第四十二話 VS偽幻獣
「お姉様お姉様お姉様っ!」
「ぐえっ、リリィの愛が重い……」
相手の首を絞めるが如き強力な抱擁をする赤髪の少女に、エミアリスはグロッキーな顔色になりながら少女の背中をタップしてギブアップを主張する。しかし少女は絶対に放さないとばかりに腕の力を強くした。
美少女が抱き合っている――ように離れていれば見える状況は、百合大好きっ子には垂涎の的だろうが、生憎と今は鼻息荒くカメラを構えていられる状況ではない。いや、もしここにスマートフォンが有れば即座にこの光景を画面に収め、すぐに待ち受けに設定したかもしれないが、残念ながら異世界に現代技術の結晶は持ち込めなかったので諦めるしかないのだ。
百合百合しい楽園の光景はともかく、いまいち事情が掴めない菜月は首をかしげながら疑問を口にする。
「えっと……このパラダイスはどういう事?」
「パラダイスって何……いや、何でもない。というか、話はまずナツキが助けを求めてる人を助けてからにしよう。ほら、目の前に今にも首を絞められて殺されそうになっている人がグエッ」
「お姉様お姉様お姉様ーっ! すぅぅぅぅぅうううっ、はぁぁぁぁぁあああっ、良い匂いですわ、お姉様っ!」
「え、ちょ、なにこの子怖い。見てるだけじゃなくて助けてナツキ、このままじゃわたし、妹に犯される」
「ヤッても良いのですかお姉様!? で、ではではすぐにベッドへインして蕾を舐め合いましょう! 優しくしますから!」
「うおぉ……凄いところまで行くんだな……ごくり」
ハートマークは一方的に流れるが、美少女が密着してキャッキャウフフしてる様子はとても目の保養になった。
一体ベッドに入って彼女達は何をするのだろうか、気にならないと言ったら嘘になるが、とりあえず話が一向に進まないので菜月は赤髪の少女をエミアリスから引き剝がす。
「いやーっ! 助けてお姉様、犯されるーっ!」
「貴女を助けたらわたしの身が危ないから絶対に嫌。大人しく連れて行かれて。――ナツキ、妹を末永くよろしく」
「いや、別に貰わないけど!?」
「やめてっ、放して! わたくしはお姉様に純潔を捧げるって決めてるんですの! そこらの野獣にくれてやるものなんて欠片もありませんわ! この『ピー』野郎! 『ピー』で『ピー』なのですから勝手に『ピー』してなさい!」
「アンタ見かけによらず口悪いな!?」
表記してはならないような言葉が美少女から飛んでくる状況は中々にレアだろう。というかエミアリスの貞操を脅かすリリィと呼ばれたこの少女、良い性格をしている。ぜひ薄い本の世界にご招待して、思う存分にその衝動を爆発してほしい。
それはともかく、じたばたと暴れて菜月の手から逃れようとする少女の襟を掴み直し、菜月は視線をやっとの事で命と貞操の危機から逃れたエミアリスに向けた。
「それで……どういう事だ?」
上手く言葉が纏められず曖昧な質問をする菜月。エミアリスはその不明瞭な問いにどう答えれば良いのか少し迷うような表情を浮かべた。
暫しどちらも言葉を紡げずにいたが、その沈黙を破ったのは菜月に猫のように襟首を掴まれている赤髪の少女だった。
「どうもこうも、わたくしはリリアーナ=アルク=ルインリッヒ=セルデセン――由緒正しきこのセルデセン帝国の第二皇女で、お姉様の妹ですわ!」
「皇女ってマジで? ……つか、そのお姉様って奴はもしかして……」
一目見た時に似ていると思ったが、まさか本当に……と顔を引き攣らせながらもう一人の赤髪の少女に視線を向ける。
もし菜月の推測が正しければ、彼女はセルデセン帝国第二皇女であるリリアーナの姉、即ち皇族という事になる訳だが――。
果たして視線を向けられたエミアリスは、特に表情も変えずにこくりと頷くと、
「ん。本名はエミアリス=ウェン=ウィーゼルハイト=セルデセン。この帝国の第一皇女」
「う、嘘だろ!?」
衝撃の事実に菜月は思わず聞き返してしまう。それも仕方のない事だろう、今までタメ口で話していた少女が実は皇族でしたなどと言われても、すぐに信じられる訳がない。むしろすんなり受け止められる者の方が異常なのではないだろうか。
しかしエミアリスが冗談で言っているようには見えない。その事に更に顔を引き攣らせる菜月だったが、彼の力が緩んだ隙に拘束から抜け出したリリアーナがビシッと菜月の顔に指を突き付け、
「噓ではありませんわ! お姉様はこの帝国の第一皇女なのです! 貴方のような下賤な獣が話しかけて良いような人ではないのですわ! 分かったらすぐにその汚い顔を伏せて……汚い顔を……き、汚くはありませんわね。この地方では見ない顔ですが、そこそこ整ってはいますし……むしろちょっと格好良いですし……」
衝動的に選んだ言葉を最後まで言い切れず、語尾に至るにつれて段々と声が小さくなっていった為に、リリアーナの言葉は菜月には聞こえていない。
何を言われていたかはともかく、とりあえずリリアーナの勢いが弱まったので、第二皇女殿下の事はひとまず置いておき、菜月はエミアリスに声をかけた。
「つまりエミアリス皇女殿下様って事か……違和感が半端ないな」
「わたしもむず痒いから、今まで通りエミアリスで良い」
菜月の敬称付けの呼び方に嫌そうな表情を浮かべるエミアリス。確かに見知った相手から突然敬われると違和感を感じるが、仮にも皇族が気軽く平民に呼び捨てを許容するのはどうなのだろうか。
当然の如く同じ皇族であるリリアーナは「皇族が軽々しく平民に無礼を許してはいけませんわ! そしてお姉様の事を名前で呼んで良いのはわたくしだけですの!」などと一言余計な事が含まれる台詞を怒りを顕わに叫んでいたが、しかしエミアリスの「今わたしは冒険者であり皇族ではないのだから問題無い。それと貴女はわたしの事名前で呼ばないでしょ。第一、わたしを皇族だって知らない人達はいつもわたしを名前で呼んでるし」という言葉にあえなく撃沈。恐らく最後の言葉が効いたのだろう。
「んあ、そういやエミアリス、突然走り出したのは妹さんが原因か?」
衝撃の事実にすっかり忘れていたが、菜月がここまで来たのはエミアリスを追いかけての事である。唐突で理由も何も分からずに走ってきたが、その目的は今の状況から考えてリリアーナを助ける事で間違いないだろう。
菜月の推測にエミアリスは首を縦に振って肯定する。
「そう。リリィがピンチだって聞いたから、急いで走った」
「いきなりすぎんだよ……せめて声をかけてくれ。見失った時は流石に肝が冷えたぞ」
結果として決定的な場面には間に合う事が出来たが、心臓に悪かった事は確かである。それにエミアリスと一緒にここまで来ていれば、道中見たものを意識に入れなくても済んだかも知れないのに――。
溜息を吐きながらの菜月の言葉に、エミアリスは変化の乏しい顔で驚いたように少しだけ目を大きく開け、
「わたし、奴らの足止めをしておいてって言った」
「それはラスタだけだ。俺達にはなにも言わなかっただろうが」
「むぅ……そうだった?」
「そうだった」
はぁ、と息を吐き出しながら、「でも無事で良かった」と菜月は安堵の表情を浮かべる。
一人で、特に魔道士がこの戦場と化した街を駆けるのは非常に危険だ。多対一は圧倒的に分が悪くなるし、〝終焉教〟は魔法大国と呼ばれる帝国の首都を攻める為に魔道士対策もばっちりしてあるだろうから、余計に危ない。事実菜月も途中で何度も襲われているのだから、侮られやすい少女のエミアリスは更に目をつけられていただろう。ここまで目立った怪我もなく無事でいた事に菜月は頬を緩めた。
しかし菜月の危惧していた事が何か分かっていないのか、エミアリスは僅かに首をかしげるも、しかしそれ以上は何も言わなかった。
――否、言える状況ではなくなったというべきか。
「ガァ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」
「――ッ、ナツキ!」
獣のような咆哮。その鼓膜を食い破るほどの轟音にびくりと体を反応させたエミアリスが、とっさに菜月の名を呼んだ。
どうした、などと疑問を口にする間などない。
本能的な恐怖から脳内で五月蠅いほどに警報が鳴り響き、菜月は弾かれたように身を横に倒した。彼の十八年の人生の中で、恐らく最速の反応速度。避ける方向も悪くなく、むしろ褒められるべき回避。
――しかし、僅かに遅い。
「が、あっ」
暴風のように吹き抜けた硬い何かが菜月の右肩を引っ掛け、大して踏ん張れるような体勢でも体重でもない少年は、その勢いに吞み込まれて前へと飛んだ。
千切れた布の破片と真っ赤な鮮血が宙に散る。熱と錯覚する痛みは肩だけでなく右半身を蹂躙し、操作の利かない体はただ空中へと投げ出された。
滞空時間はきっかり三秒ほど。だが数分にも数時間にも感じられるその死を間近に控えた浮遊感で、自身の中に生まれた『何が』という疑問の答えを求めるべく最大限に目を動かした菜月は、やがて彼に鮮血を見せたソレを視認する。
「バケ、モノ……っ」
そう口にしたのは、恐怖の再来に顔を青褪めさせたリリアーナだった。
その声が菜月の耳に届くと同時に地面へと激突。左側面を削るようにして勢いを殺した菜月は、擦れた耳の高熱を噛み殺しながらなんとかその体を弾く。自ら後転する事で回る視界の中で長爪が掠め、左腕に食い込んだ一瞬だけ脳が赤く染まるが、しかし痛みに止まらず菜月は化け物のリーチから逃れる為に地面を転がった。
「グオァアアアッ!」
吸血鬼種の持つそれと似た鋭利なその爪を振り上げ、更に菜月へ追撃を加えてくる化け物。
そこへ割り込むようにエミアリスが〈紅龍の杖〉を振り、
「【爆炎法式】ッ!」
彼女の十八番である火属性の魔法を、今この局面で出せる全力で撃ち放った。
先ほど〝終焉教〟の武装者に向けてやったような手加減はない。即時発動の為に魔力の込め具合に不満はあるが、全身全霊、渾身の一撃だ。眼球を焼く閃光に一瞬遅れて爆炎が破裂する。
ドゴゥンッ!! と地を揺らす爆裂の轟音と衝撃が周囲を薙いだ。城壁が砕け、地面は捲れ、その災害のような攻撃に当然近くに居た人間は吹き飛ばされる。
「うぉあああっ!?」
当然の如く巻き込まれた菜月は抗う事の出来ない衝撃に体を弾き飛ばされ、目算十メートルの距離を転がった。体のあちこちを打ち、削り、破れた服の隙間から血を流す。ぐるぐる回る視界に吐き気が込み上げるが、しかしこれだけは言ってやらないと気が済まないと、菜月はいつにない剣幕でエミアリスを睨み付け、
「おまっ、ちょ、味方の被害を考えろよな!? 危うく巻き込まれて死ぬところだったぞ!!」
「言ってる暇が有ったらまず魔法使って!」
「あぁもうくそっ、分かってるよっ!」
あれだけ高威力の爆発に直撃したにもかかわらず、化け物は未だ健在だ。その皮膚は焼け爛れプスプスと煙を上げているが、被害を受けているのは防御に使ったのであろう左腕だけである。それも厄介な事に、彼の生物が身に秘める異常な生命力によって再生してしまうが。
抗議は一瞬の思考の間も無くエミアリスに一刀両断され、菜月は悪態をつきながらも痛む体に鞭を打って立ち上がり、素早く魔法式を構築する。どれだけ転がされても手から放さなかった緋色の杖を握り直し、合図となる杖の一振りとともに七本の土の槍を撃ち込んだ。そこには完全な八つ当たりだが怒りが込められている。
「【土槍法式】の多重詠唱ですの……!?」
魔法で同時に出現した土の槍にリリアーナが驚きの声を上げる。例え使用した魔法が第二位階だったとしても、これほどの数での多重詠唱が使える者はこの魔法大国でも少ない。故に、エミアリスと違って初見のリリアーナは菜月が当然のように七重詠唱を行った事に驚愕したのだろう。
そしてそれは化け物も同じだったようだ。ソレに思考があるのか、感情があるのか、そんな事は分からないが、確かにソレは驚愕したように充血した目を見開き、一瞬その動きを止めた。
そこへ、刃を潰すなどという馬鹿な真似はしていない、生物の命を――いや、人ではない『化け物』の息の根を止める為の槍が飛来する。
威力より数重視で放たれた四本はとっさに振るわれた化け物の腕によって薙ぎ払われてしまったが、残りは脇腹に、右太腿に、左肩に穴を穿つ。ぐしゃり、という生々しい肉を裂いて潰す音が立ち、意外なほど赤い生命の汁が飛んだ。――その明確な赤は、忌々しいほどに、なんら人と変わらない。
痛覚を持ち合わせていないのか、槍を肉体に刺し込まれても悲鳴一つ上げない化け物。だが骨を削って深々と土の槍が脚に刺さっている為にすぐに踏み出す事が出来ず、そこに酷く明確な隙が生まれた。
「今っ、叩き込むっ!」
「おうっ!」
その隙を逃すエミアリスでも菜月でもない。
エミアリスは彼女の得意な火属性の魔法を無詠唱で放ち、同時に菜月も四重詠唱で【風刃法式】を発動。轟々と熱気で視界が歪むほど燃え盛る火炎放射と、かつてミスリル製の大剣を切り裂いた時と同等の魔力を注ぎ込まれた四つの風刃が一つの生命体の命を刈り取る為に宙を駆けた。
「グ、ガァアアア!!」
化け物にも命は惜しいと感じる脳はあったようだ。どこかその雄叫びに、恐怖が乗っているように感じられた。それが酷く人間らしく思えて――違う、あれは全生物の本能に基づくものだ、と言い聞かせるように菜月は心で叫んだ。
二人が使用魔法をやや速度重視で選んだ事が功を奏し、化け物は脚の動きを阻害された状況でのこの攻撃は回避不可能と判断したようだ。その呪いの紋様が浮かんだ腕を顔の前で交差させ、更に翼も体をカバーするように纏わせて防御体勢をとる。彼の生物の皮膚強度が人間の比ではない事は、エミアリスの【爆炎法式】を食らっても左腕だけを犠牲にして健在だった事で良く分かっている。
――だが、かたや魔法大国の皇女という魔法に酷く優れた血統の魔道士、かたや女神からチートを与える必要はないと言われた『永劫魔力』持ちの天魔。ただでさえ魔法は国のパワーバランスを崩すほどの強さと重要性を秘めているのに、それに特化した者達がほぼ万全な状態で放った本気で魔力を乗せた魔法は、一体どれほどの威力を秘めているというのか。
菜月の魔力量が異常だと知らないリリアーナでさえも、この威力だと化け物の背後の城も破壊してしまうのではないか――そう危惧するほどの魔法。
「――ガァァァァァアアアア!!」
当然、〝終焉教〟が失敗作と呼ぶこの生物では、耐え切る事など不可能だ。
エミアリスの炎撃だけであれば耐えうる事も可能だっただろう。しかし実体有るものに切り裂けぬものは無いとでも言うかの如く異常で破格の切れ味を誇る菜月の風刃もそこに加われば、幾ら化け物の堅牢な肉体でも無事な訳がない。
ゆらゆらと陽炎が周囲に立ち込めるほどの熱量が渦巻く火柱の中に躊躇なく侵入した風刃は、ヒュイン、という気の抜けるような風切り音を鳴らして空間を割る。炎を裂き、空気を裂き、肉を裂き、骨を裂き、臓器を裂き、脳を裂き、裂き、裂き、裂き――美しい切断面を残して五等分になった肉塊がごろりと音を立てて転がれば、全てを両断した風の刃はもう見えなかった。後ろの城壁に傷がついていないのは、触れる直前で霧散したか、それとも傷が見えないだけか、触れてみなければ分からない。
そして残った炎が、合わせればくっつくのではと思わせる切断面を舐め始める。
全身の肉体を中まで焼かれ、五等分にされてしまった化け物は、幾ら生命力が高かろうとも、もう再生は不可能だろう。
つまり、菜月とエミアリスは、リリアーナを助けた時のような不意打ちではなく、正面から化け物を完全に斃したのだ。
――ただ。
「やっと見つけましたよ、ナツキさん」
危機というやつは、そう簡単に終わるものではない。
振り向いた菜月の目に映ったのは――。
「……テニー、さん?」
ニィィイ、と。
どこかの魔女のように、妖しく、凶悪に――その欲に眩んだ顔で嗤って。
「さあ、僕のユーリさんの為に、死んでください」
堕ちた赤茶髪の少年は、その長剣を抜き放つ。
戦闘が巧く書けない……好きなのになぁ。
次回も読んで頂けると有り難いです。




