第二十三話 一日目の終わり
まだ異世界一日目でした。初日濃いな……。
ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、と音を立てて、憂莉が一歩足を動かすごとに、足元に広がる血海に波紋が広がる。
本来空き倉庫を照らす筈だった照明は、取り付けられてから大分月日が経っている上に碌に手入れをされておらず、更に菜月の【炎獄災禍法式】の余波を受けて、既にその役割を果たしていない。今この場を照らすのは、開いた窓枠から差し込む月明かりだけだったが、しかし何ら問題はない。
憂莉には吸血鬼種のスペックがある。そこには暗視や超聴覚なども当然備わっていた。
故に、憂莉は光照らさぬ真夜中のこの場において、たった一人で二十数名の冒険者達を屠る事が出来たのだ。
実際は、彼らのような、憂莉にとっては実力の低い者達相手に彼女が遅れを取る筈もない為、昼夜など関係なく鼻歌混じりに殲滅する事が可能なのだが。
しかし深夜のような暗く吸血鬼種としての憂莉を強く見せる――魅せる事が出来る時間帯にこのような事をするのは都合が良かった。
理由は幾つかあるが、主なものとしては、菜月にバレ難い事と、『こちらの世界』においての自分の戦闘力を見極めたかったという事だ。
昼間にも魔物と戦ったが、しかしそちらは相手の力不足であり、きちんとした見定めが難しかった。今回冒険者達の前に武器を持たずに姿を現したのも、『血器術』の力をきちんと試したかったからである。菜月を助けに来た時は、町民から菜月が〝虐殺する双角獣〟の冒険者達に倉庫に呼びだされたという話を聞いて焦っていた為、考えがそこまで回らずに剣舞闘師ギルドに実技試験達成の報告をした時の格好のままで来てしまったのだが。
また、イアミントが魔法で進化させたネクストフォーマーも、期待外れ感が否めない。『あの力』を使ったら一瞬で終わりだったのだから、別に力を使わずに戦っても倒せただろうにと、自分の相手の力量を測る力にも失望したものだ。
ともあれ、自身の力がどの程度この世界で通じるのかを確かめる目的で二十数名もの冒険者に挑んだのだが、流石に呆れるしかなかった。本格的に力量を測る力を鍛え直した方がいいかもしれない。――そう、憂莉は溜息混じりに結論付け、最後に右の血器長剣を横薙ぎに振るった。
「がぁッ」
斬り裂かれた胸部から鮮血を噴き晒し、泣き叫んでは潰れた喉から赤い唾液を吐き出す。断たれた肋骨の破片が月明かりを浴びて毒々しく存在を示し、脳からの信号が途絶えた身体は仰向けに倒れ込んだ。
それだけだった。
それだけで、もう終わりだった。
「…………」
憂莉は無言のまま両の手の剣を軽く振るうと、そのまま能力の解除はせずに石床に突き立てる。
別段、勝利を誇っての行動ではない。
『血器術』で造り出された武器は、使用者の魔力と技能次第で強力無比の切れ味を誇る。岩を撫で斬り、鉄を断ち、ダイヤモンドを裂いてしまえば、いずれ最上級金属である真剛聖鉱すらも斬り裂いてしまう――などと言われている。
そんな破格の強さを誇る禁術が、何のリスクも無くホイホイと使える訳がない。
その一つとして、一度『形状』を形作った物の術を解除してからは、暫く間を置かなければ再使用出来ないというものだった。
それは本来この術には無かったものなのだが――しいて言えば、原因として本人の練度が低くて術にまだ慣れていない事、更には正統な使い手から教えを受けていない事が上げられるだろう。
ともかく、そういった事情がある為、憂莉は今手元にある武器をすぐには消さなかったのだ。……まぁ、服のあちこちに暗器を仕込ませていたり、インベントリーを開けばそこに収納されている武器を取り出したりする事が出来るには出来るのだが。
そして――突如、底冷えしそうな静寂に満たされていた空き倉庫に、先を見越した憂莉の行動を称賛するような拍手が響いた。
憂莉が音の方へ視線を向けた時、待っていたかのようにタイミング良く拍手がやんだと思えば、艶やかな――もし心構えが無ければ、酔いしれてずぶずぶとその蜜の沼に沈んでいってしまいそうな魔声が、憂莉の耳を犯しにかかった。
「――さっきぶりねぇ、ユーリちゃん。貴女の一方的な虐殺に、お姉さんゾクゾクしちゃった」
毒々しい赤紫の髪。赤黒い捕食者の瞳。露出度の高い服装。それだけ見ても異彩な彼女は、自身のイメージなのか何なのか、お伽噺の魔女のようなとんがり帽子を被って妖しげな存在を主張している。
――いや、それは実際、彼女のイメージとしてぴったりだった。
『二月の魔女』――それが、彼女の守人としての『役』だ。
魔法で補強したのかあるいは元に戻したのか、炭化した筈の木箱に腰掛け、その艶めかしい白い肌を堂々と晒すように脚を組む魔女に、憂莉は警戒の色を強めながら口を開く。
「イアミント……ですよね」
「あらぁ、覚えてくれてたのねぇ? うふふふ、お姉さんちょっと嬉しいわぁ」
「危険人物を記憶に留めておくのは当然の事だと思いますが」
「やぁね、危険だなんて。私はちょこっと研究熱心なだけな普通の魔道士なのに」
指先でその艶やかな唇を撫でながら言うイアミントに、憂莉は眼を細めながら「どうでしょうかね」と曖昧に答えておく。
――彼女は危険だ。それは、最初に洞窟で遭遇してからずっと思っていた事だ。
ネクストフォーマーとの戦闘後、帰りにあの洞窟の中で幾度か普通のアングリー・カウと戦闘を行ったが、イアミントが手を加えたネクストフォーマーと進化前である通常の個体では、圧倒的なまでの差があった。通常のアングリー・カウの平均レコードが1200pt程度だが、あのネクストフォーマーは優に1800ptは超えていただろう。……もっとも、そう長くは肉体が持たないようだったが。
しかし、魔物のレコードを人為的に上げるなど、不可能だと憂莉は思っていた。いや、その考えがむしろ自然なのだ。
魔物は人類の敵であり、どの種族も敵視する存在である。それを自身で飼い、あまつさえ強化するなど、外道も外道である。もしそれが諸国に知られれば、公開処刑は免れないだろう。……その力を利用する輩がいるなど考えたくないのだが、その可能性も完全に否定出来ないのだから、余計に危ないのだ。
魔物に精通し、更に有り得ない事を実現するだけの力も技術もある彼女。まともな性格ではない事も三つ言葉を交わせば理解出来るのだから、そんな相手に注意をしておくのは当然の事だろう。しかも彼女は『暦月の守人』と言われる者達の一人なのだから、余計にだ。
「――それで、何をしにここへ来たのですか?」
憂莉が石床に突き刺した双剣をゆっくり抜きながら問うと、イアミントは座っていた木箱から腰を上げ、笑みを漏らしながら答える。
「ちょこっと、実験結果を確認しに、ね」
そう言う彼女の視線は、今や過剰摂取した謎の薬に人の形を保てなくなった冒険者――エルドに向いていた。
その視線の意味を理解した憂莉は、既に骸と化した肉塊を一瞥して、しかしそれには欠片の感情も向けずにイアミントに視線を戻すと、僅かに眼光を鋭くしながら問いを発する。そこに含まれていたのは人の命を使って実験をしたイアミントへの怒りなどではなく、ただ自身と菜月に降り掛かった火の粉を生み出した張本人であるイアミントに対しての殺意だった。
「実験……ですか。それは魔法によって生物の身体構造を強引に作り変えて、レコードの上昇を図るというものですか?」
「んー、それじゃぁ三十点ねぇ。それはただの過程であって目的じゃないから」
イアミントはそう笑って返すと、エルドの死骸に近付き、おもむろにその肉片へ手を伸ばした。一つ、二つと片手で拾えるサイズの物を手に取り、じっくりと観察した後、結局その辺へ投げ捨てる。持ち帰って調べる必要は無いと判断したのだろう。
それからエルドがドバドバ飲んでいた薬の瓶を手に取ると、中身がもう二、三粒しか残っていない事を確認し、無詠唱で無属性魔法を発動させて瓶ごと中身を粉々に砕いてしまった。
証拠隠滅を図られてしまった事に、内心憂莉は舌打ちしていた。後でどんな材料や魔法によってあんな作用を引き起こしていたのか興味があったのだが、わざわざ彼女本人が出向いてまで薬を消したあたり、イアミントは薬の情報を漏らしたら拙いと考えているのだろう。
イアミントは塵となった瓶と薬の残骸を僅かに空き倉庫内にも流れる風に乗せて零すと、
「さぁて、これで今回の私の目的は達成ねぇ。まだまだ改良の余地はあるけど、もう一歩の所までは来たかしらぁ」
「……本当にソレで、貴女の目的は達成出来たのですか?」
訝しげな視線を向けて訊くと、しかしイアミントは妖艶に口元を歪め、肯定を示す。
「そうよぉ。大した脳の無いゴミでも、ちゃぁんと私の実験体として、役割を果たしてくれたわぁ。……それに、力が欲しいって頼みもきちんと聞いてあげたしぃ、アレも力を使ってる時はずいぶん楽しそうだったから安心よねぇ。ま、どうやらコレには耐えられなかったみたいだけど」
悪びれるでもなく彼女は笑い、憐れな冒険者の血肉をその底の高いハイヒール――のような造形をしたこの世界の靴――で踏み躙る。そこには実験体に対する利用価値はあれど、同じ人として微塵も扱っていないというイアミントの思想が透けて見えた。それに対して、特に同情も憐れみも怒りも不快感さえも浮かばない憂莉も憂莉だったが。
「……それで、本当に貴女の目的はこれで終わりなんですか?」
「そうよぉ。むうぅ、信じてくれないとはお姉さん悲しいわぁ。……まぁ、本当はユーリちゃんのその『血』の力ももう一度見たかったのだけどぉ……そう簡単には使ってくれないわよねぇ?」
「…………どうして、その事を?」
何故イアミントが憂莉の『血』の事を知っているのか、それは瞬時に理解する事は出来なかったが、しかし憂莉は思考を止めず、僅かに双剣を握る力を強めながら鋭く冷たい視線で問うた。
そんな憂莉に対し、イアミントは「うふふふ」と可笑しそうに笑い、続けてにやりと音が付きそうな笑みを浮かべる。それは警戒している憂莉を以ってゾッとするもので、全身に緊張を走らせながら憂莉は答えを待った。
「そんなの簡単よぉ。ただ私は、洞窟での貴女の戦いを隠れて見てただけ。それを、貴女が気が付かなかった……ただそれだけの事よぉ」
なるほど、と納得出来る理由ではあったが、しかしあまり認めたくない事実でもあった。
何故なら、彼女の言った事が事実なのなら、それ即ち、イアミントが魔法や特殊なスキルなどを駆使して気配を消したら、憂莉の技能では気付けないという事なのだから。勿論、奇襲を仕掛けられたとしても殺気に反応して防ぐつもりはあったが、いつどこで狙われているのか発見する手段が無いという事は、非常に拙い事である。
憂莉はここであの力――天道三大家一条に流れる『銀虐魔王の血脈』の力を使ってイアミントを殺害しようか迷ったが、しかしその決断を出すより先に、イアミントの声が憂莉の耳を叩いた。
「じゃあね、ユーリちゃん。そろそろ私は今日の実験の続きの為に動きたいから。――また会えるのを楽しみにしてるわぁ、真祖吸血鬼ちゃん」
「……」
夜闇に溶けるように消えるイアミントに、しかし憂莉は何も返さない。
やがて魔女の存在の痕跡が何一つなくなると、憂莉は重い息を吐き出して肩の力を抜いた。自分でも知らぬ間に、かなり緊張していたらしい。顔には出さないように心掛けていたが、果たしてどうだったか。
生死を賭ける状況での強者との対峙というのは、自身の勝率云々など関係なく緊張するものである。それでも固まって動けないなどと言う事態に陥らなかったのは、少なからず憂莉は今までの人生でそういう経験をし、慣れていたからだろう。
ふと少し、憂莉は自身が生まれて十五年間過ごした世界の事を思い出し、眉を顰めた。
思い出して気持ち良い事など、殆ど無い。皆無ではないのは、少なくともあの世界で菜月と出会うという出来事があったからだろう。
そんな事を考えて、憂莉は小さく首を振ってこれ以上の思考を止めた。
冷たい夜風が頬を撫で、その低温度が一度頭の中をスッキリとさせてくれる。
――考えたくないのなら、今は考えなくて良い。
そう勝手に決め付けて、蓋をして。
何も解決などしないのに、いつかどうにかなると盲目的に信じて。
一条憂莉は、自身の血で出来た双剣を「能力解除」の一言で魔力へ戻し、肉片散らばる血の海を一人歩いて空き倉庫を出た。
僅かに朱に染まる三日月が町を照らし、物憂げな鈴虫の音色が耳朶を打つ。それはどこか憂莉の何かを表しているようで――それが酷く不快で。
銀糸紛れる紫苑のツインテールを揺らしながら、一刻も早く愛する人の温もりに包まれたいと、地を駆けた。
――そうして、東雲菜月と一条憂莉、二人の異世界ライフの一日目が、幕を閉じた。
一応、これで第一章は終了となります。……あれ、最後の方あんまり菜月と憂莉が会話してない上に、なんか憂莉の方が第一主人公に見える謎が……。
あと幾つか番外編や間話などを入れて、第二章に移る予定です。ただ、申し訳ありませんが、第二章に移るにあたって少し時間を取らせてもらう可能性がありますので、ご承知お願いします。
次回も読んで頂けると有り難いです。




