第二十八話 彼が思い返す出会いは平凡なもの
零時に投稿するつもりだったのに二回連続で間に合わなかった……。
「……ありゃ、寝ちゃってたのか」
徒歩より少し早い程度の速度しか出さない馬車に揺られながら、特にする事も無くゆっくりと流れる景色を見ていた菜月だったが、御者から十六の刻――午後四時を過ぎたと伝えられて太陽が徐々に沈み始めた頃、体に当たった感触に視線を久々に馬車の中に戻すと、憂莉もシャルロッテも半日の馬車旅に疲れてしまったのかいつの間にか目を閉じて眠ってしまっていた。
二人とも菜月に寄り掛かる形で眠っているので菜月は思わず顔が赤くなり動悸がしてくるが、何とか精神力を総動員させて平常心を取り戻そうと努力する。
(落ち付け……落ち付くんだ、東雲菜月……! これはアレだ、その、別にやましい事は何もない。……そう、つまり、あー……うん、俺が無害という事の証明だ! ナツキ・イズ・ノット・ビースト! 信頼の証だよ、うん! そうに違いないさ!)
誰に対して言っている事なのかも定かではなく、しかも内容を後から理解し始めると酷く悲しみを覚えるような自己解決の仕方だった。そもそも解決しているか不明である。全く以って無意味な言い訳だ。
更に言えば、憂莉はむしろ菜月に襲って欲しいとすら思っているだろうし、シャルロッテは彼女の年齢と言動から考えてそういう事に配慮があるとは考え難くい。無駄で謎な上に間違った納得の仕方だと気付いたのは、それからすぐの事だった。
突然の事態に妙にパニックを起こしていた精神を沈め、菜月は息を吐くとともに思考を切り替える。対応は至って紳士的に、正にナツキ・イズ・ノット・ビーストの紳士モードである。
と、そんな茶化したような事を言っても、特に何をする事も無い――というか、出来ないのだが。
そもそも両側から体重を預けられている時点で、菜月は首と足以外殆ど体を動かせない。そんな状況で、何をしろというのか。
仕方なくもう一度窓から外を眺めているという手もあるが、流石に今までずっと眺めていたので飽きていた。
カーテンを捲る為に窓枠に左腕を置いていたので、お陰でシャルロッテの拘束から逃れていた左腕だけが何をするでもなく空中でただ意味も無くうろうろする。
だがやがて置場の無い左腕は、仕方なく後で肩が凝るのを覚悟してまた窓枠に戻した。
それから、する事も無く、ぼんやりと魔法やら魔物の事やらを取り留めも無く考えながら、菜月は馬車に揺られ続けた。
――どのくらいの時が経った頃か、菜月はふと、安らかな吐息を立てる後輩に目を移す。
長い睫毛、整った細い眉、控え目な鼻、桜色の唇。絹のように白くしっとりとした滑らかさを持つ、染み一つ無い木目細かな肌は、頬と背の高い位置から見下ろす事で覗くうなじの辺りが少しだけ朱色に染まっていた。それが少しだけ艶めかしく映り、思わずごくりと唾を呑んでしまう。
天使が舞い降りたのかと錯覚するような整った可憐な容姿を持つ彼女は、正に絶世の美少女と呼ぶに相応しい。
いささかその性格に異常は見られるが、容姿、学力、戦闘能力――異世界へと転生した今となっては失ってしまったが財力や権力などの点から考えると、彼女は菜月には勿体なさ過ぎる。
菜月は自己評価だが容姿平凡、成績普通、運動はまぁ得意な方だがずば抜けているというほどでもなく、財力は一応、天道三大家一之瀬の分家だとしても一般家庭とそう変わるものでもない。そもそも財力にしろ権力にしろ、一条本家には全くと言って良いほどに敵わない差があるのだから。
能力も、権力も、財力も、容姿も、何もかもが憂莉と菜月では釣り合わない。
どうして、憂莉は菜月を好きになったのか。
どうして、これほどまでに愛してくれているのか。
――それが、幾ら考えても考えても、菜月には答えが出せない。
「…………」
あの放課後の告白の時から、異世界で過ごした約一週間の時の中、その殆どを一緒に過ごして沢山の会話を重ねたが――しかし、欠片も憂莉の好意の理由が理解出来ない。
肩に体重を預けて眠る可愛い後輩を細めた眼で眺めながら、菜月は暫く物思いに耽る事にした。
◆ ◆ ◆
出会いはいつの事だったか――明確な記憶ではないが、恐らく四月頃だっただろう。
菜月が通う八重里第一高校には沢山の新入生が入学し、その新生活に浮かれる彼らが校風を乱しに乱さないよう服装・頭髪チェックをする為に風紀委員達が校門や昇降口付近に集まって目を光らせていた時の事だった。
浮かれる新一年生達と同じく一年生になったばかりの憂莉が付けていた紅いリボンを、風紀委員として昇降口でチェックをしていた菜月が注意した。
確か、そんな劇的な出会いとは言い難い、そもそも殆ど印象にすら残らないであろう小さな接触――それが、東雲菜月と一条憂莉の出会いだった。
会話も、それほど印象深いものではなかったと菜月は思う。そもそも菜月はコミュニケーションが得意な方ではないと思っているのだから、相手に良い印象を与えられたかも不安が残るのだ。
だからこそ、憂莉の好意が余計に分からないのだが。
「え、紅いリボンって校則違反なんですか?」
全校生徒の名前が記されている名簿とチェック用のペンを片手に持ちながら、校則違反のリボンでツインテールを結う憂莉を引き止めた菜月に、振り向いて小首を傾げつつ言う憂莉。動きに合わせて紫苑色の髪が靡き、彼女の天使のような容姿に周囲の男子生徒の目が奪われるが、憂莉も菜月もそれに気付いた様子は無い。
「ああ。ちょっと厳しいだろって俺も思うけど、校則だと黒か茶色か紺色だけなんだよな」
と、そう苦笑いを浮かべながら言う菜月。コミュニケーション能力が無い――と、他者が思うかどうかは置いておいて本人はそう思っている――彼なりに、きちんと話せていた事は笑顔で褒めてやりたい。
「だから、よく似合ってて可愛いけど、外してくれ」
そう、菜月は微笑んで言った。
後から思い直すと、堂々と女子に――しかも初対面である完全なる他人に『可愛い』という台詞が吐けた自分に賞賛の拍手を送りたいところだ。当時は恥ずかしくなかったのだろうか、今となっては思い出せない。
「……っ、……そう、なんですか。分かりました」
微笑みと合わせて「似合っている」や「可愛い」などと言われた事に反応したのか、少し息を詰まらせた憂莉だったが、すぐに調子を取り戻して二本の紅いリボンを外した。
しゅるりと解けた髪が背中まで届いて、先ほどとはまた違った印象を受ける。『少し子供っぽさのある可愛らしさ』から『大人しくて清楚な可憐さ』に変わった、と言うべきか。どちらも抜群の美少女である事に変わりは無いが。
そう思いながらも、菜月は少し申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、
「ごめんな。校則だ規則だって五月蝿いかも知れないけど、ルールだから我慢してくれ。もしかしたらそのうち変わるかもしれないけど、……まぁ、その時はまたその紅いリボンを付けてくれて構わないからさ」
「いえ、校則をきちんと確認していなかったわたしがいけないんです。先輩は悪くないですから」
「ん、そう言って貰えると風紀委員も助かるよ」
その時の憂莉は感情が乏しくてずっと無表情を維持していたうえ、声もどこか淡々としていたが、菜月は気にする事も無く笑顔で言う。
「じゃ、時間取り過ぎても悪いから、これでチェックは終わりだ。次からは面倒でも校則に則った髪飾りにするように、っと。――じゃあな」
「……はい」
憂莉からは、短い返事と育ちの良さがびしびし伝わってくる丁寧なお辞儀だけだった。
そうしてチェックは終わり、少し二人の距離が離れたところで――当時何を思ったのか、菜月は憂莉の背中に声をかけた。
「――あ、ツインテール、俺は可愛いと思うぞ。違うリボンでもやったらどうだ?」
「――――」
振り向き、驚いたような――それともまた何か別の感情から来る表情か、初めて無表情から変えた憂莉は、しかし菜月の言葉に何も返さなかった。
だが――一瞬だけ浮かべた表情はどこか嬉しさのようなものが見えた気がした。
目が合った時に微笑んで見せたが、それから憂莉からの反応を待たずに菜月は視線を憂莉から移し、再び風紀委員の仕事に戻った。
――そんな、どこにでもあるような、ありふれた出会い。
衝撃的でも、喜劇的でも、悲劇的でも、特段不思議な事がある訳でもない、日常に埋もれてしまう一つの会話。
それが、一条憂莉との出会い。
――菜月が覚えてる、あの放課後の告白が起きるまでにあった、憂莉との会話の記憶だった。
◆ ◆ ◆
「――シノノメさん」
聞き慣れない声を掛けられ、すっかり思案に耽ってしまっていた思考を引き戻して目を開ける。
「シノノメさん、ちょっといいですか?」
もう一度声を掛けられ、その声の方へ菜月は視線を向けると、御者台と馬車内を遮る少し厚めのカーテンを捲って顔を出す御者の青年と眼が合った。
少し内気そうな垂れ目で細い体つきの為に荒い事や体力を使う力仕事には向かないような青年だが、腕は確かだと馬車に合わせて御者を手配した際に商人ギルドから言われるほどの実力は持っている。まだエミルフィアの商人ギルドに所属して三年目らしいが、他都市でも活動していた事がある為、その腕を買われて出世ルートまっしぐらだという。儲けの少ないであろう新人の冒険者の移動に使われている時点で、本当に出世ルートなのかはかなり怪しいが。
完全によそ見状態だが、いつの間にか馬車は止まっていたので事故を起こす事は無い。菜月に伝える事があった為に青年は態々馬車を止めてまでこちらに顔を出したのだろう。安全にしっかり配慮出来ているのは、流石はプロか。商人ギルドから実力を買われるだけはある。
半日前、馬車に乗り込む前に軽く挨拶と自己紹介をしたが、確か名前はモルテンだったか。貴族でもないので、姓は無かった筈だ。
「なんですか?」
菜月が訊くと、モルテンは一時間ごとに色が変化する事で現在時刻を確認出来る商人に必須の魔道具を見せながら、
「もうそろそろ十八の刻になります。暗くなってきますし、今日はここら辺で止まって、野宿の準備を始めませんか?」
「あー、なるほど。そうですね、そうしましょうか」
依頼の場所であるミアレラ樹海――その手前にある馬車の目的地のラムル村までは、途中に滞在出来るような村や町は無い。よって、必然的に馬車旅中の三日間、つまり二度の夜は野宿になるのだ。
暗くなっても移動していると、魔物や獣に襲撃された場合に暗くて発見が遅れ、更に対応に手間取って危険な状態に陥ってしまう可能性が高い。どちらにせよ睡眠や食事などの休憩をしなければならないのだから、それならば出来るだけ早めに準備をしていた方が良いだろう。
「了解しました。では、今ここは野宿に丁度良い場所でもありますし、少し馬車を移動させたら準備を始めましょう。――それまでに、彼女達を起こしておいてはいかがですか?」
少し苦笑気味の顔でモルテンに言われ、菜月は遅れて気付いた。
今の状態は、菜月が物思いに耽り始める前と、全く変わっていない。
より詳しく言うのなら、右肩に寄り掛かって寝ているのは、誰もが振り向く天使のような可憐な容姿を持つ絶世の美少女。左肩――には少し届かず胸の辺りに体重を預けているのは、まだ幼いが将来有望のこれまた美少女。
つまりは、菜月の今の状態は所謂、両手に花、というやつである。――それも、誰もが羨むような可憐な美少女達、である。
それを他人に言われてから改めて自覚した途端に、嬉しさよりも優越感よりも、無償に恥ずかしさを覚えた。こういう事の耐性が皆無なのだから、余計に。
「……………………はい」
茹で蛸のように真っ赤になった顔の熱を感じ無いほどの恥ずかしさで心中を埋め尽くされながら、菜月は何とか返事をした。
モルテンが菜月の両手に花状態にどう思ったのかは菜月には知る由も無いが、快い印象を与えたかといえば微妙である。むしろ「こいつ、美少女二人――しかもそのうち一人はまだ幼い女の子を侍らせてるとか、ウザしヤバい奴だな」くらいは思われているかもしれない。おっかない事である。
もしかすると、「うわぁ、ロリコンだよ」とか「嫌なやつだな、死すべし」とまで思われているかもしれないと想像すると、非常にモルテンと顔を合わせ辛くなった。
菜月の想像がどこまで合っているかは不明だが、そんな事はともかく、モルテンの動作で再び動き出した馬車が先程までのものより少し遅い徒歩ほどのスピードで今夜の底流場所へ移動していく中、菜月は二人の少女を起こす作業に取り掛かるのだった。
心のどこかで、この恥ずかしくても嬉しい状況を自分から崩す事に躊躇いを覚えながらも、何とか煩悩を断ち切って。
今日一番、精神の疲弊した瞬間であった。
両手に花……片方ロリですが。まだ十二歳ですよ、シャルちゃん。
そして進みが遅いのはツッコまないで下さいな……はい、反省してます。
次回も読んで頂けると有り難いです。




