第三十七話 賢者の忠告
久しぶりに一話で一万字超えた……。
エミアリスの所有する馬車でエミルフィアを旅立ってからの四日間は、当初予想していたよりも遥かに快適な旅だった。
まず馬車の揺れが殆どない。どうやら馬車に施された魔法効果によるものらしく、衝撃緩和に加えて適度な温度調整機能、重量軽減に速度上昇と、この世界にしてはオーバースペックな事に「どこの異世界人がチートを披露したんだよっ!」と戦慄する菜月だった。
だが、実際はどこぞの異世界人などではなく、セルデセン帝国が行う魔法研究の一環で生まれたものだそうだ。セルデセン帝国では数は少ないが出回っているらしく、そこそこ高価だが揺れの抑えられた他国では貴族が乗るような馬車も簡単に手に入る。……冷暖房に重量軽減などという明らかに高度な魔法技術が注ぎ込まれている馬車を個人所有しているエミアリスに疑問が湧かなかったのは、ただ単に菜月達が『普通にセルデセン帝国産の馬車を購入してもせいぜい衝撃緩和に多少の速度上昇効果くらいしか付いていない』という事情を知らないだけである。
更にそれだけではない。菜月もエミアリスも魔道士、即ち水には一切困らないのだ。飯もどこに詰めていたのか大量の食材を持ち出した御者の男が、どこから持ち出したのか愛用の調理器具を使い、プロのシェフ並の料理を出してくれたのである。もう一度言うが、御者は男である。そして女性陣二人は一切料理を手伝っていない。
睡眠は、馬車の中で取る事になった。制作者の拘りなのか何なのか知らないが座席を特定の順番で弄る事で座席を移動し、四人とも寝転がれるだけのスペースを作る事が出来て、やはりどこから取り出したのかふかふかの掛け布団を被って寝ると、「もうこれ野宿じゃなくない?」と言うほどの快適な睡眠を取る事が出来た。布団も魔改造馬車も謎の技術である。エミアリスに訊いても、セルデセン帝国に普通にあったやつとしか返されなかったが。……そのエミアリスの言葉に御者が苦笑いしていたのだが、菜月は気付いていない。
そしてその睡眠時の見張りも何故か御者が「私がやるんで! 私がやるんで皆様は休んでいて下さい!」と異様に張り切ってくれたので任せる事になったのだが、流石に一晩全て任せる訳にもいかず途中で起きた菜月が交代しようとした――が、御者はまたどこから持ち出したのか大量の毛糸を使ってのんびり編み物をしながら見張りをしていた。のんびりと言っても編む手は異様に速く、趣味と言うには些か以上に手慣れ過ぎていた事に戦慄した菜月だったが、御者が菜月に気付くとにっこりと笑って「シノノメ様もやってみますか?」などと誘ってきて、丁重に断ると同時に睡眠を取らなくて大丈夫なのかと訊くと、返ってきた言葉は、
「運転中に寝てるので大丈夫ですよ」
――などという、どこも大丈夫ではないものだった。
流石に冗談だったようだが、途中で寄る予定の町まで一睡もせずに動き続けるのかという問いには苦笑いが返ってきた。その苦笑いの理由が分からず菜月が首を傾げると、御者は爽やかな笑顔で「それが私の仕事なので」と言い切り、それから「さ、シノノメ様はそろそろ馬車にお戻りください」と問答無用で布団まで戻されてしまい、結局見張りはずっと御者に任せる結果になってしまった。三日目辺りから気付け薬で無理やり元気を絞り出し始めたので、流石に一、二度睡眠を取らせたが。
ともかく、異常なスペックの馬車のスピードに異様な御者の頑張りもあり、更に魔物の襲撃も冒険者三人にとっては取るに足らないレベル――菜月は安全圏からの魔法滅多撃ちだった為、危険も無く戦えたのでそう言える――だった事から、本来六、七日かかる距離を四日で踏破出来たのである。
そして現在菜月、憂莉、エミアリスの三人は、セルデセン帝国領の最南の町、アミストルテのとある工房に居た。因みに御者は町の厩舎に馬と馬車を置きに行っている。
工房と言っても、美術家や工芸家の仕事場ではなく、魔道士が魔法研究に使う魔道工房である。ここへ来る事が、エミアリスがアミストルテの町に休憩がてらに立ち寄った理由らしい。
「おおぉ、アリス嬢か。よう来たなぁ」
そう言って突然訪問した三人を工房に招き入れ、そのうえ紅茶まで用意してくれたのは、白髪碧眼の老人だった。
鍛えていないのか歳の所為なのか痩せて細い体を黒いローブで包み、彼が腰掛ける木製椅子の傍には木彫りの杖が立て掛けてある。見た目通りならば七、八十歳の老齢なのだろうが、それは短命な人間種から見ればであり、実際は違う。
「この人は、わたしの魔法の師匠。妖精種で、多分三百歳くらい」
誰なのか全く分からず首を捻っていた菜月と憂莉に、エミアリスがそう説明を入れてくれる。
妖精種の寿命は大体三百年~五百年といったところだ。この老人妖精種の年齢がエミアリスの言った通り三百歳くらいだというのなら、妖精種としてもかなり老齢である事に間違いないだろう。
リアルエルフとの遭遇に思わず「何かファンタジーって感じがするわぁ」などと呟いてしまう菜月だったが、幸い誰の耳にも届いていなかったようで訝しげな視線を向けられる事は無かった。
紅茶と共に出された茶菓子に三人が舌鼓を打っていると、老人は柔らかな笑みを浮かべて自己紹介を始める。
「わしの名はガーフェル。アリス嬢の言う通り、妖精種の長寿を利用して溜めこんだ魔法技術を師として教えておる。して、お前さん達二人は、アリス嬢の友人じゃよな?」
「あ、えっと、はい。俺は菜月です。で、こっちは憂莉です」
友人――なのかどうか、エミアリスからは特に否定の言葉も無かったので肯定を示した菜月だったが、憂莉は無表情ながらもどこか不満げのようだ。しかし訂正してこないのでそのままスルー。
すると、ガーフェルはうんうんとどこか感慨深げに頷き、
「そうかそうかぁ。アリス嬢にも遂に友人が出来たんじゃなぁ。ふむ、無愛想で口数も少ないアリス嬢の友人となる人が現れてくれて、わしも嬉しく感じるよ」
「え……それって、エミアリスに友達がいなっ、」
「そんな事より師匠!」
菜月が憐みの表情を浮かべて口にしようとしていた言葉をバンッと机を叩いて遮ったエミアリスは、師匠であるガーフェルに詰めよるように顔をグイッと近づける。あまりの気迫に気後れした菜月は思わず体を引いてしまうが、しかし正面から受けるガーフェルは可愛い孫が恥ずかしがる様子を微笑ましく眺めるが如き微笑みを浮かべていた。この素晴らしい胆力は年の功によるものか、それとも彼の実力からか……。
その落ち着いた態度のままガーフェルは孫……ではなく弟子の言葉を待つ。エミアリスはこれ以上自分の不名誉な事をばらされるのを避ける為、簡潔に用件だけを述べた。
「アレが必要になった。出して」
そう口にした瞬間、温和な表情を保っていたガーフェルが、フッと真剣な雰囲気を纏い始めた。微笑みに細められた眼は確かな光を放ち、見定めるような視線を愛弟子に送る。
「ほう……遂にアレを使うか。――いや、アレを使わねばならなくなったか」
「ん、流石師匠。情報が早い」
無表情が彼女のデフォルトでなければ、にやりとでも音を出すような笑みを浮かべていた事だろう。エミアリスは机に手をついて立ち上がりかけていた体勢から椅子に座り直すと、紅茶で口を湿らせてから言葉を続ける。
「師匠の言う通り、アレを使わなきゃならない状況になった」
「じゃが、使いこなせるか? アレは並の魔道士には使えん。『原初の持ち手』ですら始めは持て余したじゃじゃ馬じゃ。おぬしも、使えぬからわしに預けたのじゃろう?」
「分かってる。――でも、必要だから」
彼女の言葉からは、決意と覚悟の重さが感じられた。すっかり外野になってしまった菜月でも感じられるのだから、面と向かうガーフェルには十分伝わっているだろう。
暫く沈黙を保ったままガーフェルはエミアリスの眼を見ていたが、やがてそこに宿る曲がらない意志を見たのだろう。満足げに頷くと、また一つ成長した弟子に優しげな微笑みを向けた。
「そうか。そうじゃの。……今のおぬしに使いこなせるか分からんが、良いじゃろう。わしの後ろの倉庫部屋に保管しておる。持って行くといい」
「ん、ありがとう」
ガーフェルの許可を貰い、珍しく無表情を緩ませ微笑みを浮かべると、エミアリスは師匠の後ろに控える扉の奥に一人で行ってしまった。
「……あれ? 付いて行った方が良いのか……?」と呟く菜月だったが、しかし彼が立ち上がるより早く、ガーフェルが声を掛けてくる。
「少しいいかの? ……お前さん、魔道士じゃよな?」
ガーフェルの言葉に、菜月はどう反応して良いのか迷った。
ガーフェルはエミアリスに魔法を教えているくらいなのだから、別にシフォリール聖王国の貴族のような魔法を神聖視している連中と違い、平民が魔法を使っている事を否定する訳ではないだろう。だが彼の射抜くような視線を真っ直ぐに受け、果たして素直に答えて良いのだろうかと思ってしまったのだ。
すると菜月の逡巡を悟ったのか、慌ててガーフェルは無害を示すように手を振って「ああ、すまんすまん」と苦笑いで謝罪した。
「申し訳ないのう。おぬしのような才能の塊に出会って、少し興奮してしまったんじゃ。許してくれ」
「は、はぁ」
才能の塊とは菜月の事だろうか。実感は全くないが、魔法に長けた妖精種の目で見てそう思ったのだろうから、信憑性はあるのだろう。事実、菜月はこの世に数人といない全属性適性者なのだから。
しかしそのチート的才能に見合った技術が無い為、いまいち自分が才能の塊である事に実感が持てない菜月に、ガーフェルは先程よりは幾分か柔らかくも本人曰く興奮した鋭い視線を向けてくる。
「おぬしは磨けば光る宝石程度で留まるもんじゃなかろう。修練を積み、研鑽を重ねれば、いずれ『暦月の守人』の一月を飾る事も可能やもしれん。まぁ今はまだ足らぬものが多いが、五年……あるいは一年で、しかるべき実戦を経験すれば大魔道士と呼ばれるほどに成長出来るじゃろうな」
「は、はぁ……有り難う御座います」
いきなりのガーフェルからの高評価に若干戸惑いながらも返事をする菜月。彼がその言葉の意味を良く分かっていない事を悟ったのか、ガーフェルは紅茶で口を湿らせながら苦笑いを浮かべた。
「それで、じゃ」
苦笑いから真剣な表情に戻したガーフェルがそう切り出す。一瞬で変わった雰囲気に菜月は無意識のうちに体を緊張させ、隣に座る憂莉は警戒の潜む赤紫の瞳をガーフェルに向けつつ静かに左腰の長剣の柄に手を当てた。
――その行動は正しかった。
「ほれ」
軽い、詠唱も魔法名すらも含まないその一言を合図に、ガーフェルの周囲に一瞬にして生まれた七本の氷の矢が菜月を貫きにかかった。
「――ッ」
一つの動作だけで剣を抜き放てる状態にあった憂莉は当然その氷の矢を斬り伏せようと手を動かすも、しかし金縛りにあったように全く体が動かせない。と、そこでガーフェルの赤黒く変色した血の瞳と眼が合い、憂莉は舌打ちと共に憎々しげに言葉を吐き出した。
「魔眼……ッ」
その声が耳に届いた時には、七本の氷の矢は菜月の皮膚を貫く直前だった。
拙い――と、呟く間すら無い。しかしそのまま体を貫かれる気も全く無い。
「お、おおおおおッ!」
気合を入れ直すような雄叫びと共に、膨大な魔力の渦が魔道工房に吹き荒れた。
ドガガガガガガガッッッ!! と本来実体のない魔力がその異常な濃度で以って部屋に物理的被害を与え、接触直前の七本の氷の矢ごと纏めて吹き飛ばす。それは地上に顕現した嵐であり、威力で例えるのなら通常の魔道士が使う第四位階の広域殲滅魔法と同等、あるいはそれ以上かも知れない。
「む――」
その実体化するほどの魔力の膨大さに危険を感じたのか、しかし予想外の出来事が面白いとばかりにガーフェルは口元を緩ませると、傍らに立て掛けていた木彫りの杖を手に持ち軽く掲げた。刹那の間で練り上がった魔力がガーフェルの持つ杖から溢れだし、一つ、二つ、三つ――合計五つもの魔法陣が浮かび上がる。五重詠唱、凄まじい高等技術を、この老人は一瞬で為したのだ。
発動した防御系魔法によってガーフェルと彼の工房を守るように空気の障壁が展開され、菜月から放出された暴力的なまでの魔力は全て弾かれた。幾らかの障壁は脅威的なまでの威力に罅が入っているが、氷の矢や菜月が座っていた椅子やテーブルなどのような菜月のすぐ近くにあったものを除いて、工房は無事のようである。
やがて余波も全て収まると、やっとの事で魔眼による拘束が解けた憂莉が長剣を抜き放ってガーフェルに斬りかかろうとするが、その刃が老人の細い首を斬り裂く寸前でガーフェルの声が菜月の後ろから響いた。
「うむうむ。予想以上に化け物じゃな、これは」
ハッとして慌てて菜月と憂莉が後ろへ振り向くと、そこでは先程まで確かに憂莉の長剣に斬り裂かれるところだったガーフェルが、満足げな微笑みを浮かべながら顎を撫でていた。
「え、ええ!?」
菜月は意味が分からず椅子に座っている方のガーフェルへ向き直ると、しかしそこには長剣を振り抜いた憂莉が肉を絶つ感触が伝わってこない事に舌打ちを漏らして新しく現れたガーフェルへ殺気の籠った視線を向ける姿があるだけで、紅茶を飲んで微笑む老人の姿は欠片も無かった。
だが老人が使っていた椅子の近くに漂うガーフェルの魔力の霞から、菜月はその正体を悟った。
「幻惑魔法か……ッ」
恐らく、多重詠唱した五つの魔法のうち、幾つかは防御ではなくこの細工に使ったのだろう。
「こら、戦闘中に敵から目を逸らすとは何事じゃ」
「――っ!」
咎める意志の籠ったガーフェルの言葉に慌てて菜月は後ろに向き直るが、しかしその時にはもう目の前まで雷撃の槍が迫っている。咄嗟に頭を横に逸らす事で回避に成功するが、続く巨大な炎の球は避けられそうにない。
「くそっ」
悪態を吐く間に炎球は菜月を飲み込んだ。
だが菜月も魔道士の端くれ、迫ってくる魔法に何も対処をしていない訳が無い。
轟ッ! と爆発的に膨れ上がった風が、竜巻の体を成して燃え盛る火炎を吹き飛ばした。第三位階風属性魔法、【旋風法式】。急いでいた為にコントロールが曖昧で魔力を多く込め過ぎ、旋風どころか竜巻となっているが、問題はない。菜月は次なる魔法式を少し改変して構築し、穂先の貫通力が無い土の槍をまるで機関銃のように連射した。
「む……【土槍法式】の多重詠唱か。……もしやおぬしは、」
続く言葉は、菜月の耳には届かなかった。
ズドドッドドドッドッ!! という鼓膜を乱暴に揺さぶる轟音が連続して魔道工房を襲う。それは無抵抗で受ければいくら貫通力が無くとも全身の骨を粉砕するほどの威力が込められており、周囲に伝わる衝撃の振動は両足を踏ん張らなければ倒れてしまいそうなほどであった。
――が。
「ほほう。良い、良いぞ。その常識外れが実に良い」
それら全てを集中砲火された筈のガーフェルは、笑っていた。
その身に傷は無い。彼の周辺の床や壁にも別段変化はなく、ただガーフェルが木彫りの杖を握り、愉快愉快と顎を撫でているだけだ。――つまりこの老人は、菜月の多重詠唱で繰り出されたガトリングさながらの槍撃を、魔法で全て防ぎ切ったという事だろう。
「マジ、かよ……」
思わずと言った調子でそう零し、冷や汗を流す菜月。そんな彼へ、ガーフェルが笑みの表情のまま眼だけ笑わずに話しかけてくる。
「ふむ、このぐらいで良いじゃろう。――さておぬし、ナツキといったな。何故最後の【土槍法式】で、穂先を全部潰したのじゃ」
底冷えするような声だった。そこに先程までの戦闘の熱は無く、ただ偽りは許さないとばかりに貫いてくるガーフェルの眼光が菜月を襲う。
ごくりと唾を飲み込み、菜月は思考する。
何故、最後の魔法に貫通力を無くしたのか。
それは、至って単純で、そして戦い――殺し合いの避けられない戦闘をする者達にとって最も忌避すべき動機だった。
「――殺したくなかったからだ」
「…………」
しんと静まり返った工房に、ややあってガーフェルの溜息が響く。
だが妖精種の老人は杖を一つ鳴らして思考の切り替えでも行ったのか、すぐに表情を改めて今度は憂莉に向き直った。
「ユーリ、じゃったな。おぬしは何故、わしの幻影を斬った後、攻撃してこなかった」
菜月の時と同じく、冗談を挟む余地のない視線が憂莉を射抜く。しかし菜月と違う所は、憂莉が全く緊張を浮かべていないところだろう。胆力が強いからか、それとも元々ガーフェルの言葉に対する答えを持っていたからか。
恐らく後者だったのだろう、憂莉は特に考える素振りも見せずに口を開く。
「貴方が見たかったのは、菜月先輩の魔法戦闘ですよね? ですから、わたしが手を挟むのは慎んだだけです」
勿論、菜月先輩に攻撃が当たりそうになったら守れるようにしてましたけど、と付け足す憂莉。彼女は二本の長剣を左腰の鞘に収めると、当然のように菜月の隣に並ぶ。
その様子を見てガーフェルは少しだけ思案するような表情を浮かべた。だがガーフェルの質問の意図も、憂莉の言葉の意味もあまり良く理解出来なかった菜月は、解けない緊張を体に巡らせたままガーフェルに問いかけた。
「……どういう事だ? いきなり攻撃なんか仕掛けて来て」
菜月の質問にガーフェルは「分からぬのか」と呟き、少々落胆の色を見せ、答える。
「ユーリ嬢の言う通りじゃよ。おぬしの魔法戦闘を少し見たくなっただけじゃ」
「魔法戦闘って……だったらあんな突然仕掛けなくても良いじゃないか」
お陰で死にかけた、と愚痴るように文句を漏らす菜月に、ガーフェルは眉を寄せて視線を鋭くする。
「阿呆が。戦闘なんてものは、互いに準備が整ってから始まる事なんてあり得ん。この程度の先制攻撃のアドバンテージなんぞすぐに取り返して当然なんじゃ。――それに、」
一段と低くなる声。
一呼吸置いて更にガーフェルは視線を鋭くすると、微かな怒気すら浮かべて続けた。
「何故おぬしは刃を潰す。殺傷力の無い魔法なんぞ、攻撃とは呼ばん」
「っ、それは……」
「殺したくないから、じゃろう? 別に進んで殺せとは言わんから今この場では良い。じゃが、別に格上に対して手加減なんぞせずとも良かった筈じゃ。しかしおぬしは穂先の貫通力を削った。何故じゃ? 人に刃を向けられなかったんじゃろう?」
――図星だった。
空き倉庫で〝虐殺する双角獣〟の冒険者たちと戦った時に使った【炎獄災禍法式】は良かった。威力を調節する時間があったし、自分では気付いていないが、化け物と化したエルドが人間ではないと半ば認識しかけていた事から、攻撃する事の忌避感が薄れていた。
そして何より、刃物ではない。
刃物を人に向ける事が殺人を彷彿させるのは至極当然だろう。最も身近な人殺し道具と言えば、言葉か包丁くらいなのだから。
菜月は殺人を嫌っている。当たり前だ、人殺しなんてしないに越した事はないし、好む者なんてただの狂人だ。
だが、それでも――。
「それでも、人に刃を突き付けねばならぬ時はある。その時おぬしは、それが出来るのか?」
ガーフェルの言葉が、重く菜月にのしかかる。
人を殺さなければならない時に、殺せるか。
出来る訳が無い。殺さなければならない時など、想像したくもない。
だが仲間を人質に取られ、仲間を見殺しにするか敵を殺して助けるかの二択を迫られた時、自分はどちらを選ぶのか。選ぶ、べきなのか。
答えが出せない。菜月は口を閉ざしたまま眼を伏せる。
だがガーフェルは静かに菜月の答えを待っていた。
一分、二分と時間が刻々と過ぎていく。
――やがて、
「……分からない。けど、そんな状況を起こさなければ良い」
言い切った菜月の顔は真剣だった。それは悩みに悩んで出した答えだったのだろうと、ガーフェルにも伝わったのだろう。だからこそ、ガーフェルは深く溜息を吐いた。
「……そうか。なら最後に一つだけ、おぬしが長生き出来るようジジイからのアドバイスを送ろうかのう」
どこか諦めたような表情を浮かべ、ガーフェルは続ける。
「死にたくないなら、仲間を失いたくないのなら、迷うな。……それだけじゃ」
その忠告を最後に、ガーフェルは黙ってしまった。自分の椅子へ戻って冷めた紅茶を全員分入れ直し、元の柔らかな微笑みを浮かべて琥珀色の液体を啜っている。これ以上言う事はないという意思表示だろう。
とりあえず壊してしまった椅子やテーブルはガーフェルがやはり詠唱も魔法名すらも口にせずに直してくれたので、謝罪の言葉を口にしながら腰掛け紅茶に口を付ける。ほのかな香りが鼻を抜け、運動の後の疲れを流し落とすようであった。
と、五分程度ゆっくりとしたティータイムを過ごしていたが、倉庫部屋へ消えていたエミアリスが真紅の長杖を手に戻ってきた。どうやらその杖が彼女の言っていた『アレ』というやつらしい。
「それじゃあナツキ、ユーリ。そろそろ出発しよう。――師匠、また来る」
アミストルテに到着してからこの工房に真っ直ぐ着た訳ではないので、既に十分馬車馬も自分達も休憩出来ている。
エミアリスは師匠への挨拶を一言で済ませると、真紅の長杖を両手に抱くように大切に持ち、すぐに工房から去ってしまう。次に向かう都市に自分の目的もあるからかどこかせっかちになるエミアリスに置いて行かれないよう、菜月はガーフェルに紅茶と茶菓子の礼を言い、慌ててエミアリスを追いかけた。
「ああ、少し良いかのう、ユーリ嬢」
流水の如く止まりもせずにすぐ外へ出てしまったエミアリスと菜月を追おうとした憂莉だったが、菜月と同じく礼をしてから工房から出て行こうとした時にふと掛けられたガーフェルの言葉に反応し、足を止めた。
「何か?」
「いやなに、少し気になってのう……おぬし、魔術師じゃな?」
「…………」
動作で反応はせず、無言を返す憂莉。しかしそれでガーフェルには十分だったようで、エルフの老人は「やはり」と納得するように頷いた。
「いやはや、珍しい二人組だと思ったんじゃが、まさか異世界の者じゃったとは。流石のわしも、ちと興奮してしまったわい」
「……どうして、」
「分かったのか、じゃろう? ばればれじゃ。じゃって、ナツキ坊がわしの氷矢の魔法を防ぐ時に放出した魔力が工房を襲ったが、あの時わしが魔法で守ったのはわしと工房の器具だけじゃった。じゃがおぬしは無事。おかしいじゃろ? 魔術でも使って自分を守れば理解できるがのう」
「……ですが、わたしが魔法を使ったという可能性も有ります」
目を細め、警戒を顕わに構える憂莉に、ガーフェルはにやりと笑って言う。
「それは無いわい。じゃっておぬし、魔法系のスキルないじゃろう? せいぜい『肉体・身体能力強化』スキルくらいじゃ」
「…………っ」
――何故、自分のスキルがばれているのか。
ハッタリという可能性もある。だがガーフェルのいかにも知っているという顔は、とても嘘を吐いているようには見えなかった。
警戒度を跳ね上げ、遂に長剣に手をかけた憂莉に、しかしガーフェルは遮るように笑って言う。
「【能力解析法式】って言ってのう、わしのオリジナルの魔法じゃ。『魔法制作』スキルってあるじゃろ? それで創ったんじゃよ。視認した相手の能力情報が覗き見れるという、結構犯罪ギリギリの魔法じゃ」
「……なるほど」
『魔法制作』スキルは、魔道士の中でも特に優秀な者で、更に天賦の才が無ければ使えない強力で珍しいスキルである。新たに作り出した自分のオリジナルの魔法を星界に登録し、魔法式や魔法陣を覚えている限り自由に使えるようになるのだ。菜月も持っているが、現在の技術では全く使えていない死にスキルでもある。
しかし能力情報の覗き見とは、犯罪ギリギリと言うかほぼアウトな気がするが、かなり便利な魔法だ。何せ、相手の攻撃手段が事前に分かれば、対策し放題なのだから。自身の道徳に反しない限りでの使用に制限しないと個人情報とか色々まずい気がするのが。
これはまた厄介な魔法ですね、と憂莉は呟く。そんな憂莉の様子にガーフェルはにっこり笑い掛け、
「さて、わしが聞きたかった事はそれだけじゃよ。さ、もう行って良いぞ」
「……そう、ですか。では、最後に一つだけ」
「ん? なにかのう?」
あくまで微笑みを絶やさない妖精種の老人に、憂莉は鋭い視線で彼を射抜き、問いかける。
「貴方は、何者ですか?」
「……、わしはただの妖精種の魔道士じゃよ。アリス嬢の師匠で、隠居中の、じゃ」
「……そう、ですか」
真面目に答える気はないと判断した憂莉は、それきりで工房を後にした。
三人がいなくなり、すっかり静かになってしまった魔道工房で、ガーフェルは独りで溜息を吐く。
「……まさか生きているうちに、天魔と番の片割れを目に掛けられるとは思わなんだ。それも魔術師様、か……人生で三度も魔術師様と話す事が出来るとは、長生きするもんじゃのう。……じゃが、」
ガーフェルは視線を工房のとある場所へと向けると、その温和な表情を剣呑なものへと変える。今の彼が纏う雰囲気は隠居したお年寄りなどではなく、歴戦の魔道士が持つそれであった。
「奴らも動き出したようじゃし、そろそろわしもお暇する頃かのう。アリス嬢がわしを超えるところが見られなくてちと残念じゃが、まぁ仕方あるまい。年寄りにこの世界はキツイキツイ」
冗談めかしてそう言って、ガーフェル=パンプウィンこと『八月の賢者』は、彼の普段の温厚な表情とは正反対な凶暴かつ凶悪な魔力の渦を体内から殺気と共に漏れ出させた。
半端ではない濃度の魔力が工房をびりびりと揺らし、彼の視線の先の写真をひらりと揺らす。
その写真には、白髪碧眼の妖精種の老人と、若草色の髪にエメラルドの瞳を持つ人間種の美少女、そして銀髪金瞳の人間種の美女が映っていた。
「さて、盟約の通り、共に戦おう――」
続く言葉は呑み込んで、賢者はフッと微笑んだ。
皆様よいお年を!
次回も読んで頂けると有り難いです。




