第七話 門の突破はやや強引に
「えと、えとえと。ひ、非常に言いにく、申し上げ難いのですが……」
「ここから一番近い町まで案内してくれないか?」と訊いた菜月を、困り顔で見上げてくるシャルロッテ。若草髪の半妖精種は眉を八の字に曲げ、若干の緊張を含んだ声色で続けた。
「――わ、わたし、町の場所分からないです……」
まぁじかよ、と引き攣った顔で菜月は返すしかなかった。
◆ ◆ ◆
「あー……うん」
目を半開き、半ば諦め気味に呟く菜月。何か目印でもないかと空を見上げても、三太陽の輝く蒼穹は自然の網を張り巡らせる木々の蔓や葉で覆われており、雲の一つも確認できない。まるで先が全く見えず分からない今の自分達のようだ――なんて詩人みたいなことを柄にもなく思い、慌てて頭を振って思考を一度クリアにする。
(危ねぇ、精神がやられてきてる……)
異世界で目覚めてから今に至るまでの苦労――主に憂莉と女神の所為だが――の影響で、肉体はともかく精神はかなり摩耗していたらしい。中学、高校と菜月は運動部に所属していたため体力や精神力はかなり付いているのだが、何一つ知らぬ異世界の地をヤンデレ気味の後輩と二人で手探りに行動するのは想像以上に応えた。
こきこきと首を鳴らし、疲れた肩を揉みほぐしながら、視線を見えない空から何でも訊いてくれと言ったのに役に立てずしゅんと肩を落としているシャルロッテへ戻す。
「……じゃあせめて、どの方角に町があるかは分かるか?」
「え……と」
これが分からないとお手上げだなと乾いた笑みを洩らしながら問う菜月に、何とか答えようとシャルロッテは両手で頭を抱えながら必死に記憶の海を辿る。
二十秒ほどの思考の後、シャルロッテは前に母が見せてくれた地図を思い出し、パッと笑顔を咲かせて答えた。
「北です! セルハマ大森林はエミルフィアの下……じゃなくて南ですから、北に行けば町に行けます!」
「北、か。勘でこっちを選んだのは正解だったのか」
適当だったけど運が良かったな、と付け足し、同時に、少女の命も救えたのだからなかなか勘も侮れないなと笑う。歴戦の軍師は断片的な情報でも勘で敵の数を言い当てることが出来ると言うし、実際そこに頼り危機を乗り越える戦士だっているのだから、勘と経験はこれからの異世界ライフを生きるために無くてはならないものだろう。ただ、勘に頼り過ぎてもいけないので、ここぞという時のみに頼ることにするが。
ついでに今菜月達のいる森の名前がセルハマ大森林だということもきちんと記憶しておく。さらにエミルフィアという知らない単語も出たが、流れからすると町の名前だろう。こちらもきちんと覚えておくべきか。
そして意外な情報は、この世界での方位は菜月達が居た世界と概ね同じだということだ。正午の太陽の方角が南、反対側が北。シャルロッテが漏らした情報から地図の表記も上が北で下が南だろう。ここまで一緒なのならば東西も同じく定められていると期待できる。もっとも――単語の発音がやや違ったとしても――何故違う世界、違う文明を築いたはずの場所で、同じ方位が用いられているのかは謎だが。
そう、菜月が得た情報を整理していると、憂莉が不満そうにしながら、
「わたしは失敗だと思いますけどね、シャルちゃんと遭遇してしまいましたし。まぁ、先輩の欲しい情報を絞り終わったら処分すれば良いだけですけど」
「やめろ。お前はどこのマフィアの組員だよ。処分とか言うな」
「では、掃除にしておきます」
「大して変わんねぇ!?」
「ああ、それともいっそ奴隷商に売り払ってお金に換えますか? これから二人の愛の巣を築いたり、先輩の趣味に合った鞭とかバイブとか玩具を買ったりするために、お金はいっぱい必要ですからね。シャルちゃんの見た目はその手の貴族には受けそうですし、結構な額になると思いますよ」
「絶対にやんないから。もうそれ人として駄目だから。つか、そもそもこの世界って奴隷制は受け入れられてんのか?」
憂莉が相も変わらず平常運転で黒い提案をするが、勿論却下。現代日本に生きていた菜月には奴隷制に対する忌避感があるし、奴隷にするくらいならわざわざ自身を危険に晒すというリスクを冒してまで助けたりしないだろう。その考えは天道三大家・一条家の長女として常に人を従え、また日本――はたまた世界――を牛耳ってきた家の子の彼女には無いのだろうか。
さして世界の闇と関わりの無かった菜月は当然知らないことだが、天道三大家の中央家、一条家は日本どころか世界の闇に通じ、奴隷や人体実験用に集めた戸籍抹消者を大量に抱えているのだ。そんなことを平気でする当主の、直系の子である憂莉にその考えが付くのは自然なのかもしれないが――実際、憂莉は当主である父に似ていない。
ただ憂莉は、愛する菜月との幸せな生活を望んだ結果、あらゆる可能性の中から有用なその考えに至っただけなのだ。そこに家系から継ぐ思想など無い。
「えと、えとえと。ど、奴隷制は…………シフォリール聖王国にも、ありますけど……」
奴隷制の有無の疑問を呟く菜月に答えたのはシャルロッテだ。憂莉の提案で奴隷にされそうになった少女は脅えながら言い、無意識の内に憂莉から一歩半遠ざかる。
そんなシャルロッテの様子を見て、菜月は少々申し訳なさを感じながら言った。
「シフォリール聖王国……うん、知らねぇ名前だが、今はいいや。奴隷制が組み込まれてる国の文化水準はあんまし高くなさそうなイメージがあるけど。……とにかく、北に行けば町があるんだな?」
「は、はい!」
パッと明るく元気の良い返事をするシャルロッテ。
「そんじゃ、そろそろ行きますかね」
そう言うと、菜月は憂莉とシャルロッテの二人を連れて最初に辿ってきた獣道まで戻り、道に従って先――北へ向かって歩き出した。
◆ ◆ ◆
メンバー内最年少のシャルロッテの歩行スピード――といっても、シャルロッテは妖精種の血を半分引いているため、同年齢の人間と比べればかなり速いが――に合わせて一時間ほどで森を抜け、もう十分ほどで最寄りの町であるエミルフィアに付いた菜月達は、次なる壁の出現に戦慄していた。いや、実際に戦慄しているのは菜月だけで、憂莉とシャルロッテにとっては異常な反応をする菜月に首を傾げているだけだが。
その恐ろしい壁は、エミルフィアに入る直前になって菜月の前に立ちはだかった。
「身分証を提示しろ」
エミルフィアを囲う外壁に東西南北四点に開かれた大門のうち、南門にて、あまり加工技術の良くなさそうな不純物混じりの鉄の鎧で身を固める門番兵士が、右手は槍を持って塞がっているため左手を差し出して言った。
怪しい行動があればすぐにでも槍を使うぞと威嚇を滲ませる兵士の手は革手袋をはめる上からも分かるほどごつく、加工鉄に覆われる腕も筋肉質で鎧がむちむちしているのだから、実際に菜月が素手でやり合っても速攻で組伏せられてしまうほど筋力差があるだろう。小学生時代に近くの道場に通って武道を習っていた菜月だが、そこまで筋肉質ではない。筋肉が無いわけではないけれど、平均より多いかな、くらいなのだから、本職の人にはどうやっても敵うまい。剛じゃない、柔だ! なんて言われても技術が無いので言うな。
それはさておき、当然この世界に来たばかりの菜月は身分を証明する物など持っていない。常時制服の胸ポケットに入れている生徒手帳を提示してOKを貰えるはずもないので、女神が便宜を図ってくれてないかインベントリーを探ってみたりもしたが、残念というか予想通りというか、最初に確認したアイテム以外入っていない。いっそのこと綿棒に付いている女神印で何とかならねぇかな、などと馬鹿な事を考え始めた辺りで、菜月と同じく身分証が無いのに何故か危機感の無い憂莉が耳打ちしてきた。
「先輩、どうやら文明レベルは低そうですね。定番の中世ヨーロッパより少し進んだか同じくらい、といった感じでしょうか」
「うわお、この状況でそっちに目を向けてられるのかお前」
大物だよこいつ、と半ば呆れながら呟く菜月。
確かに憂莉の言ったとおり、門の向こうに覗く町並みはファンタジーの定番、中世ヨーロッパ風だった。ただ、魔法などというステキ能力のある世界の為か、やや進んでいるように見える。代わりに科学技術は低そうであったが。
「見たところ電線が無いので、街灯も電気で光る物ではないのでしょうね。となるとコンセントもないでしょうし、ドライヤーが使えなくて困るんですけど……先輩の魔法で電気を生み出せませんか?」
「いや、まずなんでドライヤーなんて持ってんだよ?」
「わたしのインベントリーの中に、向こうの世界でわたしが使っていたものがいくつか入っていました。非常に不愉快ですけど、恐らく女神が入れたんでしょうね。ここが向こうの世界だったら即行捨てて新しい物に買い替えますけど、ここでは電化製品は無いでしょうし、代わりのものが見つかるまでは我慢することにします」
「へぇ、何で俺のとこに便利アイテムが無かったのかちょっと気になるが……とりあえず、魔法で電気は生み出せるけど、多分ショートすると思うぞ。出力の加減とか俺にはまだできねぇし」
森で読んだ『初級魔道書・魔法学入門編』に載っていた雷属性の第一位階魔法、【電撃法式】の出力は魔力の多さと濃さ、練り加減など色々面倒な技術によって調節できる。シャルロッテを助ける際にルアーナッチュ(森を歩く間にシャルロッテから名前を教えてもらった)に放った【炎球法式】も出力の調節方法は【電撃法式】と同様だ。その他、基本的に魔法の出力の調節は【電撃法式】と同じで、例外は最初から出力が固定されているものである。出力の固定された魔法はほとんど無いので今は割愛するが、他にも魔道具を使っての調節も可能である。
まだ魔法を少ししか使っていない菜月には細かい調整は難易度が高い。故にルアーナッチュに【炎球法式】を放った時もややオーバーキル気味になっていたのだ。範囲魔法などで間違って仲間を巻き込まない様に、きちんと練習しておく必要があるだろう。
と、そんなことを考えていた菜月に、兵士が不審な顔つきになって声をかけてきた。
「おい、さっさと身分証を出せ。ここは『前線都市』エミルフィアだ。身分証がなければ入れるわけにはいかん。それとも、貴様らはアルバトリア王国からの亡命者か?」
「あー、いや別に亡命ってわけじゃないんだが……」
事実、元々居た世界では死亡しているため戸籍は消えているだろうから、亡命とも言えなくもないのだが。
歯切れ悪く菜月が答えると、それと重ねるように横から憂莉が口を挟む。
「そうです、亡命です。アルバトリアではないですけど、わたし達はとある極島の島国で有力な貴族の者です。ちょっと他貴族の娘と、先輩……彼を取り合いになってしまい、命を狙われる前に逃げてきました」
嘘だッ!!! と思わず叫びそうになった菜月の口を憂莉が前もって塞ぐ。死を彷彿させる赤紫の瞳と温度の感じられない笑顔を菜月に向けて、そっと憂莉は言った。
「間違ってはいませんよね? わたしは天道三大家、その中央家・一条家の長女……貴族と言っても間違いではありません。それに、アイツがわたしから先輩を奪おうとしていたのも、わたし、知っているんですから」
「…………は?」
こいつは何を言っているんだ?
意味が分からなかった。
確かに一条家の長女である憂莉が貴族なのは分かる。だが、彼女の言うアイツが誰なのか、そのアイツが菜月を奪おうとしていたのか、そのことが全く分からない。理解できない。何せ菜月に恋人がいたことは無いし、あまり人とのコミュニケーションが得意ではなかったため女子の知り合いは多くない。そんな菜月を憂莉から奪おうとする――この時点でまず何故菜月が憂莉のものなのかツッコミたいのだが――女子など、いなかったはずだ。
憂莉の言ったことがまったく理解できず、菜月は押し黙る。言い訳も反論もしない菜月に、温度の無い笑みを憂莉はにっこりと柔らかい微笑みに変えると、ただならぬ雰囲気に思わず後退りしていた兵士へ視線を向けた。
「家を出て捨てたため身分証は無いのですが、エミルフィアに入って新しく作ることはできないでしょうか?」
「……っ、あ、ああ。別に作れなくもないが、その場合、冒険者協会に所属する冒険者になるしか道が無いが……」
「ならそうするので、今はこのまま通してくれませんか? それでもわたしと先輩の前に立ちはだかるというのなら貴方の勝手ですけど、命が惜しいならお勧めしませんよ」
可愛らしい笑みを浮かべ、憂莉は赤紫の瞳で兵士を睨めつける。一瞬で背筋が凍り付いてしまった兵士は、本来門番の仕事としては問題だが、本気で命の危険を感じて道を開けてしまう。
その様子に憂莉は満足そうに頷くと、
「では先輩、行きましょう♪」
悪魔のように残忍で冷酷な所業をしたにも関わらず、振り向いた彼女は天使のような笑みを浮かべ、菜月の手を引いた。
「……本当に、何なんだろ、こいつは」
小さくステップなんて踏むご機嫌な憂莉に引っ張られながら、菜月は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
その後ろを、シャルロッテが普通に身分証を門番兵士に提示してから追いかける。
異世界最初の町入りは、元々知らないことばかりだった後輩の謎を、さらに深める出来事となった。
この時、憂莉が菜月に言ったことの意味を菜月が理解するのは、もう少し後の話である――。
戦闘が少ないから二人のチート度が分からないのが最近の悩み。
次回も読んで頂けると有り難いです。




