第四十七話 地獄で懺悔を
「『銀虐魔王の血脈』……? それって確か、」
「……、一条家に流れる血脈の力ですよ」
己の記憶を手繰り寄せながら呟いた菜月の言葉に、珍しく驚愕の表情を浮かべた優莉がそう口にする。その低く絞り出された声は僅かに震えており、有り得ない現実に彼女がどれだけ衝撃を受けているのか窺えた。
遅れて隣に並び立ったテニーが、大部屋の惨状をその目に映し、震える唇で言う。
「あ、あれって……ユーリさんと同じ……それに、あの魔女は……ッ」
魔女――イアミント。己の精神を操った憎むべき女の姿を見つけ、テニーは射殺さんばかりに睨み付けた。
だが彼の風が吹けば霧散するようなちっぽけな殺気など、今この場では向けられた相手すら一瞥する威力もない。
何故ならそれ以上、何十何百倍もの峻烈な殺気が、研究所の一室で破壊を撒き散らす三者の間で渦巻いているからだ。
「――ゆる、さない……許さない……ッ!」
怨嗟の言葉と共に動いたのは、緑光沢を纏う銀髪の少女だった。
踏み込みと共に足元の祭壇が大きく陥没し、かき消えた肉体は次の瞬間には魔女の面前でその手を振り上げていた。
圧倒的な速度。生物の限界にギリギリまで迫り、そして超えてしまうのではないかと思わせるその身体能力は、もはや常人の感覚器官で捉えられる代物ではない。
一拍も置かず振り下ろされる少女の手。そのえげつないまでに濃縮された魔力を纏わせる手刀は、疑いようもなく魔女の柔肉を引き裂くだろう。
だが鮮血を飛ばしたのは魔女ではなく、手刀を放った少女の方だった。
魔女の横にユラユラと佇んでいた化け物が二人の間に割り込み、その異形の爪で以って少女の腕を裂いたからである。
ズシャアッという生々しい肉を裂く音が立ち、手首を赤く濡らした少女は顔を苦痛に歪めながらも地を蹴った。後退ではなく前進。面前に立ち塞がる化け物をどうにか通過しようと体を動かすが、しかし化け物は少女を一歩も魔女へと近づけさせない。
「ふふ、うふふふ……本当に面白いわぁ」
化け物が少女を足止めしている間に魔女は距離を取り、杖代わりのタクトを振るって十二本の氷の矢を生成、くるりと回したタクトを合図に空気を裂いて氷の矢が放射される。一気にではなく、連続して。
「五月蠅い、五月蠅い五月蠅いッ!」
間断なく迫る矢に、しかし少女は怯まない。
化け物の間をすり抜けるようにして飛翔する氷の矢を、その手と足で打ち砕く。時に肘で粉砕し、踵で踏み潰し、舞い散る礫に視界を邪魔されながらも幼き少女は氷の魔法を一本残らず破壊した。
だがこの魔法の意味は攻撃ではなく牽制、あわよくば彼女に隙を作る事。最後の一本を砕く際に僅かに重心を崩した少女の脇腹目掛けて、化け物の鋭い横蹴りが炸裂する。
「ぐぁッ」
咄嗟に少女は右手を割り込ませるも効果は薄い。もとより化け物にとって少女の施した拙い肉体強化などペラペラの画用紙を三枚ほど重ねた程度の違いしかないのだ。ごぎりィと嫌な音を鳴らした右腕はあらぬ方向へ八十度曲がり、一点集中の極大な衝撃は少女の体を砲弾の如く吹き飛ばす。
そこへかかる追い打ちは魔女の魔法。七つの炎球が、五つの水槍が、十条の雷撃が、『二月の魔女』の名に相応しき卓越した技巧のもと、強大な攻撃力を内包してたった一人の少女の命を刈り取らんと襲い掛かる。
はた目から見ただけで、その魔法は常人が易々と辿り着けるものではない強力なものだと分かった。アレンジが加わりながらも精密な魔法式、注ぎ込まれた膨大な魔力、完璧に制御された軌道。どれをとっても今の菜月には真似出来ないものだ。
だが、ただそのままやられる少女ではない。
「ぐ、ぁぁぁあ、ああああアッ!」
飛ばされながら空中で体勢を立て直し、床を削るような着地と同時にその体内の魔力を荒れ狂わせる。この大部屋へ吸い寄せられたように異常に集まった濃い純魔力が不自然に揺らぎ、少女が両手を突き出した瞬間、万物を掻き混ぜ捻り潰す嵐が牙を剥いた。
「す、すごっ……」
その人の手に余る圧倒的な破壊を前に、テニーが呆然と呟いた。
唸りを上げる嵐は炎球をマッチの灯の如く軽く散らし、水槍を霧散させ、雷撃を飲み込んだ。それだけでは天災級の威力を到底消し切る事は出来ず、力の有り余った風魔は更なる破壊を大部屋に刻みつける。
「ええ、とても素晴らしいのねぇ――けれど」
魔女は唄うように、魔法を奏でる。
振り下ろされたタクト。魔女の周囲に五つの魔法陣が展開され、それぞれの象徴する意味のもと、注ぎ込まれた膨大な魔力を破壊へと転化させる。
顕現するのは闇だ。九属性のうち、最も扱い辛いとされるが故に使用者はもとより適正者も少なく、しかし圧倒的な破壊力を持つものが多い攻撃的な魔法属性。
その魔女によって常識外の威力を孕んだ闇が、少女の風魔と食らい合う。
「――ッッッ!!」
大部屋を支配したのは、峻烈な力の嵐。
互いに互いを破壊しようと正面からぶつかった力は、その余波を極大な衝撃として周囲に撒き散らしたのだ。
「【空気障壁法式】ッ!」
咄嗟に菜月が紡いだ魔法は第二位階の風属性魔法。防御を目的として存在するこの魔法はこういった非物理の攻撃に対しての防御に優れており、更に菜月の大量の魔力を注がれた空気の障壁は『二月の魔女』と『血』の力を使う少女の攻撃の強烈な余波を完全にシャットアウトする。
破壊がやんだ後に残ったのは、抉れて中身がむき出しになった床と、ぐちゃぐちゃになった死体達の肉片と、――そして少女、魔女、化け物の三人の姿だった。
だがその三者の中、少女だけ健在には程遠い。魔女は魔法で、化け物はその強靭な肉体で余波をしのいだようだが、少女だけ防御魔法も使わず、ただその衝撃波に身を晒したのだ。
ボロボロになった体。擦り切れた服の間から血が滲み出し、その深紅から全ての力が抜け落ちるように、少女の『色』が変化していく。
髪は若草のような緑に。眼はエメラルドのような青緑へ。
銀の魔王の血はみるみるうちに消え失せてゆき――やがて、その全てがただの非力な半妖精種の少女のものへと戻ると、
「――圧倒的に経験が足りないわぁ。惜しいけれど、これで検証は最後かしらねぇ……神魔の血脈、その末席の力を持つ可愛い妖精種の子ちゃん」
魔女は、愛おしそうに、そう言って。
その『眼』を開いた。
「――拙い」
刹那、空間の支配者は魔女へと変わる。
膨大な魔力が黒衣の魔女の体から溢れ出し、流れ、その全てが両の『眼』へと集束する。その濃密な魔力の流れに周囲の空気がびりびりと震え、純魔力が共鳴するように激しく揺れた。
赤黒く、血のような瞳が妖しく輝きを宿す。
それは、星界に選ばれた者にしか使えない天恵。
魔力を流すという一工程で完結する、一種の魔術。
「魔眼――」
その優莉の呟きが耳に届いた時には、既に菜月は地を蹴っていた。
本能が告げている。あの『眼』に見られてはいけない、と。
だが今魔女の視線の先に居るのは、半妖精種の少女――シャルロッテ。
助けなければならないと、菜月は己が身を投げ出す。
「ま、に、あ、えぇえええええええ――ッ!!」
喉を嗄らすほどに叫んで脳のリミッターを外す。生命の終わりを前に人間の体では本来出せない筈の力を無理やり引き出し、脚の筋肉がはち切れんばかりの力で以って駆けた。
少女の命を守る為。
まるで物語の主人公のように、自身の肉体を盾に立ちはだかる。
「あ……ナツキ、さん――」
呟くように零れたその声は、シアンの瞳に光が戻ったシャルロッテのもの。
菜月はただ、怨嗟以外の言葉を久しぶりに漏らした少女へ微笑み――。
「終わりよ」
魔眼が、発動した。
死が、迫る。
終わりが、最期が、末期が、迫って、迫って、迫って――。
――しかし。
「……どういう事、かしらぁ?」
膨大な魔力が一気に消費されて多少なりとも痛みを感じている筈だが、しかしそれ以上に目の前の想定外の光景に意識の全てを持っていかれ、イアミントはただただ怪訝な表情を浮かべる。
「私の使う魔眼の効果は、視界に捉えた者の絶対なる死――……なのに何故、貴方は立っているのかしらぁ?」
結果として、東雲菜月は死んでいなかった。
絶死効果の魔眼に対して健在。圧倒的な魔力を消費した天恵の魔術に対して無傷。
それは本来、有り得ない――有ってはならない現象の筈で――。
だが驚愕を必死で押し殺した表情を浮かべる魔女に、菜月は苦笑いを浮かべた。
「多分、スキルのお陰だな」
どんなスキルかは明かさない。己の手の内を晒すのが悪手だという事は、流石の菜月も分かっていた。
『女神の祝福』――この常時発動型スキルが、イアミントの魔眼を無効化した正体だ。
菜月はこのスキルを初めて能力情報で確認した時、ただ単純に運気が上がる程度の効果だと思っていた。
しかしそれは違った。このスキルの説明欄を表示させると、そこに記されていたのは――。
『「女神の祝福」
第二位星界管理者、女神アストレアから与えられたスキル。正義の女神の祝福により、自パーティーの士気が上がり、また自身に即死耐性と呪い軽減効果を与える』
やはりというか、あの阿呆女神が与えたスキルだとしても、神という存在から齎されたものはチートだったらしい。
「スキル、ねぇ……やっぱり貴方も面白いのねぇ、茶髪の魔道士君。お姉さん、少し火照ってきちゃったわぁ」
艶やかな唇を指先で撫で、色っぽい声を漏らす魔女。菜月はその仕草に密かにドキリとしながらも、表面上はなんとか平静を保っていた。理由は単純で、後が怖いからだ。吸血鬼の後輩とか、今血器長剣を構えてる後輩とか、絶対零度の瞳で心臓が止まりそうな殺気を放つ後輩とか……。
ともあれ、少女の死の回避に成功した菜月は、正面から意識を逸らさないようにしながらも背後のシャルロッテへと視線を向ける。
「ナ、ツキ、さん……」
「シャルちゃん! 大丈夫か!?」
守るように立ってくれている者の名を呼び、急に力を失ったように倒れるシャルロッテの体を、菜月はすぐに振り向いて受け止めた。その隙にイアミントと化け物が攻撃を仕掛けてこようとしたようだが、しかし放たれた魔法も振るわれた化け物の爪も、駆け付けた優莉が血器長剣で打ち払っている。
「五分は持たせます」
優莉が振り返らず、ただ長剣で魔女と化け物の攻撃を防ぎながら告げる。
つまりは、その猶予の間にシャルロッテを連れて逃げろという事か。
助かる――そう感謝の言葉を述べようとした菜月を遮り、細い、絶え絶えの声でシャルロッテが言った。
「かあ、さま、を……助け、て……」
「え?」
かあ様――即ち、母親を助けてほしい、と。そう言って、シャルロッテは意識を手放した。
「お、おい!? シャルちゃん!?」
抱えた小さな体を揺さぶり、菜月は必死に呼びかけるが、少女の口から返事が来る事は無い。
死んでいる訳ではないのは、呼吸をしている事から分かる。だから今は、先ほどの力の行使の代償に気絶しているだけなのだろう。推測だが、恐らく正しいと思う。
しかし彼女の言葉の意味が分からない。母親を助けてほしい。それはつまり、この研究所に捕まっている自分の母親を助けてほしいという意味だろうか――。
その菜月の推測をぶち壊す言葉を、魔女がクスリと妖艶に嗤って告げる。
「その子の母親って、多分そこの化け物の事よぉ」
「……、は? お前、なに、言って」
本当に、意味が分からない。
魔女の指す化け物とは、この場に居る異形の事であり。
それは即ち、シャルロッテの母親が、禍々しい角が頭部から生えた、吸血鬼のような爪を持ち、蛇の如く尻尾をうねらせ、不吉な血の光輪を浮かべ、肌に呪いを刻んだ、正真正銘の化け物だという事であり。
そして――その母親は、問答無用で自分の娘を殺そうとしたという事になる。
「あり、えない」
その呟きは、しかし自分で否定した。
有り得ない事は無い。何故なら、菜月は似たような事をその目で見て知っているのだから。
異常な肉体改変により人の身に齎された、絶大な身体能力と肉体強度。
その代償として精神が手にしたのは、崩壊した理性――。
エルドの時は、最後には仲間を守ろうという意思が残っていたし、テニーの時は、やはり意識が残っていた。
だがもし、その意識を完全に保護せず、ただ肉体の改変と霊格の上昇だけに力を注いだとしたら。
完成するのは、それは理性を失った化け物ではないだろうか。
「まさか」
それは、つまり。
「あれは」
帝都リアードでの戦い。
今も続いているであろうその命の奪い合いの最中に現れた、あの化け物は――。
「――もとは、人間?」
「あら、やっと気づいたのねぇ」
目を見張り、誰でもいいから否定してほしいと願う菜月に、非常な事実を容赦なく告げた魔女の眼には、明らかな嘲りが浮かんでいた。
「でも貴方が殺したのはただの実験動物よぉ。気にする事じゃないわぁ。偽幻獣――あの失敗作どもは幻獣になれずただの肉塊に成り下がった訳だしぃ、むしろその命を刈ってくれて感謝してるんじゃないかしらぁ?」
「…………」
俯く菜月は何も答えない。
ただ優莉と化け物の剣戟音と、そして耳障りな魔女の嘲笑だけが部屋に響く。
「うふふふ、あはははははっ! 可愛いわねぇ、プルプル震えちゃって。ああ、もしかしてあれを作った魔法が知りたいのかしらぁ? 良いわよぉ、〝終焉教〟の仲間になってくれるのならねぇ。どうかしらぁ? 貴方みたいな才ある魔道士は大歓迎よぉ」
「…………テニーさん。シャルちゃんを任せた」
魔女の言葉に、菜月は何も答えない。
代わりに傍まで近づいてきたテニーにそれだけ言って抱えていた小さな体を渡し、菜月は杖を鳴らして顔を上げた。
「――初めて、人を殺したいと思った」
その一言を、呟いて。
菜月はその体内に秘める、超大な魔力を活火山の噴火の如く噴き上げる。
「四分以内ですか。意外と早かったですね、菜月先輩」
長剣を強く振るって化け物を激しくノックバックさせた優莉が、作ったその隙の間に後退して菜月の横に来ると、そう言った。
対して菜月は、軽く視線を向け「足止め有難う」と言って続ける。
「優莉は、あの……シャルちゃんのお母さんを無力化してくれ」
「……殺さないのですか? 彼女はもう、」
「戻せる。……戻して、見せる。だって、テニーさんはちゃんと戻せたんだ。なら彼女も、戻せない筈がない」
「…………分かりました」
納得していない表情だった。だが、反論もしない。彼女は彼女に出来る限りで菜月の意に添うように行動するだろう。
菜月の懸念事項は消えた。あとはただ、目の前の魔女のみである。
杖を構え、身から溢れ出す膨大な魔力を練り上げる菜月に、タクトを振り上げ菜月に勝るとも劣らない濃密で強大な魔力を操る魔女が嗤う。
「『二月の魔女』を冠する私と、魔法で戦おうって言うのかしらぁ?」
「ああ。それ以外に、方法は無いしな」
「……そう」
すっと、魔女から表情が消える。
それは菜月も同様だった。
怒り、悲しみ、忌避感、憎悪、殺意――どの感情も煮え滾り溢れているというのに、しかし顔の骨格が固定されてしまったかのようにピクリとも動かない。
だが激情をうねらせ暴れさせる精神に影響された魔力は、かつてないほどに狂っていた。
それは正に、魔王の力とでも言うべき絶望的な破壊を齎す魔力の嵐。
それと同等のものを魔女も引き出すのだから、今やこの研究所の一室は、神話戦争もかくやと思われる別世界へと変化していた。
「覚悟しとけよ、魔女」
ただ荒れ狂う激情に身を委ねて。
東雲菜月は、魔法を振るう。
「懺悔するのは、地獄に行ってからにしとけ」
どこかで聞いた台詞を。
天魔の少年は、己が口から叩き付けた。
「――始めよう」
「――ええ、始めましょう」
かくして、地獄が造られる。
魔法大国史上最大最凶の狂祭――その最終幕が、今、上がった。
まさか菜月が優莉の台詞を取った……だと……?
ぶっちゃけ忘れかけていた台詞ですが、もし本当に忘れていましたら(多分殆どの人が覚えていないと思われる)、第五話を読み直してみてください。優莉様がキリッとやってますから、はい。
次回も読んで頂けると有り難いです。




