」
「――、え……あ、ああ。シャルちゃんが無事で良かったよ」
まさかミシアの事を訊かれる前にお礼を言われるなどと思っていなかった菜月は、動揺を見せながらもなんとか微笑み返した。
菜月がイアミントからシャルロッテを助けたという辺りの話は、菜月は記憶が混濁していてあまり覚えていない。だからお礼を言われてもいまいち実感が湧かないのだが、真摯に言われた礼なので、こちらも内心の混乱を押し殺して表面上だけでも快く受け取っておくべきだろう。
「まぁ、助けられたのは俺だけの力じゃないんだがな……」
「えっと、はい。ユーリさんやテニーさんも助けてくれたんですよね。で、でも、お二人には先に言えましたが、まだナツキさんには言えていなかったので……」
「あー、そういう事か」
優莉やテニーは菜月と違って寝込んでいなかったのだろう。だから、先にシャルロッテと話し、礼を受けていたようだ。まあ、そういう事だから、現在殆ど菜月がシャルロッテと会話をしている形になっているのだが。
会話が途切れ、暫しの沈黙が流れる。
一度意を決しても、中断させられてしまうと何となく切り出し辛い。そんなヘタレ根性の菜月は、本題から逸らすように――それでも聞いておきたかった事を口にする。
「……そういや、さ。シャルちゃんのお父さんは、今どこに居るんだ?」
ミシアが何故〝終焉教〟に捕まり、化け物に変えられていたのかはやった本人――『二月の魔女』イアミントに話を聞かないと分からない。だが、もしミシアが家に居たところを襲撃されて攫われたのなら、彼女の夫――つまりシャルロッテにとっての父親はどうしているのだろう。一緒に捕まったか、それとも逃げ延びているのか、そこをはっきりさせたかった。
よくよく冷静になって考えてみれば、ずっと帝都の研究所の牢に閉じ込められていて、そこから救出されても療養の為にこの城から出られないシャルロッテに聞いても分からない筈の事なのだが、しかしシャルロッテは薄く微笑んだ。
そして――どこか焦点の合わない瞳を揺らしながら、彼女はその一言を口にする。
「父さまは、母さまと一緒にエミルフィアに居ますよ」
時が止まったかのような静寂の中で、彼女の言葉が不気味に反響する。
「――――」
言葉が出ない。瞠目し、冷や汗が止めどなく背を伝う。
数秒、呼吸の仕方も忘れ、菜月はただ茫然と先の言葉を脳内で反芻していた。
――シャルロッテの父は、母とエミルフィアに居る。
そんな訳ない。だって、彼女の母は、もうこの世には――。
「――菜月先輩」
名を呼ばれ、ハッと菜月は我に返った。
だが背中に流れる冷や汗と、全身の鳥肌は収まらない。意識しなければガクガクと震えそうになる肉体をなけなしの意志で落ち着かせ、ギギギと油の足りない機械音でも鳴りそうな動作で声の主へ振り向く。
菜月と目が合うと、先の言葉を放った張本人である優莉は僅かに目を細めて彼に目線で何かを訴えかけ、それから菜月の――彼女から見れば――不自然な反応に首を傾げるシャルロッテに声をかけた。
「シャルちゃん。菜月先輩はこれから重要な話をしなければいけないので、今回の見舞いはこれで終いにします」
「あ、はいっ! い、忙しいなか、わたしなんかの為にすみません……」
「いえいえ。菜月先輩が他の女のところに見舞いに行く必要なんて微塵も有りませんが、先輩の希望は無下に出来ませんので」
さらりとお前の見舞いなんぞ必要ないなどと宣いつつ、優莉は綺麗なお辞儀をしてから部屋を出る。その間ずっと心ここにあらず状態の菜月は優莉に促されるまま歩き、その後ろを気まずそうな雰囲気でエミアリスとテニーが続いた。
「それではお姉様、こちらはわたくしにお任せください」
菜月達が退散する中で部屋に残り、シャルロッテの看病――というか話し相手になるという役目を請け負っているリアーナが送り出す。その目は少し伏せられ気味で、どこか空元気のように菜月の目には映った。
「任せた。……でも、ゆっくりで良い」
「はい。分かっておりますわ」
姉の言葉に、ふわり、と花が綻ぶような笑みを見せる妹。
姉に重大な任務を託された妹は、先ほどまでとは一変して強い意志を瞳に乗せていた。彼女は元来の責任感の強さだけでなく、自分より三つ年下の少女がこうなっている状況が酷く悲しくて、どうにかしてあげたいと思っているのだ。現状、会話相手になってやる事くらいしか出来なくとも――。
対して姉は、そんな妹の心情を理解しつつ、あまり思い詰め過ぎないようにしてほしいと、顔には決して出さないが思っていた。
そんな姉妹のやり取りを一瞥し、しかしそれについては何も言わぬまま優莉は菜月に声をかけてくる。
「菜月先輩。色々聞きたい事があるでしょう」
「……ああ」
沢山あった。でも一番聞きたいのは、何故シャルロッテがああなってしまったのか――。
菜月の心中を、まるで予測していたかのように察した優莉は、柔らかな微笑みを浮かべつつ言葉を続けた。
「では、菜月先輩の部屋に行きましょうか。――そして語りましょう。菜月先輩が眠っていた、五日間の話を」
――何か、嫌な予感を覚えつつ。でも逆らう訳にもいかず、菜月は優莉に手を引かれ、自分に宛がわれた部屋を目指した。
次回も宜しくお願いします。




