始まり
皆死んでしまった。
俺は薄暗い森の中を、痛む身体を引き摺りながら声を殺して泣いていた。
目の前で歩いている男、先程会ったばかりの同行人の一人が心配そうにこちらを見たが、その歩みを止めることはなかった。
魔王は倒した。恐らくは。いや間違いない。力を振り絞りなけなしの魔力を込めた聖剣を、魔王の人の胴ほどもある太い首に根元まで垂直に突き刺して、さらには人骨か何かで出来た悪趣味な玉座の一部に縫い付けてやったのだ。
魔王はカッと目を見開き、必死にその両手で聖剣を引き抜こうとした。しかし聖騎士の戦槌で砕けた両手では、自らの血で滑りやすくなった聖剣を、何より聖剣から発せられる自らの最も苦手とする光神の力に阻まれ、遂には抜くことが叶わなかったのだ。
魔王との死闘は壮絶を極めた。魔王と俺たちの力は互角だった。魔王も最初に見せた余裕は戦いの中で消え去り、俺たちの連携の前に焦りの色を顔に滲ませていった。
俺たちは魔王を確実に追い詰めていた。と同時に俺たちの仲間も一人、二人と倒れていった。魔王の巨大な魔剣と凶悪な魔術の前に、鷹の目を持つ狩人も、神の御手の異名を持つ神官も、鉄の双腕と呼ばれた獣族の姉妹も、次々と倒れていった。
城壁と呼ばれた堅牢な聖騎士も、最後には力尽きた。聖騎士の戦槌で両手の骨を砕かれ怒り狂った魔王の放つ巨大な氷柱を、上半身にまともに受けて絶命した。最後には俺と女魔術師の二人になってしまった。
今になって思えば、傷だらけの聖騎士は自らの死を覚悟したのだろう。と同時に、自分が死んだ後、せめて残された俺たち二人のため、壁となる自分がいなくても戦えるように、その巨大な魔剣を振るえぬよう自らの命を犠牲に魔王の両腕を封じたのではなかろうか。
魔剣の使えぬ魔王が放った巨大な氷柱を、聖剣の発する衝撃波と魔術で産み出された火炎の嵐が迎え撃つ。ほぼ互角。だが如何に王国随一と呼ばれた女魔術師とはいえ、魔族の長たる魔王とは、その持つ魔力量に圧倒的な差があった。徐々にだか火炎の嵐の威力に陰りが見え始め、女魔術師の顔に疲労と困憊の色が濃く彩り始めた。
このままでは負ける。俺は覚悟した。俺の体力も限界に達しようとしていた。体力が尽きる前に、隙を見て魔王に飛びかかろう。上手くいけば魔王を倒せる。もしかしたら俺は死ぬかもしれない。だがこのままいけば、彼女の魔力が尽き、二人とも死んでしまう。なにより、一分一秒でも彼女を生き長らえさせたい。
俺は彼女の方を見た。彼女と目があった。彼女は笑っているような泣いているような顔をしていた。その口が何かを言っていたが、遠くて聞こえなかった。いつも通りの悪態か、或いは愛の告白か。今となってはわからない。だが悪態であって欲しい。
彼女もまた、覚悟を決めたのだった。彼女は残った魔力の全てと自らの命を餌に、巨大な邪竜を呼び出したのだ。彼女はローブから出した手をこちらに伸ばしながら、身体を包む黒い炎に焼かれていった。
竜は俺を守るように俺と魔王の間に立ち塞がった。唸りを上げる竜に、魔王は何本もの氷柱を放った。いくつもの氷柱に貫かれた竜は苦悶の雄叫びを上げたが、そのまま突進し魔王を玉座に吹き飛ばした。尚も牙を剥き襲いかかる竜に対して魔王が放った氷柱が、続けざまに竜の身体に突き刺さる。絶叫する竜の牙は、遂には魔王に届かなかった。
崩れ落ちる竜を前に魔王の浮かべた安堵の笑みは、すぐに驚愕の表情に変わった。俺は最後の力を振り絞り、傾く竜の背中を蹴る。魔王の魔術はもう間に合わない。光る軌跡となった俺は魔王の腕を掻い潜り、聖剣をその首にズブリと貫き通し、そのまま玉座に串刺しにした。
魔王は首の傷から血の泡を噴き出しながら絶叫し、必死に両腕で何度も俺を引き剥がそうと殴打した。俺は叫びながら失いそうになる意識を必死に保ち、残る魔力を聖剣に注ぎ込んだ。最後の魔力を聖剣に注ぎ込み、魔王の腕に吹き飛ばされた俺が、激痛と共に薄らいでいく意識の中で見た最後の光景は、必死に足掻く魔王と、光輝く竜の死体だった。
何者かに頬を叩かれ、激痛と共に俺が目覚めたのは、薄暗い森の中だった。
「しっかりしろ!」
俺の頬を叩く男、ガタイは良いがどことなく純朴そうな男、を突飛ばし俺は叫んだ。
「魔王は!」
「何すんだ、テメェ!」
どうやらもう一人いたらしい。もう一人の男が殴りかかろうとするのを、突き飛ばされた男が慌てて止める。
「やめろ!怪我人だろうが!」
「いや、だってよぉ、隊長~」
尚もぶつくさ言う男を無視して隊長と呼ばれた男が俺に声をかける。
「君、大丈夫かね?」
俺は問いかけを無視して混乱しながら左右を見渡す。
どこだここは。
俺は魔城にいたはず。だが、ここはどう見ても森の中だ。
またこの二人、助けに来た騎士には見えない。その上、魔城の近くに来るにしては軽装過ぎる。
「君、大丈夫かね?」
心配そうに隊長と呼ばれた男が再び顔を覗き込んでくる。
「どこだここは!」
混乱する俺は、答える代わりに右手で相手の胸ぐらを掴もうとしたが、激痛で腕を押さえた。痛む腕に目をやると、包帯が巻いてあるのが見えた。どうやらこの二人がやってくれたらしい。
顔をあげると心配そうな男の顔が目の前にあった。
俺は少し落ち着いて相手に質問をする。
「・・・すまない。だが、ここがどこか教えて欲しい。」
ほっとしたような顔をした隊長と呼ばれた男が答えた。
「ここはニカア村近くのジュフィ森の中だ。」
どこだそれは。
こうして、俺の異世界での旅が始まったのだ。
ちょっと魔王との戦い、長すぎましたでしょうか。
場合によっては削ります。