第十五話 洞窟の奥に佇む魔女
長い年月や動植物の活動により岩がバランスを保って積み重なることで洞窟を形作っているアマネフ洞窟には、松明や蝋燭などの明かりを含めた人工物は無い。だが何も見えず真っ暗というわけではなく、幻想感溢れる光る石や苔などが洞窟内の明度を夕方の薄暗さ程度に保ち、冒険者は勿論のこと、ここに生息する動物や魔物の視界を確保していた。
洞窟内には足首を浸す程度の深さの小川や、広めの空間には湖らしきものもあった。光る石や苔などが相まって清らかな水の流れは幻想的な美しさを醸し出していた――いた、が。
「――ふッ!」
短い気合と共に鋭い殺気を放つことで相手の意識を一瞬逸らした憂莉は、相手の気付かぬうちに動かしていた右手を横一文字に振るい、魔道具に掛かった効果で切れ味が増している長剣で魔物――ゴブリンの首を斬り飛ばした。
悲鳴を上げる間もなく体と泣き別れになったゴブリンの生首は、その赤黒い血液を切断面から吹き出しながら斬られた勢いのまま回転して飛び、やがて静かな波を打っていた小川にダイブする。当然、透き通った川水はゴブリンから溢れる血に侵食されて赤が混じり、黄緑に輝く石や苔に不気味に照らされていた。
「……雰囲気、台無しですね……」
腰に差す長剣の柄に手を触れさせながら、テニーは半眼で感想を述べた。
だがそんなテニーの様子など蚊程も気に留めず、憂莉はゴブリンの遺体の片付けをしていた。
「魔石は必要。でも、爪はあまり金にはならない……ですね。錆付いた剣なんて論外ですし、魔石だけ回収でいいでしょう」
片付けとは言っても、憂莉がやることは戦利品の選別である。
魔物とはそもそも、通常の生態系で存在していた動植物や物質が、世界に流れる魔力を体内に取り込み過ぎたことで凶暴化したもの達だ。中には元々別の生態系で、さらに魔力を取り込んで魔物化したものもあるが、ともかく、どれにも共通していることは、命を絶つと数秒から数分の後に魔石と稀に身体の一部を残して、身体は崩れて消えるということだ。
魔物についてはいまいち解明されていないのだが、有力な仮説では、過剰な体内魔力によって肉体のリミットを超えていた状態のところに、唯一自壊を止める制御装置となっていた生命活動が停止し、それに伴って肉体が崩れると言うものだ。その際溜めこんでいた魔力は魔石となって残り、稀にその魔物の体内魔力が一番集まっていた部分が遺品――戦利品として残るのだ。
憂莉がたった今倒した緑色の皮膚を持った小鬼――ゴブリンも、首の切断によって生命活動を停止してから三十秒ほどで肉体は斬り離された頭ごと崩れて消滅し、後には小指の爪サイズの魔石とゴブリンが使っていた小剣だけが残っていた。
魔物が身に付けていた武具類も魔物の一部として数えられるのか、そこに体内魔力が多く宿っていれば――本当に稀だが――残っている事もある。まあ、平均レコードが1050ptのゴブリン程度の魔物が落とす武具は大抵錆付いていて使えないので、持ち帰る者の方が少ないのだが。
ちなみにだが、基本的にレコード1000pt以上が魔物とされ、それ以下は単なる動植物とくくられる。以前菜月と憂莉が森で襲われたガリガリの巨犬は平均レコード0325pt程度で、同じく森で襲ってきたルアーナッチュは平均レコード0720ptであったので、二体とも魔物ではなく単なる動物なのだった。魔物などが存在する世界でまともな生態系を保っている生物など少ないので、ああいった地球育ちでは気味が悪く恐ろしい生物であっても、この世界の住民にとってはちょっと獰猛な動物感覚なのである。
(これで七つ目。……でも、魔道具の代金で消費した金額を取り戻すには、全然足りませんね)
憂莉は魔石を拾い、来る前にテニーから用意しておいた方がいいと言われた魔石収納ポーチに放り込んだ。
これは、魔石限定で千個以内ならどんな大きさでも収納できるという、素晴らしく便利なアイテムなのである。元は無限収納ポーチを作りたかったどこぞの錬金術師が偶然作った失敗作だったのだが、その存在を知った錬金術師の友人の冒険者がその便利さを広め、今では冒険者の必須アイテムとなっている。お値段はポーチの素材で変わるのだが、どれでも収納可能数は変わらないので、憂莉はとある馬系魔物の革をなめしたものを購入した。
千個入れるまでポーチの重さはほとんど変わらないので、戦闘にも支障が無い。ただし、壊れた場合は中に仕舞っていた魔石が飛び散り、回収が大変面倒な事になるらしい。実際、その回収中に魔物に襲われ、壊滅的な被害を受けた冒険者もかなりいるのだ。
重量の変化はほとんど感じないが、きちんと収納されていることを確認すると、憂莉は再び洞窟の奥地に向って歩き出した。それを、やや遅れてテニーが追いかける。
アマネフ洞窟の探索を始めてから、既に二時間が経過していた。
現在時刻は日本の数え方に合わせれば十六時数分前。この世界でも数分のずれはあるが、基本的には同じだった。違う世界――星界で、同じ六十進法が使われていたことには驚愕が隠せなかったが。
ともあれ、異世界転生初日からこれだけ動きまわれば、流石に憂莉も疲労が見え始めていた。
(……まあ、このくらいで気を抜く――なんて馬鹿な事はしませんけど)
気の緩みは死に直結する。それはこの『ラグナスヘイム』でも――憂莉が生まれ育ったあの世界でも同じことだ。……もっとも、菜月のようにそういった裏社会にほとんど関わらない者のほうが多いのだが、憂莉は一条家に生まれたが故に、深く関わっていた。
その頃から知っている。疲労程度で気を抜けば、すぐに首を持って行かれることなど。
◆ ◆ ◆
少し歩くと、テニーが「あっ」と声を漏らした。
彼の声に反応して憂莉はテニーの視線の先に目を向ける。その先に居たのは、憂莉の目当てである、剣舞闘師ギルド加入の実技試験の討伐対象の魔物――アングリー・カウだった。
ぼふっという交換音が似合いそうなアフロヘアーの毛束が特徴の、体長三メートル越えの牛だ。その二本の角は雄牛の怒りを代弁するかのようにねじ曲がり、ブルルルルルッと唸り声を上げて威嚇をする口には、獰猛な牙が覗いていた。
そして何より、その大きいが引き締まった身体が、ちょっと硬そうだけど焼いたらジューシーで美味そうですね――というのが憂莉の感想だったが、一目見ただけでも筋力が半端なく、刃も並の力では通らなそうなほど強力そうであった。
「あ、アングリー・カウ……ッ!」
「筋肉が多くて硬そうですね。牛肉はステーキにしたかったんですけど、これはちょっと遠慮しておきますか」
「食べる気だったんですか!?」
マイペースな憂莉の態度に、テニーは驚愕しながらもツッコミを入れる。
テニーは冒険者になってからまだ日が浅い。レコードも0133ptと低く、本来ならば魔物であるアングリー・カウ――それどころか、道中遭遇したゴブリンとすら無傷で勝てるような強さはまだ無いのだ。
実はこのアングリー・カウの討伐は通常新人の冒険者に与えるような軽い課題ではない。これを試験課題としたマルクは、憂莉の言動や佇まいから、てっきり憂莉はそこそこ経験のある冒険者だと勘違いしていたため、平均レコードが1200pt近くの魔物を課題に当てたのだ。普通の実技試験では剣舞闘師のギルドメンバーとの簡単な模擬試合や、平均レコード0100pt台の動植物の討伐であり、テニーもその簡単な課題をクリアして晴れて剣舞闘師となったのだ。
そこら辺はともかく、テニーにとっては遭遇したらまず逃げることを第一に考えるような魔物を前にして、まったく動じた様子の無い――むしろ、魔物の肉を食材として吟味するほど落ち着いている憂莉に、テニーは驚愕と混乱をごちゃ混ぜにしたような表情を浮かべていた。
道中の戦闘を見た限りでは憂莉は相当の熟練冒険者にも思えるのだが、魔物について知っている情報が少なすぎたり、冒険者になりたての初心者でも知っているような常識を知らず、テニーに訊くこともあった。ただ常識を知らない引き籠もりとして片付けるにしては異質で、しかし初心者にしては、あまりに戦闘に――殺し合いに慣れ過ぎていた。
「……さて。テニーさんは邪魔なので下がっていてください。ああでも、きちんとわたしが牛を殺すところは見ておいてくださいね。うっかり目を瞑ってて見逃しましたので課題は未達成です――なんてほざいたら、路傍に生首晒しますよ」
「ひぃぃっ!? すみませんごめんなさいやめて殺さないで邪魔しませんから!?」
憂莉の放った魂から凍りつくような絶対零度の殺気に当てられ、テニーは涙目と裏返った声でまだ何もしていないのに全力の謝罪をし、そのままずざざざざと砂ぼこりを立てながら後ろ走りで壁まで後退した。なんとも情けない姿だったが、憂莉はテニーがきちんと壁まで避難したことを確認するよりも早く前に視線を戻す。
そして、鼻息荒く憂莉を睨みつけてくるアングリー・カウの全身を見回し、憂莉は僅かに眉を顰める。
(気味が悪いほどに盛り上がった筋肉、異常に黒光りする角……どこか、事前に調べたアングリー・カウの情報と違いますね。変種……なんてものがあるかは知りませんが、そういった類のものでしょうか?)
平均的なアングリー・カウの大きさは、高さ五十センチから一メートル、横四十センチから八十センチ、縦もせいぜい一メートルから一メートル五十センチ程度だ。
だが、今目の前にいるアングリー・カウは、明らかに違った。
(高さだけでも三倍……いえ、体格も明らかに違いますが、これはもしかして……レコードも違うのでしょうか?)
アングリー・カウの平均レコードは1200ptだ。強い個体でもせいぜい1500pt程なのだが、目の前の雄牛から感じられる強さは、1200pt程度にしておけるようなものではない。
(まだ直接戦ってはいませんけど、最低でも1600ptは超えてい――――ッ!)
『何か』を感じた瞬間、憂莉は腰に差した二本の長剣を素早く抜き放ち、中段に構えた。
――そして、その人間離れした反応速度が憂莉を救った。
「――ッ」
一瞬にして目の前まで迫っていた三本の氷の矢を、憂莉は双剣で斬り落とした。パリン、パリン、パリンと砕け――魔法によって生み出された氷矢は、地に舞い落ちるとともに魔力となって霧散する。
それを見送るより早く憂莉は左の長剣を離して左手を後ろ腰に回すと、素早く二本の短剣を抜いて、氷矢が飛来してきた方向に投擲する。
――しかし二本の短剣は、肉を切り裂き血を噴かせることはおろか、肌に触れさせることすら叶わない。
カィンッ、と短剣は突如出現した氷の盾によって弾かれてしまう。
憂莉は手放した長剣を素早く拾い上げ、スッと目を細めてナイフを投擲した相手――アングリー・カウの背後に佇む者を睨めつける。すると憂莉の視線を受けた相手は、くすりと笑みを漏らしてから口を開いた。
「あらあらぁ~……ここにお客さんなんて久しぶりだわぁ」
蜜の匂いをまき散らして虫を引き寄せる植物の様な、あまったるい女性の声。脳の深くまで浸透し犯すようで、憂莉は僅かに顔を顰めた。
その様子が楽しいのか、女性は獰猛に唸るアングリー・カウの横を通り過ぎ、光が若干強く当たる場所で顔を晒した。
美しい――だが、恐ろしい女性だった。
黒を基調とした、白い肌の節々を晒す露出度の高い服装。まるでおとぎ話の魔女のようなとんがり帽子をかぶり、溢れた赤紫の髪は毒々しく異彩を放って肩に流れ、豊富な乳房の上に垂れている。可愛い実験動物を慈しむように憂莉を眺める瞳は酸素に触れて鈍くなった血のように赤黒かった。
眼鼻立ちは良く整っており、間違いなく美人なのだが――しかし、確実に毒があると分かるほどに危険な雰囲気を纏った女性だった。
「あなたぁ……いい反応してるわよぉ。七十点ってとこかしらぁ? あ、安心してぇ、十分に及第点だから」
「……」
女性は笑みを浮かべながら紅い唇に人差し指を当て、つつっと線に合わせて引けば、その手を憂莉に向ける。
「あなたぁ、名前は?」
「……憂莉です」
答える義理は無いが、憂莉は正直に答える。
すると女性は発音しにくいと感じたのか、「ユーリちゃんねぇ」と『ウ』を伸ばして呼んだ。
「うふふ、私はイアミントよぉ。『二月の魔女』なんて呼ばれてるけど、ちょっと研究好きなお姉さんなだけだから、気を張らずに仲良くしてねぇ?」
「……遠慮しておきます」
イアミントと名乗った『二月の魔女』は、双剣を構えたまま全く友好的な態度を見せない憂莉に妖艶な笑みを向けると、その赤黒い瞳で憂莉の全身を舐めまわすように眺め始めた。
憂莉は気色悪さを感じながらも戦闘態勢を緩めず、睨みを利かせて女性を警戒する。
(恐らく、見た目からの体の鍛え方では近接向きではなく遠距離型。それも、魔法の腕がかなりある魔道士ですか……)
イアミントに筋肉はほとんど見受けられず、スタイルは良いが、少し突けば折れてしまいそうなほど細い。どちらにせよ、直接戦闘に向いているようには見えなかった。
遠距離戦闘では分が悪いが、近接戦闘では確実に殺れる。
しかし、イアミントは得体が知れず、なるべく戦いたくないと憂莉は思っていた。
何せイアミントは――先程からアングリー・カウの横に立ち、その角を撫でているというのに、アングリー・カウはイアミントに全く襲いかかるそぶりを見せず、ただ憂莉だけを睨んでいるのだから。
アングリー・カウは知能が高い魔物ではない。故に本能で戦う野生型戦闘なのだが、そんな奴が自身のリーチ内で、しかも一撃で殺せそうな相手を横にして、他の敵を狙うなど――あるだろうか。
異常だ。まるでイアミントが、魔物であるアングリー・カウを飼っているように見える。
(……それに、『二月の魔女』ですか)
『暦月の守人』と呼ばれる彼ら彼女らは、通常の冒険者などとは違って規格外に恐ろしく強い。誰もが認める、最強の戦士――あるいは、魔法使いだ。
そんな存在のうち、『二月の魔女』――すなわち魔法使いの頂点であるイアミントは、変わり者だと町でも有名だ。憂莉はあまり興味が無くて最低限しか情報を集めていなかったが、流石にその危険性については知っていた。
(イアミントと対話して、アングリー・カウだけ倒させてもらうか、イアミントと戦ってアングリー・カウも倒すか、ですね)
流石に後者は避けたいですね――と呟き、憂莉は改めて双剣を握り直すのであった。
前話で、名前だけ『一月の剣帝』が登場し、ついに『二月の魔女』が登場しました。
これからもキャラを増やしていく予定です。
次回も読んで頂けると有り難いです。




