第四話 酒場の噂
「ふざけてんじゃねぇぞ! テメェが先にけしかけてきたんだろうが!」
「お前が俺の酒に手を付けたんだろうが!」
まずジャンの眼に入ってきたのは荒れた酒場の風景。皿やビンが辺りに転がり、木造りのテーブルや椅子も派手に倒れてしまっている。エリーの母親はカウンターの内側に他の客を避難させ、先ほど話をしていたエリーの父親は肩を押さえてエリーに介抱されていた。
そして、そんな彼らを気にもしない大の男が酒場の中央に二人。
筋隆々とした肉体を見るに、おそらく近くの森で樵をしている男だということにジャンは気付く。
どちらもすでに顔は赤く、片手に酒瓶を抱えている。なんにせよ、齢が若そうに見えるのに、この時間に酒場にいること自体、彼らがあまり真面目に働いていないことは容易に想像できた。
「……はぁ」
大きな溜息と共に、ジャンは腰を下げて静かに酒場の中に入る。ダルクを背後に隠し、忍び足で倒れ込んでいたエリーとその父のもとに近寄った。
「大丈夫ですかおじさん、エリー」
声をかけると、エリーがぱっと振り返り、涙を浮かべて訴えた。
「ジャン! 良かった、パパが怪我しちゃって……!」
「はは……。すまないねジャン君。仕事に来てもらってすぐにこんな状況に巻き込むとは」
力なく笑うおじさんのシャツの肩口が血に染まっているのに気付き、ジャンは脹脛のポケットから一枚の淡い青色のテンプレートを取りだした。
すぐにこれをエリーの父親の肩口に軽く押しつけた。瞳を閉じたジャンは、テンプレートにわずかな魔力を流し込む。
直後に、エリーの父の顔が痛みに歪んだ。
「あ……」
押し付けられたテンプレートはすぐに割れてしまい、粉々に散ってしまう。だが、
「血が、止まった?」
エリー達の目の前で、ゆっくりと父親が腕を動かして確認をする。
「アイスなどを作る魔法人形に乗せてあるテンプレートで、液体をある程度で固定化できるんです。一時的に傷の表面に血でできたコーディングを形成して止血に使ってます。でも傷が治るわけじゃないから、すぐに医者に見せたほうが良いですよ」
「あ、ありがとう、ジャン!」
笑顔を向けてくれたエリーに親指を立てたジャンは、ダルクにこの場に残るように指示し、一人立ち上がった。
「さてと……」
「じゃ、ジャン。ど、どうしますの?」
「んー、ま、とりあえず割って入ってみるさ」
行かせまいと服の裾を掴んだダルクの手を優しく解き、ジャンは暴れ出した二人の男性へと向く。そのまま取っ組み合いの喧嘩を始めていた二人の男性の間にジャンが加わった。
「ちょっとあんたら! ここは大勢の客が来る酒場だぞ、騒ぐんなら外で騒――グヘッ!?」
二人を引き離すように間に入ったジャンだったが、遠慮なく飛んできた大きな拳が脳天に直撃。
痛む頭を押さえることもせず、ジャンは暴れる男達の間で必死になって二人を引きはがそうと足掻く。
「おいじゃまだ小僧! そこをどけ!」
「うひっ!?」
遠慮のない蹴りが脛に当たり、ジャンは思わず涙目になる。しかし、ここで倒れては格好悪いと歯を食いしばる。が、逆から飛んできた拳が鼻頭に突き刺さってもんどりうった。
真っ赤になった鼻とそこから流れた鼻血を垂らしたまま、ジャンは二人の男の間で叫び続ける。
「いい加減にしろッ! いい大人が昼間っから酒飲んで暴れて、何やってんだ!」
ジャンの怒鳴り声に二人の屈強な男たちは一瞬だけ怯むが、直ぐにそれぞれの襟元を掴みとるような形で訴える。
「うるせぇ! こっちだって仕事がねぇンだよ! やれんなら仕事をやってんだ!」
「樵の仕事は木を切ってこそだ! それがどうだ、最近は竜が出るとかで騎士連中に邪魔されて山にも登れない! 俺達は一体どうすりゃいい!?」
「山に、登れない?」
叫ぶだけ叫んで少しは落ち着いたのか、二人の男がだらしなく床に座り込んだ。
ジャンもまた溢れた鼻血を乱暴に服の袖でふき取り、彼らに事情を聴く。
「竜が出るっていったいどういうことですか?」
「おめぇさんはいつも人形工房に籠ってばっかだから知らねぇだろうが、四日ほど前から裏山で度々巨大な竜の姿が目撃されてんだ。何人かの樵仲間や商人が喰われちまったとかで騎士まで出張ってきて街道が封鎖され、俺たちゃ仕事を奪われた」
「樵が斧を失っちゃ、仕事も何もねぇ……。おれたちゃどうすりゃいいんだよ……」
がっくりと崩れ落ちた彼らにかける言葉を探していると、エリーとダルクが近寄ってきた。
「だからってあんた達、酒場で暴れていいわけじゃないんだからね! この惨状の代金、きっちり払ってもらうんだから!」
腰に手を当てた仁王立ちのエリーの言葉に、大の男二人が情けなく顔を伏せた。
そんな彼らの様子に満足したのか、エリーがニヤリと笑って父親に視線を向ける。父の頷きを確認したエリーは、再び彼らに向って声をかけた。
「代金の借りは、働いて払ってもらうわ! パパも肩を怪我しちゃったし、ちょうど男手が欲しかったの」
エリーの提案に、彼らの顔がバッと音をたてて上がった。
「俺達を、やとってくれんのかい!?」
彼らの喜ぶ顔を見たエリーはちらりとジャンに視線を投げ、右口端を歪に吊り上げた。
ジャンはよく知っている。あの顔は何か悪いことをこちらに押し付ける時の顔だと。
「えぇ。貴方達が樵として仕事ができるようになるまで、そこの魔法人形技師から給料を払わせてもらうわ」
「おいちょっと待てッ!」
聞き捨てならない言葉が聞こえ、ジャンが慌てて立ち上がる。
「なんで俺のお金なんだよ、エリー!」
エリーに詰め寄ったジャンだったが、彼女の眼がキッと鋭くなり、腕を組んで見上げられる。
さながら獲物を見つけた野鳥のように。
「あら、だっていっつも食事を持って行ってあげてるじゃない」
「いや! それはそう、なんだ、けども……」
ダルクを背後に隠したジャンの勢いが弱まる。確かに、魔法人形の修理や注文が立て込むせいでおろそかにしがちな食事を、ジャンはいつもエリーに頼んで運んでもらっている。
「あーあー、そういえばジャン。先月の分の食事代、まだもらってないんだけど?」
「うっ……!」
「確か、来月に入る仕事代で払うって言ってたわよね? あれ、どうなったのかしら?」
「い、いや……。ほら、魔法人形技師って色々な材料必要だろ? オルレア鋼とか魔力伝導率の高いオリハルコンも王都からの行商人が売ってたし。それに、先月は珍しくハンニバル国家の魔法人形技師に会ったから、向こうで使われているテンプレートの構成式も買ったりして――」
「オルレア金貨一枚もする葡萄酒、飲んだわよね?」
「い、いやそれは……!」
「無駄遣いしたから、払うお金、ないのよね?」
「……はい」
力なくジャンは膝をついた。
「じゃ、ジャン。あの、私も一緒に葡萄酒を飲んでしまったのは謝りますわ。でも、その……無駄遣いは、良くないんですのよ?」
傍に居たダルクにまで諭され、ジャンは惨めな気分になる。床に座り込んで膝を抱えたジャンの傍にしゃがみ込んだエリーが、満面の笑みでジャンの肩を叩いた。
「ジャン。貸しにしてあげる」
今月は節約生活を余儀なくされるようだった。
◇◆◇◆
樵の男二人を従業員に加えたエリー一家と別れ、ジャンはダルクと共にウォール街はずれにある工房傍の離れに戻ってきていた。
ダルクの剣は壁にしっかりと固定して倒れずにおき、ジャンは椅子に背を預けて鼻を押さえていた。
そんなジャンと向かいに座っているダルクの姿は、既に昼間に見た姿と違う。
エリーからもらった赤いリボンで金髪を左右に束ねており、服装は胸元にリボンのついた白いシャツ。折り目の付いた黒いスカート。王都の学生たちの着る服だと聞いたことがある。制服とでも言ったところだろうか。
エリーが王都の青年に求婚された時にもらったものだと言っていた。その青年は一撃のもとに葬られていたが。
「ジャン、その……」
「ん? あぁ、服なら似合ってるよ。けど、椅子に座るときは気を付けたほうが良いね。スカートが短いから下着見えてるよ。黒か」
「じゃ、ジャンのスケベ! わ、私黒なんて履かないんですの! 白が好きですもの!」
「なるほど。じゃあ白履いてるわけか」
「ち、ちちち違いますわ! って、そんなことを言いたいんじゃないんですの!」
からかっていると、ダルクが身を乗り出して真っ赤になった顔を膨らませる。
彼女の慌てる姿を見てジャンは笑いながらも、話を促した。
「それで、どうしたの?」
「い、いえ。その、私のせいでジャンのお給料が……」
「あぁ、酒場での話? あれはエリーが気を使ってくれたのさ」
「え、え?」
「俺は見ての通り、魔法人形技師としてお金を稼いでる。けど、エリーの家の魔法人形の修理は、いつもお金をもらってないんだ。エリーやおじさんおばさんには良くしてもらってるし、お金なんてもらえないってね。だから、エリーの言っていた俺の給料。本来なら今日の仕事でもらうはずだったお金をそのまま彼らにってことさ」
「あ!」
事情を説明すると、ぱっとダルクが笑顔を浮かべた。
「エリーさんって、意外と優しいんですのね!」
「……本人の前で言ったら殴られるから、気をつけてな」
ダルクの言葉に苦笑しながらも、ジャンは顎に手を当てて考え込む。
樵の彼らが言っていた竜。確かに、世界中を探せばそういった竜の存在は確かにある。だが、こんな人里近い場所に竜が現れるなどという話は聞いたことがない。
ただの噂だと流してしまってもいいが、実際に被害が出ていて駐屯騎士団も動いているとなると――。
「…………」
「どうかしましたの、ジャン?」
「いや、ダルクの魔法人形、どこから手を付けようかなってね。まずはやっぱりあの汚れた鎧から――」
「壊しちゃ駄目なんですのよ!? あれはお爺様の形見なんですの!」
「壊さないよ。俺は魔法人形技師なんだから。ばらしはするけど」
「ばらすのもダメなんですの!」
涙目になって詰め寄るダルクを窘め、ジャンは窓の外に視線を移した。
(竜、か。どこかで暇を見つけて駐屯騎士団に顔を出してみるか)
暗くなった夜空を見つめ、ジャンはダルクを離れとは別に用意してある寝床に案内し、自身も彼女とは別の寝室へと戻った。




