第四十六話 彼女の姿は――
遅れました。本当にすみません。
「本当に、ほんっとうにすみませんでしたぁっ!」
「いや、ちょ、ま、」
「ごめんなさいっ! 申し訳ございませんっ! うわぁぁぁあ何で僕は命の恩人に剣を向けたんだよ馬鹿ぁぁぁぁああ!!」
全力で謝り倒し、半ば狂乱したように叫んで頭を振り回すテニー。
彼の異常発達した筋肉は元に戻っており、言葉も妙な訛りが消えて流暢に話せるようになっている。内側――魔法で干渉された精神体が無事かどうかは知識が無いので菜月には分からないが、見た目は完全にミアレラ樹海で出会った時と同じドジでぼっちな剣舞闘師の少年に戻っていた。
泣きながら必死に謝罪の言葉を叫ぶので、菜月が段々もう良いんじゃないかと思い始めていると、すっと地面に突き刺していた血器長剣を抜いた優莉がその切っ先をテニーへと向け、
「それでは吐いてください♪」
にっこりとした笑顔でそう告げた。
「は、はははははいッ! そ、それでユーリさんの気が晴れるなら喜んでっ!」
頭がすっぽ抜けるのではないかと心配するほどテニーは勢いよく頭を下げた。
その角度はきっかり九十度。しかし優莉は納得しないのか、長剣で足下の地面を砕いて鋭い音を鳴らすと、温度の低い声音で言う。
「誠意が足りません。頭は下げるモノではなく、地面に擦り付けるモノでしょう。でなければ吐く情報に信用が無くなります。さぁ早く、醜く地面で頭を削ってください。あ、台詞は『此度は東雲菜月様に多大な迷惑をかけてしまい、申し訳なく存じます。これは到底償いきれない罪です。ですから一生菜月様の手となり足となり剣となり盾となり、愚劣な我が命を菜月様の為に燃やし尽くす事を誓います』が模範解答です」
「こ、此度はシノノメナツキ様に多大な迷惑をかけてしまい、ももも申し訳なく存じますぅっ! これは到底償いきれない罪ですっ! で、ですから一生ナツキ様の手となり足となり剣となり盾となり、愚劣な我が命をナツキ様の為に燃やし尽くす事を誓いますっ! 誓わせてくださいっ! それで許されるなら!」
「許しません」
「許さないんですか!? 命まで差し出しているのに!?」
そこまで言わせておいて許さないとバッサリ言える優莉は流石である。非道極まりないが。
ほぼ奴隷扱いの誓いを立てさせられたテニーは、地面に膝をつけて優莉を見上げたままの体勢で、どうにか許してもらおうとあれこれ必死に謝罪の台詞を捻り出すが、その全てが披露される前にやっとこのノリに追いついた菜月が口を挟む。
「お前らこの状況で良くそんな話出来るな……。つか優莉、そんな誓い立てさせる必要ないだろうが。テニーさんは操られてたんだし」
「精神操作の話ですか? まぁ確かに操られていた事は事実ですが、テニーさんが菜月先輩に斬りかかった事に変わりは有りません。よって有罪、一生先輩の為に馬車馬の如く働くのが相応しいです」
「ははははははいぃっ! 一生奴隷となって働きます! だから本当に許してくださいってばぁ……」
「ほら本人も先輩の奴隷になりたいって言ってますし、ちょうど良いでしょう。きっちり使い潰してあげましょうか。ふふっ、簡単には死なせられませんね、でないと罰になりませんし」
「ひでぇな、うん。……とりあえずテニーさんは立ってくれ」
にっこりと天使の如き笑顔でどうしてそんな悪魔も真っ青の台詞を吐けるのか不思議でならないが、それはともかく、菜月は未だ地面に膝をつけているテニーに立ち上がるよう促した。流石にこれ以上話が進まないのは困るからである。
「うわ……ナツキの周りは個性的な人ばかり」
「正直引いてしまいますわ。絶対にお姉様には近寄らないでくださいね、変態さん達」
「謂れ無い誤解が加速してる……」
ややぼかした言い方のエミアリスはともかく、リリアーナの変態扱いは酷い。暴走しているのはテニーと優莉だけ……いや、優莉は通常運転か。
素で優莉が黒いのはさておき、菜月は外野の評価をよそにやっと立ち上がったテニーに向き直る。
「まぁ……うん、とりあえず無事で良かったよ」
「ナツキさん……!」
菜月の優しい言葉に、テニーは感極まったとばかりに目を輝かせた。これまでずっと攻撃的な台詞をぶつけ続けられていたのだから、ちょっと優しくされただけでコロッと落ちるのは仕方がないだろう。……ちょろいとは誰も言ってない。皆優しいので、心の中で密かに思っているだけである。
「……さて。感動のシーンはさておき、それでは本来の目的へといきましょうか、先輩」
言って、また血器長剣を一振りし、テニーに突き付ける優莉。
「バイオレンスはやめろや……」という菜月の言葉は完全無視され、優莉は情報収集を始める。答えなきゃ分かってんだろうな、という姿勢を忘れない彼女は色々な意味で流石だ。
「まず、テニーさん。どうして貴方は〝終焉教〟に?」
曖昧な質問や遠回りな言葉などは使わず、優莉は直球に質問を突き付ける。
確かに気になる事だった。ミアレラ樹海で出会った時にはもう既に入っていたのか、それともその後に誘われたのか。何の為にこんな事をしたのか、どうして精神操作をされるに至ったのか――他にも聞きたい事は多いが、その為にもまずこの謎を解決せねばならないだろう。
優莉の問いに、菜月もエミアリスもリリアーナもテニーへと真剣な視線を向けた。
その注目に若干テニーはたじろくが、彼はその橙色の瞳を揺らして暫し思考すると、しっかり全員の顔を見て口を開く。
「……魔女に、誘われました」
「――魔女?」
その単語に、聞き覚えの無い菜月以外の視線が鋭くなる。
微量に殺気の籠った視線に思わずテニーはごくりと音を鳴らして唾を飲み込むと、己の記憶を手繰りながら語り始める。
「『二月の魔女』、イアミントです。ナツキさんとユーリさんと別れた後、森で走っていた僕に、魔女が声をかけてきたんです」
「〝終焉教〟に入れ、ですか?」
優莉の発する刃で切り付けるような声は冷たい。それほど菜月に危険を及ぼした事に殺意を覚えているのだろう。
空き倉庫のエルドも、今回のテニーも、魔女は薬を利用した魔法を彼らに掛けて菜月を襲わせた。今は情報を引き出す為に抑えているが、もしその枷がなければ今すぐ彼女はその剣で少年の首を撥ねていた事だろう。魔女にダメージを与えられる訳でもなく、ただの八つ当たりとして。
「は、はい、似たような感じの事を言われました。確か、魔女は…………つッ」
言いかけて、突然テニーは痛みを感じたのか顔を歪めて頭を押さえた。
「だ、大丈夫か? 頭が痛むのか?」
まだ治していない傷が有ったのだろうかと菜月は【治癒法式】を掛けながらテニーの顔を覗き込む。
しかし外傷は無い。肉体ではなく精神の傷だろう。テニーは未だ響く鈍痛に頭を押さえたまま、空笑いを浮かべて言う。
「うぁあぁ、何と言いますかね。……あの時の事を思い出そうとすると、頭に靄が掛かって痛みが走るんですよ。忘れてる……というより、忘れさせられているって感覚ですかね。良く分かんないんですけど」
彼に掛けられていた魔法の後遺症だろうか。だとすれば、元々精神に効果の無い【治癒法式】をいくら繰り返しても意味は無い。
しかし優莉が出した答えは、菜月の出したものとは違っていた。
「……多分、精神操作の効果ですね。恐らく術者が、思い出せないように記憶を細工したんでしょう」
「それって、『魔法解除』じゃ治せないのか?」
『魔法解除』は対象に掛けられている全ての魔法効果を打ち消すスキルだ。これが有れば、どんな効果の魔法であれ平等に霧散してしまう、チート性能である。
だが菜月の言葉に優莉は首を横に振った。
「無理でしょうね。効果があるなら一度『魔法解除』をした時に消えている筈ですが、こうして今もその効果が表れてますし」
あらゆる魔法効果を消し去る『魔法解除』だが、決して完璧な訳ではない。
スキル使用者が魔法の使用者より技量が著しく劣っていた場合、全て完璧に魔法効果を打ち消す事は出来ないのだ。
しかしそうはいっても菜月のスキルがチート性能な事に変わりはない。通常の魔道士の掛けた魔法であれば、何もかも綺麗さっぱり跡形もなく消し去る事が出来ただろう。
問題は、相手が『暦月の守人』で二月を冠する魔法の天才だった事だ。
恐らく彼女のオリジナルの魔法だったのだろうが、その位階は少なくとも第四以上、下手をすれば人類最高峰の第五位階すら超えていたのかも知れない。その魔女が最もテニーの記憶のプロテクトを優先していたとしたら、それを暴くのは菜月のスキルを以ってしても難しい。
「……なるほど。それじゃ仕方がない、か」
自分の力が及ばない事に菜月は密かに唇を噛んだ。
しかしその悔し気な表情を誰にも気づかれないようにすぐに打ち消すと、中断してしまった話の続きを聞く為に、テニーに視線で先を促した。
すると目が合ったテニーはきちんと菜月の意図を読み取り、口を開く。
「〝終焉教〟に入った経緯は思い出せないので端折りますね。……今では不本意ですが奴ら〝終焉教〟の同士になった僕は、〝終焉教〟の所有する魔道具……らしきものですぐにリアードまで移動し、この帝都リアードを襲う計画に参加する事になりました」
「それ。どういう事なの?」
質問を投げかけたのは、エミアリスだ。
旅に出ていたとはいえこの国の皇女でもある赤髪の魔道士は、国の為にそこを軽く流す訳にはいかないと視線を鋭くすると、ずいっと問い詰めるように近づく。彼女がその手に持つ杖の先端の紅龍が、持ち主の感情に合わせて僅かに流れ出る魔力に反応して威圧感を放ち、それをまともに受けたテニーはまたもたじろき冷や汗を浮かべた。
「え、えと、ぼ、僕は入ったばっかりの完全なる下っ端だったので、どういう事と訊かれても命令されたからとしか……」
「何でもいい。どんな些細な事でも良いから、なにか聞いてないの? 目的とか、襲撃人数とか、手を貸した人物とか」
「う、うーん、そんな事を言われても……そういう機密っぽい事は、司教とか大司教とかもっと上位の人を捕まえて、その人に聞いてくださいよ」
「……ていう事は貴方達、理由も目的も知らないのに襲撃したって事?」
「そういう事ですね」
「いや、そういう事ですねって貴方、」
「まぁ組織ってそんなものなんじゃないですかね? 上に顎で使われる一般社員って良くある話ですし」
あっさりと、まるで他人事のように言い切るテニー。こちら側としてはテニーは図らずも内部に潜入していた味方――と菜月は既に思っている――なのでもう少し詳しい事を知っていてほしかったのだが、精神操作されて〝終焉教〟に入っていたのだから、こうして意識が戻っただけでも良しとするべきなのだろう。
エミアリスは納得いかない様子だったが、これ以上訊いても出ない答えを求めるより、まだしていない質問をした方が有意義だろう。菜月は一つ意識して呼吸をし、それからテニーへと真剣な眼差しを向けて言った。
「テニーさん。〝終焉教〟に捕まった人達が、どこにいるのか知っているか?」
◆ ◆ ◆
――魔法大国と呼ばれるセルデセン帝国の帝都であるリアードには、数多くの魔法に関した研究機関が存在する。
その彼らが使う研究所の一つ。廃棄が決定していた古い建物が、テニーから齎された情報で知った、シャルロッテ達〝終焉教〟に捕らえられた者達の居場所だった。
『――僕がこの情報を持っているのは完全に偶然です。偶々〝終焉教〟の人達が話したのを耳に挟んだから覚えていただけですし、もしかしたら間違っている可能性もあります』
そう前置きしてから、テニーはこの場所を教えてくれた。
彼の言った通り、偶然だったから魔女の精神操作によって消されていなかったのだろう。もしくは魔女にとっては他者に知られても問題無い程度の情報だったのか、それとも〝終焉教〟の人達が話していた情報自体が間違っているのか、そもそも記憶も操作されていてテニーが間違って覚えているか。疑い出したらキリがない。
だがそれでも、菜月は得た情報に縋るしかなかった。
魔法で探そうにも、菜月の覚えている探索魔法には細かく人を探す事に長けているものが無いので使えない。この街の地理にも詳しくないので心当たりなどある筈もなく、それは優莉や最近リアードに帰ってきていなかったので新しい情報が無いエミアリス、蝶よ花よと育てられたお姫様なので殆ど城から出られないリリアーナも同じだった。
故にテニーの情報を信じて、菜月は足を運んだ。
「――……」
古びた石造りの門の前に立つのは、菜月、優莉、テニーの三人。
エミアリスとリリアーナとは城で別れた。彼女達は合流した生き残りの兵士や騎士達と一緒に、国民の救助や避難誘導、そして〝終焉教〟の武装者達の鎮圧に取り掛かるらしい。
テニーが菜月達と共に来たのは、単純に道案内の為だ。あの怪物化――テニー曰く、魔人化――の反動があるのか、満足に動けないので戦力には加算していない。まぁ菜月と優莉が敵の眼を引き付けている間に、牢屋の鍵を開けて掴まっている人達を逃がす事くらいは出来るだろう。
研究所の中にどれくらい〝終焉教〟の武装者達がいるのかは分からない。殆どが襲撃の為に出払っていて最低限の見張りしかいないのか、それともまだ出撃していない残存勢力が残っているのか、どちらにせよ戦闘は免れないだろう。
菜月は乾いた喉を唾を飲み込んで湿らせ、看守のいない硬い門を押し開いた。
ゴゴゴォ……と重々しいどこか不気味な音を立てて門がゆっくりと通行者に道を開けると、三人は菜月を中心に並んで建物の敷地中に入っていく。
もうすぐ取り壊される予定の広場には傷が無い。研究所のものとは思えないほど花々が可愛らしく花弁を見せつけ、草木は爽やかな音色を奏でている。街が襲撃のただ中でなければ十分に心を落ち着かせる素晴らしいものなのだろうが、いかんせんぴりぴりとした緊張感を張り詰めさせる菜月達にはせっかくの自然を楽しむ余裕は無い。
「……、なんだろうな」
肌で感じる異様な雰囲気に、菜月はぽつりと呟きを零す。
建物の中に入ると、清潔感を意識した乳白色の壁と床に出迎えられた。そこを周囲を警戒しながら歩いているのだが、未だ誰にも遭遇していない。
しかし建物の中に誰かが居るのは分かっている。剣戟のような金属音と、爆発の轟音と、硬いものが粉砕される破壊音と――誰かが戦っている音と振動が建物の壁や床を伝って届けられているからだ。
だが菜月が異様と感じたのは、建物の周辺に感じられる魔力の変化である。
全体的に純魔力が薄い。ただそれだけなら『そういう場所』という事で片付けられるが、これほどまでに局所的に明らかなのは異様と表現する他無かった。
まるで、何か強い磁力に引き付けられる砂鉄のように、研究所周辺の純魔力が一か所に引き付けられている。膨大な魔力が、たった一か所に吸い寄せられ続けているのだ。
どんな大魔法がここで使われているとしても、現在のシュルフィード地方の魔法技術では純魔力を利用したものは殆どないので、純魔力が吸い寄せられているなど有り得ない。魔法式が半端なく複雑で術者にも非常に高い技量を求められ、更にそう簡単に純魔力を操作する事が出来ない事が理由だ。実際に成功しているのはセルデセン帝国城に張られた結界だけで、その他に成功したという話は殆ど聞かない。
基本的に純魔力というものは魔力より圧倒的に強く多い。所詮人間の生命力で生まれた水程度では、星界から生み出された海とは比べ物にならないのだ。先ほど優莉が行った魔術で、五人の人間の魔力を満タンにしても膨大な量が残ったのはこれが理由である。
「……人が居ませんね。どこか一か所に集まっているのでしょうか」
不可解な魔力の動きを感じながら、優莉がそう口にする。
「どうだろうな」と答えようとして、ふとある事に気が付いた菜月が優莉の左腰に目を向けた。
「そういや優莉。お前、いつもの双剣はどうしたんだよ?」
確か菜月がエミアリスを追いかける為に優莉と別れた時までは、彼女が使っていたのは銀刃の長剣だった筈だ。
『血器術』で生み出した血の武器は吸血鬼種である事を周囲に知られてしまう可能性がある為、吸血鬼種のこの世界での明確な立ち位置が分かるまでなるべく使わないようにしてほしいと菜月が言ったので、優莉が自分で買った魔道具の長剣。しかし今彼女が使っているのは、『血器術』で生み出した二振りの血器長剣である。
その問いに優莉は少しだけ悔しそうな表情を浮かべ、
「……恥ずかしながら、敵を侮っていました。複数人から一斉に武器を狙われてしまい、不覚にも二本とも壊されてしまいました。幸い何かあった時の為に用意していた短剣が有ったので『血器術』は使わずに済みましたが、今は流石に予備の武器より『血器術』の方が良いと思い、先輩の意に反して力を使っています」
「あ、いや別に責めてる訳じゃないんだが……そうか。んじゃ、この戦いが終わったら買いに行かないとな」
「ナチュラルにフラグ建築ですか? いえ、買い物デートに不満はありませんよ勿論。絶対に行きましょうね! ベッドまで!」
「平常運転で安心したけどベッドは却下だよ勿論な! 買い物には行くけど!」
使っていた武器を敵に壊されて落ち込んでいるのかと思ったのだが、そこまで優莉は気にしていないようである。――いや、気にしている事を外に出さないようにしているというのが適切か。自身の驕りと実力不足に悔しいと感じていても、それを他者に気づかれないようにしているのなら、素人の菜月が口出し出来る事は無い。本人で解決するのを待つのが最良だろう。
ともあれ、いつも通りの会話で意図せず緊張が幾らか解れた菜月は、ふっと表情を緩める。過度に緊張しすぎていても良い事は無い。少しリラックスしている程度がちょうど良いだろう。
「あのー、ちょっといいですか?」
と、二人して柔らかな表情を浮かべていると、話に入り損ねていたテニーが足を止めて声をかけてきた。
どうした、と歩みを中断してテニーに顔を向けた菜月が訊くと、赤茶髪の少年は少し暗い顔で問い掛けてくる。
「お二人って……恋人なんですよね? 前に訊いた時は伴侶とか愛の奴隷とか言われましたけど……あはは、ちょっと信じられなくて」
恋をしていた相手が他者と既に結ばれていたという事実は、テニーに絶望を与えてしまった。
だが失恋したと分かっていてなお、改めて真実を確かめたいと、彼はその質問を口にしたのだ。
菜月と優莉が恋人――それは完全に誤解だ。二人は付き合っている訳ではない。
だがテニーが好意を寄せている優莉の気持ちは、既に菜月で一杯で、そこにテニーの入り込む余地は無い。だから結局のところ菜月と恋人だろうがそうでなかろうが、テニーにチャンスは無いのだ。
いつもなら、ここで優莉がすかさず自分が恋人で伴侶で愛の奴隷で――と言っただろうが、しかし優莉はここは茶化すべきではないとテニーの表情や震えを必死に抑えた声色から判断し、しっかりと目を合わせて真実を告げた。
「本当は、わたしは菜月先輩の恋人でも伴侶でも、ましてや愛の奴隷でもありません」
「……え?」
予想外に否定の言葉が優莉の口から出てきて、テニーは目を見開いた。
しかし優莉は「ですが」と言うと、真剣に、自分の本心で続きを話す。
「わたしの気持ちは菜月先輩だけに捧げています。絶対にわたしは、菜月先輩以外の人と、恋人になる気はありません」
言い切った優莉の瞳に曇りは無い。彼女は本気で、心からそう思っているのだ。
「そう……か。そう……です、よね。あはは……なに、期待してんだか……」
零れ落ちる涙を堪え、自嘲気味に無理やり笑う。
泣き顔は見せられない。例え振られていても、惚れた女に弱ったところを見せる事など出来ないと、ちっぽけな矜持で彼は顔を隠した。
ぐるぐるぐるぐる、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと、一向に整理の付かない気持ち。今すぐには切り替えられないなと、テニーは重い息を吐いた。
「…………」
そんな、目の前で二度も失恋した男から、菜月はそっと視線を逸らす。
まだ菜月は優莉の気持ちにきちんと向き合い切れていない。好意の理由が分からないから――そんな事を言い訳に使って、逃げている。こんなにも、優莉は本気で菜月を想っていると言ってくれているのに。
「……、行こうぜ」
結局、眼を逸らしているものに向き合う事が出来ず、菜月は先へ進もうと促した。
不気味な流れに乗って漂う魔力が肌を撫で、その不快感が少年の気持ちを揺らす。
ただ今は、シャルロッテを助けに行く事が優先だと、再び逃げて――。
――それぞれの思いを抱えて三人が歩みを再開した、その時だった。
ォォォオオオオオオオオオオ――ッ!! と。怪物の出す唸り声の如き低音が、研究所に響き渡った。
「……なんだ、今のは」
不吉で不快で不気味なその音は、大気中の魔力が強大な力に震えた事で鳴った異常現象。
次いで、ぶるりと菜月の全身に鳥肌が立つ。
「――っ!?」
それは畏怖、だろうか。
絶対的な力が解放され、周囲へ一気に放出された強大で濃密な魔力が生物の本能を嬲った。
逆らうな。平伏せ。跪け。武器を捨てろ。媚びを売れ。命を差し出せ。王者だ、魔の――。
「……これは、拙いかもしれません。先輩、急ぎましょう」
その力に屈服せず、現状の危機度を脳内で弾き出した優莉は、菜月に声をかけて走り出した。
それに遅れて菜月とテニーが続く。二人とも、声をかけて貰わなければ飲み込まれていたかも知れない。頭を振って余計な感情を払い、菜月は杖を強く握って優莉の横に並んで走った。
目指す場所は勿論、力の源流。
乳白色の廊下を駆け、無人の部屋を通り過ぎ、散らばる器具を蹴飛ばす。敵は居ない。虫の一匹も存在しないここは、本当に生物が拠点にしていたのか疑問に思うほどだ。
だが――辿り着いた、その大部屋には。
「――――ぇ」
広大な血の海、幾つもの肉片、生気の無い者共の顔――山積みの、死体。
その紅い生命の水の中で嗤うのは、黒衣の魔女。彼女を象徴する尖がり帽子には赤々とした血液が付着しており、血の海を泳ぐヒールは原色が既に分からない。またその煽情的なデザインの服は所々が破れて目の毒だが、それ以上に血濡れた肌が艶やかで男の性をそそる。もっとも彼女に羞恥心は無く、今は目の前に広がる現状に妖しく口元を綻ばせていた。
その魔女の隣には、文字通りの怪物がユラユラと体を遊ばせていた。菜月が斃したあの化け物より更に邪悪で、禍々しいその体は、同じ生物のカテゴリーに属すとは思えないほどの力を秘めている。
だがこの部屋で最も目を引くのは、魔女でも怪物でもない。
緑の光を纏う銀糸の髪を宙に靡かせ、殺意に塗れた深紅の瞳で睨みながら膨大な純魔力を手に殺戮を顕現させる幼き少女が、祭壇の上に佇んでいた。
菜月は、その色に全く見覚えは無い。
だが彼女は、菜月の知っている――否、菜月が探していた人物で――。
「シャル、ちゃん?」
ぽつりと呟く声は、豹変した半妖精種の少女には届かない。
髪の色も、眼の色も、全く変わってしまっている。
だが彼女がシャルロッテなのは、それ以外が全て菜月の記憶にある彼女と一致する事から疑いようもない。
そして――意味が分からず、呆然と立ち尽くす菜月の横で、一条優莉は驚愕の表情のまま呟きを零した。
そう、彼女の姿は、まさしく――。
「――『銀虐魔王の血脈』」
テニーの扱いをどうするか滅茶苦茶迷ってしまい、悩みに悩んでこうなりました。ギャグに逃げるのは悪い癖です、はい。
いよいよ第二章もラストスパートに入ります。駆け抜けられるよう頑張ります。
次回も読んで頂けると有り難いです。




