龍神
ドスッ。
「あ?」
ハデスは素っ頓狂な声を漏らした。
ハデスの胸からはまるで龍の腕のようなものが突き出ていたのだ。
ハデスの背後から声が響く。
「流石に私の領域を潰させはせんぞ。この場所は気に入っているのだ」
女の声だ。しかも聞き覚えがある。
ハデスは驚愕の表情を浮かべ、叫んだ。
「貴様……!何故貴様が地上にいるのだっ⁉︎龍神、ミドガルズオルムッ!」
龍神だと……っ⁉︎
ミドガルズオルムと呼ばれた女性はハデスの胸から腕を引き抜きながら答えた。
「そう呼ばれるのは好きでは無い。長いし美しくないからな」
「……まぁいい……。貴様、今すぐ奴らを皆殺しにしろ。そうすれば俺の胸を穿った事については見なかった事にしてやる」
「成る程な……フム……。断る」
「だが断る」とか言い出しそうな雰囲気だったな今。
「何ッ⁉︎貴様……!ローグに逆らうつもりか……⁉︎」
「フン、あのような青二才に逆らうも何も有るものか。私は今貴様の所業について話しているのだ。心して傾聴せよ」
ミドガルズオルムはハデスのセリフを全く意に介していないようで勝手に話を進める。
「お前は私の領域を穢すに飽き足らず、地獄に堕とそうともしたな……?それは赦されるべき所業では断じて無い。今ここで断罪してやる」
「ま、待て……!今俺を殺せば……、ローグを敵に回すことになるのだぞッ⁉︎」
何なんだ?このハデスの態度は……。
この焦り様……。コレは完全に格上に対する態度だ……。
「何度も同じ事を言わせるな。あの青二才は今関係無い。そして、私はお前を赦さん。問答は以上だ」
必死の形相のハデスを完全に無視して話を終わらせたミドガルズオルムは龍種のような形状の右腕をギラリと怪しく光らせた。
テラテラと光る鱗。ギラギラと輝く爪。どれを取っても龍種のものと遜色無い。
いや、それどころか龍種以上に洗練されているようにも見える。
それほどまでにミドガルズオルムの腕は美しい強さを湛えていた。
「ま、待っ……」
「待たん」
ミドガルズオルムは鋭い眼光でハデスを睨み付け、言い放った。
「反省しろ。今頃反省しても無駄だがな」
カッ!
それだけ言うと、ミドガルズオルムは無造作にハデスを消し飛ばした。
一瞬後には跡形すら残っていなかった。
結局、『破滅地獄』も何もせずに消えてしまった。
強過ぎる……。何なんだ?この異次元のバケモノは……。
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ハデスをまるで害虫を駆除するかの様な気安さで消し飛ばした後、余波で黒焦げになった地面を満足そうに見つめながらミドガルズオルムは俺へと近づいてきた。
俺今からどうなるんだ……?
「全く、生き汚い上に五月蝿いやつだな、貴様は。だが、そういう者は嫌いではないぞ?」
ミドガルズオルムは楽しそうに笑いながらどんどんこちらへ近づいてくる。
でも誰だ?聞き覚えはあるが、馴染みは無い声だ。
「面を上げる事を赦すぞ、地上の者よ」
ミドガルズオルムは俺の顎に手を掛け、グイッと顔を持ち上げた。
「え……、ミ、ミド……?」
ミドだった。
あれ、そういえばこいつどこ行ってたんだ?ってかどのタイミングで居なくなってたんだ?
「何を惚けた顔をしている。私が助けてやったのだ。何か無いのか?地に額を擦り付けて礼を言え」
「あ、その、助かった。恩にきる」
地に額を擦り付けることはしなかったが、俺のセリフに満足した様でミドは俺のあごから手を離した。
「フン、口の利き方がなっていないが……、まぁ良い。私は今気分がいいからな。赦してやる」
ふふふ……。と笑いながらミドはスタスタと祐奈の方へと歩いて行く。
「ミ、ミドッ!祐奈が死にそうなんだ!頼む!助けてやってくれ!」
「む?死にそうなのか?此奴は」
そう言ってミドは無造作にヒョイと祐奈を持ち上げた。
ちょ、何でそんな無造作に⁉︎今にも死にそうなんだぞ⁉︎
「怪我など見当たらんがなぁ……?」
ミドはニヤニヤと笑いながらいやらしい目つきで俺の方に視線を送ってくる。
よく見たら祐奈には傷一つなかった。
コイツ……、一瞬で治療しやがったな……。性格悪いなこいつ。
「あ、ありがとう……」
しかし俺は素直に礼を言う。下手に出てた方が何かと扱いやすそうだし。
「向こうにアスタとジルも倒れてるんだ!二人も治療してやってくれ!」
「ム……、まぁ、良いだろう。お前達には世話になったからな。この様に簡単な事で借りを返せると思えば、安いものよ」
ミドが俺と祐奈を置いてさっさと行ってしまったので、俺は意識の無い祐奈を担いで急いでミドを追いかけた。
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「よし、これで全快だ。当分目は覚めんだろうが、死にはせんだろう」
ミドはアスタとジルの治療も一瞬で終えて長い仕事が終わったような顔で額の汗を拭うような仕草をした。
ちなみに微塵も汗なんてかいていない。
「すまない。本当に助かった」
「礼など言うな。コレはお前の行いに対する報いとしての事だからな」
そう言ってミドは俺に向き直った。
「さて、あとはお前の治療だが?」
「あ、いや、俺はいいよ。ほっとけば治る」
実際俺の傷は魔力が回復しさえすれば綺麗さっぱり治る。そして、魔力は時間経過で回復する。
俺の傷はツバなどつけとかなくてもほっとけば治るのだ。
「まぁそう言うな。お前も早く治った方が嬉しいだろう。診せてみろ」
「あ、おい……。まぁ、やってくれるんなら助かるけどさ……」
「まぁ黙って治療されろ。……む……?」
そう言ってミドが俺の手をとったとき、すぐにミドの表情に暗い影が差した。
「コレは……、お前ハーフだったのか?」
ミドはなにやら思案顔で俺の傷口を眺めながらそう質問する。
「ああ、分かるのか?一応俺は魔族と人族のハーフなんだ」
「魔族と……人族……だと?」
俺のセリフに顔をしかめながらミドは俺の腕を強く掴んだ。
「ならば……この血はなんだ?これは紛れもなく龍種のものだぞ」
詰問するように言うミド。
その目は不信感に満ちていた。
事情を知らないミドからすれば自身の領域の存在を殺されたようなものだろう。
確かにコレは説明しなければならない。
「まさか、貴様、古龍種を殺したのか?私利私欲のために?」
二人称が「お前」から「貴様」に変わった。完全に怒っている。
というか、数秒後には殺されそうな雰囲気なんだが。
「コレには事情がある。聞いてくれ」
「聞くだけ聞こう。納得いかなかったら殺す」
真実を話しても既に怒り心頭なミドを諌められるだろうか?
そもそも作り話っぽく無いだろうか?
納得してくれるかどうか、かなり不安だが、ありのままの真実を話すしか無いだろう。
「実は……俺には古龍種の仲間が居たんだ。俺の身体に流れてる龍種の血はそいつのものだ。俺は今から大体9年位前に人族の魔法使いに襲われて殺されかけた。その時に血を貰ってこの身体になったんだ」
「つまり、貴様が殺したのではなく、その古龍種が血をくれたというのか?自分の身も顧みず?」
「にわかには信じられないだろうが、本当だ」
俺はなるべく真摯な眼差しでミドの瞳の奥を見つめた。
「ならば、そこに居るのか?そいつは」
「そこ」とは俺の中にいるのか?という意味だろう。
龍種は血を与えた時、与えた存在と同化する。しかし、フレイムは既に俺の中にもいないのだ。
「いや、いない。死んだ。ついこの間のことだ」
なんだか色々ありすぎてフレイムと別れたのが遠い昔のように感じる。
フレイムが居なければ俺はここに居ないな。これは確定だ。あいつには感謝しなければならない。
「俺はあいつのお陰で今生きている。だから、俺はあいつの分まで生きなきゃいけないんだ」
「……そうか……それは辛い体験であったな……」
「信じてくれるのか?」
「お前のその真摯な態度を見ていれば、嘘をついていないこと程度すぐにわかる」
ミドは柔らかく微笑んで俺の傷を治した。
「しかし……、この血……。見覚えがある。間違えているかも知れんが、その古龍種の名は……ダークネスフレイムか?」
「なっ……!フ、フレイムを知ってるのか⁉︎」
「やはりか……、ここ数百年の間魔族に接触するような古龍種はそうそうおらんからな……。そうか……、奴は死んだか……」
ミドは遠い目をしながら空を仰いだ。
「なんで、フレイムの事を知ってるんだよ……?」
「簡単だ。奴を卵から育てたのは私だからな」
「お、お前が……フレイムの育ての親だってのか⁉︎」
俺は驚愕の表情を浮かべた。
まさかフレイムがそんな凄い奴に育てられていたとは……。
「その通りだ。聞いていなかったのか?」
「一度も聞かなかった。親が龍神だ……なんて……」
「まぁ、そういう事だ。結局奴とはケンカ別れをしてしまったがな……」
ミドは寂しそうに笑いながら言った。
俺は俺に背を向けて座っているミドに向かって手をついた。
「すまない。俺のせいであんたの子を……」
しかし、間髪入れずミドは俺の言葉を遮った。
「謝るな。我々龍種は『死』その物を恐れない。我らが真に恐れるのは、『意味なく死ぬ事』だ。だが、ダークネスフレイムは仲間の命の為に死ぬという、名誉ある死を選んだのだ。だから謝るな。奴の名誉を穢すな」
ミドは一息ついた時、俺はまた口を開いた、
「でも、俺は……」
「我々は仲間の死は悼むが、仲間の死に涙を流さない。だから私は泣かないよ……。それに、これは私の勝手な想像だが、奴は最期に……笑っていたのではないか?」
そうだ……、フレイムは最期……満足げに笑っていた。『心残りなどもう無い』と言って、笑って旅立ったのだ。
「ああ、アンタの言う通りだ……」
「ならば良いのだ。奴が奴自身の死に満足しているのならな……」
ミドはニヤリと笑い、そう締めくくった。
でも俺はまだ1つだけ伝えていない事がある。
「フレイムが最期にお前に伝えておいてくれって言ってたんだけど……。あいつ、謝ってたぞ。アンタに」
『俺が謝っとったって言うといてくれ……』
フレイムはそう言っていた。
多分自分の言葉で謝罪を伝えるのが照れ臭かったのだろう。だから俺に、短くそう伝えるよう頼んだ。
「……っ……!そ、そう……か……」
「ミド……?」
ミドは俯き、顔を両手で覆いながら立ち上がった。
「くっ……!わ、我々龍種は仲間の死に涙を流さない……」
「…………」
俺は何も言えなかった。
「だが……、息子の死には……涙を流しても……良いだろう……?」
泣いているのだ。
息子が死んで悲しく無い訳が無い。ミドも龍神といえど、一人の親なのだ。
「くっ……!……うっ……!この情けない神を笑うが良い……」
「笑わないさ……誰も……」
この愛に溢れた涙を笑う奴がいるものか。
ミドはその後も静かに涙で頬を濡らした。