第三十六話 そして彼は堕ちる
短いです。キリが良かったので。
時は遡り、菜月と憂莉がレギオンモンキーの集落を壊滅させた後。
絶望的な事実を突き付けられ、その場から脱兎の如く逃げ出した赤茶髪の少年――テニーは、ただひたすらに森の中を走っていた。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁ、嘘だろ……あり得ないあり得ないあり得ないっ! ユーリさんは……ユーリさんは僕が……僕の……うあ、あああああああああっ!」
邪魔な木々を掻き分け、現れる魔物を八つ当たり気味に斬り伏せながら、テニーは狂ったように歪んだ感情を吐き出し続ける。
初恋だった。
最近剣舞闘師ギルドに入ったばかりだが、テニーは元々根無し草のような冒険者生活を送っていた。
両親の顔を覚えていないくらいの歳に捨てられ、孤児となった彼は、当時の孤児の仲間と共に何とか盗みを働いて生き延びていたが、当然途中で限界がきて仲間は全員死亡、または町の兵士に捕まってしまう。それから同じ場所に居られなくなったので拠点にしていたスラムを出て冒険者となり、他の町や村にも行ったが、どこも長く続かず逃げ回るようにシフォリール聖王国領内を旅していた。
だが元々加入していた職業ギルドが肌に合わず脱退し、エミルフィアにある剣舞闘師のギルドに加入してから数日後。ギルド加入試験の監視役として少女――憂莉に付いて行く事になり、剣舞闘師としては初めての後輩に他人からは緊張しまくりに見られつつ心を躍らせて憂莉と共に試験場所のアマネフ洞窟に向かった。ピンチに陥りかけたら助けてやらねば――などと数日とはいえど剣舞闘師の先輩として格好良いところを見せようと思っていた彼は、不運にもその機会に恵まれず、逆に憂莉に守ってもらう結果となってしまった。
憂莉にテニーを守る気は一欠片も無かったのだが、それはともかく、彼はその時の『銀虐魔王の血脈』を使ってアングリー・カウ――ネクストフォーマーと戦う憂莉の姿に完全に魅了されてしまったのだ。別に憂莉が『魅了の魔眼』の力を使った訳でもなく、純粋に――と言うにはやや歪だが――テニーが好意を持ってしまったのである。
女っ気など欠片も無かった生活を送っていたからか、落ちるのは一瞬。そして異様なまでの執着は、どこか憂莉と同じものを感じさせた。
「ユーリさん、あああああああユーリさんはぁ、僕が、僕の、僕だけが、触れて良いんだって。だってそうじゃないか。あの姿は……天使様になった姿は、常人が手にして良いものじゃないんだよ。そうだ、駄目だって。あの男には……アイツなんかの手には渡さないッ」
既に言動がおかしくなり、憂莉が天使になったとまで本気で思い込んでいるテニーは、その思考回路もまたおかしな方向へと向かって行く。この姿を他人が見れば確実に狂っていると断ずるだろうが、これは彼の本性と言うより、憂莉も認識し切れていない『銀虐魔王の血脈』の力の一端であった。
「だからあの男は許さない。許せない。許してはならないんだ。僕が、ああああ僕が、僕がユーリさんの隣に、隣に居る為にッ。そうだ、そうだそうだそうだ! 僕が、僕が――」
そしてどこか歪められた本心からか、普段の彼の性格では有り得ない殺意に満ちた言葉を吐き出そうとして――。
「――殺してしまおう、かしら?」
不意に、テニーの言葉を遮って声が響いた。
蜂蜜に砂糖を袋ごと投入してメープルシロップを垂れ流したような、それ自体が毒となりうる酷く甘い声。聞いた者の脳から犯していくその声の主は、狂乱したように赤茶髪を掻き毟る手を止めて呆然と立ち尽くすテニーの視界へとゆっくりとした歩調で現れる。
目の毒でしかない白い肌を露出しまくりの黒い服で申し訳程度に隠し、艶めかしい肢体を惜し気も無く魅せるように立つ女。傾国の美女とでも称すべき彼女はその紅い唇を笑みに歪め、毒々しい赤紫の髪を細い指で撫でつけている。
その瞳は血の紅。
魔女の黒い尖がり帽子を被る女は、まるで悪魔でも見たかのように固まるテニーの頬を愛おしげに撫でると、その艶やかな唇をぺろりと舐める。その一挙一動が相手の精神を犯して支配する為のものだと気付けないテニーは、女の魔性を前に脳も精神も全て目の前の女の言う事だけを考えるように変えられてゆく。
その過程を楽しみながら、女――『二月の魔女』イアミントは嗤う。
「ねぇ、貴方は誰を殺したいのかしらぁ? 裏切り者? 仇? それとも――恋敵?」
ぴくり、と。イアミントが三つ目の単語を口にしたところで、テニーの体が反応した。
イアミントはその様子ににやりと深い笑みを作る。それはまるで、新たな実験動物を見つけたとばかりに。
「うふ、うふふふふふっ。ええ、ええ、分かったわぁ。憎いのよねぇ? 殺したいほどに憎いのよねぇ?」
耳元で囁く甘い甘い魔の言葉に、テニーはまたぴくりと体を震わせた。
口の中で彼女の言葉を何度も何度も反芻し、その焦点の合わない濁った橙の瞳をゆらゆらと動かしながら、やがて犯された精神に残る、普段であれば心の奥底に封印している筈の醜い感情に従って、零すように言葉を外へ吐き出す。
「……ころ、したい。殺す、殺すんだ。あの男、を」
「そう、やっぱりそうなのねぇ。憎い恋敵を殺したい。そして気になるあの子を自分のものにしたい。そうでしょぉ?」
抉るように、煽るように。
深く、深く根付いている原初の感情を無理矢理引き出して、魔女は更に呪を掛けるかの如く甘い毒の声で言葉を続ける。
それにテニーは抗わない。抗う術が無い。――既に、抗う理由が見当たらない。
「……ああ、殺す。あの男を殺して……ユーリさんを、僕の、僕だけのものにする。天使様を、僕だけのものにするんだ」
ニィィィ、と。魔女の口が大きく歪んだ。
それは歓喜であり、嘲りであり、愉悦であった。
新たな実験動物が手に入ったから。その実験動物が恋敵とやらに向ける感情の醜さから。そして、もしかすると自分自身も気になっていた憂莉の事を、更に深く知る事が出来るかも知れないと思ったから。
しかしイアミントの心中など知る由も無い、知る余裕も無ければ知る気も起きないテニーは、魔女の笑みに気付かない。
込み上げ溢れ出す黒い感情を押さえる気も無く垂れ流すテニーに、イアミントは思わず笑い出しそうになるのを我慢しながら、最後の魔法を完成させる。人を誘惑する魔法である【幻想誘惑法式】を応用した精神掌握という、恐ろしいまでに簡単に人を操ってしまう外道の魔法を。
「それじゃあ、殺しましょう? 意中の女を手に入れる為に、その恋敵を殺しましょう? ――さぁ、私の可愛い実験動物ちゃん」
三日月に歪んだ唇をぺろりと舐めて。
深く暗い闇を沈ませる血の瞳を妖しく光らせて。
まるで彼女自身を表すような毒々しい赤紫の髪を撫でつけて。
魔女は、歪んだ恋心を持ってしまった憐れな実験動物を、破滅の道へと引きずり込む。
「――我らの神ブラキ様の下に集う〝終焉教〟の一員として、共に憎き者達を、終焉へと導きましょう?」
魔女の誘惑。悪魔の囁き。破滅への誘い。
決して乗ってはいけないその言葉は、深く深く彼の精神へと沁み込んで来て。
「――ああ。そうしよう。アイツを終焉に導こう」
そして彼は、破滅の道を歩み始めた。
遂に抑え切れなくなった魔女の嗤いが、彼と同じくどこか歪んだ狂人達と、とある神を崇める狂信者達の潜む樹海に響き渡る。
『銀虐魔王の血脈』のご使用の際は、他者の精神を歪める可能性が御座いますので、周囲を良く確認し、被害を最小限に抑えるようお願い致します。……な、話です。
テニーの豹変、というより洗脳ですかね。この話が今年最後の投稿ってどうなんだろう……。
もしかすると明日も投稿するかも知れませんが、最後になる可能性もあるので、皆様よいお年を……。
次回も読んで頂けると有り難いです。




