第三十二話 甘い決意
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「――……」
昨夜の地獄のような喧騒がまるで全て嘘だったかのように静まり返った宿の一室。辺鄙な村の安宿にしては広い寝台の上で天井の染みを見詰めながら、東雲菜月は意識を徐々に覚醒させてゆく。
だんだんと戻って来る五感で感じるのは、硬めのベッドに薄い掛け布団を掛けて仰向けに寝転がる自身の右半身に当たる柔らかな温かい感触。鼻孔をくすぐるのは健全な男子高校生なら抗いがたい欲を刺激させる甘い匂い。そして、少女の立てる小さな可愛らしい寝息――。
「わっつッ!?」
想定外の事態に直面し、強制的に起動した体を跳ね上げて寝台から後ずさる菜月。先程まで彼が居た場所では、抱き付くものを失った紫髪の少女が「むぅ」と不満そうに声を漏らしている。
望まずして加速した動悸を、胸に右手を当てつつ深呼吸する事で何とか落ち付けた菜月は、めくれたベッドのシーツから這い出てくる少女に左手の人差し指を突き付け、
「な、何でお前が俺のベッドの中に居るんだよっ!?」
「添い寝の為ですが?」
何を当然の事を、とでも言いたげなキョトンとした顔で述べる少女――一条憂莉。彼女はあまりにもあっさりと言葉を返された事に固まっている菜月にふふっと笑みを向けると、少し名残惜しそうにベッドから降りる。憂莉のこの時の心中を簡単に言うと、「一晩菜月先輩が包まって匂いが染み付いた掛け布団……持って帰ろうかな」である。宿のものだけど、代えを用意しておけばばれないかな……などとも考えていた。実行するかは定かではないが、本当にやってしまいそうなのがこの少女である。
予想外――ではなく、むしろ予想通りの答えに絶句していた菜月だったが、はっと何か大切な事に気付いたように意識を取り戻すと、
「って、こんな事してる場合じゃ無いじゃん!」
自分へ言い聞かせるように叫び、窓の外へ視線を向けた。
今は閉じているが、昨夜開けた時に見た凄惨な景色は、今も菜月の瞼に焼き付いている。
闇に紛れる外套を羽織った襲撃者達が、色とりどりの魔宝石で魔法を放ち、村人達を蹂躙していく風景。抵抗する男の村人や村の護衛の兵士は襲撃者の振るう凶器に斬られ抉られ貫かれ、虚しくもの言わぬ骸となるか、魔力のある者は意識を奪われて無力化された後に連れ去られてゆくだけだ。
それでも抵抗を続けた事が功を成したか、はたまた襲撃者達が目的を達成した為か、襲撃から十五分ほどで襲撃者達は村から消えるように去っていった。――攫った者も、同時に連れ去ってしまったようだが。
そしてその時、シャルロッテも共に連れ去られてしまった。
「シャルちゃん……っ」
町の外に連れて行く事が、危険だという事は分かっていた。
しかし菜月が思っていた危険というものは依頼で戦う魔物の事だけで、その他の事態を全く想定していなかった。
その結果が、これだ。
シャルロッテは連れ去られ、菜月は襲撃者の一人も捕らえる事が出来なかった。
「……くそっ」
吐き捨てるように言い、インベントリーから取り出した装備一式を身に纏う。装備と言っても、綿作りの普段着の上に革製チェストプレートを付けてブーツを履き、被属性攻撃少量軽減の魔法付与が掛かった黒いコートを羽織るだけだが、これが現在の菜月の防具全てなので仕方がない。
そして緋色の杖まで取り出し、菜月は焦るように足を扉に向けたところで――声が掛けられた。
「どこへ行くんですか、菜月先輩?」
その憂莉の声には、どこか責めるような棘があった。一瞬、恐怖を感じてびくりと体が勝手に反応し、菜月は足を止める。
菜月は声の主へと振り返りながら、
「どこって……シャルちゃんを助けに行くんだよ」
そう言って、再び扉から外に飛び出そうとする菜月。
しかし憂莉は菜月の行動を許さず、冷ややかな声をぶつけた。菜月にそのような声を向けるとは、菜月を深く愛している彼女にしては珍しい事である。
「ですから、どこへ助けに行くと言うんですか? いつの間にか攫った人達を連れて消え去った襲撃者達の場所は分かりませんし、そもそも何が出来ると言うんです? 菜月先輩は……いえ、わたしもですが、あいつらには敵いませんでした。守る筈だったシャルちゃんは連れ去られ、村人の殆ども助けられずに蹂躙されました。敵わないというのに助けに行って、むざむざ殺されに行くつもりですか?」
「それは……」
言い返せなかった。反論する言葉を見つけられなかった。
言葉を失い、行き場の無い怒りを拳を握り締める事で紛らわせながら立ち尽くす菜月に、しかし憂莉は容赦無く言葉を浴びせてゆく。
「人数も戦闘力も、空き倉庫で〝虐殺する双角獣〟の冒険者達と戦った時とは違うんです。敵はあの場に居ただけでも三十人は超えていて、一人倒すのも菜月先輩には難しいでしょう。それなのに、貴方はシャルちゃんの為に命を賭すと言うのですか?」
「…………」
「まさか、勝てるとでも? 無いです、ありえません。死ぬだけです。勿論わたしが死守しますが、他人の救出なんて不可能ですよ」
「……どうして、そこまで言い切れる?」
無駄だ、死ぬ、だから諦めろと断言して告げる憂莉に、菜月は無意識のうちに震えてしまう声で問いかけた。
俺の何が分かる、などと言う訳でもない。菜月の戦闘能力は、この世界に来てから菜月の傍にずっと居た憂莉は良く分かっているだろう。むしろ戦闘慣れしていない菜月より詳しいかも知れない。
だがやってみないと分からないだろうと、菜月はそう主張した。
しかし憂莉は意図してかやや呆れ気味に半眼を作り、
「数秒でも戦って彼我の戦闘力の差は分かったと思いますが……その確実な理由は、聞くべき人達から話を聞いてからにしましょう」
明確に答えを口にしないまま、憂莉は菜月の手を取って部屋を出た。いつの間にインベントリーを操作したのか、菜月と同じく戦闘装備を着込んでいる。
もうこの部屋に帰る気はないのか、憂莉はシャルロッテの分も含め全ての荷物を持ち出し、インベントリーに収納している。と言っても、菜月と憂莉は基本的に使わない荷物はインベントリーから出さないので、部屋に無防備に置いておかず、回収する物など殆ど無いのだが。
「ちょっ、待ってくれ! どこに、つか何しに行くんだよ?」
訳が分からず連れられるままに足を動かす菜月は、困惑した表情で憂莉に訊いた。
すると菜月の手を引っ張って先導する憂莉は、ちらりと一度だけ振り返り、
「村人から情報収集ですよ」
◆ ◆ ◆
結局、依頼の魔物であるレギオンモンキーの討伐にあたる間はずっと使う筈だった宿の部屋を一泊で引き払うと、憂莉に手を引かれながら菜月は暗い顔をする村人達に話を聞いて回った。
辛い出来事の後、その気分も晴れぬうちによそ者が話を聞かせてくれと言っても快く答えてくれる者などおらず、むしろ八つ当たりするように怒鳴られる事も多々あったが、ある程度情報を集める事には成功した。
三時間の情報収集の末、広くはなくとも村中を歩き回ってそれなりに体力を使った二人は、一度村の外へ出た。憂莉の提案だが、村の中でするような話でもないから、だそうだ。
手頃な岩を見つけて軽く土埃を払ってから腰掛けると、菜月は疲労の乗った吐息を漏らしつつ口を開く。
「……で、結局、俺が戦いに行っても無駄な理由って何なんだよ?」
ある程度予想は付いたが、確認の為にと菜月は一度中断させられていた質問を再び口にした。
憂莉は菜月と同じく近くの岩に腰を下ろすと、「それでは」と言ってから話し始める。
「答える前に、まずは情報を纏めましょうか」
「また焦らすのか」
「いえいえ、話を分かり易くする為ですよ」
「……どうだかな」
シャルロッテを早く助けに行きたいという焦燥感からか、それとも知り合いが攫われたというのに助けに行こうとしない憂莉に対する苛立ちからか、言動がどうも強く攻撃的なものになっているようだ。
しかし菜月の態度に不快感を覚えた様子も無く、憂莉は落ち付いて話を続ける。
「では、村の被害から。死者は死体が確認出来るだけで四十人。攫われた、または死体も残らなかった行方不明者は七十四名ですね。怪我人は殆ど全員でしょう」
「そんなにもか……」
たった十数分の間に散った命の多さに、菜月は唇を噛む。
この村は大体人口百人~二百人程度らしい。死者行方不明者合わせて百十四人なので、そのうち五、六割近くもの人が一夜で失われたという事だ。村の損失はあまりに大きく、そして残された村人達の絶望は計り知れない。村としての機能が暫く麻痺する事だろう。それどころか、残った村人達で村を解体し、近くの村ないし町に移動しようという案も上がるかも知れない。どちらにせよ、この村はこれから苦しい道を歩む事になるだろう。
魔法という戦う力があったというのに、無尽蔵な魔力というチートレベルの武器があったというのに、自分の技術と経験が不足していた為に何も出来なかったと悔やむ菜月。その悔しげな彼の顔を眺めながら、憂莉は人知れず表情に陰りを差しながら続ける。
「そして、ここからが問題なのですが」
態々前置きを入れ、憂莉は改めて真剣な表情を作った。菜月も釣られて顔を引き締めると、それを待っていたように憂莉が続く言葉を放つ。
「村を襲ったのは〝終焉教〟という団体らしいです」
◆ ◆ ◆
――〝終焉教〟。
この星界――『ラグナスヘイム』を見守ると言われるとある神の一柱を祀り、トップである総代神子の神託のもとに活動する一種の宗教団体。
活動内容、所属人数、本部の場所、幹部達の名前など、詳しい情報は所属する者達にしか伝わらず、またスパイを送ろうにも洗脳されて使い物にならないので、正確な内部の事情は全くと言って良いほどに分かっていない謎の団体。
しかし、謎に包まれた彼の団体にも、一つだけ世界で共通した事柄がある。
――全人類、延いては星界そのものの敵、という認識である。
◆ ◆ ◆
「終焉って……めっちゃ物騒な名前だな」
村人に聞きまわって仕入れた情報を憂莉と再確認し、出て来た団体の名前に顔を顰める菜月。それも当然か、神を祀る宗教の一つではあるのだが、掲げた名前が『終焉』などという危険な名なら、常人であれば拒否反応を見せるものである。
だがそれに嫌悪せず、むしろ目を輝かせるのが、彼ら〝終焉教〟のメンバーなのだ。
憂莉は岩の上に座り、足をぷらぷらと揺らしながら、
「そうですね。でも彼らの活動傾向的には、あながち間違っても無いのかもしれません」
「〝終焉教〟が目指してるのは世界の終焉だってか? 笑えないぞ」
「いえ、恐らくその通りだと思いますが」
けろり、と言ってのける憂莉。
しかしそれを否定出来ないのも、実際、遭遇して運良く生き残った者が〝終焉教〟の構成員が言った話を各国に伝え、更にその噂が碌に整備された道路も無く人通りの少ない辺鄙な村にさえ伝わってくるほど〝終焉教〟が悪い意味で有名だからだ。
菜月もエミルフィアに居た頃に読んだ本や、エミアリスから聞いた話の中に出てきていたので、少しだけだが〝終焉教〟の事を知っていた。――と言っても、そもそも彼らの事自体、詳しい事は何も分かっていないので、一般人が持っている情報程度の事しか知らないのだが。
「世界の終焉……ね。それ、意味あんのか?」
「知りませんよ、そんな事。狂人の考えがわたし達のような常人に理解出来るものとは思えません」
「常人……? 憂莉が……?」
おかしい、ありえないとばかりに頭を押さえて繰り返し呟く菜月。ここ十数日の憂莉の取った行動と言動から憂莉が常人とは思い難いのだが、それを口に出すのは流石に失礼である。が、憂莉は少し温度の下がった笑顔を見せるだけであった。寛容、というより聞き流したようだ。彼女の耳は都合のいい言葉しか聞き取らないのだろう。
とりあえず憂莉の常人発言に対して浮かんだ疑問を胸の内に仕舞い込むと、菜月はもうそろそろ良いだろうと思い、これで三度目となった質問を口にする。
「で、結局、俺が戦いに行っても無駄な理由ってのは何なんだよ? 流石にここまでくればもう答えてくれるよな?」
苛立ちが半分混じった溜息を吐きながら菜月が訊くと、憂莉はにっこりと笑みを浮かべた。
流石にこれ以上彼女にも引き延ばす気は無いようで、憂莉は岩に座ったまま菜月と向かい合い、紅く妖しいラズベリーの瞳を細めて口を開く。
「ええ、そうですね。ですがもう、分かり切った事でしょう?」
「……まぁ、な。でも、確証が欲しいから言ってくれ」
「ふふっ。ではでは、答え合わせに参りましょう」
そう言って憂莉はぴょこんと岩から飛び降りると、ジッと答えを告げられるのを待つ菜月に近付く。あと一、二歩で体が重なるという距離で足を止めると、何を思ったか憂莉は自身の手首を噛み切った。鋭い牙によって痛々しく刻まれた傷口から血が溢れ出し、空中へと飛び出すように散っていく。
「ちょっ、お前何を……!?」
突然の自傷行為に上ずった声で叫ぶ菜月に、しかし憂莉は「見てて下さい」と言う。この程度の傷であれば吸血鬼種の再生能力で数秒の内に塞がってしまうと分かってはいても、実際に目の前で傷を作られると心臓に悪いものだ。
言われた通り大人しく岩に座ったまま溢れ出す血に表情を固くして見詰めてくる菜月の視線を肌に感じながら、憂莉は『血器術』によって体外に放出された自身の血液を操作する。憂莉の意思によって自由自在に空中を流れる血液達は、彼女のイメージの通りに手乗りサイズの小さな人形を二つ、そして少し間をあけて三十もの同じ人形を作った。
「……これは?」
菜月が訊くと、憂莉はなおも溢れ出す血で更なる血液人形を数の多い方に足しながら、
「人数差を視覚的に表して分かり易くしました。二人の方が菜月先輩とわたしで、こっちの人数の多い方が襲撃者達――そして、」
「〝終焉教〟か……なるほどな」
納得したように頷き、菜月は次々に生み出され足されていく血液人形の数に顔を顰める。
敵の数が、圧倒的に多い。
それは元より分かっていた事だが、こうして目で見て数えられるようになると、その圧倒的な差に反抗はあまりにも無謀だと思い知らされる。
五十を超え、百を超え、自身の魔力を血液に変換するほど数が増えても、しかし人形は作られ続けた。まるで終わりが無いと、表し切れないほどの敵がいると告げるように――。
だが地面から積み重なり山を形成する血液人形の数が千を超えようとしたところで、憂莉は意図的に止めていた再生能力を稼働させて止血すると、これで分かったでしょう? と言わんばかりの視線を菜月に向けた。
「村を襲った者達の数すらも、正確なものは分かっていません。その裏にいるであろう者達の数もです。ですがシャルちゃんを助けに行くという事は、菜月先輩はこの怪しくて危険な宗教団体を敵にまわすという事ですよ」
「…………」
良く分かった。嫌というほどに、理解させられた。
二対数百数千など、そもそも同じ勝負の土俵に上がる事すら出来ない。
世界中に信奉者のいる一つの宗教団体を相手にする事は、ある意味一つの国家を相手にするより恐ろしい。何かに心酔している者は見境が無いのだから、己の命の危険すら厭わず対立者を殺しにかかるだろう。
そんな強大な敵に、菜月が勝てる訳が無い。
だが――それでも。
「俺は――」
それでも、菜月は。
「――俺は、助けに行く」
言い切り、岩から下りて憂莉のラズベリーの瞳を真摯に見詰める菜月。その眼を見れば、彼が本気で言っているのだと伝わってくるだろう。
そして数秒――数分の沈黙が下りる。
目を細めて送られる冷たい憂莉の視線と、意志を曲げず真っ直ぐに見返す菜月の視線。どちらも一瞬たりとも逸らさず、ただ空中で火花を散らすように見詰め合う。
やがて――憂莉が瞼を閉じた事により、沈黙が終わりを迎えた。
「…………本当に、行く気なんですね?」
再び目を開け、溜息混じりに再度問う憂莉。その眼に映っているのは諦めか、呆れか、それとも失望か。菜月には彼女の真意を読み取る事は出来ない。
しかし、憂莉がどんな感情を向けてこようと、菜月の答えは変わらない。
どんなに強大な敵だろうと、例え味方がいなかろうと、どうしようもなく、異常だと思われるほどに根が善人の菜月には、身捨てるという選択肢は無かった。
「ああ。俺は、シャルちゃんを助ける為に、〝終焉教〟と戦う」
それが、東雲菜月の決意。
敵わないと頭が理解しようとも、救わなければならない人がいるのなら、武器を取って戦うと。
例え出会って日が浅かったとしても、シャルロッテは共に旅をした仲間だった。その中で彼女が人を思いやれる善人だと知った。ならば救うべき人であり、当然のように命を賭す。それこそが東雲菜月なのだと断言するように、彼の真意は揺るがない。
「…………はぁ」
やがて、菜月は意志を絶対に曲げないと悟った憂莉は、諦めるように息を吐いた。
軽く手を振り、憂莉は「能力解除」の一言を合図に血液人形達を一瞬で魔力に戻す。それから少しむっとした表情を作ると、
「……分かりました。それが菜月先輩の望みだというのなら、わたしも付き合います」
「えっ……ま、マジで? いいのか?」
「菜月先輩は、駄目と言っても行くのでしょう? でしたら、わたしの監視から逃れて一人で行かれるより、わたしに死守されながら安全に行った方がマシです。何より――」
一度言葉を切った憂莉は、次の瞬間、目にも留まらぬ速さで地を蹴り、菜月の胸に飛び込んできた。反応出来なかった菜月は憂莉のタックルとも呼べる抱き付きの威力で思わずひっくり返りそうになるが、何とか受け止める事に成功する。
そして、憂莉は菜月の背に腕をまわしてギュッと抱き締めると、菜月の顔を見上げ、頬を赤らめながらにこりと微笑んだ。
「――何より、わたしが菜月先輩から離れるなんてありえませんし」
当然でしょう? と言って笑顔を向けてくる後輩の姿に、菜月は不覚にもドキリとするのだった。
あれ……コメディさんが帰ってこないや。シリアスさん長いっすね。
次回も読んで頂けると有り難いです。




