第十七話 魔女との契約
辺りに散った――否、散らした赤黒い血液が岩壁や地面を猟奇的な色に染め上げ、鼻に衝く鉄臭い血臭を空間に漂わせる。
だがその血溜まりの中心に立つ憂莉は身に付ける制服やニーソックスにすら返り血を付けていない。染みになると嫌なので、人間のものと言うには異常すぎる敏捷さで以って全て避けたのだ。
憂莉は既に息絶えて目の前に横たわるネクストフォーマーを無感情に眺めながら、両の手に握る長剣をそれぞれ振るって刀身に付いている血液を払うと、左腰に付けた鞘に二本とも戻した。
シャラン、と澄んだ音を鳴らして鞘に収めると、僅かな所作の震動で銀色のツインテールが揺れる。憂莉は肩にかかった、まるで散りばめたダイヤモンドが月光に反射するような煌めきをもつ銀髪を一房払うと、その深い深い真紅の瞳で辺りを見渡した。
「……『二月の魔女』は、完全に逃げたみたいですね」
ネクストフォーマーの死骸を眺める時と同じく無感情に呟くと、スッと目を閉じる。
胸に両手を当て――深呼吸を一つ。湧き上がる『ある感情』を押し止めて心を穏やかにし、うっすらと目を開くと、牙の覗く口から流れるように言葉を紡ぐ。
「――再封印」
憂莉の言葉に呼応するように、一瞬、輝くダイヤモンドの銀髪が強い煌めきを放つと、憂莉の全身からきらきらと光の雪が散り始めた。それらを巻き取るように淡いライラックの風が吹き、やがてそれは憂莉の中心――祈るように重ねた両手と胸に集束する。
その姿はまるで粉雪の中で祈りを捧げる巫女のようで――ネクストフォーマーとの戦闘時からずっと彼女に眼を奪われていたテニーは、もはやこれ以上のものは無いというほどに美しいと感じ、目が飛び出るほどに見開いて見惚れていた。
そして憂莉が胸に当てていた両手を下ろすと、彼女の姿はすっかりネクストフォーマーを倒す前の状態に戻っていた。
煌めく透明な宝石が輝く銀色の髪はさらさらとした紫苑色に戻っており、血液を濃縮したような紅玉の瞳はラズベリーの赤紫へと変化している。吸血行為を行う時にしか見せることの無かったはずの牙も今は通常時と同じく隠し、全身を包んでいた妖しく美しい『魔』も既に消えていた。
(……この程度でしたら、『この力』を使うまでも無かったでしょうか)
別人のような妖しい雰囲気から普段の可憐な雰囲気を取り戻した憂莉は、存外に弱かったネクストフォーマーの死体を見下ろす。しかしそこには、先程と似た無感情だったが、確かにその他の感情が覗いていた。最善手で倒せなかった自分の判断の甘さとせっかくの自分の力を試す機会をあまり有効に使えなかったことへの落胆、予想よりもずっと弱かった敵への軽蔑、力を使ってしまったことへの後悔と、決して良い感情ではないのだが。
そんな視線を向けていると、生命活動が停止してから時間が経過したためか、ネクストフォーマーの肉体が崩れ始めた。無理矢理肉体を改造されていても元の魔物と同じような現象を起こすことに若干驚いたが、倒してから一分も経たぬうちに肉体崩壊を始めたのは恐らくその肉体改造が原因だと思われるので、そこを考慮するとやはり改造――進化させられた魔物は不完全なのだろう。まず、そんな事をするような者の正気を疑うものだが。
(『二月の魔女』、ですか。……少し注意しておいた方がいいですね)
憂莉は内心そう呟くと、塵となって消え去ったネクストフォーマーの魔石とドロップアイテムの角を拾い上げ、魔石は魔石収納ポーチへ、角は腰に付けた別の革製ポーチに収納する。別にインベントリーに収納しても良いのだが、現在ステータスやインベントリーを自在に使用できるウィンドウを使う者は憂莉と菜月以外見つけていないため、実は特別な力とかで嫌に目立つと困るので人前では使わないようにしているのだ。テニーのお勧めで魔石収納ポーチを買ったのも同義である。
角を入手できるかは運試しだったが、きちんと残っていてホッとする。別段この洞窟にアングリー・カウが先程の一体しかいないわけではないが、これ以上時間を消費させられるのはまずい。
(うぅ……菜月先輩成分が足りない…………早く菜月先輩の所に戻りたいです……)
と、理由はまあ、少し特殊なのだが。
しかし他に疲れているという理由があるのも事実で、とにかくエミルフィアに帰りたいと思っている憂莉は、早急に洞窟を出ようと体を翻す。
元来た道を戻ろうと十メートルほど進んだところで、テニーが付いて来ていないことに気付いた。
「……あれ、テリーさん? 帰らないんですか?」
振り向き、無自覚で名前を間違えながらテニーを見ると、彼は戦闘時に避難していた場所から動かず、座って俯いたまま黙っていた。
憂莉がまた「テリーさん?」と名前を間違えたまま呼ぶと、彼は慌てて「は、はいぃっ!」と裏返った声で飛び上がる。
「どうかしたんですか? ……まさか、わたしがアングリー・カウを倒したところを見ていなかったなんてぬかしませんよね?」
「へっ!? え、い、いえ、まさか! き、きちんと見ていました!! ずっと、そりゃもう目の穴を掻っ穿るくらいに!!」
「……そうですか。目の穴を掻っ穿るとか、自傷する趣味でもあるんですか? さすがにレベルが高すぎて引きます」
失明しちゃいますしね――などと少しずれた感想を返す憂莉。
テニーの言う『見ていた』はアングリー・カウを――というかネクストフォーマーに進化させられていたのだが――倒したところではなく憂莉自身の事なのだが、そのことに全く気付いていない憂莉はテニーの空笑いを変わった趣味がばれたことへの照れ隠しだと勝手に納得し、さして気にも留めず歩みを再開した。
――そのただ歩くだけでも可憐な後姿を、テニーは赤らんだ頬で見つめていた。
彼の抱いた妖しく美しく――そして可憐な憂莉に対する淡い恋心は、この時はまだ純粋で、綺麗なものだった。
◆ ◆ ◆
「……あらぁ。やっぱり面白いわぁ、あの子」
菜月に会いたくて急ぐ憂莉と、その後ろ姿に目を奪われながらも追いかけるテニーが洞窟を去った後。先程までネクストフォーマーと憂莉が殺し合いを行っていた場所で、『二月の魔女』ことイアミントはひとりでに呟いた。
アングリー・カウに【魔性進化法式】を掛けて進化を施した後、彼女は決して逃げたわけではない。
影に溶け込んで移動する魔法で少し離れた岩の影まで移動し、闇属性に属する隠形魔法で気配を、自身のコントロールで漏れ出る魔力を完全に消すと、静かに憂莉の戦う姿を眺めていたのだ。
憂莉が最後まで気付かなかったのは単純にイアミントの魔法と魔力のコントロールが完璧だっただけだ。しかしただの人間ではなく真祖吸血鬼である憂莉が気づけないほどの隠形を施す彼女の実力が、常軌を逸していることは明白だった。
その彼女が『面白い』と口にするのは、興味深い実験材料を見つけるもしくは実験内容を思い付いた時と、知的好奇心がくすぐられる不思議なものを見つけた時だけだ。
そして、憂莉に対しての『面白い』は珍しいことに――本人にとっては全く迷惑な事だが、両方だった。
「あの内に秘めた才能に、時偶に覗かせる狂気のようなもの……。そして何より――あの『血』ねぇ」
ぺろりと紅い唇を舐め、イアミントは憂莉が力――『銀虐魔王の血脈』を開放させた時の事を思い出してくすりと笑う。
「神魔の血脈に連なる者……ね、あれは。うふふふ、まさかこんな所で、神魔戦争時代に――いえ、星界戦争時代に降臨していた神魔の血を正統に受け継いでいる人に会えるなんてぇ、ちょっと運命ってものを感じちゃったじゃない」
そう言って、イアミントは隠れていた岩から立ち上がる。その足取りはどことなく軽く、まるで新しい玩具を与えられた子供のように無邪気であった。もっとも、他の者が彼女を見れば、とてもじゃないが無邪気とは思わないだろうが。
「うふふ、あははははっ。どうやってあの子で遊ぼうかしらぁ…………と、あら?」
リリリン、リリリン、と鈴虫が鳴くような音が洞窟の岩壁に反響する。
その音の正体を知るイアミントは、少し面倒くさそうな表情を浮かべると、仕方がないといった調子で超露出度のぴちぴち魔女服のポケットを探った。そして現在進行形で振動する加工された頑丈な小さな石に魔法陣を描いた魔石を填め込んだ物――通信石を取り出すと、耳元に当てる。
「はぁい、どちら様かしらぁ?」
『おいテメェ、ペアでしか使えない通信石で誰だはねぇだろうが。ふざけてんのか?』
「うふふ、冗談よ。可愛い実験体ちゃんを忘れたりしないわぁ」
『……ちっ、魔女が』
忌々しそうに毒づく男の声が通信石を震わせる。
イアミントは「こいつなら適当でもいいかぁ」などと内心思いながら、既に用の無くなった洞窟を出るために歩きだした。素早く移動するのなら影に溶けてその中を移動すればいいのだが、そうすると通話も途切れてしまうので仕方がない。適当に相手をしても良いような興味の薄れてきた実験体でも、利用する価値が無いわけでは無いのだ。
『アレ』のためには数を集めておく必要があるしね――等と思いながらくすりと笑うと、それが通信石を伝って相手に届いたのか、気に障った男が苛立たしげに言った。
『おい、魔女。取引しろ』
「欲しい欲しいのおねだりかしらぁ?」
『ああッ!? ぶっ殺されてぇのかテメェ!!』
「うふふふ、そんなに怒っちゃって、甘いものでも食べた方がいいわよぉ? ほら、どこかの東の果ての島国から来たっていう旅人が伝えた、餡子……だったかしら? 甘い甘い幸せな味が口の中に広がって、とっても美味しいわよぉ」
イアミントはかつて口にした餡子の事を思い浮かべ、幸せそうに口元を緩ませる。どんな年齢になっても、女性は甘い物が好きらしい。
しかし通話相手の男はそのイアミントの態度が気に食わないのか、明らかにイラついた様子で荒い口調で言う。――まぁ、それが丁寧な言葉遣いとは無縁に過ごしてきた彼の普段の口調なのだが。
『五月蝿ぇ! オレは世間話がしたいわけじゃねぇんだよ!』
「あらぁ、そうだったのぉ?」
『クソがぁッ! 馬鹿にしやがって……ッ!』
「うふふ、ごめんなさいねぇ。あまりにもあなたが可笑しいものだから、ちょっと遊びたくなっちゃってねぇ」
今は気分が良いからぁ、なおさらかしらぁ……等と言うイアミント。
通話しながら歩いていると途中で洞窟に生息する魔物のゴブリンやアングリー・カウ等と出くわすが、一瞥すらせずまるで魔法自身が自動で狙うかの如く撃ち倒していった。
倒した事で魔石やドロップアイテムが地面に転がるが、イアミントは全く興味を示さず――むしろ気付いていないかのように振る舞い、妖しい笑みを浮かべたまま可笑しそうに通話を続けている。
「それで――貴方、いったい何の用なのぉ?」
相手の神経を逆撫でして遊んでいたイアミントが、ついに飽きたのか、本来の用件へ持って行くために話を切り出した。
通話相手の男は血管がはち切れそうなくらいに激怒していたが、ようやく自分の用事を話せるようになると、一度落ち着くように息を吐いてから言った。
『……力がいる』
それは短い言葉だったが、そこには多大な怒りと、屈辱の感情が含まれていた。
その屈辱は魔女イアミントに力を借りることに対してか、それともまた別の感情があるかはイアミントに知る由は無いが、『二月の魔女』は可笑しそうにくすりと笑うと、「どうしてかしら?」と訊いた。
『……奴を、オレを貶した……〝虐殺する双角獣〟のオレに歯向かいやがった、アイツを殺す力がいるんだよ……!』
「あらぁ? 貴方がそこまで憎むなんてぇ、どんな相手なのかしらぁ?」
『ちッ、茶髪の魔道士だよ。無詠唱で雷も炎も風も使いやがる餓鬼だ。あああ、思い出しただけでイライラするッ! ぜってーぶっ殺してやるッ!』
茶髪の魔道士に苛立ち罵る男に対し、イアミントはふぅん――と呟く。
少し、興味が湧いた。
(無詠唱で、三属性ねぇ……うふふ、餓鬼って言ったってことはまだ若いだろうしぃ、才能かしらぁ? うふふ、あははははっ。今日は面白い子ばかり出会うわねぇ……!)
憂莉に、その茶髪の魔道士。後者はまだ直接確かめてはいないが、男の話だけでも、どちらもイアミントの興味を誘うに足る者達だった。
イアミントは愉しそうに笑い、乗り気になって男に訊いた。
「……貴方、その茶髪の魔道士を殺したいのよねぇ?」
返ってきた言葉は、やはり予想通りであった。
『当たり前ぇだろ。オレがこの手でぶち殺してやるんだよッ!』
その男の分かり切っていた言葉に、やはりイアミントは、くすり――と嗤って、返す。
「いいわぁ。貴方に、力をあげる」
魔女と契約を交わした可愛い憐れな実験体を、せいぜい自分のために使い潰してあげようと『二月の魔女』は歪な慈愛を浮かべながら通話を切ろうとして、しかしふと思うところがあり、最後に男に問いを投げた。
「ところで――貴方、誰だったかしらぁ?」
ペアの通信石でも大量に持っていればどれが誰と繋がっているのか分からなくなるもので、それでも会話中に思い出すだろうと思ったのだが、結局誰だったのか最後まで分からなかったため今訊いたのである。
すると相手の男は今までで一番大きい舌打ちをして、苛立たしげにこう答えた。
『エルドだ。〝虐殺する双角獣〟所属の戦闘士。いくらテメェでも聞いたことあるだろ』
「あぁ、確か結構部下がいたわよねぇ? そういえば、貴方のところのウィアンとシシク、あとはベルガーなら良い『肉』に使えそうだったのよねぇ。元気にしてるかしらぁ?」
『黙れクソがッ。テメェはとっととオレに力を渡しとけばいいんだよッ!』
ベルガーの名を出した所で通話相手の男――エルドは明らかに態度が荒くなった。何かあったのだろうかとさほど興味も無さげに思い、イアミントは今度こそ通話を切る。
落ち合う場所は分かっている。いつも取引と称してイアミントの実験に付き合わせている酒場だ。もっとも、相手はそのことに気付いていないだろう。――まぁ、それは今回もであるのだが。
早く面白いことをしに行こうと遠足前夜のようにウキウキしながら影に溶け、魔女は愛しの実験体の下へと向かうのだった。
あの人は意外に強力な伝手があったようです。
次回も読んで頂けると有り難いです。




