第二十話 Inferno
二十話まで来ました。これからも宜しくお願いします。
――終わった。死んだ――と、瞬間的に東雲菜月は思った。
何故なら、胸に跳び蹴りを喰らわされて血反吐を吐き、動けない状態にある上、無慈悲にも迫って来るエルドの剛腕は、一撃で菜月の体をバラバラにしてしまう程の破壊力を秘めていると見ただけで分かったからだ。
仮にこの一撃が当たらなかったとしても、次の瞬間にはその骨剣と化した左腕で微塵切りにされるか、その肌がはち切れそうなほど筋肉が盛り上がった足で踏み潰され挽肉になるか――どちらにせよ、生存ルートは絶望的なまでに塞がれていた。
――筈だった。
「……あ?」
そう、呆けた声を出したのは、菜月だったか、それともエルドだったか。
止まりかけた思考の中で、しかし現実は動いて行く。
一秒後の死が確定していた筈の菜月の目の前で、エルドのゴリラの右腕が宙を舞った。
ズジャァァアアアッ! と、遅れて噴き出す赤黒い血液。だがエルドは舌打ち一つだけ零して、バックステップを踏んで距離を取った。
それは菜月から距離を取ったのではなく、菜月をエルドの剛腕から助けた少女から距離を取ったのだと気付いたのは、その場に鈴の音のような彼女の声が響いたからだ。
「――無事ですか、菜月先輩」
この場に居る筈のない少女の声に驚き目を見開いた菜月の目の前に、ストッと軽やかに着地を決めたのは、前の世界で菜月を連れて死へ跳び込んだヤンデレ気質が疑われる後輩――一条憂莉その人だった。
憂莉は空を斬って右手に握る血の付いた長剣の血払いをすると、左腰に差した鞘からもう一本の長剣も抜いて戦闘態勢を整える。一度だけ背後の菜月に振り返ってにこりと笑ったが、その一瞬後には殺意しか浮かばない眼でエルド達を睨めつけた。
そのあまりに鋭く冷たい殺気に〝虐殺する双角獣〟の冒険者達は後退ってしまう。
しかし今や化け物と化したエルドは殺気に臆する事無く、自身の腕を斬り落した闖入者を睨み返していた。憂莉に斬り落とされた筈の右腕は、内側から肉が盛り上がるように再生し、数十秒前のものと何ら変わりない丸太のように太いゴリラの腕がそこにあった。
「なるほど……完全に化け物ですね。魔物は再生能力なんてものが付いている奴もいるんですか?」
「アアッ!? オレヲアンナ気持チ悪ィ人間ニ蹂躙サレルダケノ下等生物ト一緒ニスルンジャネェ!」
「驚きました。魔物って人間の言葉を理解して喋る個体もいるんですね。でもわたし、菜月先輩に訊いてるんです。魔物は邪魔なので黙ってて下さい」
「テッメエ……ッ! ブッ殺シテヤルゥ……!!」
憂莉に適当にあしらわれ、憤恕を顕わにするエルドだが、当の憂莉は耳触りでうっとおしい魔物としか認識していない。
エルドに言葉を返す時間がもったいないと判断した憂莉は、再び振り向いて菜月に可愛らしく微笑みかけてくる。どうやら先程の言葉の返答を待っているらしい。
菜月は突然の状況に混乱しながらも、何とか彼女に言葉を返した。
「えっと……アレは魔物じゃなくて、人間だぞ。A級クラン〝虐殺する双角獣〟に所属するエルドって奴らしいんだが。ほら、冒険者協会で冒険者登録した時に、突っかかって来て憂莉が反撃した奴がいただろ? そいつを舎弟にしてる奴らしい」
「なるほど、つまり敵って事ですよね?」
「ああ、うん……まぁそうなってるけど……なんか妙に敵認定すんの早くないか?」
憂莉の理解の早さ――というか敵対の早さに驚きつつ訊くと、彼女は「おかしな事を言いますね」と言ってふふっと笑い、
「菜月先輩に近付く虫も、菜月先輩を傷つけようとする屑も、菜月先輩とわたしの時間を邪魔するゴミも、全部ぜ~んぶわたしの敵ですよ?」
にっこりと笑みを浮かべて言う憂莉に、菜月は薄ら寒いものを感じて頬を引き攣らせた。
と、そこで憂莉が何か思い出したように表情を少し真面目なものに変えると、
「ところで菜月先輩。あのエルドって人……人? ……人は、人間だと言いましたよね? でも、明らかにあれは魔物ですよ」
「あぁ、すまん、それはよく分かんねぇ。元は普通の人間だったんだが、なんか変な薬をドバドバ飲んだら、あんな怪物みたいなのになっちまったんだよ」
「薬……ですか。なるほど、ドーピングですかね」
「さぁな。そんな薬をどこで手に入れるのかは知らんし知りたくもないが、とにかくまともなモンじゃなさそうだったぞ」
というより、そもそも元の体に戻れる可能性があるか自体が怪しいのだが、エルドはそこら辺をきちんと考えて服用したのだろうか。彼の菜月に対する怒りの度合からして後先考えていないように見えたので、もしかすると菜月を殺す事しか考えずに薬に飛び付いたか、元に戻れなくても今は菜月を殺せればそれでいいとか考えているのかもしれない。そういう危ないものは使わないようにしようと心に決める菜月だった。
そんな菜月を尻目に、憂莉は僅かに眼を細めて思考するような表情を見せる。
「まったく……どこの世界にもヤバい薬はあるものなんですね……」
どこか呆れたように呟く憂莉の声は、菜月にもエルドにも届かなかった。
そして憂莉は再びにっこりと天使のような微笑みを菜月に向けてから、表情を切り替えて前を向く。双剣を握り直し、エルド達を冷たく見据えると、
「さて。ゴミはわたしが掃除しますので、菜月先輩はそこでゆっくりしてて下さい。――あと五分で終わらせますので」
言い切ると、憂莉は地を蹴りその双剣で彼らを斬り裂こうとする。恐らく彼女に任せておけば、宣言通り五分で全て片が付くかもしれない。
――だが。
「待ってくれ、憂莉!」
菜月は殺気を放って蹂躙を始めようとした憂莉の肩を掴み、強引に引き止めた。
何故止めるのかと憂莉が疑問を浮かべて振り向く。その視線を受けて、菜月は息が詰まったようになかなか次の言葉を紡げなくなってしまう。
別に、菜月は勢いだけで止めてしまった訳ではない。菜月には菜月なりの理念に沿う事で、憂莉を止めるという行動に出たのだ。
確かに憂莉に任せておけば全て解決したかもしれない。だがしかし、その場合エルド達はどうなるか?
――答えは単純。一人残らず死体に変えられるのだ。
「駄目だ、憂莉。殺すのだけは……やめてくれ」
菜月は、人殺しの覚悟などない。
確かに異世界で初めて目覚めたあの森で、ガリガリに痩せた犬のような動物と、ルアーナッチュという名の熊は殺した。
だが、害悪があり、更に討伐依頼まで出されるような獣を殺すのと、人を殺すのとでは全く違う。甘いと言われたとしても、例え相手が自分を殺そうとした奴だったとしても、そこだけは越えてはならない一線だと菜月は思っていた。
だから、憂莉にも殺人などして欲しくなくて思わず止めてしまったのだ。
「……頼む。頼むよ、憂莉」
「…………」
菜月は、いつエルドが襲ってきてもおかしくない状況だというのに、必死に懇願した。
その誠意が伝わったのかは定かではないが、憂莉は少しだけ考える素振りを見せた後、「……分かりました」と――一瞬だけ寂しそうな顔をして、頷いた。
それから憂莉は困ったように眉を顰めると、
「ですが先輩、その場合、少し時間がかかってしまいますが……」
「あ。いや、俺が広域魔法使うから、それの準備が終わるまで時間稼ぎしてくれないか? あと、あんまり離れないようにしてくれ。魔法に巻き込まれるから」
「なるほど、菜月先輩の魔法で一網打尽にするんですね。了解です」
菜月の魔法が楽しみなのか、憂莉は音符マークが浮かびそうな弾んだ調子の声で言う。
と、そこでついに我慢の限界に達したのか、エルドが薬を飲んだ際に放り投げてしまった大剣を右手だけで握り直して地面に叩きつけると、獣のように変貌した声で怒鳴りつけてきた。
「馬鹿ニシヤガッテ、クソガァ……ッ! ブッ殺シテヤルブッ殺シテヤルブッ殺シテヤルゥッ!!」
「はぁ……五月蝿いですね、本当に。……まったく、殺意を抑えるのが大変です」
太く重い筈の大剣をまるで木の棒ほどの軽さしかないかのように軽々と持ち上げるエルドが、その異常なまでの筋力で以って斬りつけ――いや、叩き潰そうとしてくる。
しかし憂莉はそれを長剣の腹で掬うようにして剣筋を逸らすと、使わなかった左剣をエルドの右腕に突き刺した。だが痛みを感じていないのかエルドは全く怯んだ素振りを見せず、左腕の骨剣を憂莉の白く染み一つない絹のような肌に傷を入れようと横薙ぎに振るってくる。
憂莉は『肉体・身体能力強化』スキルによって強化された反応速度ですぐに見切り、右手の長剣を自分の身体と水平に、地面とは斜めにして骨剣の一撃を上方に流す。続いて繰り出された異常発達筋肉の脚撃も難なく躱し、余裕の表情を浮かべて相手の神経を逆撫でるように言葉をかけた。
「全て力任せですね。やはり魔物に変化して、知能が低下してしまったんでしょうか。お気の毒です」
「クソガッ!! 死ネ死ネ死ネ死ネ死ネェッ!!」
「だから力任せなんですよ。……って言っても、もう理解する脳も残ってないんですかね」
言いながら、憂莉はエルドの凶暴な攻撃をひらりひらりと舞うように躱し、時に踊るように斬り込むその姿は、まるで欠損部分が再生する生肉の操り人形と戯れているのかと錯覚するほどで、もはやこの戦いは憂莉によって支配されていた。そこにエルドの自由な意思が入り込む余地は無く、ただ憂莉に誘導されて踊らされ続けている。
(すげぇ……綺麗だ)
憂莉の動きに合わせて銀光りする紫苑色のツインテールが宙を流れ、舞い散る血の紅がキラキラと彩りを与えている。そして舞踏に組み込まれた剣舞によって宙に幾つもの剣線が描かれれば、まるでそこは彼女一人で紡ぐ独奏のステージだった。
「っと、見惚れてる場合じゃなかった」
剣舞闘師が織り成す剣舞に思わず見入ってしまっていた菜月だが、自分の役割を思い出し、慌てて左手に持つ魔道書を開いてページを捲った。貰ったばかりの本なのにもう既にボロボロになってしまっているが、意識を失いかけるほどの威力で腹に跳び蹴りを喰らわされて吹っ飛ばされても落とさなかったのは褒めるべきだろう。
そう密かに思いながら菜月は目的のページを開くと、魔法式や魔法陣、呪文や名称を確認する。先程の【旋風法式】と違って次に使う魔法は位階が一つ上の第四位階の為、同じように一瞬で読んですぐに発動する事は今の菜月には出来ない。そもそも【旋風法式】は一度地下書庫で読んで魔法式を理解していたので出来たが、次使う魔法は、地下書庫で一度読んだものの完全に理解する事が出来なかった魔法だ。きちんと発動出来るかも怪しい。
しかし失敗する気は無い。――否、失敗する訳にはいかない。
いくら憂莉に余裕があっても、いずれ戦意が戻った二十人近くの〝虐殺する双角獣〟の冒険者達が怪物化したエルドと協力して襲いかかってくれば流石に持たないだろう。だから、それまでに完成させ――その一発で決めるのだ。
(我が手に地獄を……て、くそっ、何で呪文ってのは滅茶苦茶恥ずかしい言葉ばっか使うんだよっ! あぁもう、本当に『無詠唱』スキル有ってよかった……)
スキル『無詠唱』は術者にある程度の力や技術があれば、呪文を唱えなくても魔法名を口にする、もしくはイメージして魔力を練るだけで魔法が使えるという、菜月にとっては神にも等しいスキルである。もっとも、高校三年生にもなってこの中二病臭い呪文は……などと思う菜月と違い、菜月達が元居た世界の文化が伝わっていない筈のこの世界の人達にとっては、詠唱時間が短縮できて便利だという程度にしか思わないのだが。
ともかく、憂莉が戦って時間を稼いでいる間、菜月は必死で魔法式を読み込んでいた。
頭の回転や理解の早さはともかく、記憶力に密かに自身のある菜月は魔法式や魔法陣を覚える事は簡単だ。しかし、魔法式の理解にはどうしても時間がかかってしまう。
本来ならば戦闘中に誰かに守られながら魔法式を読み解くのではなく、どこか安全な場所で時間を作って理解に努めるのが普通なのだろうが、もう状況が起こってしまっている今は泣き言も言っていられない。
「……出来た! よし、憂莉。もういいぞ!」
何とか魔法式を理解し終えた菜月は、既に復活した十人近くの〝虐殺する双角獣〟の冒険者達に囲まれる憂莉に呼びかける。気付かないうちに憂莉が相当な人数に囲まれていた事に驚くが、しかし何故無防備な菜月を仕留めに来なかったのかが分からなかった。
だがよくよく眼を凝らしてみれば、憂莉を中心に白い光の粒子のようなものが舞っていた。それに触れると、その粒子には何か幻覚作用のようなものが含まれた『術』が掛かっていた事に、今日一日で蓄えた魔法の知識のお陰で気付く事が出来た。だがその原理までは理解出来ず――というより、そもそも魔法と同じ基盤で出来ているのかも菜月には理解出来なかった。
「了解です、先輩」
一瞬、この粒子の事について考え込もうとしていた菜月だが、跳躍で菜月の隣まで戻ってきた憂莉の返事によって意識は現実に引き戻される。
「逃ゲルナ女ァ!!」
「クソっ、あの女を殺せ!」
「毒矢使え! 一発で仕留めろ!!」
元は菜月を狙っていたというのに、すっかり標的が憂莉に変わってしまっていた。
菜月が魔法式を読んでいる間に憂莉が何をしたのか凄く気になるのだが、悠長に会話を挟む時間も無い。菜月は先程まで眼力で穴が空くほど読んでいた魔道書のページを開いたままエルドと〝虐殺する双角獣〟の冒険者達を見据えると、体内を巡る魔力を操り、やがて完成させた魔法式を起動――強力な、第四位階に位置する魔法を発動させる。
長ったらしい呪文はいらない。ヒーローが悪を倒す時のキメ台詞もいらない。ただ、その魔法名称を口にするだけだ。
「――【炎獄災禍法式】ッ!!」
菜月の口から魔法の名が紡がれた、その刹那。
倉庫全体を捉えるほど巨大な魔法陣が出現し、菜月が放出した規格外に膨大な魔力が魔法式によって魔法へと変化させられる。
そして――次の瞬間。
そこは地獄と化し、暴力的なまでの赤と熱に支配された。
次回も読んで頂けると有り難いです。




