番外七 ある放課後の告白を阻止する為に Ⅴ
文章が中々纏まらず、遅れてしまいました。本当にすみません。
魔道の名門家である天道三大家に流れる『血』は、一般人に流れるソレとは異なっている。
いや、試験管に入れて最新鋭の機械を通して分かるような遺伝子の話をしているのではない。この場合は魔術――即ち神秘に関する事だ。
天道三大家の発祥については諸説あるのだが、彼ら三家の血は総じて神魔に関係するという。
神の祝福を受けたか、魔に見初められたか、真実は三家の当主達が揃って口を噤んでいる為に分からないが、まるで神話のような事が原因で出来たという説が有力らしい。馬鹿馬鹿しい夢を見てる訳でもなければ盲目に奇跡を信じている訳でもなく、それが『事実らしい』と、研究を続ける多くの魔術師達がまことしやかに囁いているのだ。
発祥はともかく、三家に流れる『血』の力は、並大抵の魔術師では相手にならないほどに強い。
例えば石崎冬悟。
彼はどこの勢力にも属していないフリーの魔術師だが、その実力は、一条家に仕える分家である為に専門的な訓練をこれでもかというほどに施されている二階堂三兄弟の三男、和馬と一対一でやり合えるほどだ。相性の問題もあるが、まぁ彼はそこそこ強い部類に入るだろう。
しかし『金救勇者の血脈』を使った奏渚と戦った場合。
彼は、一分も持たないだろう。
身体スペックが違いすぎるのだ。多少強力な魔術効果が掛かった霊装であるハルバードを振り回したところで、骨一つ折れまい。骨折や筋肉断裂程度のダメージも血の力のお陰で捨てるほど溢れ出す生命力で一瞬で癒えてしまうし、そも、大振りの武器の攻撃など人外の動体視力と肉体制御能力を手にした奏渚には当たる訳がない。
弓矢を手に気球に乗って、戦闘機を相手にするようなもの。無謀以前に、何故挑むのか真剣に考えるレベルの差だ。
つまりは反則級。対等に殺り合う必要に迫られたのなら、せめて神殺しの異名を持つ霊装を用意しなければ話にならない。
だが、もしも。
その血の力を使う者同士がぶつかったのなら、どうなるのか。
それは即ち、神々の戦争に匹敵するのではないだろうか。
◆ ◆ ◆
百を超える剣線が刹那の間に閃き、本来実体のない魔力が切れ味を持ってスパークする。コンクリート片が舞い、鉄屑が散り、硝子混じりの砂埃が立ち込めるが、しかし恋する魔術師達は止まらない。
奏渚の右手に握るのは短剣。初めに手にしていた拳銃は、奏渚が本気を出して【錬金】の魔術で改変した超威力の殺戮魔弾を撃ち放った際にその銃身が粉微塵と化してしまったので、今は残り少ない暗器を使っているのだ。炎爆弾の反動で肩が外れ骨が曲がっていた左腕は既に『金救勇者の血脈』の力で生み出された生命力で治癒が完了しており、こちらにも右手と同じく短剣を握っている。
対する優莉は、リーチの短い短剣ではなく、吸血鬼の能力で伸ばした爪の刃で奏渚の首を刈ろうと狙っていた。
だが繰り広げられるのは刃による斬り合いだけではない。熾烈な魔術の応酬も行われている。
「影の刃よ斬り裂けッ」
素早く唱えられた呪文によって現れた大小様々な無数の影の剣が、奏渚の体を切り刻まんと迫る。
その影の剣は、優莉の『銀虐魔王の血脈』の力も相まって、先ほどまでのものとは比べ物にならないほどの切れ味を誇っている。直撃すれば、いくら同格の血の力を使っているとはいっても、簡単に奏渚の肌を食い破ってしまうだろう。
しかし奏渚はそれを躱し、逸らし、弾き、確実に捌き切って更にそこから反撃の魔術を放った。
呪文はいらない。一之瀬の魔術性質である【光】ならば、『力と意味を持つ言葉』である呪文を詠唱して自己暗示など掛けなくとも、神理は手に取るように理解るのだから。
十字を描くように振るった短剣の剣筋の延長上に、高熱を持つ閃光の刃が駆けた。
「――ッ」
その光刃を目にした優莉が息を呑み、反射的に爪を顔の前で交差させた。
ズジィィッ!! と硬質な物体が高熱に灼ける激しい音が立つ。光刃は言わば斬撃の体を成したレーザー。多少固くなったとしても本質はタンパク質から変わらない爪では、皮膚と同じように灼かれるだけだろう。
そんな事は当然分かっている優莉は、どうやら体内の魔力を極端に爪に集中して光刃を防いだようだ。
しかし肉体強化に使う魔力の比率を偏らせるような事をすれば、踏ん張れなくなった足が崩れ、消し切れなかった衝撃によって後方へ倒れ込むように吹き飛ばされてしまう。
その躱し辛い姿勢になった優莉への追撃として、奏渚は光弾を短剣の切っ先から連射した。
ドドドッドドッドンッ!! という爆撃の如き破壊音。砕け散ったコンクリート片と共に優莉の姿を完全に隠すほどの土煙が立ち込めるが、しかし奏渚の視界を遮っていたのはほんの数秒ほどだけだった。
「影よ喰らえ」
魔術が発動し、砂煙を吹き飛ばして伸びる無数の影の手。変質的な動きをする影達に掴まれないよう注意しながら奏渚は優莉を短剣の間合いに収める為に前へ足を進めた。
しかし一流の魔術師の手で生み出された影達はそう簡単に標的を逃すような事はなく、まるで意思があるかのように一斉に進行方向を転換すると、包囲するような形で奏渚へと襲い掛かった。
「くっ」
流石に囲まれてしまえば躱し切れない。そう判断した奏渚は、素早く十字を切った。
今の魔術のような【光】を『事象』とする場合だけに限らず、こういった記号は魔術には重要だ。奏渚が使う【光】には聖、祈りなども含まれるので、それに系統する動作をする事で呪文を短縮したり、効果を高めたりする事が出来るのだ。
この辺りは、本来魔術が儀式であるが故の効果だろう。いや、古来より記号や霊装が魔術という儀式に用いられてきた事から、魔術師達が『そうあるべき』と無意識下で思ってしまっているからだろうか。
聖印が宙に描かれ、一瞬の明滅ののちに奏渚の周囲を聖なる光が包み込んだ。光の結界――疑似的な聖域を作り出したのである。
肉を、魂を喰らおうと影の手が奏渚へ伸びるが、しかし結界に阻まれて奏渚には触れられない。更に峻烈な光を直接喰らってしまい、影達は結界に触れるたびに千切れ、霧散し、その数を減らしていった。
そして最後の一つまで消えて――安心する間もなく、奏渚の目の前に優莉の爪が飛び込んでくる。
「ふッ!」
「はぁッ!」
呼吸を重ね、光速に乗って刃が衝突。纏わせた魔力がバジィッ! と激しく火花を散らし、色鮮やかな魔力光が二人の顔を照らした。
一撃が終われば二撃。次いで三撃、四撃、五撃、そして意表を突くように脚撃を入れ、幾度もフェイントを重ね、死角を狙って魔術を放ち――けれども決着はつかない。
もはやどちらも人間の動きではない。それはある程度の水準を超えた魔術師全員に言える事だが、この二人は、まさに神の領域に踏み込むほどの速さだった。
そも、魔術師のうち、神理を解き神理を書き換え――そして新たに神理を創造した者、即ち神理術師と呼ばれる一握りの人間は、神を殺す者達なのだ。神域に踏み込めずして神を相手に出来る訳などないのだから、彼女達は順当に魔術師として力をつけている段階だと言えなくもない。
――人間とは、無限の可能性持つ生き物なのだ。
傲慢で、強欲で、卑怯な人間ならば、例え創造主でも殺し、自らの血肉に変える事が出来る。ただ力を、知識を、星界を、心が欲するままに貪欲に求め、感謝も畏怖も尊敬も何もかも忘れて神々を陥れ殺し犯し喰らう。それがあるべき姿であり、消せない罪であり、何より――力の証だ。
「強化錬金・五倍」
光速で走る思考を駆使して魔術を発動。短剣の素材で耐え切れる限界の倍率までその強度を引き上げ、奏渚は優莉の爪を両断する気で刃を振るった。
優莉は短剣に対抗する為に爪に魔力を集めたようだが――しかし奏渚の短剣の切れ味が勝っていたようだ。バギンッと硬質な音を鳴らして半ばから折れた爪が吹き飛び、その衝撃で根元から剝がれかけた痛みに優莉が苦悶の声を漏らす。
「勝機……っ!」
日本には古来より、言霊という概念がある。簡単に言えば、口にした言葉が現実に何らかの影響を与える、というものだ。
別にそれを狙って口にした訳ではないが、思わず口角を吊り上げた奏渚は、両の手に握る強化倍率五倍の短剣で、まるで玉ねぎの微塵切りを作るかのような目にもとまらぬ乱舞を繰り出した。
ギガガガッガギギギガッガガッッッ!! という途切れる事のない金属音が耳朶を乱暴に叩き続ける。一撃衝突するごとに魔力の余波がコンクリートを抉り、壁の塗装を剥がし、金網を縦横無尽に切り刻んでいくが、しかし刃を振るう二人の肌に傷は無い。制服も強化している為だろうが、この高速戦闘で目立つ汚れすらないのは驚愕に値するだろう。
「ッ!」
鋭く息を呑み、バク宙で逃げるように下がりながら優莉が空中で三本の短剣を放つ。奏渚はそれを短剣で叩き落そうとして――しかし嫌な予感を感じた奏渚は、素早く発動させた魔術の光弾で半ば消し去るように弾き飛ばした。
予感は的中したようで、光弾が直撃した短剣は、爆炎を吹き出すようにして破裂した。
(短剣型霊装の手榴弾……なんか似たような事をわたしもしてたような……)
爆風程度で吹き飛ばされるほど、『金救勇者の血脈』を発動させた奏渚は柔じゃない。爆炎は優莉の力で強化されていると推測出来るので力技で捻じ伏せるのは悪手だろうが、そこは聖印を切って疑似聖域結界を作り、体に傷をつけないように完璧に火炎を弾く。
優莉が短剣に施していた魔術は恐らく【刻印】のものだろう。爆発、またはそれに近い意味を含む紋章を刃に描いてあった短剣に魔力を流し、何かに接触すると同時に火炎を吹き出して爆発させる。殺傷性が高く周囲への被害も期待出来る、対人および建物襲撃用の簡易霊装だ。奏渚も似たような事を【光】の魔術でやっていたので、勘が上手く働いたようだ。まあ、奏渚の場合は手榴弾ではなく閃光弾ではあるが。
結界で爆炎を弾きながら突き進み、優莉のシルエットへ光の斬撃を飛ばす。魔術で光の斬撃を放つ攻撃なので空を切る感触しかないのは当たり前なのだが、どこか奏渚は違和感を覚えて――。
「あぐッ!?」
鋭い衝撃が、後ろからやってきた。
(背後を取られた……!?)
生身で時速百キロオーバーのトラックにぶつけられたのかと錯覚するほどに強烈な一撃。実際、今の状態の奏渚であれば時速百五十キロ近いトラックでも真正面から勝負出来るほどの力と頑丈さはあるが、魔力で強化されてない状態で受けたのではと思うほどに、痛烈な攻撃だった。
あまりの威力に肉体が爆ぜる衝撃を背中に食らわされた奏渚は、何も抵抗出来ずに吹き飛ばされ、そのまま落下防止用の金網を突き破ってしまった。
(拙い……っ!)
下には、何もない。このまま重力に身を任せれば、二十メートル近い距離を真っ逆さまだろう。魔術師であり『血』の力すらも発動している奏渚であれば無傷で着地も可能だろうが、それは確実なロスである。
時間的な意味もあるが、奏渚の懸念は、優莉が結界を張ってしまう事だった。
屋上をすっぽりと包む形で、『特定の人物を除いて侵入を阻む』などの条件を指定した結界を形成されてしまえば、奏渚はもう屋上に入れない。特定の人物の中には、優莉は勿論、菜月も入っているだろうから――つまりは、優莉の告白を止められないという事だ。
「がふ――っ」
先の攻撃で臓器でも傷つけられたのか、奏渚は少量とは言い難い量の血を吐き出した。
とはいえ、空中に投げ出された形のこの状況で、奏渚が出来る事は少ない。しかし何もせず大人しく落下を待つ訳にもいかず、奏渚は細工を施した二本の短剣を優莉に向かって投擲した。
悪足掻き程度にしかならないだろう。――いや、ある意味効果的なダメージは与えられるだろうか。
とあるメッセージが刻まれた短剣の行方を横目に見て――奏渚の体は、地面へと吸い込まれるように落ちていった。
耳を擦る風切り音がびゅうびゅうと妙に五月蠅い。気候はすっかり夏だった筈だが、高所からの落下で強風に全身を洗われる為に体温が急激に下がってしまい、とても寒かった。
(……冬服で良かった)
皆がもう夏服に衣替えを済ませていても、冷え性と暗器が隠し易いという理由からまだ冬用制服を着こんでいた奏渚は、頬を嬲るような冷たい風に内心呟く。
屋上からの落下に恐怖は無い。そういった余計な感情は、随分前にそぎ落とされているのだから、恐怖を感じようがないのだ。
何度か手頃な木の枝を掴んでスピードを殺し、驚くほど静かに着地した奏渚は、一息つく間もなく開いていた窓から校舎内に飛び込んだ。
『金救勇者の血脈』を発動させている今、校舎の壁を垂直に駆け上がって屋上へ行く事も可能だろうが、恐らく――というか確実に結界が張られているだろうから、不正ルートからの侵入はほぼ不可能だろう。人の出入りを制限する魔術結界である以上どこかに『正式な入口』や『結界を形成する象徴』は用意されているだろうから、結界を解除して侵入するにはそこを突くのが一番だ。
今回の場合、恐らく優莉は屋上に箱を被せるように結界を張るだろう。短期間でも長期間でも用意さえあればそれが一番効果的だし、手軽だ。
だが、密室と違って開けた空間というのは、明確な範囲を指定し難いので結界を張り辛い。一応屋上には落下防止用にと金網が張り巡らされているのでそこを基準にすれば空間を囲えるだろうが、即興で作る事になる以上、どうしても弱点は生まれてしまう。
恐らく最も結界を解除、もしくは無視して侵入できるポイントは、屋上に繋がる扉だろう。明確に『出入り口』を象徴する場所は、事前に対策をしていない限り半ば強制的に『正規ルート』として設定されてしまい、弱点となりうるのだ。その事は優莉も分かっているだろうから、弱点を消される前に早く屋上へと行かねばならない。
土足のまま廊下を駆け抜け、残像を生み出すスピードで階段を上がる。
時間を無駄には出来ないが、魔力や精神力の温存の為に移動中は『金救勇者の血脈』を解除しておく事にする。この力は絶大な能力を手にする代わりに代償が厳しいのだ。神秘を探求する『魔術師』である限り決して曲げてはならない理法、等価交換の法則である。再び屋上で優莉と戦う時の為に余力は残しておく必要があるので、最低限の速度を確保する為に肉体強化のみに魔力を注いだ。
この調子なら、数十秒で屋上に辿り着けるだろう。
そう思っていた矢先に、
「いたぞ、一之瀬奏渚様だ!」
「武器抜け! 足止めするぞ!」
どうやら二階堂三兄弟以外にも、優莉の手駒がいたらしい。五人の魔術師が各々の武器を構え、術式を構築しながら走ってくる。
足止め――この状況では、非常に厄介だ。
早く屋上に行かねばならない。でなければ、優莉が菜月に想いを告げてしまうかもしれないのだから――。
「邪魔を、しないで」
低く、酷く冷たい声で呟いた。
凍てつく空気。光速の思考。死の臭いが充満する廊下で、少女は背中に隠していた最後の短剣を音もなく手に取り、ゆっくりと一歩を踏み出す。
――次の瞬間には、奏渚の姿はかき消えていた。
「あが――っ!?」
続いて聞こえてくる呻き声。ブシャァァァアア、と噴水のように血液が吹き出し、鈍い白色の廊下を赤く染め上げた。
「……次」
魔術師の首を裂いた短剣を振るって刃についた血を払い、次なる獲物へと眼を向ける。
「ひぃっ」とか、「くそっ」とか、そういう雑多の台詞はいちいち反応する価値もない。慣れた手付きで遊ぶように短剣を手の中で回すと、奏渚は限りなく予備動作を無くした動きで斬りかかった。
「っらぁ!」
次の獲物は先ほどの魔術師より優秀で、何とか反応出来たようだ。――反応が出来ただけだったが。
振るわれた長剣は奏渚の眼には酷く遅く映り、何の障害にもならない刃を躱して奏渚は短剣を捩じり込むように魔術師の左胸へと刺し入れた。抉るように上下左右に動かしてから引き抜き、最後に喉元に斬り込みを入れて致命傷を刻み込めば、もうこの死体には興味はない。
ここまで確実に息の根を止めているのは、強い治癒能力を持つ魔術を習得した魔術師がいた場合、心臓の破損程度では致命傷にならない可能性があるからだ。すぐには動けないだろうが、気力を振り絞ればある程度の魔術は使えると思われるので、危険を完全に払拭したければ緊急手術でも行わなければ生き残れないよう複数致命傷を与えるのが一番なのである。
「ま、待て、こ、殺さな、ぐぁあッ!」
彼らの目的は足止めであって、奏渚の殺害ではない。だから命を失う覚悟が弱かったのだろう、魔術師にあるまじき恥ずべき事である。
命乞いなど最初から聞く気もない奏渚は問答無用でその開いている口に光弾を叩き込んで首を貫通させると、左目に短剣を差し入れて脳まで刃を届かせる。どちらか片方だけでも確実に相手は死んでいる気もするが、まあ、万全を期すのは良い事である。
残り二人も手早く片付け、奏渚は赤く濡れた腕から滴り落ちる血の感触を「あぁ、いつも通りだな」と感じながら、屋上へ向かう為に再び足を動かそうとして――。
だが。
ちらりと、奏渚の視界に『ソレ』が映った。
「――ぁ」
見たくない。
そう思っても、眼は意志とは真逆に動いてしまう。
窓の外――茜色に染まった終焉の空の中、銀糸混じりの紫苑の髪が見えた気がした。
「一条、優莉――?」
引き寄せられるように窓を開け、窓枠に乗り出す形で下を覗き込んだ奏渚の瞳に映ったモノは。
「あ、ぁ、あ、あ……」
風に靡いて舞い上がる紫苑の髪を持つ天使の如く可憐な少女を抱き絞め、落下の衝撃を引き受ける為に自らが下敷きとなるべく空中で体勢を整える、彼の姿があった。
特徴は乏しいが、持ち主の性格からか良く気に掛けられて整えられた茶髪。深く、しかし綺麗な漆黒を落とし込んだ双眸。元運動部の為に、そこそこ引き締まった体。そのどれもが、疑いようもなく彼なのだと主張してくる。
信じたくない。だって彼は、最後の瞬間に、一条優莉を抱いているのだから――。
「ぃ、や……」
小さく零れた言葉は、見開かれた瞳孔から流れ落ちる雫と混ざり、落ちてゆく。
何故自分があの腕の中に居ないのか、何故一条優莉が菜月の体を抱き返しているのか、何故彼は一条優莉を守ろうとしているのか、何故一条優莉が最後に触れあっていた人になるのか――何故、一条優莉が彼の命を奪うのか。
「なん、で」
溢れ出す言葉は、止まらない。
それが、黒い感情から出るモノだと気付かずに。
彼女の光の無い瞳が、ゆらゆらと、ぐらぐらと、導を失ったかのように彷徨う。
だが、ずっと、意識は彼だけに向いていて――。
「だ、って。わ、たしが、え、いや、なんで、わたしがわたしが、わたしがなっちゃんを、なっちゃんはわたしが、わたしのもので、なんであのおんな、いやだ、いやなの、どうして、なっちゃんはわたしが、わたしがなっちゃんのもので、なっちゃんのいのちはわたしが、え、うん、そうだって、そうだよね、なっちゃんは、わたしが、わたしがコロしてあげるはずなのに――」
少年少女は落ちていく。
血にも見える茜色で包み込まれた空から、死へと。
――そして。
「あ、ぁぁ」
酷く紅い、花が咲いた。
◆ ◆ ◆
「――――」
◆ ◆ ◆
――などという事は無かった。
「……ぇ」
呆けたように呟く奏渚。
おかしい。あのスピードで落ちたら激突時に周囲に血が飛び散らない筈がないし、ましてや、かなり形は崩れるとしても、死体が消えるなどという事が有りえるだろうか――。
勿論、否である。
しかし事実、奏渚の目の前で、二人は姿を消した。
落下中――しかし地面に激突するすれすれのところで、二人は一瞬だけ光に包まれたように見えて――。
「ま、さか」
一つの仮説が、奏渚の頭に浮かんだ――その時だった。
「概ね正解だけど、間違いだとも言えるね」
男の声が、無機質な廊下に響き渡る。
それは矮小な人間を平伏させ、畏怖を抱かせる超越者の肉声。ある程度の力がある熟練の魔術師ですら、気を抜けば魂を抜かれてしまうのではないか思わせる、常識の外に居る存在の言葉。
弾かれたように体を動かし、声の主へと顔を向けた奏渚の視線の先に映ったのは、学校にも戦場にも似合わぬ燕尾服をきっちりと着こなした、金髪金瞳の男だった。慣れた雰囲気のある作り笑いと純黒のシルクハットがなんとも胡散臭い。彼は奏渚に向かって恭しく一礼し、焦げ茶の杖をかつんと鳴らした。
誰――と誰何しようとした奏渚を遮り、燕尾服の男は言う。
「可愛く哀れな人間ちゃん。真実を知りたいなら、星界を渡ってみると良い。ここより下位、『九つの星樹界』と呼ばれる第五位星界へ」
「……どういう事?」
「君なら分かるだろう、魔術師。――それじゃ、僕はこれで」
「待っ――」
奏渚の静止の言葉も届かず、男は丁寧にお辞儀をすると、影に溶け込むように消えてしまった。
あとに残ったのは、五人の魔術師の死体と、妙に鼻に衝く血臭だけ。
燕尾服の男がいた痕跡は何もなく――そして、この世界には。
「――もう、なっちゃんがいない……?」
奏渚の仮説が正しければ、そうなってしまう。
それは、そんな事は――。
「いや、だ。いやだいやだいやだいやだいやだっ。なんで、どうして、なっちゃん……なっちゃんっ! わたしを……わたしを、独りにしないでよぉっ!」
体から力を失ったようにその場に崩れ落ち、少女は嗚咽を繰り返す。叫び、呼びかけ、嘆いても、しかし想い人は答えてくれない。
当然だ。――何故なら、彼はこの『星界』にはもう、いないのだから。
これが、『彼』を中心とした者達の運命を大きく動かした、ある放課後の告白の日の出来事。
告白を阻止する為に奮闘した少女が、恋敵に敗れ、唯一の支えを失った話。
終焉を示す赤い空から降り注ぐ血色の光に照らされたまま、敗れた少女は、気を失うまで涙を流し続けた。
『ある放課後の告白を阻止する為に』は、これで終了となります。
非常に申し訳ないのですが、まだ第三章のプロットが仕上がっていないので、次回の投稿は未定とさせて頂きます。
恐らく三月中には投稿を再開出来ると思います……多分。
時々気分転換(?)で間話を入れるかも知れませんが、本編に入るのは遅れます。本当にすみません。
次回も読んで頂けると有り難いです。




