第六話 遠く聞こえる唸り
一週間後、大きな傷を埋めた鎧の塗装準備のため、鎧磨きを続けていたジャンとダルクのもとに、またまたエリーがやってきていた。
「ねぇ、ジャン」
「なんだよエリー?」
「私、暇」
「…………」
食事の後も酒場に戻らずにいたエリーから、鎧を熱心に磨き続けていたジャンにやる気をそぐ声が届く。
深い溜息をついたジャンは、磨き終わっていた魔法人形の鎧の様子を確かめた。
おおよそ全身の鎧は磨き終わっているところだ。かれこれ一週間、他の仕事をしながら朝から晩までずっと磨いていたのだから当然だと言えば当然だが。
ちらりとダルクの様子を確かめると、磨き終えた鎧を覗き込んで何やら自分の髪をいじっている。なまじ金色の綺麗な髪をしているだけあり、純白の鎧と彼女の金色は互いに映える。
「ねぇジャン。人の話聞いてる?」
「暇なら酒場に戻ってればいいだろ」
「ジャンだってわかってるでしょ? 酒場は昼間は暇なの。私の仕事は夜に仕事を終えた人達に作り笑顔を振りまくことよ。後セクハラへの鉄拳制裁」
「言っちゃったよそれ!?」
仮にも酒場の看板娘の言葉じゃない。頭を抱えたジャンの作業を覗き込んでいたエリーは、眉をひそめて顎に手を当てる。
「もうちょっとこう、何か面白いことってないのかしら。鎧磨くだけって、見ててもつまんないわ」
「何言ってんだ。汚れの一つ一つがこうして磨くたびに落ちていく様は感動ものだろ。目の粗い布に特殊な洗剤を使って汚れを落とす。これを水で洗い流して目の細かい布で水を拭き取る。そのあとは腐食を押さえる塗料を吹いて――」
「ジャンってば、地味すぎ。もっとこう派手な感じで作業したらいいのに」
「地味ッ!?」
魔法人形技師手としての根本を否定されてしまったジャンは、ガクリと崩れ、拭き終えた鎧の一部を地面に下ろす。
「わかったよ。なら一度街に出よう。騎士団の魔法人形の調整方法も聞きたいし、何よりエリーのボヤキを聞いてたらやる気がなくなってくる……」
「失礼ね! 暇だって言っただけじゃない!」
「地味っていったじゃんか。あれがどれだけ俺を傷つけたことか……」
「だって、テンプレートの精製してる時みたいにジャンが変身しないんだもん」
「変身って……」
エリーの指摘に、思わずジャンは自分の前髪を掴んだ。確かに、自分がテンプレートを精製する際は、髪の色が白に染まる。その上、流れる魔力を見つめる先に集中するため、瞳が真っ赤に染まってしまう。
変身とは良く言ったものである。
「ジャンって、変身できるんですの?」
「いや、別に変身できるわけじゃないぞ。テンプレートの精製の際にちょっと魔力に充てられて色々変わっちゃうだけだよ」
「ほかの魔法人形技師も皆髪の毛が白くなったりとか、目が真っ赤になったりするんですの?」
近寄ってきたダルクの無垢な視線にさらされ、ジャンは言葉を詰まらせた。
「さぁね。それより二人とも、街に出よう。エリーは磨き終わった鎧を工房に運ぶのを手伝ってくれ。ダルクは魔法人形を剣に。手の付けていない鎧は工房傍の屋根の下に置いておこう」
「えぇわかったわ」
「はいですの」
ダルクの怪訝な視線から顔を逸らし、ジャンはいくつかの鎧を抱えて工房に戻った。
◇◆◇◆
「あ、そういえば……」
街に出て大通りを歩いていると、エリーが唐突に立ち止まる。ジャンとダルクもまた、彼女の声を聴いて足を止めた。
「今度は一体なんだよエリー?」
「ねぇねぇジャン。ダルクさんのこと、借りて行ってもいい?」
「へ?」
さっと背に隠れたダルクを見て、ジャンはエリーに問う。
「エリー、ダルクを連れて何をするつもりだよ? おかしなことしようっていうなら、ダルクは貸さないぞ?」
「か、貸さないって。あの、私……」
「ん? 何かおかしなことでもあったか、ダルク?」
「な、何でもありませんわ。なんでもないんですのよ!?」
顔を向けると、ダルクが赤面してジャンの背を突き飛ばす。バランスを崩しつつもジャンはエリーと向かい合い、どうしたもんかと思案した。
「別におかしなことなんてしないわ。ダルクさん、人見知りみたいだし。それに、女の子には女の子の話もあるんだから」
「まぁ、確かにそれはそうだなぁ」
エリーは女の子。それはよく知ってるし、ダルクも女の子だ。幼い頃から魔法人形一筋で生きてきたジャンにとって、ダルクへの気遣いの難しさは理解している。
考え込むジャンを尻目に、エリーがジャンの背に隠れていたダルクに近寄り、耳元で小さな呟き。
「(……ジャンの喜ぶ顔見る方法、思いついたんだけど、どうするダルクさん?)」
「――っ! ジャン!」
エリーのつぶやきを聞いたダルクが、彼女の手を握り、ジャンの正面に立った。
「おあっ!? な、なんだなんだ!」
「私、エリーさんと行きますの! しばらく二人にしてくださいな!」
「いやけど、君人見知りが……」
口答えすると、ダルクが背伸びをしてジャンの顔を睨み付けた。
「い、い、で、す、わ、ねっ!?」
あまりのその強い剣幕にジャンは仰け反り、諦めたように頭を下げた。
「……分かった。とりあえず俺は駐屯騎士団のところに行ってるから、何かあったらすぐ呼べよ?」
「わかりましたわ!」
ぱっと笑顔を見せてくれたダルクの姿に、ジャンは苦笑いしてエリーに声をかけた。
「悪い。ダルクのこと頼むよ」
「任せておきなさいってば。ふっふっふ。じゃあん、貴方、あとできっと驚くわよぉ!」
一抹の不安を抱えたまま、ジャンはエリーとダルクと別れて一人、大通りを裏山へと向かって進む。
しばらく通りを進んで、後ろ髪を引かれて一度だけ振り返る。
そこには大通りの中央をスキップで酒場へと向かうダルクとエリーの姿があった。
◇◆◇◆
大通りを一人歩きながら、声をかけてくれる街の人達に挨拶を交わし、ジャンは三階建ての大きな兵舎の傍にやってきた。
「おぉ、ジャン殿。いかがしましたかな?」
「いえ。少し話を伺おうと思って」
ちょうどジャンの工房からウォール街をまっすぐに突き抜けた先の巨大な門。その門の傍に位置する駐屯騎士団の兵舎を訪れたジャンは、見知った顔の老騎士に声をかけられた。
齢六十を超えるというのに、ジャンより一回り大きな身体。年老いても鍛錬を怠らなかったその強靭な肉体の上に銀色の甲冑を纏い、騎士団長であることを示す黒い外套を羽織っている。男は白いひげを掻きながら、左腰に携えた剣に腕を乗せて立っていた。
「お疲れ様です、ライール団長」
「ジャン殿こそ、聞きましたぞ。何やらとうとう女性に手を出したとかで。むっふっふっ。ジャン殿も年頃ですかなぁ」
兜を脱いで脇に抱えた老騎士ライールが、顎に伸びた白いひげを撫でながら目じりを下げて笑う。親しみやすいが、その年でその笑いができるのは素直に尊敬できた。
「……どうしてこう、ウォール街では噂が広がるのが早いんですかね」
落胆するジャンの肩をライールが乱暴に叩きながら答える。
「なぁに、人の噂などすぐに消えますとも。ま、それが唯の噂という話であれば、ですがな」
「それじゃあ、俺も一つ耳にした噂について聞きますかね。なんでも、裏山に竜が出るとか」
「ふ、む……」
ライールの顔が渋くなる。
「隠しても無駄ですよ。鼻血と俺の給料と引き換えに得た情報なんですから」
「がっはっは! では仕方ないですな。えぇ、確かに近頃、裏山で竜の姿が確認されております。ワシら、オルレア王国ウォール街駐屯騎士団も、寝ずの警戒を続けております。今も、隊員の半数は裏山の捜索に当たっておりますぞ」
「それで、兵舎に人気がしないわけですね」
視線をライールの背後の兵舎に向ける。三階建ての質素な建物だ。すぐそばには馬小屋が用意され、いつもなら二十頭はいる騎馬が、今はわずかに六頭しかいない。
ウォール街市内の見回りと、裏山の見回りに人員を割いているのだろう。
「心配ですかな?」
辺りを見回していたジャンに、ライールが声をかけてきた。
「……えぇ、まぁ。こんな人里近くに竜が下りてくるなんて話、聞いたこともないので」
「体長はおよそこちらで管理している騎士級より一回り大きいとの報告が入っておりました」
「…………」
ライールの報告を受け、ジャンは兵舎傍の馬小屋から、その背後へと視線を向けた。
直立に立っている、兵舎から頭一つ飛び出した巨大な魔法人形。オルレア王国で、各地の騎士団に数体ずつ配属されている騎士級の魔法人形だ。ここウォール街は王国の中でもはずれに位置し、騎士級の魔法人形はライールの分のみ配置されている。
堂々と立つその魔法人形は、ライールの来ている甲冑と似た鎧を纏っており、黒い外套が右肩を揺れていた。
「あの騎士級より大きな竜、ですか……」
「最悪、騎士級を外壁の外に出すことになるかもしれませぬ。すでに街の樵と王都の商人が三人、犠牲になっております。せめて死体でも出てくれば、何か情報でも得られるのでしょうが……」
ライールの話を頭の隅に残し、ジャンは顎に手を当て思案を巡らせる。
「竜の姿を実際に見た人は?」
「それが、なんでも目にするとすぐに消えてしまうとかで。それに、それほどの巨体。そうやすやすと森の中に隠せるとは思えませぬ。まして、空を飛べるとした時、しっかりとした目撃情報がないというのも――」
ライールが頭をかいた次の瞬間、
ぎゃあアアッ!
外壁の外から、張り裂ける様な悲鳴が聞こえた。
一瞬の緊迫、刹那の直観。
悲鳴の声が騎士団員のものであることに気づいたライールが、いち早く兵舎に向って叫ぶ。
「騎兵部隊は外壁外へ! 歩兵部隊は大門前で隊列! 民の非難を最優先せよッ!」
檄を飛ばすライールを置いて、ジャンは慌てて大門に向かって走り出した。商人たちが馬車を走らせ大門を潜ってウォール街に逃げ込んでくる。彼らの隙間を縫うようにして外壁の外へと飛び出したジャンは、街道先の山の麓で上がる煙と、そこから聞こえてくる不快な雄叫びに顔を歪める。
視線の先に見えた頑強な巨躯に、ジャンはライールに向って叫んだ。
「ライール団長! 竜が見える……ッ!」
「なんですと……!」
ジャンの言葉に、大門周囲にいた人々が一斉に悲鳴を上げて逃げ出した。一人の恐怖は、次第に他の人々に伝染していき、賑やかだった昼間のウォール街が地獄に変わる。
騎兵を連れて駆け寄ってきたライールと共に、ジャンは阿鼻叫喚となった大門の外で街道の先を見つめた。
竜――。
岩すらもこともなし気に砕く鋭利な牙。一度目が合うと死を覚悟してしまうような鋭い眼つき。真紅の鱗に覆われた強靭な肉体。人一人丸呑みできる大きな口から時折漏れる低い呻きが、胸の内に届くだけで吐き気のするような悍ましさ。
ウォール街と呼ばれるジャンの住む街は、それ全体が人の十倍はあろうかという巨大な外壁によって囲まれた町だ。だというのに、ジャン達が見つめるその竜の翼は、広がるだけでゆうにその外壁の高さを超えて見せた。
圧倒的な存在感。
四足を地面について雄たけびをあげる伝説の竜。
そして、その背にはフードを深々と被った一人の人間の姿がある。竜の背に乗る人間が軽く手を振れば、それに合わせて竜が近くの騎士たちを薙ぎ払った。
「なんと、これほどの竜が騎士団の眼を掻い潜ってこんな近くにまで来ておるとは……! あ奴が竜を従えておるとでもいうのか……!?」
隣で唇を噛み締めるライールの言葉に、ジャンは首を振って応える。
「……違う。あれは、竜じゃない」
「ジャン殿?」
ジャンは、小さく息を吐き出し、呼吸を落ち着けた。瞳を閉じ、魔法人形用のテンプレートを作るように、自身の中にあるスイッチをオンに。
一弾指の風切り音――。
魔力によって深紅に染まる両眼を見開いたジャンは、遠く騎士達を蹂躙する竜の姿をみつめる。
剣を振りかぶった一人の騎士が、竜の足に剣を振り下ろす。これに素早く反応した竜が、前足で騎士を弾き飛ばす。だが、背後から尾を狙った攻撃には竜は見向きもしない。
すぐさま別の騎士が背後から胴をめがけて剣を突きたてる。だがその剣は、竜の鱗一つを弾き飛ばしたにすぎず、直ぐに竜の足に弾かれてしまう。
鱗の剥がれた竜の肉体と、騎士と竜の攻防を見たジャンは、ライールに向かい合った。
「……あれは、竜人形級の魔法人形です」
「なんと……!?」
「うっすらとですが、竜の鱗と肉体の隙間にテンプレートから出る余波の魔力が滲んでます。あれは人工的なものです。それに、竜の最大の武器は強靭な尾と鋭い顎です。自身の巨体を支えるせいで、普通は足を使って攻撃なんてしない。尾を使うはずです。つまり――」
「……外にいるあ奴が、あの竜人形を操作していると?」
「こと魔法人形に関してなら、絶対の自信があります」
「歩兵部隊! すぐに騎士級の人形の起動にかかれッ! 目標を殲滅する!」
ライールが傍に居た歩兵に指示を飛ばし、兵舎で直立していた騎士人形が動き出す。
「ジャン殿も避難を。ここから先は騎士団の仕事ですぞ」
「……分かりました。けど、気を付けて。同じ巨大魔法人形でも、パワーは竜人形のほうが上です!」
「委細承知!」
すぐそばに膝立ちする騎士人形が差し出した掌に、ライールが飛び乗った。胸部の甲冑が前に開き、ライールはすぐさま乗っていた別の騎士と変わり、甲冑の中に飛び込む。
耳の奥に届く駆動音と共に、騎士人形の瞳に火が灯り、傍から離れたジャンの目の前でライールとその魔法人形が大地を駆けた。




