第五十一話 悔みと憎悪のエピローグ
遅くなりました……すみません。
ぼんやりとした、磨りガラスを通して覗き込むようなあやふやな視界。肌を撫でる風は冷たいのか温かいのかも酷く曖昧で、嗅覚は鼻を布で覆われたように薄い。
何もかもが希薄なこれは、恐らく夢だろう。
自分が何者かすら思い出せない夢世界で、ソレは何となしに呟く。
「……また一歩、近づいた」
手を伸ばす。
その先には、漆黒の世界で瞬く七色の星があった。
決して届かない――だがそれでも求めてやまないその光へ手を伸ばし、ソレは焦がれたような声色で続ける。
「でも、まだ遠い」
光が離れていく。
酷く酷く遠いその光は、ソレが近づくたびに遠退いて行く。
それでも手を伸ばし、足掻くように闇の中を泳いで、ただソレは星を――そこに居る筈の『彼女』を追う。
届かない。――それでも、体を前へ。
追いつかない。――それでも、心を加速させて。
幾度も降りかかる障害物を弾き飛ばし、ソレは『彼女』を目指す。
「絶対に、追い付いてみせるから」
その誓いを胸に。
ソレは、ただひたすらに、前へと進む――。
◆ ◆ ◆
まるで水中から空気で満ちた世界へと浮上するように、意識が覚醒する。
重い瞼を押し上げ、鈍い視界に映ったのは、清涼感に溢れた染み一つ無い白い天井。見覚えのないそれは、だがどこか心を落ち着かせる。
鼻腔を擽るのは花の香り。しつこくない、ふんわりとした優しい匂いが部屋を満たし、爽やかに吹き込む風に乗って焼けた脳を癒していくようだった。
肌に触れる布の感触がこそばゆい。背中に敷かれたシーツとマットは、以前ラムル村の宿で寝たものより厚く柔らかく、とても気持ちが良かった。前の世界で使っていたものよりふかふかではなかろうか、化学繊維ではなく丁寧に羽を詰められた天然の品は、菜月の体を優しく包み込んでくれる。
どうやら菜月は、ベッドに寝転がされているようだ。
ただ、この世界で、これほど快適な寝床を経験した事は無い。
「……、ここは」
ぽつりと零した呟きは、久しく声を出していなかったかのように掠れていた。
喉が熱い。風邪ではないだろう、恐らく喉を酷使した為か。――いつの事だか、菜月には分からないのだが。
痛む喉をさする右手は痛々しい傷が目立ち、動かすたびに骨が軋んだ。これほどの負傷をどこで負ったのだろうか。霞のかかった脳では、いまいち理解が追い付かない。
「…………」
無言のまま、菜月は体を押し上げる。
背骨が割れたかのように痛みを走らせたが、黙殺。起き上がった事でぐらぐらする脳を押さえつけ、眠気眼を晴らすようにギュッと目を瞑ると、深く息を吐き出してから再び瞼を開いた。
壁は天井と同じ白。純白とまではいかないが、陽光に照らされてほの輝く清潔なその色は、この狭い世界を形作っている主要因である。
――病室、というのが、菜月の持つ知識では一番しっくりくる表現だった。
この世界では一般人では触れられない柔らかなベッドに爽やかな風通しのここは貴賓室にも見えるが、華美な装飾も自慢げに飾られる絵画も無いので、客を招くような部屋ではないだろう。ここの宿主の趣味によってはこの考えも否定されるだろうが、今与えられている数少ない情報ではそう判断する他無い。
ふわりと吹いた温かい風で、髪の毛が数本抜け落ちた。
見ると、その毛先が僅かに金の燐光を纏わせていた。
「……なんだ、これ」
この部屋に居るのは菜月だけ。他にこのベッドで寝ていた者でもいない限り、これは菜月のものという事になる。
だが、菜月の髪は金色ではないし、染めた事もない。心当たりのないものに首を傾げるも、しかし深く考える前に、不意にガチャリと音が鳴った。
反射的に音源へと顔を向けると、控えめな茶色の木の扉を押し開いた、少女の姿があった。
「――せん、ぱい」
その見惚れるほど美しいラズベリーの瞳に菜月の姿を捉えた瞬間、少女はその可憐な顔を歪ませた。
「……優莉、か」
菜月が少女の名を呼び――それと同時、優莉は菜月の胸の中へ跳び込んできた。
「先輩っ! 菜月先輩っ!」
「っと、いきなりどうしたんだよ?」
自身の体に掛かる体重を支えながら、菜月は腕の中の少女へ困惑した声で問い掛ける。おっかなびっくりに抱き返しているのは、小心者ゆえか。柔らかな感触が伝わり、少女の甘い香りが鼻腔を擽り理性を撫でた。
ベッドの上で泣き崩れる少女が抱き着いてくるという状況は、中々に危ない。
何度も何度も菜月の名を呼びながら嗚咽する少女に、菜月は、昔、妹にしてやったように優しく背中を撫でてやる。
「心配、したんですよっ! もう何日も目覚めなくて、傷も治らないですし、わたし、先輩が死んじゃうかもって……っ!」
「え、えと、それは何というか……すまん? って……ん? 何日も?」
「先輩が死んじゃったら、わたし、生きていけないんです! ですから、その、先輩が目覚めない間、毎日ずっと、短剣の刃を見続けて……」
「え、こわっ! 実行すんなよ危ねぇ! ってだから、何日もってどういう事だよ⁉」
成立しない会話に痺れを切らし、菜月は胸に顔を埋めていた優莉を少し強引に引き剥がすと、語気を強めて問い掛けた。
すると優莉は、涙を溢れさせた顔は上げても菜月の背に手を回して離れぬままの状態で、しゃくりを上げながら答えてくれる。
「五日、です。五日も先輩は、目覚めなかったんですっ」
「なっ……」
その事実に、菜月は絶句した。
記憶があやふやで、どこから五日間なのかは分からない。だがそれだけの期間目覚めず、更にこの体のあちこちに傷も治らなかったという事は、相当拙い状況だったのではないだろうか。
「それ……マジ、か?」
「嘘を言ってどうするんですか」
「だよ、な」
知らず危険な状態だった事にヒヤリとすると同時、苦笑いが込み上げてくる。
と、そこで、バヂッと脳内で何かが弾けた。
「――――ぁ」
堰き止められていた情報のダムが、決壊したような感覚。
流れ込んできた記憶が菜月の中で荒れ狂い、やがて、最も気にかかる事柄を掬い上げて優莉に問い掛けた。
「シャルちゃんは無事か⁉ テニーさんは、きちんとシャルちゃんを連れて帰ってくれたかッ⁉」
菜月の記憶の中では、菜月がイアミントと一対一で戦うと宣言した時、テニーにシャルロッテを託していた。その後、菜月とイアミントで繰り広げた魔法戦の余波に彼と彼女が巻き込まれていたとしたら、それは悔やんでも悔み切れない。
菜月の必至な様子に優莉は少しあっけにとられたようで目をぱちくりとしていたが、やがて少し不機嫌そうな顔つきになって答えを返してくれる。どうやらまず一番に出てきた質問が、自分以外の女の事だったのが気に入らないらしい。
「……シャルちゃんは無事ですよ。体は、ですが」
「良かっ……え、体は?」
安心して胸を撫でおろそうとしたが、その付け足された情報に眉を顰める。
体は無事――という事は、心は無事ではない、という事だろうか。
そう問い詰めようとした菜月に先んじて、菜月の体から手を放してベッドから降りた優莉が、床に膝をつき頭を下げた。所謂、土下座である。
「え、ど、どうした?」
唐突な土下座に困惑する菜月。
だが優莉は顔を上げず、更に頭を床に擦り付けながら、涙声で絞り出すように言った。
「すみません、先輩。先輩に言われた事、守れませんでした」
「……え?」
何の事だと訊き返す菜月に、優莉は顔を上げずに続ける。
「シャルちゃんの母親を、生きて捕らえる事が、出来ませんでした」
「――――」
恐ろしくて、菜月は、声が出なかった。
それは、つまり――。
「ころ、したのか?」
「……いえ、自決されました」
「そう、か……」
ふっと、先ほどまでの恐怖が緩んだ。
それは酷く勝手で、人として間違っている事だろう。何せ人が死んだというのに、目の前の少女が手を汚していないという事に、安堵したのだから。
だがその歪な事実に気付かぬまま、菜月は深く息を吐いた。
その所作に優莉がびくりと体を震わせる。
「……、どうしたんだ?」
まだ頭を上げず、更に恐怖するように体を震わせた優莉に菜月は問い掛ける。
すると、優莉は恐る恐るといった調子でゆっくりと顔を上げ、
「失望したんじゃ、ないんですか?」
そう、恐怖に歪んだ顔で、訊いてきた。
その様子の訳が分からず、菜月は首を傾げながら言う。
「どうして俺が失望するんだ」
「……え?」
優莉の顔に浮かんだのは困惑。
ますますその意味が分からず、菜月は若干眉を顰めながら、
「だから、どうして俺が失望するんだよ?」
「それは……わたしが、先輩の言った事を守れず、シャルちゃんの母親を生きて捕らえる事が出来なかったから……」
ああそういう事か、と菜月はやっと納得がいったように薄く笑った。
別に菜月は、優莉がシャルロッテの母親の無力化に失敗し、死なせてしまった事に怒りを懐いてはいないし、失望もしていない。ただ感じた感情は――。
「俺は、優莉が無事で良かったよ。それだけで、今は良い」
安堵、だったのだから。
優莉が死んでいない事に、菜月はほっとしていた。
人間という生き物は、自分に近しい者とそれほど親しくない者が不幸にあった時に抱く感情の強さには、明確な差がある。親しければ親しいほど悲しみ悔やむが、反対に交流の少ない他人であれば、「そっか、それは残念だな」程度にしか感じられないものだ。テレビでどこぞの芸能人やら俳優やらが亡くなったと報道されても、知らない人であれば「ふーん」程度でチャンネルを切り替えてしまうようなものと同じである。
だから菜月は、シャルロッテの母親が死んだ事よりも、優莉が生きていた事の方へ強く感情が湧いたのだ。
――勿論、
「シャルちゃんのお母さんが助けられなかった事は悲しいし、救う力があったのにそれが出来なかった事が悔しいさ」
でも、と菜月は努めて笑顔を浮かべ、言った。
「優莉が生きていてくれて、俺は嬉しかったよ」
「せん、ぱい……っ」
優莉の眼から、また涙が溢れ出す。
顔を赤く染め、耐え切れないとばかりに優莉が菜月の胸に飛び込んできた。
それを優しく受け止め、菜月は目を細める。
(……助けられなかった、か)
果たしてシャルロッテの母親を生きて捕らえられたとしても、テニーと同じように元の状態に戻せたのかは定かではない。絶対にやってやるという意気込みはあったが、確証はなかった。
だが――それでも。
救う事が出来たかも知れない命が失われるというのは、酷く菜月の心を痛め付けた。
先ほど優莉にはああ言ったが、しかしシャルロッテの母親の死は、自分の四肢を切り裂いてしまいたいと思うほどに悔しかった。
菜月は役立たずで、救ってみせると宣言した命一つ救えない。
「……くそっ」
優莉に見えないように、人知れず菜月は顔を歪ませ、傷口が開くほど強く拳を握り締めた。
――人が死ぬという、現実。
異世界転生という物語のような状況に浮かれていた心は、今、音を立てて崩れ落ちた。
悔しさを胸に刻み込み、無力感を噛み締めても、決してやり直す事の出来ない現実で、人間は生きている。だから、苦しくとも、前を向かなければならない。
完璧な解決とはとてもではないが言えない。けれども、菜月も優莉も、そしてシャルロッテも生きている。ならば、前を向け。その足で進め。
ただ人間は、生きている幸運と、自身の力の足りなさを味わいながら、人生を歩んでいくのだから。
◆ ◆ ◆
時は遡る。
それは、〝終焉教〟の襲撃が行われたその日の事だった。
仄暗い帝都の路地裏を、一人の女が歩いていた。
厚い雲に覆われて星明りの無い夜闇が蔓延る時間でも、最新の魔法技術を誇る帝都リアードでは、魔加工光明石が明るく街を照らす為に漆黒に包まれるような事は無い。
しかし路地裏ともなれば別だ。東京のような昼夜問わずネオンライトがギラギラと照らす首都であっても路地裏では薄暗くて危険な香りが漂うものなのだから、地球で言う中世ヨーロッパ前後程度の技術力しかないこの世界の都市の路地裏は、それはそれは常人では近寄ろうとは考えられない魔窟である。
単に視界が悪いだけではない。金が無くて人を食い物にする輩や、表に出られないような仕事を生業とする者など、そういった闇の部分とでも言うべき人間が拠点とする場所なのだ。女が一人で歩いているなど、ぜひ襲ってくださいと言っているようなものである。
だが、誰も襲う事は無い。
それどころか、ここらに居る人間は全て、彼女の命に従う部下であり同士なのだ。
「被害は?」
女が短く問いを発する。
すると、闇の中から現れた一人の男が、恭しく礼をしてから彼女の望む答えを提示した。
「死亡者は四百九十二名。そのうち百六十五名は、魔人化の代償で逝きました。捕らえられた者は百二十六名。未確認が二十二名です」
「……そう。六百十八も死んだのね」
捕らえられた者も全て死者として数えるのは、捕まった全員が自決すると知っていたからだ。
否、知っていたのではなく、彼女がそう命じていたのだから、当たり前なのだ。
だからこそ彼女に悲壮感は無く、ただ失われた人命を書類上の数字のように考える。盤上のチェス駒を操る騎士として、戦力だけを計算するのだ。
「二十二名、未確認、ねぇ。それは死体が確認出来ないほどに損傷しているのか、逃げ出したのか……」
後者なら皆殺しね、と当然の事のように呟く。
そこには憤怒も愉悦もない。ただ守るべき規律を通す為に行う捌きなのだと、その態度が示していた。
男は女の言葉に「それがよろしゅう御座います」と頷くと、被害報告を続ける。
「実験体の半数以上を帝国に奪われてしまいました。偽幻獣の生き残りは全て回収済みですが、六十五体殺されております。帝国兵は優秀で御座いますね」
「はっ、どこがかしらぁ。向こうの被害はこっちの比じゃないでしょうに」
「それもそうで御座いますな。暫く帝国周辺の魔物狩りは滞るでしょう。何せ、帝国兵も冒険者もかなり死んでおりますし」
にやりとした笑みを浮かべる男。その表情を横目に見て、女は興味なさげに髪を撫でつけながら、続く問いを発する。
「それで、アレは生きているのかしら?」
その問いに対し、男は言い辛そうな表情を浮かべながら答えた。
「……残念ながら。代わりになる可能性のあった娘も、帝国に」
「そう。……もう、下がっても良いわよ」
言うと、男は一礼をしてから溶けるようにして暗闇に消えていった。
女はその姿を一瞥もせず、黒い長手袋の上から爪を噛むような仕草をして、それから考え込むように暫く黙りこくる。
コツ、コツ、コツ、と女の苛立ちを表すように靴音が静寂に響いた。
今、表はさぞかし荒れている事だろう。〝終焉教〟が一国の軍に匹敵する武力で一般人を虐殺し、魔法技術で美しく形作られた街並みを兵士や冒険者との戦闘で破壊し、魔物よりも禍々しい異形の化け物が帝国騎士や宮廷魔道士達を蹂躙したのだから。
しかし失ったものも多い。襲撃に使った〝終焉教〟の構成員が大量に死に、実験に使っていた素材の半数以上が奪われてしまった。
更に最高傑作だと思っていたミシア=エンフェイトが死んだ事は痛い。アレには、これから活躍の場を与える予定だったのだ。この段階で失ったのは痛恨以外の何物でもない。
「……あら」
やがて、数分の間思考したまま路地裏を歩いていると、女の横に一匹の猫が並んでいた事に気付く。
滑らかな毛並みは薄暗闇では判断の付き難い茶色で、瞳は夜闇に溶け込むような漆黒。しなやかな体躯は激しい動きでも悠々とこなせる獣らしさを表しており、その口には、獲物らしい髪飾りが銜えられていた。
その野良とも愛玩動物とも思えない猫は、口に銜えていた髪飾りを女の手に渡すと、一鳴きしてから離れた。
そのすっかり様になっている彼女の姿を見て、女は少し面白そうに口元を歪めた。
「全く見分けがつかないわねぇ、貴女。もう猫の世界でも生きていけるんじゃないかしらぁ?」
「冗談はやめてよね」
その声は、猫から発せられたものだ。
――否。その姿はもう、猫のものではない。
手入れがじっくりと出来る環境ではないのかやや不揃いだが滑らかな茶髪を背中まで伸ばし、その頭上に同色の猫耳を生やしている。やや不機嫌そうな表情を浮かべていてもその顔立ちが整っている事が窺え、夜闇のような漆黒の双眸は引き込まれてしまいそうなくらいの輝きがあった。
身に包む麻の服の間から覗く肌の色は白く、全体的にその体は細い。女性らしく胸は幾らか膨らんでいるが同年代の平均より薄いだろう。身長は百六十センチに届かない辺りで、ぴょこんと立つ可愛らしい猫耳を合わせても女の背を越せていない。
不機嫌そうなネコミミ美少女――そう、猫ではなく、人がそこに居た。
「一瞬の肉体変化は、いつ見ても面白いものねぇ」
クスリと笑う女に、しかしネコミミ少女はぶすっとした表情で言葉を返す。
「別に、面白い事なんてないと思うけど。そこらの獣人種にでも頼めば見せてくれるんじゃない?」
「それが無理だって事、獣人種が一番良く分かってるでしょう」
少女は獣人種のうち、猫に変化出来る猫獣人の高位種に位置する。数はそれほど多くなく、彼らが神聖視する幻獣の血が通っているのではないかと言われているらしいが、定かではない。
事実はどうあれ、獣化出来る獣人種は希少で強力だ。その獣の特性や身体能力を引き出す事が出来、人間種とは一線を画した動きが可能なのだから、文字通り種としての基本性能が違う。
その事を言われた少女は、「まあね」と返してから続ける。
「……で、とりあえず、言われた通りにソレを持ち帰ってきたけど」
少女が指したソレとは、先ほど少女が猫化していた時に渡した髪飾りの事だ。
女はその髪飾り――そこに嵌め込まれた大きな蒼穹の宝石を優しく撫でる。すると、彼女の持つ魔力に反応して熱く脈動し、淡く美しい光を放った。蒼玉から漏れ出す光の粒子が周囲を漂い、妖精の舞いを演じる。
その幻想的な光景を半眼で眺めながら、少女が懐いていた疑問を口にした。
「ソレ、何なの? おっそろしいくらいに魔力が籠ってるんだけど」
少女が疑問に思うのも無理はない。
この蒼穹の宝石に宿っている魔力は、同程度の大きさの魔石でも考えられないほどに大量だ。もし第四位階の魔法を連発しても余る量が蓄えられており、更に、そこらの魔道士数十人分の魔力を常に生み出し続けているのだから。
少女の問いに、しかし女はにやりとした笑いを浮かべて答えた。
「あら、聞いた事ないかしらぁ。帝国のエネルギー源の話」
「……ないけど」
「そう? まあいいわぁ。これはねぇ、帝国の初代皇帝である数代昔の『八月の賢者』が創った、霊石なのよぉ」
「……『賢者の霊石』」
少女がぽつりと零した単語に、女が「正解よぉ」と笑みを浮かべた。
女は髪飾りから取り外した霊石を手の中で弄びながら、
「『賢者の霊石』は帝国を支える大切なエネルギー源。それを皇女の髪飾りに偽装していたみたいだけどぉ……それ、ただの馬鹿よねぇ。絶対金庫にでも入れておいた方が安全でしょうに」
「いかにも盗まれそうな事はしたくなかったんじゃないの? それ、各国から狙われてる筈だし」
膨大な魔力を生み出し続けるその霊石は、帝都に設置された魔道具の全てを稼働してなお魔力が余るほどの代物だ。それが有れば戦況を一撃で左右出来る戦略魔法が使い放題であり、各国が数百数千年目論み、そして幾度も失敗してきた『天霊樹の迷宮』の攻略も夢ではないと言われているものなのである。どの国も血眼になって求めるのは必然であった。
だが現状、それは元々の持ち主であるセルデセン帝国がどこにも譲らず、その力を独占し続けていた。
帝国は霊石のお陰で発展してきたようなものなのだから当たり前である。他国に渡ればパワーバランスなど簡単に崩れてしまうのだし、その魔力で動いていた帝都の機能の殆どが停止してしまう事もあり、それが失われるなどあってはならないのだ。
だから帝国は霊石を、いかにも大事なものがありそうな金庫には入れず、皇女に形を偽装して身に付けさせていたのだが――それが今回、裏目に出てしまった。
「ペラペラとしゃべってくれたけど、皇女本人も知らなかったみたいだから、多分貴族とかに奪われない為にしてたんじゃないの? 皇女の付けてる髪飾りが霊石だって知ってるのは、皇帝だけとかにして」
「その通りよぉ。あの国は、それが有効だって言って、昔からの伝統だったみたいだからぁ」
「うわぁ、馬鹿だ」
それで奪われたのでは元も子もない。
呆れたような表情を少女は浮かべ、それからふと浮かんだ疑問を口にした。
「そういえば、何でそんな事、貴女が知ってるの?」
身に付けている本人である皇女も知らない、恐らく皇帝だけが知っている事を、この女は知っていた。
その事を疑問に思うなという方が無理である。
だからこそ自然に出された問いだったのだが、女は笑って誤魔化した。
「さぁねぇ、どうしてかしらぁ」
「……まぁ、良いけど」
追及はしない。
誰しもこの組織に所属している以上、後ろ暗い事情があるものだ。それを土足でづかづか踏み込むような事をする輩は、切り捨てられても文句は言えない。〝終焉教〟の暗黙の了解である。
「……とりあえず、これで今回の目的は達成って事で良いんだよね」
「ええ。完璧ではないけれどぉ、霊玉が手に入ったから一番の目的は達成よぉ」
クスリと妖艶な笑みを零し、女は足を止めて、ある方向へと視線を向けた。
赤黒い、まるで血のような瞳が写すのは、帝国の中心にそびえる権威の象徴――帝国城である。
その白亜の城を憎々しげに睨み、女は低い声で言う。
「ミーフィル。この国が……腐ったこの帝国が滅びる日は、もうすぐよ」
「……ようやく、なのね」
ミーフィルと呼ばれた少女は、女と同じく帝国城を睨み付けながら、その首元を寂しげにさすった。まるで、いつもそこにあった筈のものが、今は無くなってしまったかのように。
だが彼女の視線は鋭い。消える事のない怨念の炎が、煌々と燃え滾っている。
女はミーフィルの抱いている憎悪を感じながら、自身もそれと同じ――いや、それ以上の殺意で以って城を射殺さんと睨み付けた。
「待ってなさい」
その声は切り裂くように冷たく、籠る感情は聞き手を焦がすほど。
「いつか必ず、私が――滅ぼすんだから」
女――イアミント=レン=ヴァーレンティア=セルデセンは、かつて幼き日に決意した復讐を遂に果たさんと、その瞳に宿る魔眼を妖しく魔力で照らした。
『死呼びの魔眼』と呼ばれる、この世の不吉を詰め込んだようなその力が、彼女の憎悪に呼応するように血色の光を放つ。
二人の復讐者は、破滅を願う同士達と共に、暗雲の立ち込める帝都のどこかで、その決意を固くしていた。
残念、イアミントは死んでいないのだ!
それはともかく、これで第二章の本編は終了です。あとは数話分、番外編とか転章とか入れて、第三章へ突入します。
第二章で解決していないあれこれ、新たに発生した色々な問題は第三章で取り掛かっていきます。
私の力が足らず、盛り上がりがやっぱり微妙になっていた気がしますが、第三章でもどうぞ宜しくお願いいたします。
次回も読んで頂けると有り難いです。




