第二十一話 不殺は揺るがない
本当は番外編を入れる気でしたが、間が悪いのでやめました。
全ての生物を蹂躙する地獄の業火が収まり、噎せ返るような臭気を孕んだ黒煙が晴れてくると、ようやく視界で状況を確認する事が出来るようになった。
中に何が入っていたのか確認する事も無かった木箱は炭化し崩れ、整理されずに放置されていた屑鉄の山は超高温の灼熱を浴びて赤くなっている。黒ずんだ石床はピザを焼いた石釜のように熱を帯びており、その上に転がる冒険者達は余熱に蒸されながら虫の息で呻いていた。あの出力の魔法を喰らって彼らの命がある事にまず驚くべきなのだが、菜月は驚愕より先に安堵を覚えていた。
(よかった……誰も殺してなくて)
憂莉に不殺を命じておきながら、自分が人を殺めてしまっては酷く矛盾してしまう。だが幸いな事に、辛うじて命を繋いでいる状態だとしても、誰も死んではいなかった。
「……凄い……ですね。これだけの威力が出せるなんて……」
菜月の傍に居る事で業火から逃れた憂莉は、凄まじい魔法の威力に声を震わせている。そこには畏怖の感情が混じっており、額には灼熱の余波の為か強力な魔法を目にした為か、汗が浮かんでいた。
発動者である菜月は魔法の影響を殆ど受けていない。基本的に術者本人にダメージがいかないように魔法が構築されているという事も理由の一つだが、それに加えて、炎熱の余波で皮膚が焼けないよう菜月が【炎獄災禍法式】と同時に障壁系の防御魔法を発動させていたのだ。普通の魔道士に二重詠唱など不可能だが、菜月は『千重詠唱』スキルを有している為、第四位階の魔法でも楽々なのである。――実際はまだ多重詠唱など初めてだったので、低い位階の二重詠唱でも限界なのだが。
「……はあぁ」
菜月は、誰も死者を出さなかった事の安堵から大きく吐息を漏らした。
【炎獄災禍法式】は、七位階に分けられている魔法の中で、第四位階に属する強力な広域魔法だ。その威力はそこらのチンピラを蹂躙するには過大すぎるもので、通常は他職業の冒険者と六、七人のパーティーを組んでダンジョン探索する魔道士が、堅牢な魔物ないし強力で大勢の魔物と遭遇した際に使用する、いわば殲滅魔法だ。間違っても冒険者同士のちょっとした争いに持ち込んで良いものじゃない。
それを、例え今日初めて魔法を使ったばかりの初心者のものであり、更に本人が殺すつもりが無かったとしても、喰らって生き残っている彼らは体の構造が丈夫にできているのだろう。金属系の鎧は熱に対して耐性が強いとは思えないが、幸いにも殆どの者が獣や魔物の革で造られた防具を身に着けてていた。それらは着用者を地獄の業火から守る代わりに焼き払われてしまった為、これからも使い続ける事は出来ないだろうが、命があるだけマシである。
しかし、防具だけで、菜月の放つ魔力を過剰に注がれた【炎獄災禍法式】――一応本人は加減しているつもり――を防ぐ事は、流石に不可能だ。
それでも彼らが生き残っているのは――ある男が体を張ったからに違いないだろう。
「マ、ダ……ダァ……」
焼き潰れた喉を酷使して唸るように声を漏らしたのは、今や変わり果てた肉体をずぶずぶに爛れさせた戦闘士の男――エルドだ。
何の効果を期待して造られたのかも分からない怪しい薬を飲んで、もはや人とも呼べない身体に変貌した彼に、理性が残っていたとは思えない。実際、化け物のような姿に変貌してから、自分の仲間をその手に掛けているのだ。
だが彼は菜月の【炎獄災禍法式】が発動した瞬間、他の冒険者達を――自分の仲間達を守るように立ちはだかり、その身に業火を引き受けたのだ。流石に全てを防ぎ切るなど不可能だった為に残った威力が後ろの冒険者達を蹂躙したが、彼がその異常な再生能力を秘めた肉体で受け止める事で炎熱の威力を削らなければ、今頃死者が出ていたかもしれない。そう考えると、殺人などしたくない菜月は、心の中で少し感謝の意を述べるのだった。
だがエルドの再生能力で以ってしても今回の傷は治し切れないのか、一向に彼は立ち上がれず、火傷だらけの顔を少しだけ持ち上げて、ただ菜月を睨んでいるだけだ。呼吸も細く不規則で、彼はこのまま助けも無いまま放っておかれれば、死んでしまうかもしれない。
――それは、駄目だ。
「……くそっ」
「……菜月先輩?」
吐き捨てるように言って、焦ったように荒々しく魔道書のページを捲る菜月に、憂莉が怪訝な表情で見上げてくる。しかし、自分の攻撃で死にかけている者が目の前にいる以上、彼女に説明している余裕は菜月には無かった。だが菜月のその様子から察しが付いたのか、憂莉は僅かに目を細めて、
「もしかして、あの化け物を助けようとしているんですか?」
――その通りだ。
菜月は口には出さなかった。だが質問されても手を緩めずに魔道書を捲り続け、治癒魔法が記載されているページを探す菜月の姿から返事を得た憂莉は、その可愛らしい顔に浮かぶ表情を冷然とも呼べる冷え切ったものに変貌させると、感情の感じられない平坦な声を発した。
「このまま放っておけばこの冒険者達が息絶えるのも時間の問題でしょう。先輩は人を殺したくないから彼らを助けるという事は分かっています。ええ、出来る事なら人の命など奪わない方が良いのでしょうね。――ですが、自分の命を狙ってきた者まで助ける必要などあるんですか? ここで命を助ければ、また彼らは襲ってくるかもしれないんですよ?」
「……分かってる」
「本当に分かっているんですか? 殺されかけた恨みと敵に情けを掛けられて助けられた屈辱は、人生全てを狂わせるほど深く根付くものです。例え相手が自分より強者だったとしても、その手で必ず殺しにくるでしょう。――菜月先輩は、これからの生活でずっとその危険に晒されながら生きていくつもりなんですか?」
「…………分かってる。――でも、」
容赦なく浴びせられる正論に、だが菜月は、探し求めたそのページを開くと、その身に秘める永劫に尽きる事が無いと思わせるほどの魔力を開放した。二ページに渡って綴られた魔法式に一瞬だけ目を通すと、一ページ捲り、そこに幻想的に描かれた――しかしどこか制作者の慈愛が感じられる幾何学文様の魔法陣に手を乗せる。
そして菜月は、揺るぎ無い――確かな声で以って、言った。
「――それでも、俺は命を奪わない」
それは、彼にとって譲れない一線なのだから。
一度だけ憂莉を見て――しかし傷つき倒れ伏す冒険者達に視線を戻し、菜月は魔法を発動させた。
第四位階に属する、聖属性魔法――【広域治癒法式】。
菜月の手から流れ込んだ膨大な魔力と魔道書に描かれた魔法陣が反応し、完成した魔法の力で生み出された強力な癒しの力が倉庫内に広がった。
それはさながら女神が与える祝福のようで、キラキラと瞬く翡翠の光が死にかけの冒険者達を包んだ瞬間――見るに堪えないほど酷かった火傷が、戦闘を始める前の外傷の無い皮膚に戻っていた。いや、彼らは生活の為に日々戦闘に身を置く冒険者達なのだから、菜月との戦闘の前に負っていた傷もあったので、そういった時間が経って治癒魔法では治せないものは回復させられないが、この戦いでできた傷は見る影も無くすっかり治っていた。
今回のようなあらかじめ用意した魔法陣に魔力を流して発動させる方法は、魔法陣が流れされる魔力に耐えられなくなって紙ごと焼き消える為に基本的に数回限りの使い切りだが、本来必要とする魔法式を重要部分のみに抑える事が出来る為、完璧に魔法式を理解する必要が無いのだ。ただし加減が全く出来なくなる為、調節しなければ殺してしまう可能性のあった【炎獄災禍法式】では使えなかった方法である。今回は攻撃魔法より複雑と言われる治癒魔法を一から全て理解する時間が無かった為、この方法を取ったのだ。
「……ぅ、ぁ……」
呻くような小さな声が菜月の耳に届いた。
その声に菜月が視線を向ければ、それは彼らの中で一番傷が酷かった、エルドのものだった。彼の火傷は尋常ではなかった為に完治には至っていないが、十分なほどに回復している。すぐには動けないだろうが、一、二時間もすれば歩行も可能になるだろう。
他の冒険者達にも目を回せば、服や防具はともかく、彼らの身体に刻まれていた傷もすっかり見えなくなっていた。そして治癒の範囲内に自分も指定されていた為、武闘家の少年から受けた左肩と胸の傷の痛みは既に引いているようだ。
通常ではこんなに早く傷が治る事は無く、じっくり魔法を掛け続けて治していくのだが、菜月の場合つぎ込んだ魔力が尋常ではない為、全身火傷という重傷でも数秒で治ってしまったのである。魔力が多い事は有り難い事なのだが、治癒魔法はともかく、攻撃魔法は練習しないと加減が出来ないので、きちんと注意しようと心に決める菜月であった。
「これで大丈夫、だな」
心から安心したように深く息を吐く菜月。開いていた魔道書を閉じると、治した肩の調子を確かめるように暫く回していたが、ふと上げた視線が窓枠から覗く夜闇を捉える。ここに足を踏み入れた時も既に夜だったので、そろそろ本気で宿が取れなくなるかもしれない。町中なのに野宿は勘弁である。
「よし……憂莉。マジで時間も無いし、あいつらももう放っておいても死ぬ心配は無いだろうし、早々に宿を探そうぜ。今日一日で色々やりすぎて、体中バキバキだからとっとと寝たい。あと飯も食いたいし」
「…………、そう……ですね」
「んじゃ、とりあえず東区で宿探すか。……しまった。この時間に外で歩く奴に宿訊くのってレベル高いぞ……」
ここにきてそんなコミュニケーション能力の低さが顔を出す菜月。明確に敵対しているなら気を使う必要が無いので大丈夫なのだが、そこらを歩く初対面の普通の人に何かを訊ねるのはどうやら難易度が高いらしい。
とりあえず行動しない訳にもいかず、菜月は身を翻すと、【炎獄災禍法式】の所為で炭化してしまい、手で開ける必要も無くなった木製扉の残骸を跨いで歩く。
その後ろに付いて歩く憂莉は一瞬だけ不満そうに顔を歪めたのだが、菜月に気付かれないようにすぐに表情を消したので、誰も彼女の心情を読み取る事は出来なかった。
――この時、彼女が心の中で何を考えたのかなど、彼女以外誰も知る由も無かった。
やがて夜闇に消えた二人の姿を、傷が治ったとはいえまだ動かす事は出来ないので石床に転がったまま眺めていた〝虐殺する双角獣〟の冒険者達は、まるで怪物が去っていくかのように感じていた。実際、怪しい薬をがぶ飲みして肉体を異形に変貌させたエルドの方が、誰が見ても怪物と呼ぶに相応しい筈なのだが。
しかし、菜月達が身に秘める力は、彼らのような一般的な力しかない冒険者にとって、怪物と呼んでも差し支えのないほどに恐ろしいものだった。
それは第四位階の魔法で自分達を蹂躙した菜月だけではなく、彼と共に戦う憂莉にも、同様に恐れを抱いていた。
そしてそれが、憂莉の方が怪物のように恐ろしく――あまりに人から外れ過ぎていると感じる事になるのは、もう少し後の事だ。
そろそろ第一章が終わります。プロローグみたいなものなので盛り上がりが薄い……すみません、私の力不足です。
次回も読んで頂けると有り難いです。




