第三十一話 真祖吸血鬼VS襲撃者
なんかチート感が出ないな……ああ、遭遇する敵が悪いのか。(←言い訳)
菜月がもっと戦闘経験を積めばドカンドカン出来る筈なんですけど……世の中が優しくないみたいです。
時は少し遡る。
襲撃者の魔宝石に組み込まれた無属性魔法によって作られた穴に跳び下りた憂莉は、持前の身体能力を発揮して落下の衝撃を完全に霧散させると、まだ二階に残っている菜月を待たずに駆け出した。
すぐに追って来た憂莉に舌打ちを一つ零しつつ襲撃者が扉を乱暴に開け放つ。誰も泊まっていない部屋だったので鍵がかかっていたようだが、そんな事はお構い無しらしい。割れた破片が廊下へばら撒かれ、逃げ出す襲撃者を追って憂莉は部屋を出る。
と、廊下に出て右折した途端に、視界に光が映り込んだ。
「魔宝石――」
赤、青、黄――火、水、雷の三属性。
視界に捉えた一瞬で属性を判断した憂莉は、長剣のリーチに捉えていた赤の魔宝石を斬り落とす。また【火炎放射法式】でも使われると魔法を習得していない憂莉では打ち消す方法が無いし、更に放たれた炎が周りに燃え移られると面倒な事になるので、魔法発動前に破壊出来て幸いだった。
しかし残り二つには一歩足りず、それぞれの色が示す属性の魔法が憂莉を襲う。
バチバチバチィッとスパークする雷の矢が廊下の暗闇を引き裂いて飛来するが、体を捻って回避。後方の壁に直撃した雷電が木を焦がす音が憂莉の耳に届いたところで、空中に生み出された五本の氷の剣が空気を断つように斬りかかって来た。
未強化状態の人間であれば、目で捉えられても回避不能な速度。しかし、元よりまともな人間などではない一条憂莉にとっては止まってすら見える。
「第三位階の魔法だとしても、魔宝石では所詮、この程度ですか」
落胆したような呟きを漏らし、憂莉は二振りの長剣を振るった。
刹那の内に通過した刃が無数の銀線を宙に閃かせ、氷の剣を砕き伏せる。舞うように双剣を振るう憂莉の姿は、例え動体視力を強化していたとしても目で捉える事は難しい。
砕け散った氷の破片が魔力に変換されて空気に溶け込むさまを一瞥し、憂莉は再び地を蹴って襲撃者を追った。
魔法の対処に僅かな時間しか使っていないが、襲撃者は『肉体・身体能力強化』スキルは使えなくともまた別のスキルや魔法、または魔道具で肉体強化を施しているようで、大分距離を離されてしまっていた。しかし憂莉は夜目が利く吸血鬼種なので、明かりの無い暗闇の中でも襲撃者を視界に捉える事が出来る為、闇に紛れられても見失う事はない。
途中で襲撃者の仲間と思われる黒い外套を羽織った人間の首をすれ違いざまに斬り落とし、運良く駆け抜けながらの一撃を躱すないし防いだ者の腹へ思い切り回し蹴りをぶつけて内臓から破壊する。憂莉のあまりの速度に視認すら出来ない者は、何があったのか、或いは自身が殺された事すら気付かずに意識を闇に沈めてゆく。
左折したシャルロッテを抱える襲撃者の後に続いて廊下を曲がり、視界に捉えると同時に服の袖から滑らせて取り出した二本の短剣を放つ。しかし相手は緑の魔宝石を使って空気を渦巻かせ、掠め取った短剣をそのまま憂莉に飛ばし返してきた。
自分の投げた得物で反撃されるという状況だが、憂莉は両手の長剣をまるで自身の手であるかのように器用に操り、一度軽く弾いた後に剣の腹で掬って滑らせる事で、元の収納場所である服の袖の中に戻した。少しでもずれれば自身の腕を切ってしまうだろうが、少しの傷は吸血鬼種の強い生命力による自己再生で治るし、刃に塗ってある毒も慣れているので問題ない。
(それにしても、彼らは一体、魔宝石を幾つ所持しているのでしょう)
これまでに襲撃者が使用した魔宝石の数は十を超えている。それと同等の数を外で動いている襲撃者達も所有しているとすれば、百も簡単に超えてしまう。魔宝石は魔法が使えない者でも使い捨てで魔法を使用出来るという特に魔法が使えない平民や冒険者達からすれば喉から手が出るほど欲しい魔道具なのだから、そうホイホイ集められるようなものではない。それをこうも大量に集められるとは、一体彼らはどれだけの財力を持っているのだろうか。
それに、何を目的に村を襲撃したのかがいまいち良く分からない。魔力を持っている者を攫っているというのなら確かに半妖精種のシャルロッテは普通の人間の平均よりは多いだろうが、数人攫うのに魔宝石をここまで使ってしまうくらいなら、普通に魔力の高い奴隷を買った方が早いし金銭的にもまだ楽だろう。
(――いえ、買って集めたんじゃなくて、作ったのでしょうか?)
不可能な話でもなかった。
実際、そういう職人も珍しいがいない訳ではない。魔法が使えない人でも魔宝石があれば魔法を使った戦術に組み込めるのだから、魔法を神聖視して貴族以外が使う事を許さないシフォリール聖王国以外の国では研究が進められているという話を良く聞く。
純度の高い特殊な魔石を加工して魔力の籠った宝石を作り、そこに魔法式を組み込む事で魔宝石が完成する。今のところ世間に知られているのは第一位階と第二位階の魔法が使えるものだけだが、その低い位階の魔法でも物質に魔法式を刻むのは難しいのだ。魔法付与の付いた武具が高価なのも、この為である。もっともこちらは、素材となった魔物によって自動で付与されたり、ダンジョンで発見した時から元々付いていたりと、後から技術のある魔道士に頼んで付与してもらう場合を除いてあまり同一視出来ないのだが。
いっそのこと、そこら辺で遭遇した奴を捕らえて聞き出そうか――などという考えを浮かばせながらシャルロッテを抱えて走る襲撃者を追い、何回目かの曲がり角の後に酒場まで出てきた。ここならば廊下と違って広さに余裕が作れるので戦い易いだろう。憂莉は双剣で斬りかかる体勢を作りつつ、圧倒的な速度の違いを利用して一瞬で距離を詰めようとした――が。
「しィッ!」
シャルロッテを抱えつつ酒場の扉を蹴破って外に出ようとした襲撃者に辿り着くには十メートル足らず、まるで待ち伏せていたかのように右側より別の襲撃者が不意打ちを仕掛けてきた。
だが憂莉はスキルで強化した反応速度を駆使して、振るわれた闇色の長剣を銀の刃で受け止める。ギィィンッと金属音を鳴らして火花が散り、右剣を引き戻すと同時にカウンターで左剣を相手の顔面に叩きこんだ。
「カッ、あっぶねえなぁ!」
しかしにやりと口元を釣り上げて、襲撃者は面前に迫る刃を長剣で弾いた。その動作は速く、人間に出せる速度ではない。魔法、スキル、魔道具などで肉体や身体能力を強化しているか、そもそも人間種ではないのか。
フードで隠された顔の上部分は見えず、髪や目の色は分からない。だが、笑った口から発せられる声は男のものだ。長剣を握る腕も太く筋肉質で、振るわれた刃は鋭く重かった。影に潜む為に身に纏う外套を脱げば、鍛え上げられた逞しい肉体を目にする事が出来るだろう。
だが別に筋肉に興味は無く、というか基本的に菜月を中心にしか興味の湧かない憂莉は、言葉を交わす事無く双剣を振るった。何せ憂莉は、シャルロッテを攫ったあの襲撃者に早く追いつき、菜月を傷つけようとした罰を与えに行かねばならないのだから。
言葉を交わす気が無いのは相手も同じようで、口元を獰猛に釣り上げたまま男は黒塗りの長剣で憂莉の剣撃を捌いてゆく。闇に溶け込み刃を見せないようにする為の黒塗りだろうが、生憎と吸血鬼種の憂莉には関係ない。相手も何らかの方法で夜目が利くようにしているようで、暗闇でも関係なく憂莉の長剣を捌いている。
一瞬の内に三筋、一秒の内に十筋、更に加速した五秒で七十オーバーした刃の応酬を繰り返すと、二人は示し合わせたようにバックステップを踏んで距離を取った。
「へぇ、お前、思ったより強ぇじゃん。剣を握った俺とやりあえるなんざ、レービスの野郎以来じゃねぇか。お前みてぇな強ぇ剣士がこんな辺鄙な村に居たとは思わなかったぜ」
戦闘態勢を崩さぬまま、笑った口で男は言った。
対して憂莉も双剣を構えたまま、こちらは無表情を維持して男に言葉を返す。
「それはどうも。貴方こそ、わたしの速度に対応出来るとは思っていませんでしたよ」
「カカッ、そりゃそうだろうな。お前、人間種じゃないだろ。人外種なら自分の身体能力に付いてこれる人間種なんざ珍しいだろうしなぁ」
「…………」
「おいおい、沈黙は肯定だぜ? 図星でもちったぁ言葉返せや」
「……別に格下と思っていた訳ではありませんけど」
言いながら、すっと目を細める憂莉。
長く接していても直接吸血行為を目にしない限り、殆ど人間種との区別が出来ない吸血鬼種なので分からないと思っていたのだが、どうやらたった数秒の剣戟で男は憂莉が人間種ではないと見抜いたようだ。
別に人間種ではない事がばれたところで、吸血鬼種だと特定されない限りは明確な弱点が晒される訳でもないので問題無いと憂莉は思っている。だが情報が一つ敵に渡るという事はあまり歓迎される事ではない。相手の情報の一つも分かっていないのだから、尚更だ。
「じゃあ何か、同格か? 無いな、ねぇだろ。お前の剣は強い。それは血反吐ぉ吐くまで地獄見てぇな修行して、やっと手に入れた強さだ。ぽっと出の盗賊みてぇな奴と同程度なんて思う訳がねぇ」
「それは貴方の事なのでは?」
「…………」
ぴしゃりと憂莉が言うと、饒舌だった男は口を噤んでしまう。
沈黙が下りて、数秒。男は空いている左手でがしがしとフードの上から頭を掻くと、似合わぬ自嘲気味な声色を発した。
「まぁ、な。その通りかもしれねぇ。……だが俺はお前より年上だ。なら今後の為の忠告としてその無駄な自信を折っといた方が良いと思ってな。……ああ、でも人外種だから見た目通りの年齢って訳でもねぇか」
「失礼ですね、まだ見た目と年齢は一致してますよ。あと、余計なお世話です」
「カカッ、まぁそう言わずに聞けよ。自信過剰できちんと周りが見えてねぇと、届きたい目標にも挫折するし、守りたいものも守れねぇ」
その言葉は重く、そしてそれを口にする男の笑いに陰りが差した。
だが憂莉は特に表情も変えず、ただ淡々とした平坦な声色で返す。――少しだけ、男の言葉にぴくりと眉を動かしたが、しかし誰も気付かない。
「関係ありませんよ。届きたい目標は障害を捻り潰して駆け上がりますし、守りたいものはそれ以外の全てを捨ててでも死守する……それだけです」
「おうおう、自身に満ち溢れてるねぇ。……それが一番馬鹿だってのに」
その男の言葉が合図になったのか、何が目的かも分からない忠告をする男と、受け入れない憂莉は同時に床を蹴った。
神速の剣線が走り、刃に纏わせた魔力が火花を散らし、不意を突いた脚撃が舞い、急所を捉えた突きが飛ぶ。例え見る事に徹していても全て捉え切る事は不可能なやり取りが続く。
憂莉はシャルロッテを攫った襲撃者に菜月を傷つけようとした罪の罰を下しに行かねばならない為、この男との戦闘にさほど時間を使う事は出来ない。だが、即行で決着をつける事は難しいだろうと判断するほどの強さをこの男は持っていた。
(『銀虐魔王の血脈』を使いましょうか……? ――ですが、アレはあまり使いたくないですし……)
強力な『血』の力は、言わば憂莉にとっての切り札。そう軽々と使えるようなものではない。
(代償もありますし、今日はまだ使いどころではないですね)
そう心中で呟きながら、憂莉は男の黒塗りの長剣を弾きつつもう片方の長剣で右腕を狙う。
素晴らしい反応速度でそれを捉えた男はくるりと剣を逆手持ちに変えて憂莉の刃を防ぎ、引く右手と反対に左拳を出して憂莉の腹部を殴り付けた。魔力が籠った打撃の衝撃が小さな体を揺らし、体重の軽い憂莉は踏ん張り切れずに吹き飛ばされてしまう。
しかし拳が当たる直前に腹部を魔力で強化していたので、内臓がぐちゃぐちゃになってはいない。だが殺し切れなかった衝撃によって傷つけられたのか、口の中に血の味が広がった。殴られた腹もじくじくと痛みが走っている。
血の味に吸血鬼としての性質が出て来て無意識のうちに気分を高揚させながら、痛みを捩じ伏せて憂莉は空中で一回転し、着地と同時に服に仕込む暗器を投げた。襲撃者を追っている間にインベントリーから取り出していたのである。
憂莉が飛ばした刃に毒の塗られた短剣は三本とも男が長剣で弾いてしまうが、それで仕留められるとは微塵も思っていないので気にせず憂莉は斬りかかる。右剣で胸を捉え、左剣で剣を持つ男の腕を狙い――しかし弾かれ、男の放つカウンターの袈裟斬りを憂莉は剣の腹で滑らせ受け流す。
そこで憂莉は強く踏み込み、頭を狙った突きを右剣で繰り出した。左剣は引いた体勢で、まだ振るわない。男がそれを首を捻って躱して水平斬りを放ってくるが、残しておいた左剣で弾いた。
男の剣は左剣によって外側へ弾かれ、胸は開いた。――チャンスだ。
「はぁッ」
がら空きの心臓部へ、気合を入れた右剣の一閃を放つ。刃が霞む速度で振るわれた縦斬りは――しかし、男の左拳によって防がれてしまった。
「やはり魔力による肉体強化、ですか。剣が本職でしょうに、拳で刃も弾けるほどの強化が出来るんですね」
「おうよ。鍛え方が違ぇからな。そこらの拳戦闘系の武闘家と一緒にすんなよ!」
互いに発せられた言葉は、その間にも剣と拳のやり取りがあるので、隙に含まれるようなものではない。
魔力によって強化された男の左拳は、鋼をも打ち砕く威力を持ち、魔力で強化された刃でも弾いてしまうほどの強度を誇る。並の人間なら魔力での肉体強化でそれほどの強さを持つ拳にすると肉体が耐え切れずに崩壊してしまうのだが、彼は訓練か才能か、問題無く強化出来るらしい。もしかすると人間種ではないのかもしれないが、残念ながらそれを確かめる術はない。
(ですがまぁ、全身を同強度に出来る訳でもなさそうですね)
拳のみに魔力を集中させるからこそ、防具も無く刃を弾く事が出来るのだろう。全身の強化倍率を下げる訳にもいかないだろうし、剣にも魔力を流しているのだから、そう長く拳に集中させ続ける事は出来ないと憂莉は推測する。
魔力で強化された武器が肌を掠って傷をつけ、互いに何度も立ち位置を入れ替えながら、酒場に設置されたテーブルを壊すのも気にせず戦闘は続く。
二人とも武技能力を使わないのは、高速戦闘には向かないものしか所持していないからだろうか。ただ出し惜しみしているだけの可能性もあるが、剣や拳を打ち合わせているうちに、憂莉はこの男がただの戦闘狂で、武技能力などに頼らない近接戦闘技術で決着を付けたいだけだと薄々気付いていた。
(戦闘中毒者ですね……付き合う必要はありませんが、)
それでも中々決着をつけられないのは、実力にそれほど差が無いからである。
無理に決着をつけようとしても、そこに隙を見出され、カウンターで討ち取られてしまうだろう。逆に、このまま戦いを続けてもじり貧で、憂莉が殺しに行きたいシャルロッテを攫った襲撃者に追いつかなくなってしまう。もう大分離されてしまっているだろうが、それでも限界ギリギリで肉体と身体能力を強化すれば追い付くと踏んでいた。――その為にも、まずはこの男をどうにかしなければならない。
(……この男、本当に人間種なのでしょうか?)
憂莉は既にかなりギリギリの所まで強化を施しているのだが、男もそれに付いてきている。相手に余裕があるようには見えないが、吸血鬼種と人間種とのスペックの差を考えると、男の身体は脅威的だ。本当に人間なのかと疑ってしまうが、確かめようも無い事である。というか人外種でも驚かない身体能力だった。
(やはり、『銀虐魔王の血脈』を使うべきでしょうか……?)
気が進まないのは何故だろうか――そう感じるも、答えは出ない。
いや、出ていても自身で否定しているからか。
――もし、今この男を倒す為に切り札を使ったら、それは自力では敵わないと認めた事になる。
未だこの世界で戦った中に自分と実力の拮抗する者がいなかったからか、自分の力で倒せない者はいないというおこがましい勘違いから来る、傲慢さ。
そして、その事に気づけば、男が忠告していた事も同時に認める事になる。
『お前の剣は強い。それは血反吐ぉ吐くまで地獄見てぇな修行して、やっと手に入れた強さだ。ぽっと出の盗賊みてぇな奴と同程度なんて思う訳がねぇ』
ふと、男の言葉が脳裏で再生される。
『自信過剰できちんと周りが見えてねぇと、届きたい目標にも挫折するし、守りたいものも守れねぇ』
繰り返す彼の忠告が、突き刺すように、殴りつけるように、煩わしく憂莉の頭に響く。
(五月蝿いです)
心中で呟き、脳裏でリフレインする声を掻き消すように双剣を振るう。
聞こえないように薙ぎ払い、意識から外す為に突きを放ち、一片も残さず忘れようと剣戟に打ち込む。集中しろ、目の前の男を倒す事だけに意識を割け――そう、何度も何度も言い聞かせる。
そうやって戦いに没頭する事で都合の悪い事を忘れ、またいつもの自分を取り戻していく。
やがていつしか男の声は消え――しかし。
ふと、心に開いた僅かな隙間から、完全に封印した筈のモノが響いてきた。
『お前は誰も救えない。お前は誰も守れない。お前は誰かを殺すだけの存在で良い。それが――』
「五月蝿いッ!!」
聞きたくない、二度と耳にする事は無い筈の声が響いて、憂莉は気付かぬうちに声に出して叫んでいた。
八つ当たりだと気付きながらも、強烈に鋭さを増した殺気を目の前の男にぶつけ、無理矢理肉体と身体能力の強化倍率を引き上げた事で更に速度を増した剣で斬り付ける。
男は憂莉の言葉が誰に向かってのものなのか知る由も無いが、許容量を超えて加速する剣速に内心舌を巻きつつ何とか対処する。異様な怒気と殺意を含みつつも憂莉の剣技だけは冷静で、先程までの攻防ではまだ反撃する隙もあったが、今ではそれも不可能。男は防戦一方となっていた。
――しかし、
「っ、が、ぐぅ」
突如込み上げてきた吐き気にあらがえずに口からぶちまけると、決して少なくない量の血が散った。
攻撃を受けた訳ではない。阻害魔法を喰らっていて、徐々に現れた効果が体を蝕んだ訳でもない。吐血の理由が瞬時に理解出来なかった憂莉は、すぐにバックステップを踏んで後方へ逃れる。
「馬鹿が」
と、今なら殺すチャンスがある筈なのに、男は憂莉を追わず、吐き捨てるように言葉を放った。
「肉体も身体能力も強化のし過ぎだ。許容量を超えた魔力が神経と肉体を侵食して、耐えられない『器』が悲鳴上げてんだろ」
「…………」
言われ、体を意識すると、その魔力を流した肉体の至る所から針で刺すような痛みが走った。見れば、薄手の服の隙間から血が流れている。男の言う通り、肉体も身体能力も限界値を超えて強化を行っていたのだろう、数秒でこのありさまだ。
動けない訳ではない。痛みは意志で捩じ伏せれば問題ないのだし、傷も吸血鬼種の異常な生命力のお陰でこの程度であれば五分で治る。
しかし乱れた精神は種族のスペックなど関係ない。圧殺せんとばかりに溢れる殺気を抑え切れず、憂莉は二振りの長剣を固く握りしめた。
そのきっかけも分からず唐突に豹変した憂莉の様子に男は眉を顰め、
「一体どうしたんだ。らしくねぇ。いや、ついさっき会ったばっかだがな……さっきの強引な斬り方はお前の戦い方じゃねぇだろ。俺の勘が告げてる」
不確かで信用の薄い理由だが、言い方から察するに、男にとって彼の勘というものはあながち外れるものでもなく、頼りに出来るものなのだろう。
男の言葉に正気を取り戻した訳でもないが、憂莉は殺気を少しずつ収めていく。心を落ち着かせる為に言い訳がましい言葉を心中で何度も呟き、いつもの平常心を取り戻そうともがく。
やがて表情を消し、殺気をある程度コントロールする事に成功すると、全て吐き出すように答えた。
「…………貴方には、関係ありません」
重く冷たく、酷く無機質な声だと、自分の声が耳に入って憂莉は思った。
「そうかい」
男はそれだけ言って、再び憂莉を殺す為に地を蹴ろうとして――
「……んあ?」
リリリン、リリリンと、鈴虫のような音がぼろい酒場の壁を反響した。
薄くだが感じられる魔力に、特徴的な音――通信石が鳴っているのだ。
その音を聞くと、男ははぁとどこか残念そうに溜息を吐いた。
「悪ぃな。目的達成の為、撤収だとよ。じゃ、またいつか、万全の時にやろうぜ」
そう言い残すと、憂莉が何か反応を返すより早く駆け出した。近くにあった木の窓を強引に突き破り、跳び出した男は夜闇へと消えていく。
――が、何を思ったのか、男は夜闇の中からひょこりと顔だけ憂莉の居る酒場へ見せると、
「俺の名はグエンだ。二刀使いの嬢ちゃん、再戦を楽しみにしてるからな」
それだけ言って、グエンと名乗った男は再び闇へと消えた。
荒々しい破壊痕だけが残るボロボロの酒場で、憂莉は人知れず溜息を吐く。
追う事は出来た。だが、追わなかった。
――というより、追う気力が無かった、と言うべきか。
「…………」
ただ無言で憂莉は双剣を振るう。グエンには掠る程度の傷しか付けられなかったので殆ど血払いの意味はないが、憂莉は違う何かを振り払うように刃を振るった。
やがて、思い出したように酒場の扉から外へ出る。
今から走っても、シャルロッテを攫った襲撃者には追い付けないだろう。というか、既に見失ってしまっているので、どうしようもない。――自力で捜索する方法が無い訳でもないのだが、何よりやる気が湧かなかった。
菜月を傷つけようとした不届き者をぶち殺し損ねたが、それも今はもう気が乗らなくなってしまっている。
「……まぁ、もう二度と菜月先輩に関わってこないのなら、見逃しましょう」
結果的に、短かったが菜月も戦闘経験を積む事が出来た。
二階から下りてくる時に別れてしまったのでその後の事は憂莉には分からないが、比較的安全に――か、どうかは微妙なところだが――状況を作るのが難しい殺しても問題の無い対人戦を、早くに経験出来たのだ。菜月にとっても憂莉にとっても、プラスの出来事だっただろう――菜月の気持ちやシャルロッテの事を考えなければ、だが。
(……それに、菜月先輩が守ってくださった時、凄く幸せでしたし)
憂莉が破壊し損ねた緑の魔宝石の風刃から菜月が魔法で守ってくれた時の事を思い出し、ほんのり頬を赤く染める。
戦闘狂と戦って不快な事を少し思い出してしまったが、それは忘れてしまえば良い。そうすれば、今日は良い日だったと笑えるのだから。
都合良く、嬉しい事だけ、自分が幸せになれる事だけを考えて――。
酷く冷たい夜風が血濡れた体を撫でる中、伸ばした銀に輝く紫の髪を靡かせながら、憂莉は月下ただ一人、妖しい微笑みを浮かべていた。
グエンは一応、強い部類に入ります。
因みに、彼の台詞に出てきた「レービス」という名前は、第十四話にも同じく名前だけ出てきていたり。
次回も読んで頂けると有り難いです。




